⑦ 逃避行
「と、とにかく移動しよう」
「移動するってどこへ?」
気を取り直すように真一は言ったが、碧の問いにすぐに行き詰まってしまった。確かにどこへ行く当てがあるわけではなかった。
お母さんのところへ行こうよ、と双葉が言った。
「真一のお母さんが勤めているのって双美研究所だよね?」
「そうだよ。確かにあの研究所は軍事関係の仕事をしていて警備のために陸自が駐留しているだよね。そういう意味では双美市内では一番安全かもしれない。
ここから1時間くらい歩かないといけないけどね」
「結構あるのね。その途中でさっきみたいな化け物に遭遇したらやっかいよねぇ」
「そういうリスクはあるね」
「ねぇ、お母さんのところ行こうよ!」
双葉は真一の腕を掴むと熱心に訴えてきた。瞳の奥に怯えが見えた。
それも仕方ない、と真一は思った。
あまりに色々なことが起きすぎている。怖がるのも仕方がない。自分だって怖かった。じっとしていると、さっきの眞菜の声が甦ってきそうで居ても立ってもいられなくなりそうだった。
「うん、うん。分かった。まずは研究所へ行ってみよう」
そう、真一は宣言した。
学園の敷地を脱出して、真一たちは双美研究所へ向かった。
街は彼らが見知った生まれ住む場所から一変していた。3人は押し黙り、ひたすら研究所へと道を急ぐ。一歩前に進む度に神経がフライパンで焼かれるような圧迫感に苛まれた。
人影はない。
だが、それは大したことではない。
打ち捨てられ車、ウィンドウが割れた店の数々。
それらも確かに違和感を感じさせたが真一たちを圧迫させるほどのことはなかった。むしろ、大きな建物に関しては、少なくとも見える範囲で判じるのなら驚くほど被害が感じられなかった。もっと廃墟になった町並みをすら想像していたのだ。
真一たちを追い詰めたのは、道路を濡らす赤い染みやゴミのように散らばっている塊、良く見るとそれらが人の一部であることがわかる、や血や肉の焼けるような臭い。そして吐き気を催す糞尿の異臭。それが街のいたるところに充満していた。それはすべて化け物の存在を暗示していた。角を曲がった先、あるいは物陰に異形の化け物が潜んでいて突然襲いかかられるのではないかという恐怖感が3人の神経をガリガリと削るのだった。
「ねっ、ちょっと止まって! あそこ、なにか動いてる!」
碧が小さく叫ぶと先頭を歩く真一の腕をつかんだ。指差す先は1ブロック先の曲がり角だった。3人の間に緊張が伝搬する。
「うん? いや、あれはパトカーだ」
目を凝らした真一が叫んだ。それはミニパトだった。
「えっ? あっ、本当だ。じゃあ保護してもらえるよ」
ようやく人に会えたことにガチガチに強張っていた神経が一気に弛緩する。
「おおーい、ここよ!
助けてくださーい!」
碧は手を振り、大声で叫んでミニパトに向かって走り出した。
「あっ、おい! ちょっと待って。様子を良く見てから……」
これって、良くある映画の一シーンに似ている。助けが来たと思って喜んで近づいたら、既に……、そんなのを百二万回は見たことがあった。
「待って! 迂闊に近づいちゃダメだ!」
大声を上げて真一は碧を追いかけた。




