合同訓練―1
「マーガレット!起きて!遅刻したいの⁉︎」
声が聞こえる。でも、幼い頃から聴き慣れた母の怒鳴り声ではない。いや、限りなく怒鳴ってる声だけど。
えっ、遅刻……?
頭が覚醒し、勢いよく身を起こす。
「うわっ、急に起きないでよ!びっくりしたじゃない」
「ごめんって、それより今何時?」
「6時過ぎたところ。点呼の7時までには余裕あるけど、あんた準備遅いじゃない。連帯責任はイヤよ」
「起こしてくれてありがとう、ルイーゼ!それなら余裕だと思う!」
「全く……パン屋の子は早起きが得意だと思ってたのに」
「はは、期待外れでごめんね。お母さんに起こされ慣れちゃって」
「何回も聞いたわよ。いいから、早く準備する」
「はーい」
点呼とは、朝食前に屋内訓練場に訓練生全員が集まり、各教官に生存確認されるものだ。朝食後でもいいと思うのだが、早起きを習慣づけるためらしい。先輩に聞いた話だが、抜き打ちで5時集合もあるらしい。1人で起きる自信がない。
それにしても、同室になった子が毎日飽きずに起こしてくれるのは、感謝しかない。いや、呆れらているし、連帯責任という名のマイナス評価を付けられたくないだけかもしれないが、ルイーゼに毎朝ありがたみを感じる。早く1人で起きるようにしなければ、卒業まで迷惑をかけっぱなしになる。
ということで、毎朝の日課の運動をする。どうしても朝食前にやりたいので、こうして朝早くに起こしてもらってる。
「ねぇ、マーガレット。夕方にも、走り込みと筋トレをしてるんだから、朝くらい休めないの?」
「これは、ストレッチ!私、身体が硬いから!」
「あんた、体術はクラスの女子トップよね」
「今期の、トップになりたいの!私の取り柄が、それしかないから」
「座学も常に上位なんだから、上官候補生を目指せばいいじゃない」
「騎兵隊に入って、憧れのケルピーに乗るの!よし、終わり」
「はあ、あんたみたいなタイプは、いつまでも出世できないわよ」
「出世はいいの!代わりにルイーゼが上官になって、私のこと、こき使えば解決でしょ」
「私が格好良い上官になるのは確定なのよ。あんたが同僚になるか、部下になるだけの違いよ。だったら同僚のほうがいいじゃない。あ、そろそろ行かないと」
「ほんとだ!着替え急がなきゃ」
こうして、私はルイーゼに助けられながら朝の点呼に間に合っている。今日も遅刻しなかった。ルイーゼに一生感謝しよう。
「イヴァン・デルポ」
「はい!」
「トーマス・グルックリン」
「はい」
「マーガレット・ハウサ」
「はい!」
「ルイーゼ・マムナウ」
「はい」
「フェルナンド・フォン=ハザーディル」
「はい」
今は、訓練場に509期生10クラス分およそ300名の訓練生が、それぞれのクラスの教官に点呼を取ってもらっている。ちなみに私たちは2組で、名前を呼んでいるのは由緒ある子爵家のご息女で、美人なアズリスタ教官。ルイーゼの憧れで、目標の人だ。たまに、いや毎日、教官のべた褒め大会を1人でしており、私はそれを聞いている。
「今日の午後、5組との合同訓練があるので、日直はジズ教官への挨拶を忘れないように。点呼は以上。解散」
「「「はっ」」」
よし、ごはんを食べに食堂に行こう。そう考え、ルイーゼに声をかけようとしたところで、逆に名前を呼ばれる。
「マーガレット!今日、日直一緒だよね」
「あ、トーマス!そうよ。教官への挨拶は昼休みでいいかな?」
「いや、初めての合同訓練だし、今から行こうと思ってたんだけど」
「じゃあ、急いで行こう!朝ごはん食べ損ねないように。教官もまだ廊下にいるはずだよ」
私はトーマスの手首を掴み、屋内訓練場と校舎を繋ぐ廊下に急ぐ。日直などでよく一緒に行動する彼は、引っ張られることに慣れてしまったのか、やや呆れ顔でついて行く。
やや早足で、しかし教官たちに注意されない程度の速度で廊下を進む。何人かの教官や訓練生の中に、探し人の背中を見つける。周囲に声が響かないほどまで近づき、声をかける。
「ジズ教官、失礼いたします。今、お時間よろしいでしょうか」
「……ああ、構わない」
壮年の男性が振り返る。歳による白髪を丁寧に後ろに撫でつけており、皺一つない制服を背筋の伸びた軍人が着ている。カテドラルの双眸は、片側を眼帯に覆われている。
「509期生2組、マーガレット・ハウサ」
「同じく、トーマス・グルックリン。本日午後、5組との合同訓練の挨拶に伺いました」
「ご苦労。朝一番の挨拶に感心したよ。敵の情報でも、探りに来たか」
そう、今回の合同訓練は2組が防衛側、5組が攻撃側に分かれて行うものだ。と言っても障害物の多く設置された屋外訓練場で、陣取りゲームをするようなもので、激しい戦闘は禁止されている。明日の午前に交代し、午後には親睦会を兼ねた一対一の対人訓練もある。他クラスとの親睦が深まる場合と、対抗心が芽生える場合のあるドキドキの合同訓練だ。
「いえ、授業のご挨拶に伺っただけです。それとも、何かご教授頂けるのでしょうか」
少し強気に出てみる。ジズ教官は意欲のある訓練生を好むと、先輩に聞いたので本当に何か教えてもらえれば、こちらの戦略に優位になる。
「ははっ、それには時間が足りないな。ただ先週発売された兵法書は面白いと思ったぞ。2組のハウサだな。覚えておこう。では、午後に訓練場で」
「「はっ、失礼いたします」」
一瞬、カテドラルの瞳が面白そうだと揺れ動いたのが分かった。瞬きの後、普段の隙も逃さぬような眼差しに変わったが。再び背を向けられ、廊下の角に姿が見えなくなるまで敬礼を2人で続けた。
「トーマス……兵法書、今から読む時間あると思う?」
「アズリスタ教官の座学で、内職は厳しいでしょ。誰か読んでたりしないかな?」
「先週発売でしょ?とりあえず、1限が始まる前にみんなに訊いてみよう」
私たちは話しながら、早歩きで宿舎内にある食堂に向かう。校舎よりも遠いので、本当は走りたいが、我慢だ。注意され罰則なんか貰ったら、訓練どころではなくなる。
普段よりは遅く、かと言って授業に間に合わないほどではない時間に食堂に着き、いつもながら美味しい朝食を頂く。遠目にルイーゼを探したが、友人の多い彼女は独りで食べていることはなく安心した。
9時に始まる1限の授業前は、朝食を食べてすぐ教室に来る者、規則の5分前に着席する者さまざまだ。だが、2組は大体30分前には全員集まっている。今日も例に漏れず教室に集合しており、午後の合同訓練を話題にしている。ざわついている教室に、声を張り注目を集める。
「みんな、午後の合同訓練について相談があるの!聞いてくれる?」
少し静かになったところで、クラスのまとめ役でもあるフェルナンド・フォン=ハザーディルが質問する。点呼の後の私たちの会話を聞いていたのだろう。
「ジズ教官に挨拶に行ってたよね?その関係?」
「そう。訓練と言っても私は勝ちたいから、ヒントを貰えないか、ジズ教官と話をしたの。そしたら、先週発売の兵法書が面白かったと返されたのよ」
「僕も、それにみんなも合同訓練の準備はしてきただろう。どうせなら2組が勝ちたい。指揮は訓練生がやるけど、教官からある程度の戦略は聞くはずだ。相談というのは、その兵法書を誰か読んでないか、ということだ」
私の発言に続き、トーマスがクラスメイトに尋ねる。正直、兵法書マニアだと言うクラスメイトはいなかったと記憶しているので、この相談はダメ元であるが。
「はい!これのことかな。図書館で借りたんだけど、『最新 陸海空 対人兵法』の翻訳本が先週発売だったよ。元はラハナーク帝国で去年出版された物らしい」
そう言って本を指し示すのはライ・ホートン。訓練生になったのは図書館に通うためか、と言うほどの本の虫で魔法が好きな男子。魔法書や小説を小脇に抱えているのをよく見かけていたが、そんな物にまで手を出していたのか。
そして、ライの近くに座っていた彼の友達であるイヴァン・デルポが、質問する。
「読んだ感想は?」
「俺が読んだのは、“過去に使用された統合級魔法”だけで。あ、統合級魔法っていうのは、複数人で異なる魔法を発動して高威力の効果を発揮させる魔法だよ。書物や人によっては魔術に分類されるほど精密さが要求されるもので、発動条件は難易度の高いものばかり」
「……だ、そうだ。今回、統合級魔法は使えないから、読んでないに等しいな」
相変わらず、ライは魔法大好き人間だった。でも、兵法書が週に何冊も出るとは考えにくいので、その本だと思おう。しばしの間無言の時間が流れる。
「しかし、今から誰かが読んだとしても、午後までに対策を考えるのは難しいんじゃないか。それとも、よほど奇抜な作戦があったりするのか」
フェルナンドの言うことは尤もだ。例え数百ページの兵法書を読めたとしても、午後の作戦に組み込めるかと言われれば、私たち訓練生には難しい。ならば、せめて明日までには作戦を立てたい。そう思い、口を開こうとする。
「奇抜かは分からないけど、“市街戦と森林戦での応用作戦”っていう見出しがある。えーと、障害物が多い環境での動き方?防衛側が魔力発生装置を使って索敵を混乱させる方法、らしい」
私が案を出す前に、ライから本を受け取ったイヴァンがフェルナンドの問いに答える。その答えは、私たちが午後に置かれる状況を言っているかのようだった。
さて、ジズ教官の言いたいことはどちらだ。2組に有利になるようにこの本を教えたのか、5組はこの対策をした上で攻めてくるのか。前者の場合、こちらの動きを読まれずに防衛ラインを前進させることも可能だろう。後者の場合、どちらにとっても指揮の難易度が高く慎重な動きになり、防衛ラインが膠着して引き分けの結果になるはもしれない。
さらに驚きなのは、先週の工学の授業で簡易の魔力発生装置を作っているのだ。危険度もないので使用許可も出るかもしれない。このタイミングの良さはなんだろう。
「なるほど。ライ、休み時間に見せてくれるか。作戦の参考になると思う」
「いいよ。指揮官をやってくれるんだ。いくらでも手を貸す」
「ありがとう。ルイーゼ、あとで作戦を練り直したい。時間はあるか?」
「時間なんていくらでも作るわ。私も勝ちたいもの」
今回の合同訓練での指揮官は、クラスメイトからの推薦でフェルナンドとルイーゼが務める。友達として鼻が高い。
午後までにやることが決まったところで、授業開始5分前の鐘が鳴る。全員が自席に座り直し無言で教官を待つ。そして本鈴が鳴る十数秒前に、アズリスタ教官が入室する。
「起立。礼。着席」
「1限目は歴史学だが、自学とする。科目は問わない。2限目は合同訓練で使う屋外訓練場の案内、および装備の装着方法を教える。現地集合なので遅れないように。質問のある者は?」
淡々と告げられる声に手を挙げる者がいたのか、教官の目線が止まる。
「ハザーディル」
「はい。今回の合同訓練で魔法道具を使用する際、許可はどのように取ればよろしいでしょうか」
「2限目の時間で、私が確認する。訓練場に持ってくるように。その時に君たちの作戦も聞こう」
「承知いたしました」
「……他にはいないようだな。私からは以上だ」
「起立。礼」
ものの数分で教官は退室してしまった。
当然、自学の時間は午後の合同訓練の作戦会議を開き、5組の要注意メンバーや役割分担の確認をする。話し合いは盛り上がりすぐに2限目の開始が近くなる。すっかり慣れた早着替えで実技用の服を身に纏い、屋外訓練場を目指す。
「整列。礼」
「休め。先に今回の訓練で着てもらう装備を説明する。防護障壁を常に展開する着用型の魔法道具だ。ただし被弾回数の一定値を超えると解除されるので、戦線からは離脱してもらう。基本、魔力を流さなくとも使用できるが、魔力を流すことで解除される基準値を上げることもできる。着用方法はベストを着る要領で構わない。ここまでで質問はあるか」
屋外訓練場に併設された倉庫の側に整列する2組。私は後列にいるのでクラスメイトの様子を伺いやすい。最前列に並んでいたゾフィア・メルビスが挙手し質問する。
「防護障壁が解除される基準はどれくらいですか?」
「初級魔法が5発ほど当たると解除される。魔力を流したとしても5が7になる程度だ。回避に努めたほうが賢明だな。また、物理攻撃からも守ってくれるが、人は矢を5本も受ければまともに動けまい。ただし、胸より上は急所判定となり、即戦線離脱だ。この回答で満足か?」
教官は肯定の返事を受け取る。装備に関する質問がないことを確認すると、訓練場の中に入るように指示する。
隊列を崩さぬように防壁の中に進むと、市街地を模した広大な訓練場が露わになる。家に似せた箱状の障害物、水路や河川を模して掘られた地面、幅広の道から細い裏路地、樹木まである。人の市場に溢れる声や個性的な家屋があれば、小さな町と言われても不思議ではないほど広い場所。しかし、そこに“色”はなく、壁にできた傷や焼けた地面が“生”は存在しないことを示していた。
初めてこの訓練場を訪れたクラスメイトは、目線だけで周囲を観察する者、首も回して興味深げに見る者に分かれていた。私は入った瞬間から色のない世界に圧倒された。視線があちこちに向くことはないが、前列のトーマスの後頭部を越えて、造られた“町”を凝視していた。それでも体に染み付いた歩調が、隊列を乱さなくて安心した。
行進が止まり、教官が振り返る。途端に訓練生たちの目線がそちらに集まる。
「今回、2組と5組が行うのは市街戦を想定した訓練だ。近年、国同士の争いは“戦争”という形を取ることが少なくなった。現に私も海上、海岸での戦闘しか参加したことがない。しかし、我が国は多くの小国と接しているため、陸上戦ひいては市街戦があることも考えなくてはならない。初めての合同訓練、チーム戦で得られるものは、何よりも大きい。“国を防衛する”ということを改めて考えて臨め」
私たちが暮らしている国――セルヴィア王国は、とても豊かで街に住んでいる限りは平和だと感じる。南北に伸びた広大な国土の西側は全て海に面しており、海産物や果物が有名である。王国の辺境地域と国境付近には、属国や独立都市が多数存在し同盟により良好な関係を築いている。では私たち王国軍――まだ訓練生ではあるが――は何と戦っているのか。それは、“転移門”から発生する魔獣である。他国、他の大陸では陸上に存在するこの“転移門”、我が国においては近海の海底にあり、日々魔獣を吐き出している。海中から船底を攻撃したり、街を目指して海岸に上陸したりする。
私は、その魔獣から国、人々を守る海上警備隊への入隊を目指している。その中でも花形の部隊――ケルピー騎兵隊の隊員になり活躍したいと思っている。きっかけや理由はありふれたもので、国内で一番華やかな職業に憧れ実家を飛び出した。歴史と常連客の優しさの詰まったこじんまりとしたパン屋では、私の人生には足りなかったのだ。
「さて、現地調査したいところだが、君たちの作戦を聞こうじゃないか。他クラスよりも気合が入っているようだからな」
「はい。今回、指揮官を務めるハザーディルが説明します。まず今回の合同訓練での使用許可を出していただきたいのが、授業の課題で制作したこの魔力発生装置です。全部で30です。用途は攻撃側からの索敵を混乱させるためです」
「……魔力探知を惑わせるのか。暴走したとしても外装が破裂する程度だな。許可しよう」
「ありがとうございます。この装置を陽動に使い、攻撃側が深く侵攻してくる前に戦力を削ぐ。これが大まかな作戦です」
「守りを完璧に固めるよりも攻めることを選んだか。では、この作戦の弱点は?」
「広範囲に散開する陽動に対して各個撃破に動いているところを、背後から逆に攻めます。しかし陽動に気付き、守りの手薄な司令部を集中攻撃されれば、2組は敗北します。つまり長期戦に弱いことが弱点です」
「そうだ。これは5組のメンバー全員の情報がなければ、最速で的確な反撃は不可能だ。情報の少ない実戦には向かないと考えるが、この合同訓練の最適解になるといいな」
この作戦の要は陽動がバレる前に、いかに相手の戦力を削ぐかにかかっている。30人いるメンバーを3つの役割に分ける。1つは司令部から指示を出す指揮官とそれを守る者、2つ目は陽動、3つ目は奇襲である。半数は陽動として動くが、司令部は最低限の人数しかいない。ちなみに私は奇襲班に割り振られた。
もう1つのポイントは魔力探知である。戦場では目視よりも正確な位置を知ることができる捜索方法である。動植物の一部の種、魔力で稼働する魔法道具は常に魔力を有している。魔法などの行使により内包する魔力が底をつかない限り、魔力を探知することができる。これに関しては、各国が魔力探知装置の性能を向上しようと躍起になっているし、魔法使いも探知精度を上げるために切磋琢磨している。
しかし魔力を持たずに生まれてくる者もいる。私がそうだ。王国民の3割は魔力を持っていないし、両親も親戚のほとんども持っていなかったので期待はしていなかった。魔法を使えないのは残念だし憧れていたが、魔力探知に引っかからないのは利点としよう。それに魔力がないことが人間の弱点でもないし、魔法が全てじゃない。確かに魔法を使えることで優遇されることも多いが、ポジティブ思考でそれ以外を伸ばすことにした。私の特技は体術だ。それもスピード重視の、ルイーゼには暗殺者と言われるほどで、それならと武器も短剣にした。なかなか格好いいと思っているのだが、騎兵隊に入るには槍使いのほうが有利なので、そちらも習得する予定だ。
脱線したが、陽動班は訓練場に点在して戦線を維持する。そしてその配置を惑わせるために、魔力発生装置をクラスメイトが持つことで人数を誤魔化したり、人がいない場所に設置して誘導したりする。数でバレるかもしれないが、魔力探知は敵味方の区別などできない。違和感と困惑を抱いているうちに、魔力量の少ない者で構成された奇襲班が攻める。
「では、授業終了の10分前に、ここに集合するように。解散」
「「「はっ」」」
解散後は、広大な訓練場のマップを頭に叩き込むように歩き回った。もちろん午後の体力を残すため2周くらいだが。お互いの司令部はほぼ対角線上に存在するが、道路や建物の関係で真っ直ぐに進行することはできない。見晴らしのいい広い道、潜伏しやすそうな物陰、袋小路、住宅が並ぶように密集した建物、本当に町のようだ。
集合場所に向かう途中、フェルナンドの背中を見つける。近づき名前を呼ぶと、綺麗な金髪が風に揺れ知的な灰色の瞳がこちらを向く。
「マーガレットか。どうした?」
「指揮官どのが緊張してるかと思って、声かけただけ。……なんかいつも通り?」
「そんなわけないだろう。いつもと変わらないのは、そっちじゃないか」
「私は逆に興奮してる。お昼食べないで、動き回りたい気分。もちろん、そんなことしないけど!」
「君ならやりかいねない、と思うのはルイーゼから話を聞いたせいか。時間があるとトレーニングばかりなんだろう?」
「なぜ、私の話を!魔法を使えないなら、筋肉バカになるしかないんですよ!」
「別に君の努力を馬鹿にしたのではない。魔法が多少使えるからと傲っている者よりも、ずっと素晴らしい行動だし、僕からすれば君の夢はとても眩しいものだと思う。今回の作戦も、君の身体能力があってこそ成り立つものだと思っている。それに」
「あ〜っと!それ以上は大丈夫だから!ほら、整列しよう」
フェルナンドはクラスのまとめ役だ。それは2組で唯一の貴族出身だからというのもあるが、何より聞き上手なのだ。私の偏見だが、貴族は目上の者しか褒められないと思っていたので、フェルナンドが日常的にクラスメイトを称賛していて、とても驚いた。時折感じるのが、フェルナンドは伯爵家の次男であることを嫌っていること。多分、平民が金持ちの貴族に憧れるのと同じで、ある意味自由な平民を羨ましく思っているのだろう。
他人を褒めることができるのが彼の美点だとすれば、身分とか関係なく人としての長所だろう。それにクラスの男子で一番綺麗な顔の持ち主から褒めちぎられるのも嬉しいが、だんだん恥ずかしくなるのだ。だから、今のように止めてしまう。本当に、こればっかりは許してほしい。
「……そうだな」
だからそんな、垂れた犬の耳と尻尾が見えるような声はやめてほしい。止めた私が悪いみたいじゃないか。離れた所にいるクラスメイトも生温かい目で見るのをやめてほしい。ここは宿舎のロビーじゃないんだ。
整列しようと適当な位置に立っていると、真後ろに並んだルイーゼが面白いと言わんばかりの声で話しかける。
「あれは恋だと思う?」
「誰が誰に、なんて聞きたくないわ。3か月一緒にいるクラスメイトよ」
「もう少し、乙女の思考をしなさいよ。女子であんたくらいよ。露骨に恋バナ避けるの」
「色恋沙汰に時間を割けないし、特に今はそんな場合じゃないでしょ」
「ごめんって。そうね、集中しないと」
そうだ。集中しないと。2組のこのメンバーで勝ち取るんだ。
授業終了の挨拶を終えたら、食堂で軽めの昼食を摂る。昼休みの余った時間もルイーゼと過ごしたが、お互い無言だった。精神統一しているのが分かっているので、その時間は苦ではなかった。
そして再び野外訓練場に向かう。授業開始前に屋外訓練場の倉庫内で、防護障壁を展開する魔法道具を着用する。見慣れない顔は5組のメンバーだ。他クラスとの交流はこれが初めてだから、みんな話しかけることはない。自分たちが勝つ、などと露骨に見栄っ張りな発言もないだろう。
「今日も、明日も、俺たちが勝つ!2組の皆さんは、立ってるだけでいいぜ!楽だろう?」
「こっちは全員、魔法が使えるんだ!もう勝ちは確定だろっ!やる意味あんのか?この合同訓練」
「オレらの成績を上げるためだろ!楽勝だぜっ」
見栄っ張りな発言は、あったね。5組のお貴族さま3人組だ。2組のみんなは目も向けない。どうせなら煽てて、相手の作戦を聞き出したいけど、時間はないので諦める。
「ははっ!負けるのが分かってて、黙っちゃったのか?面白くねえ」
「2組なんてほっといて、行こうぜ」
3人組は捨て台詞を置いていくと、倉庫内に静けさが戻る。
「あの3人、ジズ教官の前だと黙っちゃうのよね。面白くないわ」
ルイーゼが小さく呟いた台詞は倉庫内にやけに響いて、残っていた2組の何人かに届いた。隣にいた私は、小さく吹き出してしまった。
「整列。礼」
「休め。……改めて、2組担任のフィオドラ・ディア=アズリスタだ。5組の諸君、2日間よろしく」
「5組担任のジズだ。皆の活躍を期待している」
「事前に資料を読んでいると思うが、私から改めて注意事項を説明する」
一つ、上級以上の魔法、広範囲に影響を及ぼす物理攻撃は禁止する。
一つ、防護障壁が解除された場合、速やかに戦線離脱する。ただし解除後、一定時間は訓練生の安全のため予備の防護障壁が展開される。この状態の者を攻撃した場合、強制退場およびペナルティが課される。
一つ、勝負の判定基準は以下の通りであり、不足の事態が発生した場合、教官の判断で合同訓練は即時中止され、両者引き分けとする。訓練場に残っている人数が三分の一を切った場合、または司令部を制圧された場合、負けとみなされる。制限時間180分が終了しても勝負が付いていない場合、その時点の戦線の進退具合から教官2人で判断する。
一つ、教官による訓練の終了および中止の指示に従わない場合、強制退場およびペナルティが課される。
玲瓏たる声で淡々と告げられる。
これから180分いや、もっと短くなるかもしれないが、気を引き締めていこう。2組の勝利のために、自分のために。
「それでは、各々配置に付け。30分後に開始の合図を出す」
「「「はっ」」」
さあ、作戦開始だ。
「じゃあ、また会いましょうね」
「ルイーゼも」
5組がここから反対側のスタート地点に向かい姿が見えなくなる。2組も動き出したところで、ルイーゼと言葉を短く交え、お互い反対方向に歩き出す。
王国の気候は年中、穏やかな晴れの日が多く、今日もそんな日だ。しかし、緊張のせいか午後の柔らかい日差しが刺すように熱く感じた。
ミリタリー小説ですが、にわか知識満載でお送りしています。
本作に出てくるケルピーとは、水上を走ることができる馬の姿をした妖精です。舞台であるセルヴィア王国の軍では、海の戦いにおいて船上とケルピーの馬上から魔獣を倒しています。