お仕事は報連相から
「澪ちゃん!ど、どうしよう……あたし、あたし明日……」
寮で同室の雪が青い顔で仕事から戻って来た。
「どうしたの、雪ちゃん?」
私は急いで着替えを置くと雪に駆け寄る。
ちょうど今日の仕事がひと段落して、私は一日で一番楽しみにしているお風呂に行こうとしてたんだけど……しかたない。
雪は私がこの世界に来たばかりのころ、一番最初に話かけて色々と生活の術を教えてくれた恩人だ。ちょっと気弱で優柔不断なところがあるけど、私にとっては「この世界」での大切な大切な友達。
森で行き倒れていた私を保護してくれた騎士の海様も様子を見に来てくれることがあるけれど、それは本当に本当にごく時々のことだから。
「また、変な奴にしつこくされた?」
雪は見るからに大人しそうな雰囲気の、線の細い儚い系美少女。私が来てからも度々不届き者に目をつけられている。まあ、私が目を光らせてからは指一本触れさせてないけどね。
「うんん、そうじゃないの」
雪はブルブルと首を振る。
「じゃあ……」
「ちょっと、あんたたちうるさいわよ!何時だと思ってるの、寝らんないじゃない!」
「あ、ごめん!雪ちゃん外に行こう」
私は雪と一緒に小さな中庭のような場所に出る。
庭と言っても物置のような場所で、壁際には壊れた道具なんかが無造作に置かれているむさ苦しい空間。でもこっそり話したいこんな時にはちょうどいい。
日本でいえばまだ夜の八時頃。でも朝が早い下女達はもうほとんど寝てしまっている。中庭を囲む部屋の明かりは消えていて辺りははしんと静かだ。
見上げると小さく切り取られた夜空に驚くほどの星がチカチカと眩く輝いている。
こんな空、今の日本じゃ田舎でも見られないよね。
私は思わず、溜息を零した。
私、前園澪がこの世界にやってきてから、早くも半年が過ぎた。
寒かった風はすっかりと生暖かくなり、誰かの悪戯では、悪い夢では、きっとすぐに元の世界に戻れるのでは、という私の淡い願望はとうに打ち砕かれた今日この頃。
私はようやく色々なことに諦めをつけて、この世界で生きていく覚悟を決めつつある。
そう、私はいわゆる異世界転生した人だ。
そんなこと本当にあるんだと驚いたが、本当にある。
でも普通は転生した人って、チート能力とかがあって、大魔法使いとか聖女とか救世主とか、特別な役割が与えられてるんじゃないの? 私には元の世界と全く同じ能力しかないんですけど……。
私が転生したのは、天虹国というこの世界では交易の要所にある商業大国の一つ。私は王城近くの森で倒れていたところを、偶然巡回に訪れた護衛騎士の海に助けられ、そのまま王城で働くことになった。
お城の下女として働いて、何とかギリギリ生活できる転生者とか聞いたことないんですけど……、いや読んだことか?
それでも、森で行き倒れていたところを運良く王城の護衛騎士に助けられて、そのままお城で働くことがてきた私はかなりラッキーな方だったのかもしれない。
一日中肉体労働でヘトヘトになる毎日だけど、少なくともここにいれば雨風も凌げるし、最低限の衣食住は得られるしね。
唯一ありがたかったのは、読み書きの能力は維持されていたことだろうか。今の生活ではほとんど文字を読む機会はないけれど、ちらっとメモとかを見た感じだと問題なく読めた。筆記用具は筆になるけど、こんなところで子供の頃の習い事が役立つとはね。まさに芸は身を助けるよね、これって。
他の変化といえば、元の世界では三十五歳だった私が、ここの世界では十四、五歳くらいの子供になってしまったことだろうか。年齢が若くなったのは、もしかしてというか多分、この世界の平均寿命が前の世界の半分くらいしかないからだと思う。だから私の年齢も半分くらいになっちゃったんじゃないかな。
文字同様、鏡もほとんど見る機会がないから確かめようがないんだけど、時々水面とかに映る自分を見た限りでは、元の面影があるような気もするけど、これはよくわからない。
今の私のささやかな目標は、この読み書き計算の能力を活かして、どこか田舎でもいいから代筆業や家庭教師などでひっそりと自立して生きていけないかということ。この国の識字率はどうやらかなり低いようなので可能性はあると思っている。
とにかく、状況が分かって多少の目処が立つまでは少しでも目立たないようにするのが一番と、私は黒髪をひっつめにして長い前髪で目元を隠し、少し大きめのお仕着せで体型を隠して生活している。
と言うのも、雪みたいに容姿のいい子は、誰か身分の高い人の目に留まる可能性も無くはないけれど、とにかく色々な奴に目をつけられたり絡まれたりして危険が多いのだ。
実際、そういうチャンスを狙ってわざわざ下女になる娘もいるし、上手く結婚相手を見つけて辞めていく娘も多い。
でも、私にはそんな要領の良さは、今も前の世界でも持ち合わせが無い。故に、特に助けてくれる人もいないこの世界では、私はできる限りの危険を避けて、地道に生きていくしかないのだ。
隣で壊れかけた煉瓦塀の橋に一緒に腰掛けた雪は、血の気が引いているだけではなくガタガタと小さく震えていた。
「雪ちゃん、大丈夫?どうしたの、何があったの?」
「あたし明日、明日……白蓮様のお部屋のお掃除を任されたの……」
「えっ、白連様の部屋のお掃除? それは……その、えっと、その白蓮様て大変な人なの?」
「……そうか、澪ちゃん、白蓮様のこと知らないんだ」
「うん、はじめて聞いた。雪ちゃんがそんなに怖がるってことは、その白蓮様はかなりヤバイ人ってことよね?」
私の鼻息が荒くなる。ここでは下女の立場は本当に弱い。難癖をつけられたり、物陰に引きずり込まれて無理矢理ということもある。
雪がこんなに怯えてるってことはそいつ……。
「うんん、違うの。白蓮様は澪ちゃんが考えてるような人じゃないの」
雪ちゃんは首を振る。ちょっと困っているような、私の思い違いが面白いような顔だ。
「あれ、じゃあどういう人なの?」
「うん……、白蓮様は医薬院長様を務められているとっても偉くて凄いお医者さんなんだけど……」
「けど?」
「……けど、とてもとても厳しくて怖い方なの。普通はお掃除するお部屋って、大体担当が決まっているでしょう?」
「ああ、確かに」
「でも、白蓮様はとても厳しい方だから、お掃除の子が長続きしないの。皆んな怖いって泣いて帰ってきて……。前はベテランの秋さんて方が担当してたんだけど結婚して辞めちゃって。それ以来、担当の人が決まらないの……」
「でも、雪ちゃんは財歳院の方の担当でしょ?あっちも色々決まりが細かいから、雪ちゃんじゃないと困るんじゃ」
「そうなんだけど……下女頭の早様が他に人がいないからって……。その、早様は……言うことを聞けば当番を変えてもいいって……」
雪ちゃんの声は段々小さくなって、最後は膝を抱えて俯いてしまう。
なるほど、そういうことかあの下衆野郎。
雪ちゃんは家の事情で仕事を辞めても帰る場所がない。婚約者はいるけれど彼は下級兵士で今は仕事で国を出ているから、戻ってくるまでは結婚もできない。そういうところに付け込むあたり本当に下衆よね。
私は一つ息を吐くと膝を抱えて項垂れる雪ちゃんに向き直った。
「明日の仕事、私が代わるよ」
「澪ちゃん!そんな、それじゃ澪ちゃんが……」
雪はブルブルと首を振る。
「いいの、いいの。どうせ雪ちゃんがいなかったら私はこの仕事続けられてなかったと思うし。だから今度は私が雪ちゃんを助ける番」
「澪ちゃん……でも……」
「それに前に言ったでしょう? 私、この国に来てから王城しか見てないから、ずっと街に行ってみたいと思ってたって。退職する時は雀の涙だけどお礼金も出るし、もし辞めることになったとしても案外いいきっかけになるかもなんだよ」
私が小さなガッツポーズのような感じて気合いを入れると、雪は泣き笑いのような顔になった。
ちょっと盛ってるところもあるけれどあながち嘘とも言えない私の本心だ。状況を探るとはいえこの世界にきてもう半年経つ。そろそろこの状況を打破して外に出るきっかけが私にも必要だろう。だから、例え代わりの仕事に失敗しても、自分では決心のつかない良いきっかけになるかもしれないのだ。
「大丈夫、私前の仕事の上司がすごく厳しいというか怖い人だったから、怒られ慣れてるの。ちょっとやそっとのことじゃへこたれないんだよ」
「澪ちゃん……、ごめん、ごめんね、私……本当にありがとう」
そういうわけで、私と雪ちゃんは翌日の仕事場を交換した。
言っとくけど私、決してお掃除が得意っていうわけじゃないからね。全くもって人並みの腕。
この何気ない交換が、実はちょっとやそっとのことでは済まなかったということに私が気づいたのは三日後だったんだけど、気づいた時には既に手遅れだったのよね……。
『天虹国お仕事日誌』第一話をお読みいただきありがとうございます。
ついに投稿開始してしまいました。
恐ろしいと噂の医薬院長白蓮様とは一体どんなお方なのか。
雪と仕事を代わった澪は、白蓮様の執務室に向かいます。
・・・・・・
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面白いお話をお届けできるように頑張って参ります。
どうぞよろしくお願いいたします。




