episode 6 『発端』
一九七一年、SETIは宇宙からある怪電波を受信した。その電波は自然宇宙の中で生まれる波長ではなかった。電波受信から数時間後、NASA、ハーバード大学など、全米のあらゆる方面から知識人たちが召集され、暗号電波の解読に投入された。全米を誇る頭脳が集結したこともあり、二ヶ月と一八日という短い期間で、彼らは暗号の周波数のパターンを解読し、電波を伝言まで昇華させた。解読した電波の内容はこうだった。
『渡したいものがある。』
一体何を渡すというのか。外宇宙からの伝言を聞いたアメリカ首脳陣は、大いに慌てふためいた。
そして、更にその八ヶ月後、同じ波長の電波を同じ方角からSETIは受け取った。
彼らからの伝言だった。すでに電波の解読パターンを心得ていたアメリカは二度目の暗号読解にさほど時間を要しなかった。二つ目の伝言はとても短いものだった。
『TRIAL』
アメリカは困惑した。
「トライアル」という単語は「試験」という意味があれば、「試練」や「裁判」という意味も持つ多義語だ。数ある内のどの意味が彼らの意図するものなのかが分からなかった。
だが、その伝言を最後に、彼らからの伝言は途絶えてしまった。
自分たちに何を渡すつもりなのか。
「TRIAL」という単語が意味するものは何なのか。
何も分からないまま、再び時間は流れた。しかし、突如、事態は急転した。
九ヶ月後の秋、カンザス州のフォートバレンという田舎町に小さな隕石が落下した。この町は、広大な国土を有するアメリカによくある田舎町の一つだった。だから、隕石の落下を目撃した者はさほどおらず、周辺の住民は少し大きい地震が起こったと思うだけだった。よって、幸運にも、隕石に一番最初に接近した人間も一般市民ではなかった。
隕石の確認、及び回収に駆り出されたのは、アメリカ空軍所属のショーン中佐だった。防護服を装着し、部下と科学者併せて四名と共に落下地点に向かった。
彼らはそこで、まぶしく光る奇怪な鉱物を発見した。
彼らは、警戒しながら、その鉱物に近づいた。そして、四人の先頭にたっていたアンダーソン中佐が、その石に接近した瞬間、まばゆい光と共に、彼の姿は忽然と消えてしまった。
そして、その直後、カンザス州の片田舎に突然、見たこともない姿をした巨人が姿を現したのだった。部下と科学者は大いに混乱し、巨人の近くから逃亡した。が、まもなく巨人姿は消失し、消えたはずのアンダーソン中佐が再び現れた。
彼は言った。「伝言を受け取った」と。
ペンタゴンに召集された彼は、自分が巨人になったこと。巨人になった瞬間、巨人と思われる存在の声を聞いたことを報告した。
彼は「伝言」を伝えた。
『この力を人類の平和と進歩のために使いなさい。』
『この力を決して、醜い戦争に使ってはならない。』
『この力を、全人類のために、平和的に、かつ健全に利用できた時、我々はあなたたちを真の友人として迎えるでしょう。』
それが彼らからのメッセージだった。更に詳しく聞くと、宇宙には、地球を蚊帳の外に、すでに大きな文明が遍く広がっているとのことだった。
彼は更に伝言の内容を明かした。
『その友好の輪に入れるのは、真に理性を伴って生活する心優しい者たちだけである。』
『我々はこの宇宙で、平和の価値を見いだせない存在をこの上なく蔑む。』
『そのような存在は友好の輪には入れない。』
「TRIAL」。文字通り、人類は「試される」のだった。その輪に入れるか否かを。
だから、アメリカはこの力をソ連との冷戦や湾岸戦争にも利用しなかった。9.11で本土への直接攻撃を受けても、アメリカはこの力をアフガニスタンやイラクで使用しなかった。
最後のアメリカを美化した主張を友里は冷ややかに聞き流した。
「巨人を投入するのはアウトで、劣化ウラン弾を投下するのはセーフなの?」そう投げ返そうかとも思ったが、黙って静かに聞くことにした。
ペンタゴンは続けた。
その贈り物がフォートバレンに送られた日から数ヶ月後、アメリカ国内の同じように人口密度が少ない地域に、同じように光り輝く鉱石がいくつか落下した。最初の鉱物と同じように、それに触れた者、あるいは近づいた者は巨人になる能力を得る石だった。
ペンタゴンはアメリカ軍兵士の中から、秘密裏に何人かの人間を選別する作業を始めた。その選別では知力、体力、その他あらゆる能力を審査する必要があった。その選考は、アメリカ陸軍の中でもとりわけ優秀な人間しかその任に着けない事で有名な、対テロ作戦特殊部隊「デルタフォース」の隊員をピックアップするよりも厳しいものだった。
一年以上の長い期間、それらの審査を行い、ようやく数名がその厳正な選別過程をクリアすると、アメリカは、彼らに石の存在を明かし、かつ石と彼らを接触させ、その人間たちに巨人の力を委ねた。
巨人と一体化した彼らは、どの兵士よりも過酷なミッションを遂行しなければならなかった。彼らは巨人の力を以て、ある勢力と戦わなければならなかった。
巨人の力を地球上の争いに利用しないからといって、アメリカはそれをただずっと眠らせるわけにはいかなかった。巨人の力は地球上ではなく、地球の外で有効に活用しなくてはならなかったから。
巨人の力の恐るべき点は、最新の科学技術を軽々と越える能力を有していたことだった。空中を自由に飛行できること、光と熱を操ることで強大な爆発力を持つエネルギーを作り出すことなど、人智を越えた力を彼らは持っていた。
しかし、巨人はそれ以上に、興味深い能力を持っていた。それは、巨人が真空、かつ無重力の宇宙空間において自由に活動することができるという点だった。この能力こそ、地球圏の秩序を維持するという点で、大きな意義を持っていた。
彼らから伝言を受け取る以前から、地球には異星人の干渉が度々あった。ロズウェル事件などがその最も有名な例だ。巨人の力を預かって以後、そういった異星人が地球に現れる頻度が増加した。UFOなど使わず、地球に直接、飛来しようとする不届きな異星人も現れた。
宇宙空間での活動が可能な巨人の力は、それらの不穏な分子を地球圏に近づけないことに投入する必要があった。だから、地球圏に異星人が接近すれば、我々は巨人の力を有した優秀な隊員を動員し、衛星軌道の外、あるいは火星の公転軌道上付近まで赴かせ、異星人が地球に接近することを防いできた。また地球に隕石などが接近した場合は即座にそれを破砕することもした。
アメリカは、巨人の力を受け取って以後、そのようにして、人知れず、地球圏に近づく不穏分子を排除し、地球圏の平和を維持・安定させることに四〇年以上も注力してきた。 しかし…
ペンタゴンは、口ごもった。
友里の心中は穏やかではなかった。話がまもなく、自分と巨人が出会うあの瞬間に近づいているのだと感じ取っていた。
「Go ahead...
(続けて…。)」
心拍が速まっているのが自分でも分かった。
一週間前、NASAは二つの事象を確認した。
一つは、彼らからの伝言だった。その内容はこうだった。
『我々が保護しようとした生物が逃亡し、君たちの住む惑星に向かっている。』
そして、NASAは彼らの伝言の通り、宇宙に隕石とは異なる軌道流線パターンを描きながら、地球に近づいてくる奇妙な物体を確認した。最新の電波望遠鏡でその映像を見ると、それは巨大な爬虫類のような造形をした生物だった。しかも、その体長は人の大きさを遙かに超えていた。
アメリカは、速やかに、巨人の力を得た優秀な兵士にミッションだと告げ、地球圏外に派兵した。彼らには火星の公転軌道上の少し手前で防衛戦を張ってもらい、もし仮に地球への接触の可能性がでた場合、速やかにその巨大生物を排除するよう指令を出した。
だが…
「They failed in that mission, didn't they?
(失敗したのね…。)」
無意識に口をついてでた。心拍数は更に上がっていた。
ペンタゴンは続けた。
アメリカは巨人を複数投入することで、怪獣の撃退を目指した。しかし、それもむなしく、怪獣は地球圏に接近。そのまま地球の引力と自転運動に吸い込まれた巨人と怪獣は、地表ぎりぎりまで降下した。巨大な肉塊が、地表に激突した場合、落下地点を中心にどれほどの被害がでるのかはもはや想像できるものではない。しかも二体だ。
アメリカは、万が一に備えて、地球上に人工衛星の破片が落下するかもしれないという、情報をNASAを通して全世界に伝えた。仮に、二体が地表に衝突しても、それは人工衛星の破片だという情報を人々に認識、浸透させやすくするために。しかし、それはあくまで最悪の事態が起きた場合のための保険であり、衝突が避けられればそれに越したことはない。アンダーソン中佐もそれは理解していた。
だから、彼は、自身の体と怪獣の体を光で包み、それぞれの落下速度を殺すことで、二体が地表に激突するという最悪の事態を瀬戸際で防いだ。しかし、二体の落下速度を殺すには、命を限りなく縮めるほど力が必要だった。
二体を空中に留めた後の彼には、もうほとんど力は残されていなかった。しかし、彼は最後の力を振り絞って怪獣を撃退した。だが、彼の命はすでに尽きる寸前だった。巨人の姿を解いた後も、おそらく彼は、意識はあっても全身の石化は始まっていたのだろう。
自身の運命を悟った彼は、体から取り除かれた石を、自身の危険も省みずに幼い子供と負傷した母親を救った勇敢な少女に預けた。
彼が自分の命と引き替えにしたことで、被害は最小限に食い止められた。彼もまた優秀な人間だった。
そこまで、ペンタゴンが話し終えた時だった。
「Don't say fuckin' silly.
(ふざけるな。)」
ずっと黙ったままだった残り二人の内一人、NSAが冷たい口調で吐き捨てた。
「You glorify to screen your man. He is a man handed over the classified matter to fuckin' outsider. You make a fool of us, ha?!
(身内を美化するな。国家機密をどこの馬の骨とも分からないよそ者に渡すような奴が優秀だと。馬鹿にしやがって。)」
「I think We should greatly appreciate that he protected they two will crush to the Earth ground.
(巨大な二体を地表に激突させなかった事は大いに評価すべきだと思うが。)」
「In the first place, He couldn't repulse the monster out of satellite orbit. That is his first mistake.
(そもそも、衛星軌道の外で怪獣を退治できなかったことが問題だろうが。)」
NSAの剣幕は更に強ばる。
「T have any more something to say you. He kicked in before finish the monster off, and handed over the stone to a foreign immature girl under the an illusion that it has already died. Fuckin' on parade!
(まだ落ち度はあるぞ。怪獣にとどめを刺す前にくたばる。怪獣がくたばったと勝手に思いこんで、石を異国の小娘に渡す。失態のオンパレードだ!)」
「She is a man of honor.
(彼女は人格者だよ。)」
「Why can you conclude!? Wait, admitting it is correct, how do you take measure about that little brat!!?
(そんなことわからないだろう。百歩譲ってこの娘が安全だとしても、あの小僧はどうするんだ!?)」
「Alfred! Don't!
(アルフレッド!)」
CIAがNSAを制した。
『あの小僧』。
突如出てきた登場人物に友里の意識は釘付けになった。
そう。友里がわざわざ尾行の車に乗り込んでまでしてここに来た目的はもう一つあった。友里には「あの小僧」の正体が予想ついていた。
友里は、呟くように言った。
「Little brat you say is the Giant appeared in Asaka Base, isn't it?
(あの小僧というのは、朝霞に現れたのは巨人のことね。)」
三人が黙った。
深くため息をついたペンタゴンが友里の後ろにいる男に指示を出した。
「Show her certain photograph.
(彼女に例の写真を。)」
男は指示通り、いつのまにか用意していたファイルの中からA4サイズほどの写真を取りだして、友里の前に置いた。
「The satellite photo.
(衛星写真ね。)」
写真には、自分があの日、怪獣と遭遇したあの公園を真上から望遠で撮影した映像が写っていた。人が豆粒のように見える写真だが、あの怪獣だけは別だった。首と尻尾と足を失った大きな体躯がだらしなく脱力している様子が寂しそうに写真に写っている。自分が殺した者の姿だった。
「Show the part of the upper right.
(写真の右上を見てくれ給え。)」
その言葉に従って写真を見ると、公園の木に半分ほど隠れているが、白い色をした何かが極めて小さく写っているのが確認できた。
(あの公園で、白い色…。まさか。)
友里は情報をすぐに連結させた。
「Was there another one in the park that time !?
(もう一人居たの!?)」
この白い何かは、巨人の能力を自分に委ねたあの白人が着ていた特殊な服と同じものだとすぐに繋がった。だが、ペンタゴンは友里の驚きは受け流しこう言った。
「It is not important. Smith, next.
(大事なのは彼ではない。二枚目を。)」
後ろの男が二枚目の写真を机に置いた。先ほど見た写真の特定の一部を限りなく拡大した写真だった。白い色の実像が、先ほどの望遠とは比べものにならないほど鮮明に映し出されていた。
木の枝葉に半分ほど隠れてはいるが、その白い物体は間違いなく、あの宇宙服のような服だった。その服を着たまま、木のそばで横たえている人間の輪郭が今度はくっきりと見えた。
アメリカの軍事衛星がここまで鮮明に地上を捉えることに驚きながら、ペンタゴンが言う重要な部分を探る。
すると、白い服を半分ほど隠している木の枝葉の緑色の中に、微かだが、枝葉の色ではない色が混じっていた。
ペンタゴンが言った。
「Not one. It's two.
(一人じゃない。二人居たんだ。)」
事のあらましが掴めてきた。
おそらく、自分があの白人から巨人の能力を受け取り、怪獣と戦っていたあの時間のあの場所には、自分とあの白人の他に、同じ関係性の人間たちがもう一組存在したのだ。
一人は、あの白人と共に怪獣が地球に接近するのを宇宙で阻止しようとしたアメリカの軍人。そして、残る一人。この写真で枝葉の中に紛れている人物こそが…。
「He is the Giant appeared in Asaka, isn't he?
(朝霞に現れた巨人ね。)」
「That's true.
(そうだ。)」
ペンタゴンはゆっくりと返答した、NSAは当てつけるようにため息を吐いた。
「I want you to show one more. Smith.
(もう一つ見てもらいたいものがある。スミス。)」
ペンタゴンはそう声をかけると、彼は、部屋の後方にあるスイッチを押した。室内のすべてのカーテンが自動で閉じていき、三人の背後からスクリーンが降りてくる。
スクリーンに映像が映った。
ある部屋を斜め上から映している。その部屋はまるで刑事ドラマの取調室のようで、真ん中には小さな机が設けてある。その机を挟むように、二人の人間が座っていた。
机を挟んで面と向かう二人の内、片方の服装はぼんやりと緑がかった制服だった。そして、頭には同じ色の制帽を被っている。
(…朝霞駐屯地ね。)
片方の人間が自衛隊の士官だということは一目瞭然だった。
そして、その士官が座る机の対面に『あの小僧』と思われる少年が座っていた。そして、友里はその少年の背格好にまず驚いた。
幼かったのだ。
おそらくは中学生なのかもしれないが、まだあどけなさのも残る面持ちは、ともすると小学生のようにも見えた。
カメラは自衛隊士官の左上後方に設置されている。だから、士官の顔は見えないが、その分、対峙する少年の表情はよく見えるように映っている。
少年は無表情だった。だが、それは、向かい合う大人に対し、反抗的に黙り込んでいるという様子ではなかった。だからといって、何も考えていないような、軽薄で無知な人間にも見えない。その表情は理性ある人間が毅然と構えているような静かなものだった。厳かさとでも表現すればいいのだろうか。見た目の年齢に相応しくない、品格のようなものを友里は感じ取った。
友里は、さらにその少年の人間を推し量るべく、映像に意識を集中する。
質疑応答が始まった。
「どうやって敷地内に入ったんだ?」
映像の中で、士官が少年に質問する。少年が口を開いた。
「跨いだんです。柵を。」
少年は、狼狽する様子も悪びれる様子も見せず、現実味のない返答をした。だが、士官はその返答が現実であることを知っているのだろう。映像の士官は、そのまま困惑するように黙ってしまった。
しばらく沈黙が続いたが、士官は少年に次の質問を投げかけた。
「あの巨人の正体は君だと言いたいんだね。」
「そうです。」
映像の少年は再び間を置くことなく、平静とした様子で質問に答える。
「なぜここに来たんだね?」
友里の心拍が増した。その質問こそ、友里が一番聞きたかったことだったからだ。
先ほど、『あの小僧』という言葉を聞いた時、友里の心は静かに驚愕していた。自分と同じように巨人の力を手にした人間がいて、その人間が、あの時、自分のすぐそばにいたというだけでも驚きだったが、加えて、年齢こそ違えど、自分と同じ学生であることが分かり、驚きと、そして興味を禁じ得なかった。
そして、同じ日本人。
その人物が、巨人の力を手にしたことをどう感じているのか。友里はそれを知りたかった。
なぜ彼は、巨人の力を、日本国自衛隊の敷地内で発現させたのか?仮に自分がそのように行動した場合、その目的は何か。自分だったら、何を思って自衛隊に乗り込むか。
いつのまにか、友里の知りたいことは「なぜ自衛隊に現れたのか?」という疑問を越えて、『彼はいま、この国に対し、何を思っているのか。』という、彼の理念や知見そのものに移っていた。
(もしあの場に座っているのが私だったら…。)
友里は映像の少年と自分を重ねながら、食い入るようにスクリーンを見つめた。
少年は質問に対し、少し黙ったが、不意に前のめりになり、自衛隊員に自分の顔を近づけて言った。
「僕を自衛隊の組織の一員として組み込んで下さい。」
少年は続けた。
「僕の力を、日本の防衛に使うんです。」
全身の筋肉が興奮で震えるのを、友里は止められなかった。
その答えは、一人の日本人である友里が、この数日、幾度となく考えた選択肢の一つだったからだ。
『この力を使えば、日本という国をもっと……』
巨人という力を上手く使えば、日本という国家を国際的により優位な立ち位置に据え置くことはできるのではないか?
自分の頭に何度もよぎった回答を、目の前の、同じ立場の少年が答えたのだ。
(憂いているんだ、この子も…、この国を…。)
友里が中学生の時、ある事件が起こった。
沖縄、石垣島の北方の海域、円閣諸島という島の近くをパトロールしていた海上保安庁の巡視船が、大陸の不審船と衝突するという事件だった。いわゆる「漁船衝突事件」だ。
他国の漁船の船長が日本の保安船に逮捕される。たったそれだけの単純な事件のはずだった。しかし、相手国の反応と自国の対応がメディアの網に掛かると、事態は複雑を極めた。
日本の領海内での違法操業と公務執行妨害により逮捕した漁船の船長を、大陸の恫喝に怯んで、日本側が即刻釈放すると、メディアは日本政府を「弱腰外交だ!」と弾劾した。
さらに、国の対応に不信を抱いた、ある海上保安庁職員が、衝突した際の映像をネット上に漏洩させると、報道は更に加熱した。
だが、その血気盛んな報道姿勢は、他国の恫喝に対して向けられることはなく、自国の弱腰な外交姿勢の方に強く向けられた。この国のマスメディアは、他国を批判するよりも自国の批判をする時の方が意気揚々となるのだと友里は改めて知った。
(情けない国…。)
友里は、連日報道されるそれらの報道を見て冷ややかに落胆していた。
だが、友里が落胆を超え、この国に言葉も出ないほど失望したのは、その後だった。
残り数日で一二月、という秋の終わり頃、その事件は起きた。
「歌舞伎俳優、市川獅子ノ助 六本木で頭部を殴打され流血!」
つい昨日まで、各メディアを占拠していた一連の激しい報道が嘘のように、テレビの主役は、ゴシップが絶えない歌舞伎俳優に、あっという間にシフトしたのだ。しかも、その報道加減は漁船衝突事件関連の報道よりも過激で、朝も昼も夕方も夜も、あらゆる時間帯で仰々しく取り上げられた。
マスコミの報道対象の急激な変化に、友里は人知れず大混乱していた。
(なんで?なんでなの?こんなニュースの方が大事なの?国の領土が奪われるかもしれないっていう大変な出来事が起きているのに、この国のマスコミは、何でそれを無視して、こんなくだらないゴシップの方をこんなに大袈裟に取り扱うの?)
国の領土が侵略されるかもしれないという一大事をすぐ脇に放り出し、且つ、その事件よりも比べようもないほど陳腐な一芸能ニュースを、さも国の一大事のように連日報道するこの国のマスメディアに、友里は言いようのない不安と怒りを抱えた。
その思いは中学校に行くと、更に膨れ上がった。
「獅子ノ助、見たー?」
「見たー。血ー出てたねー。」
「あれ絶対、あいつ灰皿に酒入れて、飲め、って言ったんだよねー。」
ニュースが騒げば、その報道量と比例して、同じように学生の口にも上る。
「円閣諸島はどうなったわけ?」と過ぎた話題を蒸し返す生徒はいない。過去の話題は世の流れに敏感な若い世代には「時代遅れ」になるのだ。
友里は、マスコミの情報に身を任せるがままの同級生たちが苛立たしかった。しかし、それと同じくらい悲しくもあった。
(こんな国で、勉強してどうなるっていうの?)
あまりの落胆と失望に一時期、勉強する意欲を根こそぎ奪われそうにもなった。
しかし、自分が勉強をするのはこの国のためなんかじゃない。あくまで母と自分のためだ。国なんか関係ない。と心を奮い立たせ、迫る高校受験に向けて雑念を払った。
それからも、民放はどのチャンネルを付けても、やんちゃな歌舞伎俳優の失態を過度に取り上げる報道を続けていた。それが目に耳に入る度、民放の下世話な報道に、心の底から嫌気がさしたのだった。
「くだらない番組映さないで!」
テレビでゴシップが流れていると、友里は、低俗な世間そのものに対する怒りを、母親にぶつけるような口調で言っていた。
苛立ちめいた強い口調の娘に対して、母親は「そうね。受験が近いからね。」と意向を汲み取ってくれた。そして、映す番組を経済番組に変えてくれた。友里は受験が終わっても、低俗な情報番組にチャンネルは戻さないと決めていた。
「でも、ホント自衛隊員て大変ねー。」
そんな母が間延びした声でテレビを見ながら言った。
「国がイラクに行けっていったら行かなきゃ行かないし、せっかく捕まえた人でも「釈放しろ」って言われたら釈放しなきゃいけないんだもんねー。やってられないでしょうねー。」
(船長を逮捕したのは自衛隊じゃなくて海上保安庁だよ、お母さん。)
そうつっこみを入れようとも思ったがやめた。母の発言がもっともだと思ったからだった。そんな何気ない母の言葉が、今も友里の記憶に残っている。
(現場の人間たちはどう思っているの?)
母の発言を聞いて、友里の心にそんな疑問が生まれた。
その疑問が聞けるかもしれない状況に出くわせたことが、友里の心を高揚させた。
(あなたはそれにどう答えるの?)
友里の意識の焦点はもう少年にはなかった。友里の視線は少年と対峙する自衛隊士官に移っていた。
(あなたたちは、この国をどう思っているの?)
スクリーンに映る士官の「本音」が聞きたくて仕方がなかった。じっと自衛隊員の士官の肩を凝視する。彼が少年の問いに答えるのをじっと待った。しかし、彼の返事を聞くことはできなかった。
映像に映る部屋の外が騒がしい。誰かの声と足音が徐々に近づいてくる気配をスクリーンから感じた。そして、徐々に、その声と足音のボリュームが大きくなってくる。くっきりと聞こえてきたその声は、英語だった。
ドアの開く音がして、映像に二人の外人が映り込んだ。
「Did you see commander Silas in the park ten years ago?
(一〇日前にあの公園で、サイラス中佐と会ったか?)」
突如、部屋に乗り込んできた二人は、有無もいわさず、尋問するような荒っぽい口調で少年に問いかける。
「Answer my question! One more ask you, did you see commander Silas? Answer!
(質問に答えるんだ。もう一度聞くぞ、サイラス中佐に会ったのか?答えろ!)」
黙ったままの少年に質問を繰り返す。自衛隊員の方は見向きもしない。敵を見る目で、異国の未成年に詰問する。
少年は黙ったままだった。それどころか、自衛隊員には目もくれない外人に対抗するように、彼は、乗り込んできた異国の連中に、一瞥もくれることはなかった。
少年は、静かに言った。
「…失望だよ。」
白人には一切、視線を移さずに、自衛隊員に向かって冷ややかに、そしてとても寂しそうに吐き捨てた。
「結局あんたら、米国の言いなりなんだな。」
直後、少年の体が光に包まれた。
「Don't!(よせ!)」
その光を見た瞬間、異国の二人は、問答無用で銃を突きつけた。
(やめて!)
友里は、少年にではなく、映像の外人に、そう心の中で叫んだ。
スクリーンを見つめる目が見開く。同胞に銃が突きつけられる光景に、思わずおののいた。自分に銃が突きつけられた、あの瞬間よりも、背筋が冷えた。だが、引き金は引かれなかった。
光がスクリーンの映像全体を覆った。そして、光が消えると、映像の中に少年の姿は残っていなかった。後は、ただ乗り込んできた二人が慌てている様子が続くだけだった。
そこで映像は止まった。
下げられたスクリーンが、元の形にくるまっていく。閉じていたカーテンもすべて自動で開いていき、部屋に光が戻ってきた。
「The name is Kotaro Kiriyama. He goes to private junior high school in Tokyo. The grade is first. Same grade with you.
(この少年の名前は、桐山光太郎。都内の私立中学に通っている。学年は一年生だ。)」
友里の後ろにいた部下が、音もなく、また友里の前にA4サイズの紙を置いて、離れた。映像に集中して、彼の存在を忘れていた。
透明なフィルムに包まれたA4の紙面には、少年の顔写真と共に、彼の個人情報がこれでもかと羅列されていた。そして、とある項目に友里の眼が止まる。
(開応中学…)
ペンタゴンは一言「私立中学に通っている」とだけ言ったが、彼が籍を置く中学はそんな単純なな一言では収まらない経歴だった。
(日本でもトップの有名私立中学…。)
開応中学。御三家と呼ばれる有名私立中学の中でも、さらに最高峰に位置する超難関校だ。東大合格者を多数輩出し、日本を背負って立つ優秀な人材がこの学校から何人も巣立っていく。まさにエリート中のエリートが通う学校だ。
その彼の学籍を見て、友里は少年の年齢にそぐわない居住まいや、「巨人の力を使って日本を防衛しましょう」と発言するに至る、戦略思考や国家観に、即座に納得がいってしまった。
だが、ペンタゴンはそんな友里の静かな驚きをよそに、唐突に本題を切り出した。
「I beg a favor of you. Please stop he will do coming.
(君の巨人の力で、この少年を止めて欲しい。)」
突然の申し出に、動揺を隠せなかった。
「W, w… wait! Hey, Wait!!
(待って。ちょっと待ってよ!」
「Anything wrong?
(何だね?)」
「I didn't come here to be asked such request. I came here to return this stone you. I don't want such competence. I don't want! So please recover me completely! Please! you can do it, can't you? I transformed because I took stone in my body, didn't I? It is so easy to solve if so. Remove the stone from in my body, and you'll be able to contact recovered that with your country's soldier. And then, continue to patrol out of the earth. I trust you say that you don't use that to adjust conflict.
(わ、私は、そんなことを頼まれるためにここに来たんじゃないの。私はこの力を返しにきたのよ。私は、別に巨人の力なんて欲しくない。こんな力要らないの。だから、私を普通の体に戻して。お願い。できるんでしょ。私の体にあの石が入ったから、私は巨人になってしまったのよね?だったら、石を取ればいいだけでしょ。私から石をとって、また米軍の兵士にでも戻せばいいわ。そして、また宇宙でパトロール続けてよ。戦争には使わないんでしょ。)」
思わず早口でまくし立てた。
自分は今の時点で、もうすでに途方もない世界に迷い込んでいるというのに、目の前の三人が、自分を更に恐ろしい世界の渦に自分を引き込もうとしている。
そんな恐怖を拒絶するかのように、息つく暇なくまくし立てる
「You can remove stone out of my body ,can't you? Please say so!
(石は体からとれるんでしょ?ねえ、そう言ってよ!)」
三人は黙る。しかし、ペンタゴンが言った。
「It's impossible.
(それはできない。)」
その瞬間、視界がぐにゃりと曲がった。
「The man had took in the stone in the body once have kept containing until naturally it coming out. However we tried to pick it up from outside over and over again, at first it was contained doesn't photographed in the X-ray photo, even something looks like. So we have no idea where it is in the body. We couldn't help waiting for it coming out of the body. And when it came out naturally, we put it into contact with another soldier. We have kept holding the giant by repeating such this.
(一度、石を取り込んだ者は、自然に石を排出されるまで、ずっと体内に石を宿す。外部から石を取り出そうという試みは何度もした。だが、まずレントゲンを撮っても石らしき映像が写真には映らないのだ。だから、取りだそうにも、石が体のどこにあるのか分からない。仕方なく、我々は、石が自然に体外に排出されるのを待った。そして、自然に体外に排出された後、また、その石と別の優秀な兵士を接触させるという、一連の行程を繰り返すことで、我々は巨人の力を保有し続けてきたのだよ。)」
気持ち悪い冷や汗が止まらない。足の震えが止まらない。
「Naturally? ...When will the stone come out of my body?
(自然にって?…一体、いつ、石は体の中から出るの?)」
友里は、びくびくしながら質問した。どうか、自分の頭によぎる、最悪な返答だけはしないでくれと願いながら質問する。しかし、その願いはあっけなく砕かれた。
「死ぬときだ。
(When you died.)」
ペンタゴンが冷ややかに答えた。
とても言葉では言い表せない心情だった。
あえて表現するなら「絶望」という言葉しかなかった。
死ぬまで、SF映画に出てくるような不気味な力を自分の体に宿さなくてはいけない。
たった今、この瞬間も、自分の体に異質な何かが入り込んでいると思うだけで薄気味悪くて、気持ち悪くて仕方がないのに、その感覚と一生付き合わなくてはならない。
(やめて…。やめてよ…。)
友里がここにきたのは、母親に、自分の状況を知られる前に、石を米軍に返し、監視や盗聴の対象から外れる為だった。そして、自分から、石を返すと申し出ることで、アメリカに敵意がないことを証明するつもりだった。
無事、石を返す確約を取り付け、石を体から排出したら、後は、何事もなかったように学生生活に戻り、受験勉強に打ち込み、もちろん、自分の身に何が起きていたかなんて母親には言わず、元の生活に戻ろうと思っていた。
だが、もうそれは叶わない。
(夢なら、醒めて…。)
一生、この力と付き合うという事は、様々な思惑を抱く人々から、この先ずっと、死ぬまで、監視され続けるということだ。いや、敵視と言ってもいい。
もともと、この力は、アメリカが保持していた力だ。だから、アメリカだけじゃなくアメリカと敵対する勢力も、この力を持つ自分を放ってはおかない。自国の脅威になると思ったら、自分を抹殺するかもしれない。
それに、アメリカだって自分の味方という訳じゃない。アメリカの言うことを聞かない奴、と判断されれば、何をされるか分からない。自分たちの手に負えないと判断したら、殺してしまう可能性だってある。
(そんなのないよ…。嫌…。嫌っ!嫌っ!…絶対に嫌っ!)
絶望と混乱が混じりながら友里は言う。
「Don'... Don't you have any other giants? You have many giants, don't you?
(ほ、他に巨人はいないの?巨人は複数いるんでしょ?)」
友里が震えながら聞いた質問に、ペンタゴンは、また抑揚のない口調で答えた。
「I Can't answer how many giants we have. It's national classified information.
(我々が巨人を何体保有しているか、それは国家機密だ。答えられない。)」
目の前の連中が、どんどん自分を蟻地獄に引きずり込んでいく。少女の心が、受け止めきれない現実にそのまま倒れてしまいそうになる。
絶望を提示され、途方に暮れる少女の様子を見て、ペンタゴンが言った。
「Don't worry. We don't ask you to cooperate with us without something in return to you. If you help us, we will show you our all thanks.
(なにも私たちは、何の見返りもなく、君にこんなお願いをするのではない。我々に協力してくれたら、君にありったけの誠意を表すつもりだ。)」
ペンタゴンが、何かを話している。耳に微かには入ってくる。しかし、もう彼が言うことに、いちいち反応するような力はなくなっていた。
心身喪失したようにただその場に佇む友里に、ペンタゴンは話し続ける。
「You goes to high school ranking in the top stream in Tokyo. Besides, you always have very good exam results.
(君は、都内でもトップクラスの高校に通っているようだね。しかも、その高校でも常に成績は優秀だ。」
「……。」
「Your order is third in your grade. But only girl, you stand first.」
(順位は学年で三位。しかし、女子だけで見れば首位だ。
「……。」
「Is Tokyo university your first choice?
(第一志望はやはり東大かい?)」
「……。」
(ホントによく調べてるのね…。)
友里は虚ろな表情で、微かに聞こえるペンタゴンの発言を聞きながら、嫌味混じりに感心していた。同時に、気分はいっそう翳った。自分はどうあっても彼らから逃げられないのではないかという、悪寒と不安が全身を包んでいく。
ペンタゴンは、そんな友里の様子など、気にもとめない様子で話し続けていた。
「For example, we will be able to let you buy your way in to a collage you choice.
(例えば、報酬として、君の志望の大学に合格を口利きをすることだってできる。)」
ずっと、心ここにあらず、という状態だった友里だが、今の発言は聞き流せなかった。
「……は?」
言っていることがさっぱり分からないという口調の「は?」ではない。ガラの悪い不良が気にくわない人間に向けて放つ「は?」と同じ口調だった。
「……見くびってんじゃないわよ。」
友里は、静かに、低い声で、対面に座る彼ら三人には聞こえないほどの音量で呟くように吐き捨てる。
「What?」
「Don't underestimate me!
(見くびってんじゃないわよ!)」
聞き取れなくて聞き返したペンタゴンに向かって、今度は明確に聞こえるように、声を荒げて言い返した。
「Don't make a fool of me! I will enter the university by myself! Without your dirty help!
(バカにしないで!大学ぐらい、自分の力で受かってみせる!誰があんたたちの汚い手助けなんか要るもんか!)」
友里の心は敏感に拒絶の反応を示した。
自分の大学受験を裏から手を引いて合格させる。そんなことをされたら、自分がこれまで努力してきたことの意味がなくなる。と同時に、自分が大学に合格することが、今ここで確定したら、自分が心の糧にしていたものがなくなってしまう。何よりも、努力をしなくていいんだと思った自分が、どんどん怠惰になっていってしまうんではないかという不安が背筋を襲った。
(汚い!汚い!やめろ!)
卑怯だ!という感情よりも、彼らの発言に、もっと直接的な「不潔さ」を感じ取り、野卑な考え方を自分にちらつかせる目の前の連中に心の底から嫌悪感を抱いた。
三人は顔を見合わせた後、次の餌を足らした。
「According to our men's investigation, your family bear a load of dept, aren't you?
(部下に調べさせたんだが、君の家には借金もあるね?)」
「That's enough! Don't say anything!
(いい加減にしろ!もう何も喋るな!)」
それも、自分の役目なのだ。自分が大学に受かって、職について、給料取りになってから、果たそうとしている自分の目標なのだ。こいつらは、自分から、その役目も取り上げようとしている。
「Don't rob of my everything!
(私から何もかも奪わないで!)」
三人は、理解に苦しむといった表情ではなく、餌につられない厄介な奴を煩わしく思う渋い表情で友里を見る。
「OK. Then may I interpret you don't need any reward?
(では、見返りは要らないと言うことでいいかね?)」
言葉にため息を混ぜながらペンタゴンが訊いた。
「Don't say any more!
(何回も言わせないで!)」
「It can't be helped. Now, let's start meeting.
(仕方ない、では話を進めよう。)」
友里が荒げる声をかわすように、ペンタゴン事務的な口調で言った。それが、余計に友里の神経に障った。
(畜生…、畜生…。)
死ぬまで巨人のままでいなくてはならない、という絶望に加え、餌をちらつかせれば言うことを飲むと思っている、彼らの下衆な考え方に、百合の不快感のメーターは振り切れていた。だが、清廉潔白にそれらをはねのけたところで、結局は、アメリカやその他の勢力が、これから先、ずっと自分を好奇と敵意の目で監視し続けるのだと思うと、自分の人生が悲しくて、やるせなくてどうしようもなかった。
しかし、友里は、そんな自分の心を悟らせるのを嫌った。百合は元来の気丈さで冷静を装い、三人との対峙を続けた。
「O.K. Listen. He appeared in Okinawa island on the day three days after he appeared in Asaka. And the next day, we confirmed he was in Ishigaki island where is 400kilometers away from the main island.
(では、聞いてくれ。この少年は、朝霞に現れた三日後、沖縄本島に現れた。そして、その翌日、今度は、沖縄本島から四〇〇キロメートル離れた石垣島に現れたのだ。)」
それを聞いた友里は、三人に対する嫌悪感は、まだ強く抱きながらも、おぼろげにアメリカの危機の大筋を把握した。
映像で少年が自衛隊士官に向かっていった「日本を守りましょう。」という発言を聞いた時点で、おぼろげに彼の行き先は予想がついていた。
日本人が「日本の領土を防衛する。」と言う場合、その頭に浮かぶのは、おそらく次の三カ所だ。一つ目は、根室東方沖の島々。二つ目は、島根県のとある島。
そして、三つ目は、少年が現れたという石垣島からおよそ一七〇キロメートル北西の地点にある島々。その場所こそ、漁船衝突事件が起こったあの海域だ。あの事件がまだ記憶に新しい、今の日本人なら、最優先に防衛する箇所として、それらの三カ所の内、円閣諸島を筆頭に挙げるだろう。
おそらく、映像のあの少年もそうなのだ。あの少年は、円閣諸島に赴いて、その近くの海域に現れる大陸籍の哨戒機や不法操業する漁船などを、巨人の力を有して排除するつもりなのだろう。少なくともアメリカはそう考えているに違いない。
(慌てるはずだわ…。アメリカが。)
友里は、頭の中で、今回の事件でアメリカが憂慮する「危機」を自分なりにシミュレーションし始めた。
もし、大陸が「巨人はアメリカのもの」だという事実を掴んでいなかった場合。
大陸が領有を主張する諸島に、突然、未知の巨人が現れて、大陸籍の漁船や哨戒船を排斥するという行動をとれば、大陸はアメリカの存在を嫌でも疑うだろう。
なにせ、日本とアメリカは、悲しいかなアメリカの「親密なる」同盟国だ。円閣諸島を防衛しようする存在は日本しかいない。しかし、これも悲しいかな、日本は突然そんな大胆な行動をとれる国だと思われてはいないだろう。だから、きっと大陸はこう思う。
「アメリカの差し金か?」と。
アメリカが特殊な軍事力を日本に提供して、領土拡大を遠回りな手段で妨害しているんじゃないか、などという想像に至ってしまうのは避けられないことだ。
今度は反対に、巨人の存在も、その巨人がアメリカに管理されていることも大陸が知っていた場合。
巨人が突然、大陸が領有を主張する円閣諸島付近で、大陸籍の船籍などを排斥した場合、大陸は間違いなく、日本ではなく、『巨人保有国』であるアメリカ主導の行為だと判断するに違いない。
どちらにしてもアメリカにとって、これほど厄介な局面はないはずだ。
なにせ、アメリカの経済は、日本とは比べものにならないほど、大陸との貿易に依存している。アメリカが大陸の円閣諸島領有の邪魔をすれば、彼らは日本だけでなく、アメリカとの貿易も制限するだろう。そんなことになれば、ただでさえ停滞しているアメリカ経済に大打撃だ。
そもそも、大陸どころか、他のどの国も巨人の存在を知らないという場合はもっと厄介だ。「巨人」という未知の戦力が、異国に大々的にバレてしまう。最高機密が日本の小僧の手で明らかにされてしまう。どう転んだとしても、アメリカにとってプラスはない。
だから、アメリカはこの事件の火消しに執心するのだろう。
(でも…)
友里は思いを巡らせる。
彼を止めたいというのは、あくまでアメリカの国益を損なうからであって、日本の領土を守ろうとする彼の行為は、何も間違いではない。
そもそも、あの島々の領有を、大陸が主張し始めたのは、あの海域に石油資源が埋蔵されていることが判明したからだ。円閣諸島を「我が国の領土だ。」と主張するならば、なぜ資源が眠っている事が判明する以前は領有を主張しなかったんだ。
(あの少年の行為も心情も、日本人として正しいよ。それを止めるなんてできない。)
日本人が日本の領土を防衛しようとしている。それを日本人である自分が邪魔するなんて、まるで自分がこの国を想っていない非国民のように感じられてならなかった。
だから言おうとした。「それはできない。」と。しかし、そう言おうとした瞬間、思いもよらない台詞をペンタゴンが言った。
「The worst... If you won't help us, we cannot help using nuclear weapo...
(もし君の協力を仰げなかった場合、我々は最悪の場合、核兵器を使わざるを…)」
瞬間、友里は立ち上がって叫んでいた。
「ふざけんなっ!!!」」
立ち上がった拍子に、自分が今まで座っていた椅子が後ろに吹っ飛んだが、そんなことは完全に意識の外だった。
『nuclear』。
突然耳に入ってきた言葉に、脳よりも口が、いや日本人としてのDNAが、そして、自分の血が真っ先に反応した。
「また日本で核兵器を使うのか!?広島を知ってるだろ!長崎を知ってるだろ!福島を知ってるだろ!なんで今の日本で、核兵器を使うなんて台詞が涼しい顔で言えるのよ!ふざけるのもいい加減にしろっっ!」
全部日本語で言ってやった。乱暴な口調で言ってやった。当たり前だ。
核兵器に対するこの国の国民の怒りは日本人特有の感情だ。それをわざわざ異国の言語に訳したら、逆に通じなくなってしまう。
「ハア…ハア…」
『核』という単語に敏感に反応した怒りは、胸の内に生まれた思いをありったけ吐き出しても消化できなかった。体の奥底から滲み出る怒りが体を震えさせ、息を上がらせた。
あまりにもあっさりと「核」という手段が浮かぶ彼らの認識が許せなかった。しかも、口にした彼らは、およそ七〇年前に、この国に核爆弾を投下した張本人の国家だ。彼らの発言が、この国に核兵器を使用したことに、少しも反省の念を抱いていないように思えて、日本人である友里の「血」が、一瞬にして怒りを沸点まで上昇させた。
(よくも日本人の前で!よくも私の前で!)
怒りのたぎりはまだ静まらない。しかし、今度は、その怒りとは全く異質の怒りが、友里の全身に生まれた。
「OK, girl.」
ずっと黙ったままだったCIAがようやく自分に話しかけた。
「I heard You lost your father. you don't have brother or sister. I mean to say your family is only your mother.
(君は父親が早くに亡くなっているね。兄弟もいないから、肉親は母親一人だ。)」
「What? What do you mean?
(そうよ。それがどうしたの?」
「Do you love your mother?
(母親を愛しているかい?)」
その発言の真意を理解するのに、らしくなく時間がかかった。だが、それはおそらく、その真意を理解したくないからだったのかもしれない。
CIAという組織は、アメリカ国内での活動を主とするNSAと違って、世界中で諜報活動をする機関だ。冷戦時代はソ連の諜報機関KGBと情報戦争の中で、自国の脅威になりうる存在を拉致や暗殺していた組織だという事は、今時、小学生でも知っている。
おそらく、日本にも組織の一員は何人も紛れ込んでいるに違いない。そんな巨大組織にかかったら、平和な国の治安のいい街で、女性を一人「消す」なんて朝飯前だろう。
ゆっくりと発言の意図が全身に浸透してきた。
「母親を危険にさらしたくなかったら協力するんだな。もし協力を拒んだら、母親の身に何があっても知らないぞ。」
発言の意味を理解した友里は、今まで出会ったことのない感情に全身を占領された。
瞬間、母を想う愛が敵意と殺意に変貌し、それがむき出しになった。友里自身、どんな表情で次の台詞を言ったのか、自分でも分からない。
「If it will happen anything matter with my mother, I will appear in Washington,D.C. or New York and I will trample down all the people and destroy all the buildings.
(もし、母親の身に何かあって見ろ。そのときは、ワシントンやニューヨークに現れて、建物も人もみんな踏みつぶしてやる。)」
三人は、目の前の少女が自分たちに向けて放つ殺意と敵意を全身に感じて押し黙った。
「You won't use usual nuclear weapon if I will appear in capital or main city, will you?
(主要都市に現れれば、得意の核兵器も使えないでしょう?)」
室内は沈黙に包まれた。目の前の少女が、三人の白人を睨む。しかし、こうなることは想定の範囲内だったのだろう。
「It is not good.
(それはまずいな。)」
すぐに、そう重くない口調でペンタゴンが切り出した。
「We can't jeopardize Washington,D.C. or New York, too. But also You love your mother so much. We must looking for the middle ground.
(我々もワシントンやニューヨークを危険にさらすわけにはいかない、かといって、君も母親を深く愛している。どこかで妥協点を探さなくてはならないね。」
平淡にそう言われた友里は、自分が圧倒的に不利な立場にいることを思い知った。
「大学に裏口合格させてやる。」「家庭の借金を肩代わりしてやる。」これらの懐柔策に自分が応じなかった場合もアメリカはすでに想定済みだったのだ。
この連中は最初から、巨人の力を手にした自分と、「懐柔案」、「核」、「肉親」という三段構えで交渉して、都合のいい戦力として働かせる、いや服従させる気だったのだ。
「懐柔案」だけならば、それを突っぱねて、協力を拒むこともできた。だが、日本人として、核兵器を同胞である日本人に打たせるわけにはいかなかった。ましてや、母親を危険な目に遭わせることなど、もってのほかだった。
アメリカの「核」と「肉親」というカードに屈するしかなかった。目の前の三人に向かって、どれほど「卑怯だぞ!」と罵ったところで、向こうが、自分よりも有利な立場にいることは変えられないことは分かっていた。
(利用されるんだ…畜生。)
観念するしかない、そう自分に言い聞かせようとするが、どうしても納得できなかった。
筋違いなことをしているのは、石油資源の存在を確認するや円閣諸島の領有を主張し始めた彼らだ。あの少年のやろうとしていることは至極全うな行為だ。その彼を止めなくてはならないのか?
(止めるの?日本人が?日本人を?アメリカに唆されて?)
友里は葛藤した。
(できないわよ…そんなこと。)
だからこそ、頭の中で探した。彼を止める理由を。
そんな友里の様子を察したのか、不意にペンタゴンが抑揚のない口調で言った。
「A little ripple will grow up to be a big wave, and then the ocean will get rough before long.
(小さな波紋は大きな波に成長し、やがて海全体が大きく荒れるだろう。)」
「What? What do you say? What do you mean?
(なに?なんて言ったの?どういう意味?)」
ペンタゴンは質問には答えず、じっと少女を見つめる。
「You will understand.
(君なら分かるはずだ。)」
そう付け加えると席を立ち、窓の方に向かって歩き出した。
「Can you look?
(あれを見たまえ。)」
ペンタゴンが、窓の外を指して言った。
力ない足取りで席から立ち上がり、自分も窓の方へ向かう。
窓越しに見える米軍の敷地に、数機、戦闘機や輸送ヘリがある。
ペンタゴンの指は、それらの中で、友里が唯一名称を知っているものを指していた。
「オスプレイ…。」
沖縄などに配備されている米軍の最新鋭機。ミリタリーには詳しくはないが、ヘリコプターとしての機能と航空機としての機能の両方を有している、ということだけはニュースで見て知っている。プロペラを機体と平行にすれば、ヘリコプターと同じ性能になり、滑走路がなくても離着陸できる一方で、プロペラを機体と垂直にすれば、航空機に負けないスピードが出るという。現在のアメリカが誇る、最新で最速の輸送機だ。東京上空は飛行禁止のはずだが、なりふり構っていられないのだろう。
「We have few minutes. So we prepared the fastest. The speed at its maximum is
305kt. You will arrive at the destination within about 2hours and half.
(時間がないのでね。一番スピードが出るのを持ってきた。最高時速は時速555キロメートル。あれに乗れば、二時間三〇分後には目的地についているだろう。」
「Destination?
(目的地?)」
「Front.
(…戦線だ。)」
ペンタゴンは単語一つで返答した。
友里は、窓にうっすらと映る自分の顔を見た。沈んだ表情をしていた。
「Can I get back home by dinner?
(夕飯までには帰れる?)」
ジョークだと思ったのだろう。友里がそう言うと、ペンタゴンは歪んだ表情で笑った。
友里は大真面目だった。