③ 危うい仮説と微かな勇気と
「いいかい、なにがあっても動いたり、声を上げたら駄目だよ」
真一は最後にもう一度年を押すと、深
呼吸を一回して前に向き直る。もう何度も頭の中でシミュレーションをした。後は覚悟を決めて走るだけだ。
よし!
真一は心の中で叫ぶと走り出した。
目指すは目の前のパトカーだ。
一気に走り抜け、車の中へ飛び込む。素早く後ろ手でドアを閉めた。ほとんど同時に蔓がドアのガラス面にぺチャリとくっついてのたくった。
まさに間一髪だ。
真一は運転席へ移動すると二度ほど深呼吸をして息を整えた。そして、ウツボカズラとは別に近づいてくる2体の化け物の様子を伺った。
まだ、100メートルほど離れていた。
速度は人が歩くのと同じぐらいのようだったからもう少し時間の余裕がありそうだった。だがそんなに悠長としているほどでもない。
手早くキーやシフトレバーを確認する。
オートマチック車で少し安心した。
アクセルを踏み、慎重にミニパトを碧と双葉の間に移動させる。
途中、蔓が絡みついてきたが真一は構わずに動かし、なんとか二人の間に移動した。
ゆっくりと後部座席のドアを開ける。
「二人とも静かにパトカーの中へ移動して」
二人は、うねうねと地面をのたくる蔓を避けながらゆっくりと歩く。あげた足を地面に下ろせず、よろけるなど、胆を冷やす場面が何度もあった。1時間にも2時間にも感じられる数秒を経て二人はなんとか後部座席に体を滑り込ませる。
「こわかったぁ!」
ドアを閉めると碧は溜まっていたものを吐き出すように大声で叫んだ。とたんに蔓が窓に張り付き、ぎゃっと、碧は悲鳴を上げた。
「まだ、安心するには早い。
大丈夫だよね……よし、行こう!」
真一は小声でたしなめると、ハンドルをゆっくりときり、アクセルを踏みこんだ。
が、パトカーは一瞬、前のめりになって失速したように止まってしまった。エンストかと思ったがエンジンは動いていた。するするとタイヤが空転する音がする。
「蔓が絡みついているよ!」
双葉の言葉にサイドミラーの目をやると、後輪部に蔓が幾重にも絡みついているのが分かった。
「くそ!」
真一はアクセルを目一杯踏み込んでみたがタイヤが空回りをするだけでピクリとも前に進まなかった。
「きゃっ!」
蔓がドアを激しく叩き、ビリビリと揺れた。
このままぐずぐずしていると窓が割られるかもしれない。
どうすればいい!?
こうなってしまってはパトカーに逃げ込んだことが裏目になる。
逃げ場がないのだ。
真一の頭に避難所で吊り上げられて泣き叫んでいた女子高生や女性警官、逆さ吊りの警官の姿が浮かんでは消えていった。
ん?
違和感があった。
なにか引っかかる。金属の表面の目にも見えない小さな傷を撫でた指先が感じとるような、そんな些細な引っ掛かりだった。しかし、その小さな引っ掛かりは、極限の緊張感と集中力の中でむくむくと具体的な仮説に育っていった。
もしかして、こいつ……
真一はパトカーに絡みつく蔓を観察する。すべての蔓が車体に絡みつき吊り上げようとしていた。今度は車中を物色するように視線をさ迷わせる。黒いA4サイズの冊子に目が止まった。緊急時マニュアルのようなものだろうか。真一はそれを拾い上げる。中になにが書かれているかには興味はなかった。投げるのに手頃、重要なのはそれだけだ。
運転席の窓を半分ほど開けると、その冊子を外に放り投げた。
冊子は、バサバサと音を立てて地面に転がり、やがて止まった。なにも起きなかった。だが、それが一番確認したかったことだ。
「パトカーから出るんだ」
「えっ? そんなことをしたら蔓に掴まっちゃうよ」
真一の提案に困惑したように反論した。
「大丈夫。こいつ、多分一つの物にしか反応しない。僕がパトカーを維持しているからその間に二人は安全なところまで逃げて!」
「多分って何よ!
それに真一はどうやって逃げるのよ?!」
「今、本を外に投げたけど、蔓はまるで反応しなかった。だから、大丈夫だと思う。それ以上、今は確認のしょうがない。だから、多分で勘弁してくれ!
それから、僕は……うん、それは碧たちが逃げてから考えるよ」
「そんなのいい加減過ぎるよ!
もっと……こう良い考えは……ないの……」
碧の声は小さくなって聞こえなくなった。
そのままうつむいて黙っていたが、くいっと顔を上げた。きゅっと上がった眉根が決意を表していた。
「うん、いいわ。やろう」
宣言すると双葉の方へ顔を向けた。
「わたしが先に出る。
大丈夫そうなら双葉ちゃんもすぐにパトカーから出て!」




