episode 9 『核』
北緯25度44 東経123度28
円閣諸島のとある島
「ハア、ハア、ハア…。」
空母があった海域から、西に向かってほぼまっすぐ直進した。腕時計をしてないから、今が何時かは分からないが、おそらくそれほど時間はかかっていない。しかし、その短時間で、太平洋から南西諸島の内側、東シナ海のこの島まであっという間に自分はやってきた。数百キロメートル離れた距離を、あっという間に移動したのだ。
自分も彼も、とんでもない体になってしまったんだなと改めて困惑した。
「何し来たんだ?」
激しく息を切らす友里に、先ほどと変わらない、とげのない口調で声をかける。
「手伝いに来た訳じゃないんだよな。…きっと。」
「ハア、ハア、……うん。」
少年を追って急いでここまで来たせいで息が上がったが、何のために自分がここにいるのかを彼に伝えるために、強引に息を整えて言った。
「……止めに来た。」
まっすぐな瞳だった。その瞳を見るだけで、目の前の少女が、彼女なりの考えや信念を持って自分と対峙していることを少年は感じ取った。
この少女は、ただアメリカの言われるがままに、操り人形になるような愚かな少女ではない。空母の上で、ほんの少し言葉を交わしただけで、少年はそれが確信できた。そんな同じ若い世代と出会えたことが嬉しかった。しかし、同時に、そんな人間と分かりあえない悲しさに表情が少し陰った。
友里はすっと姿勢を正して、少年に向かって話し始めた。
「私、朝霞駐屯地での、あなたと自衛隊士官との会話を見たの。」
論述試験の答え合わせをするように、一つ一つ、自分の出した結論を彼に伝えた。
「ああ。確かにカメラがあったな。あいつらに見せてもらったのか?」
「ええ…。あの時、自衛隊の士官に、あなた、言ってたわ。僕の力を日本の防衛に使うんです、って。私はそれを聞いて、てっきりこの島ことを言ってるんだろうなって思った。」
そうじゃなかったら、北海道根室沖。それでもなかったら島根県の小さな島。
「でも違った。あなたの本当の目的は、この島を防衛するだけじゃなかった。
深呼吸して、自分なりのこれまでの推論を伝える。
「私とあなたの会話は、あなたが私の後ろにいる米兵たちを見て、アメリカという国家の外交戦略を恨み言みたいに非難するところから始まった。
友里は言葉を紡ぐ。
「でも、空母でのあの発言は、私の後ろにいる米兵たちを見て思いついた、何の気なしの雑談なんかじゃなかったのね。むしろ、あれらの発言こそ、今回のあなたの行動の動機そのものだった。」
少年が不適な微笑みを浮かべる。その表情はよく自分の考えにたどり着いたと、友里を印を押すような表情に見えた。
友里は続ける。
「係争地の防衛や、占領された島々を奪還することはあなたにとっての本懐じゃなかった。あなたのあなたの頭の中には、ハナからそんな狭小で限定的なレコンキスタなんてなかったんだわ。」
友里の声が一際荒くなった。
「あなたの目的は、アメリカという国家から日本を開放すること!」
そして、あなたはそのために、途方もなく遠大で、かつ凡そ並の人間には考えつかない計画を思いついた。
「あなたは試すつもりなのね?巨人の体を使って。ううん、…違う。自分の命を使って確かめる気なんだわ。巨人が核爆発の破壊力に耐えられるかどうかを!」
「……そうだ。」
少年は、静かに言った。その声は、これまでのどれよりも悲しげでありながら、確固たる覚悟に満ちていた。
改めて、恐ろしい少年だと鳥肌が立った。
『僕の力を日本の防衛に使うんです。』
あの発言を聞いたとき、友里はてっきり、この少年の意図は、「現在周辺国に、不法に占拠されている土地を奪還すること。」あるいは「係争地となっている領土を死守すること。」にあると思っていた。
しかし、あなたは違う。あなたは気づいてしまった。
この国が抱える種々の病巣の根源は、アメリカという国家が日本の国家基盤に絡みついていることなのだと気付いてしまったのだ。
何十年も前の戦争で勝ったことを口実に、いつまでもアメリカという国家が、日本を占領し続けていることこそが、この国の最大の問題だと。
だから、あなたは考えた。どうすればアメリカを日本から追放できるのかを。
そして、思いついた。
あなたは、まず、巨人の姿で、円閣諸島を陣取る。そのうち、円閣諸島を自分の領土と主張する国の哨戒船や哨戒機がこの島に現れる。そして、巨人の力を以て、あなたは、それらを排除する。
その情報は、同じ共産圏の半島にもすぐに伝わる。
アメリカの未知の戦力が、自分たちの国家のすぐ近くに現れたことで、半島の独裁国家も、大いに緊張するに違いない。
しかし、それも、あなたにとっては作戦の内なのだ。
そのあと、あなたはどうするか?いろいろやり方はあるだろうが、下手をすれば、あなたは、巨人の姿になって、北緯三八度線の北側のどこかに現れるだけでいい。
それだけで、彼らは、アメリカの手先が直接乗り込んできた、と慌てふためくだろう。
そして、そのまま、核ミサイルの発射スイッチを押すかもしれない。しかし、彼らがそうすることこそ、あなたの真の目的なのだ。
あなたは、アメリカ、大陸、半島、これらの国を自分の意のままに動かそうとしている。うまくいけば、その思惑通りに世界が動き始めるかもしれない。
友里は、この少年のことを、同世代の人間とは比較にならないほど頭がいい少年だとつくづく思った。若くして、普通ならば到底考えも着かない戦略を考えつくその頭脳に驚嘆し、なおかつそれを実践しようとする覚悟に戦慄した。
計り知れないほど深謀な計略を練った目の前の少年に、友里は寒けが止まらなかった。
「あなたの本当の目的は、日本をアメリカと対等の関係にすること。そのために、あなたは、巨人の体が核兵器の破壊力に勝るかどうかを確かめる気なのよね!?」
少年は、遠くの海を見やったまま友里の質問には答えなかった。
「なあ…、なんで日本は、周りの国に好き勝手やられても、何の反撃もしないで、やられっぱなしの情けない外交を続けるか分かるか?」
代わりに、今度は、少年が友里に投げかけた。友里が答える。
「自国の国民の顔色よりも、アメリカの顔色を窺いながら、外交をするからだ、って言いたいんでしょ?」
友里がそう答えると、彼は、すかさず次の質問をぶつけてきた。
「じゃあそのアメリカは、日本が大陸や半島との諍いを乗り越えて、東アジアに安定が訪れることを、本当に良しと思っていると思うか?」
友里には、その答えがうっすらと分かっていた。友里はかぶりを振って答える。
「…ノーだわ。アメリカは日本にはいつまでも困っていて欲しい…。そうすれば、ずっと日本を助ける振りをして、日本を支配し続けられるから。」
ビンゴ。彼の唇がそう動いた。そして、彼は言った。
「……それが日米同盟の本性だよ。」
日本とアメリカの間には日米同盟という嫌な絆がある。その同盟があるから、日本には自衛隊という組織のほかに、米軍が基地を置いている。それが、戦争を知らない時代を生きてきた日本人の「当たり前」だ。
「もし日本を攻撃する勢力が存在したら、アメリカ軍は全力で日本を守ります。」
それがアメリカの言う日米同盟だ。でも、仮に円閣諸島が大陸に占拠されようとしたら、アメリカは本当に円閣諸島を守るだろうか?
急激な勢いで発展している大陸は、今やアメリカの一番大口のお得意先だ。
もし、アメリカが日本側について、円閣諸島を防衛したら、アメリカと大陸の関係は悪化するだろう。そうなったらアメリカの経済に大打撃だ。
一番の上客である大陸との貿易を制限されることを分かった上で、円閣諸島防衛のために、軍を派遣し、大陸と事を構える。
日本の小さな無人島を守るために、アメリカの若者に血を流させる。果たして、アメリカがそんな愚かな選択をするだろうか。私が大統領だったら、きっとそんな真似はしない。
日米同盟とは、おそらくその程度のものなのだ。
でも、多くの日本人は、今もその薄っぺらな絆に効力があると信じ込んでいる。
じゃあ、アメリカが日本を守らないとして、それでも、日本に基地を置くのはなぜか?
この少年と出会う前から、友里にもその予想はついていた。
アメリカが日本に基地を置いているのは、もしかしたら、日本を守るためじゃなくて、日本に、言うことを聞かせるためなんじゃないか?
「守ってやるぞ。」と言う代わりに自分の要求を全て飲ませるためなんじゃないか?
友里が、ずっとそう疑っていたことを、彼は「きっとそうだ。」と断定したのだ。
アメリカが日本に基地を置くのは、「守ってやるぞ」という偽物の大義名分を振りかざして、その見返りとして、日本をアメリカにとって都合のいい国に静かに作り変えていくことなんだ、と。
「アメリカのロジックはこうだ。」
少年は少し演技っぽい口調になる。
「おまえの国の隣には、おまえの国の領土を狙ってる国がいるぞ。核ミサイルをちらつかせて脅してくる国がいるぞ。アメリカがいなくなったら、その連中から自分の国守れるのか?できないだろ。だったら、やっぱりアメリカが日本にいるのが一番じゃないか。そんなに心配するなよ。何かあったら俺たちが日本を守るよ。そのための同盟じゃないか。信じてくれよ。でも、アメリカが日本を守る代わりに、おまえらもそれにふさわしい誠意を示せよ。これからも、俺のお願い何でも聞いてくれるよな?守ってやってるんだからそれくらい当然だろ。オレたちなんてったってトモダチだもんな?」
少年が儚げにため息をついて、演技を止める。今度は友里が言葉を引き継ぐ。
「そして、日本はアメリカの要望どおりに国家運営を進める。日本のためではなくアメリカの利益のために政治家や官僚は身を粉にして働くのね…」
友里もいつの間にか少年と同じように、卑屈なそうな笑顔で、彼の言い回しに納得する。
「この国は選ばなければいけないんだ。アメリカと手を切って、自立した国家になるか、それとも、アメリカと仲のいい振りをして、いつまでも言うことを聞き続けて、身ぐるみ全部はがされるのを、ただじっと待つのかを…。」
少年の声が、覚悟に満ちた口調になった。
「時が来たんだよ。日本がアメリカの手助けなしでも、自分の領土を守れるっていうことをアメリカに見せつけてやる日が。」
友里は、彼の主張における、気になる点を問うてみた。
「あなたは、日本国内からの米軍の完全撤退を望んでいるの?」
「いいや、大陸の海洋進出を抑止するという意味では、日本国内に米軍基地があること自体は、日本にとっては有意義だ。しかし、それを理由に、日本に対して、過剰な内政干渉をすることが俺は許せないんだ。」
「…なるほど。」
友里は静かに相槌を打つ。
彼の言い分は分からなくもない。ここまでは。
アメリカと対等になるには、アメリカの「守ってやってるんだぞ」という恩着せがましい言い分を崩さなくてはならない。そのためには、日本が自分の国の力だけで、自分の国の領土を守れるのだということを証明できる力が必要だ。
しかし、それには、最後のつめがある。
それが「巨人は核攻撃でも死なない。」という要素だ。
非核保有国である日本は、もし核保有国から「核」の恫喝を受けたら、無条件で屈するしかない。しかし、「核攻撃でも死なない」巨人がいれば話は違ってくる。
仮に、ある国が「こちらの言い分を飲まなければ、日本のどこかに核を落とすぞ」という脅しをかけてきたとする。しかし、巨人がいれば、「だったら、そちらの首都に巨人を送りこむぞ」という「脅し返し」を相手国にほのめかすことができる。
そうすれば、次に、相手国はそれをやっかんで、巨人そのものに核攻撃をすることを考えるだろう。だが、巨人が核攻撃で死ななければ、結局、後に巨人によって反撃を受けることになってしまう。
つまり、巨人が核で死なないということを証明できれば、相手国は反撃を恐れて、最初から何も手出しをできなくなる。軍事的優劣のない対等な関係を築くことができるのだ。
しかし、もし日本が巨人の力を以て、「北」などの核の恫喝を跳ねのけられる国家になれば、それは、アメリカにとって、言うことを聞く金ヅルがなくなってしまうという怖れがある。
アメリカ経済が停滞の真っ直中にあって、日本からみかじめ料を引っ張り出せないということになれば、それはアメリカ経済にとって打撃であり、なおかつ、太平洋戦争で屈服させた一番の子分である日本がそんなことを言えば、アメリカの権力が大きく衰えたと世界は思う。
だから、アメリカは日本の独立を絶対に認めない。どうあっても、日本の独立を妨げようとするだろう。
どうあっても…。つまり、「北」ではなく、アメリカが日本に核攻撃をちらつかせることだってあり得るのだ。
「もし日本が、独立を果たそうとしたら、アメリカはこう言ってくるかもしれない。」
再び、少年は白々しい口調で演技をする。
「そんなことを言ってもいいのか?もし、アメリカの言うことを聞かなかったら、三発目核兵器を落としてやろうか?ってな。」
しかし、今度は凄んだ口調で、少年は続けた。
「でも、もしアメリカがそう言ってきたとしても、巨人の力があれば、アメリカにもこう言い返してやれるんだ。やれるもんならやってみろ。もし日本を攻撃したら、こっちは巨人を投入して、ニューヨークやワシントンの建物という建物の全てを破壊してやるぞ。主要都市に現れれば、お前らの大好きな核も使えないだろう。それでいいならやってみろ、ってな。」
横田での、あの三人とのやりとりを思い出す。彼が言う台詞を、先に自分が言っていたことに驚いた。自分と彼が、知らぬ間に同じ結論に至っていたことを、不思議な気分で受け止めた。
「そして、その脅し文句は、アメリカだけじゃなくて、日本と敵対するあらゆる勢力に通じる。それを言えて初めて、日本はアメリカにも、そして、隣国にも引くことをしない、自立した強い国家になれるんだよ。」
そして、少年はこう言葉を付け加えた。
「そう…。言うなれば『巨人保有国』だ…。」
言い終えた少年の目に、年齢に似合わない厳かさのようなものが帯びる。
「……ようやく果たせるんだよ。日本国の、真の独立を…」
その声は、これまでよりも暗く低く友里の腹の奥底に響いた。
そして、二人は、互いに黙ったまま、見つめ合った。それは、敵を睨みつけるような視線ではなく、これまでの会話の余韻を味わっているような感じだった。
友里は、彼の目を見ながら思った。
この少年に同調できたら、どれだけ楽だろうか。この少年と手を組んで、アメリカを日本から追い出せたら、どれだけいいだろうか。
そして、アメリカを追い出すだけでなく、「巨人」という強大な軍事力を以て、大陸や半島の恫喝に動じない国家に日本を変える。本当にそれが実現するならば、それは素晴らしい未来かもしれない。
しかし、そこまで考えて、やるせなさは止まった。
少年の意見にはある程度は同意できた。
しかし、彼の出した結論をどうしても肯定できなかった。だから、今度は自分が主張をして、彼の考えが危険だという事を彼に教える番だと思った。
しかし、その時だった。
「来たぞ。」
少年が、空を見上げていった。
「え?」
友里も気づいた。彼が見る方向と同じ方角の空を見た。
巨人の力によって、敏感になった聴覚なのか、それとも第六感なのか、どちらかは分からない。しかし、二人は見つめるその方角に何かが迫ってきているのを察知した。
アメリカや日本の航空機やヘリコプターなら、自分たちが飛んできた方角から飛んでくるはずだった。だが、二人が見つめる方角は、二人が飛んできた方角とは逆の方角だった。
「あんたにも聞こえるだろ。やっぱり大陸はこの島を自分の領土だと思ってるんだよ。」
友里の脳内に、音速でこちらに近づいてくる航空機の爆音が響いた。
少年が深く深呼吸した。
「変えてやるんだ。世界を。…日本を。」
「待って!」
友里の言葉は届かなかった。目の前の少年は光に包まれると、一瞬にして、少年の姿はなくなり、目の前に巨人が出現した。
そして、巨人は足下の少女に一瞥をくれると、そのまま航空機が迫ってくる方角へと飛んでいった。
(戦うしかないのね…。)
空に消えていく巨人の姿を見ながら、友里は目をつぶった。
少女は知っていた。自分がもうすでに、人を超えていることを。
だから、彼女は自分を監視する車に乗り込むことが出来た。銃を突きつけられても平静でいられた。アメリカ軍の特殊部隊にも近づいていけた。
少女は知っていたのだ。自分が戦えることを。
(集まれ、光!)
直後、島の上から少女の姿は消えた。そして、まばゆい光が空に向かって弾けると、一体の巨人が現れた。
まもなく巨人は、もう一体の巨人を追い、荒れる西の海へと消えていった。