episode 5 『横田』
(…行くぞ。)
友里は玄関のドアの前に立ったまま、動きを止め、深呼吸していた。
いま、家にいるのは友里だけである。母親は、曾祖母の四九日の法要に出席するため、昨日の内に広島に向かった。
(今しかチャンスはないんだ。)
そして、彼女は、ゆっくりと玄関のドアノブに手をかける。
「高校なんか行かないで、私、アルバイトしようか?」
高校受験前、そして、高校に入ってからも、友里はずっと母に、そう言うか言うまいか悩む時期があった。もし、自分がそんな提案をしても、母親はきっと、何言ってるの、ととぼけて、大丈夫よ、ごまかしてしまうことも分かっていた。それでも、母の背中にふとそう声をかけてしまいそうになる時が、人生で何度もあった。
母は大学在学中に知り合った父と、卒業後まもなく結婚した。社会人を経験した期間は一年間。それからはずっと専業主婦だった。そんな母親が、父が亡くなってからは、その穴を埋めようと、ろくに休むこともせず働き続けてきたことを友里は知っている。
父親を失う。これを聞いた人は母によく「大変でしたね。」と声をかける。しかし、友里は母の横でその言葉を聞く度に、その言葉が過去形であることに違和感を覚えて、腹も立てていた。
愛する人を失う悲しみと戦うことも「大変」だが、本当に大変なのは、それから後の現実を生きることだ。父親を、一家の稼ぎ頭を失うということの意味を、友里は母親の背中を見続けることで知った。
そんな母の後ろ姿を見て、友里は自分の生き方を決めた。そして、いつしか友里の胸の内にはある野望が生まれていた。そして、それを果たすための計画も。
母と二人で家を支える。ローンを返す。目先の小金に飛びつかない。今は勉強して、国立大学合格のための下地を作るのだ。
そう覚悟して生きてきた。
そして、今、更にその覚悟は強まっていた。
自分を育ててくれたこの母だけは何があっても守り抜く。誰にもこの人に手出しはさせない。それがたとえアメリカでも、私はこの人を守るんだ。
友里は再び、深呼吸をする。手には何も持っていない。平日、休日を問わずいつも持ち歩いている勉強道具を詰め込んだバッグも持っていない。友里はこの日のスケジュールを数日前から決めていた。彼女の今日のスケジュールに勉強道具は必要なかった。
(先手を打つ!)
それが彼女の今日のスケジュールだった。意を決し、友里はドアのノブを捻った。
中間試験の最中から、異変には気付きつつあった。身の回りに起きる異変ともう一つ。自分の体に起こった異変だった。
初めは、「そんな気がする」という程度のものだった。
誰かが私を見ている気がする。どこかで私のことを話している気がする。
その程度の違和感だった。しかし、時間が経つにつれ、その小さな違和感は成長し始めた。
声が聞こえるようになったのだ。耳を澄ませるのではなく、心を研ぎ澄ませるとそれは聞こえた。初めは囁き声が耳に入る程度の不鮮明なものだった。しかし、神経を限りなく集中させることで、その声は明確に聞き取れるようになった。
「Target left home just now.
(対象、家を出ました。)」
「Target arrived at school just now.
(対象、学校に到着しました。)」
「The light of room disappeared. It seems that target slept.
(部屋の電気が消えました。対象、眠ったと思われます。)」
聞こえてきた声は、どれも英語だった。
(見つかったのね…。)
友里はすぐに事態を理解した。
自分にだけ聞こえるこの声は、自分の行動を監視する者たちの声だということは明らかだった。友里はついに、巨人の正体が自分であることがアメリカに知られたと観念した。
友里は考えた。
このまま、素知らぬ振りをして普段と変わらない生活を送ることもいいだろう。しかし、自分の事を監視している者たちの内の誰かが、自分を直接始末するために、この家に乗り込んできたらどうなるだろうか。そのときは自分だけでなく、母親にも危険が及ぶかもしれない。それだけは何があってもさせてはならない。絶対に。
考える過程で、友里は大胆な結論に到達しつつあった。
(連中に馬鹿な真似をさせる前に、こっちから打って出てやる!)
母を守るため。友里は、無謀とも思える行動を選択し、この日、決行に移したのだった。
「Target left home just now.
(対象、家を出ました。)」
車から友里を監視していた人間が、無線機に向かって話す。性別は男。髪の色も黒く、一見すると日本人のように見えるが、彼はアメリカ合衆国に忠誠を誓う身である。故に、発する英語もすこぶる流暢だ。
「Can you see anything wrong?
(何か異常は?)」
いつもなら「異常ありません。このまま監視を続けます。」と返答するところだが、この日は違った。男は小さな異常を報告した。
「Ah..., she doesn't have her bag. and doesn't use bicycle always rides.
(バッグを持っていません。それに、いつも乗る自転車も使用していません。)」
「Does she go shopping in the neighborhood?
(近所に買い物にでも行くのではないか?)」
「It might be true, sir. I continue tailing.
(かもしれません。尾行続けます。)」
男は無線を切ると、車を降りて対象の尾行を開始した。
普段、対象は高校、図書館、駅、どこに向かうにも自転車を使用していた。だから、尾行も車を使った方が順調だった。しかし、この日は違った。男は、まだ成人に達していない年端もいかない少女の背中に、微かな違和感を抱きながら少女を追った。
対象はいつも自転車で通る道を徒歩で移動していた。しかし、突如、いつもとは違う道に曲がった。
(やはり、どこか妙だ。)
男はそう思いながら、少女が曲がった道と同じ道に進む。すると、
「………Goddam.
(………やられた。)」
男は大急ぎで車に戻り、無線を開いた。
「What's the matter? What happened?
(どうした?何があった。)」
「I'm sorry, sir. I lost sight of target.
(申し訳ありません。対象を見失いました。)」
彼は、目の前に起こった出来事をその通り伝えた。
彼は、少女の入り込んだ路地に進んだ。しかし、角を一つ曲がると、つい先ほどまでそう遠くない距離に捉えていた少女の姿がどこにもなくなっていたのだ。急いで、辺りを探索しようとしたが、そこは敷地こそ広くないが生け垣や塀が標準的に拵えられている日本の平均的な家屋が多くあり、どこに身を潜めたかを嗅ぎ当てるのは困難だった。
「Look for around immediately, now!
(すぐに近くを探すんだ。)」
「Yes, sir!
(了解しました。)」
そう返答をした瞬間だった。
「I have not disappeared.
(消えてなんかいないわよ。)」
後部座席から声がした。
男が驚いて振り向くと、悠然と後部座席に腰掛けている尾行対象の少女がそこにいた。
「SHIT!
(畜生!)」
男は慌てて、腰に隠していた銃を目の前の女子高生に向けて突きつけた。
銃口を突きつけられた少女は黙っている。だが、銃を突きつけられたこの少女が恐怖で黙っているのではないことを男はすぐに感じ取った。銃口を突きつけられても、まるで学校でつまらない授業を聞いているかのように佇む少女の様子に、銃を突きつけている男の方が動揺した。
「What's wrong!? Back reply!
(どうした?応答しろ?)」
無線から声がした。
だが、男は無線に答えない。腕と肩を綺麗な角度で固定し、銃を構える姿勢を崩さないでいる。そんな男をよそに、少女はゆっくり口を開いた。
「Don't you reply? Don't worry. I won't do you harm.
(応答しなくていいの?大丈夫よ。危害を加えたりする気はないわ。)」
男は黙ったままだった。しかし、何度も無線機から応答を求める声がするので、仕方なく、彼は片手で無線機を取る。だが、もう片方の手で構えた銃と視線は、ずっと少女から外さない。
「Sir, I found the lost target right now.
(先ほど見失った対象を発見しました。)」
「Good. Where was she?
(そうか。どこにいた?)」
男はつっかえながら返答した。
「Ah… in the back of this car, sir. Target suddenly appeared on the back seat in this car.
(車の後部座席です。た、対象は突然、私の車の後部座席に現れました。)」
「What!?
(なんだって!?)」
「She is against me.
(今、私の目の前です。)」
無線機の向こうから慌てた声が聞こえた。
少女が無線機に声が入るように話す。
「He tells truth. I'm just here. Are you Boss?
(彼は嘘を言ってないわ。私はここにいるわよ。あなたがボスなのかしら?)」
無線機は少し黙った後、返答した。
「Correct.
(そうだ。)」
「I have questions and something to say. A lot.
(聞きたいことと言いたいことがあるの。山ほどね。)」
再び無線機は沈黙した。しかし、
「Good.
(いいだろう。」
そう答えた後、声は付け加えた。
「Smith.
(スミス。)」
「Yes, sir.
(はい。)」
「Bring her here.
(彼女をここに連れてこい。)」
「Oh my god...」
男は銃口を突きつける手を震わせながら、無線機の命令に対してそう呟いた。その声は、腕と同じように震えていた。
用件が済むともう無線機から声はしなくなった。だが、男はまだ銃を下ろせないでいる。
「If you are afraid that I'm behind you, should I move to suicide seat?
(後ろが不安なら、助手席に移る?)」
少女が冷静な口調で提案したが、男は、必要ない、と言ってようやく銃を納めた。覚悟を決めた、といった感じだった。男は前を向き直すと、ハンドルを握り、車を発進させた。
「ごめんなさい。…脅かして。」
車のシートからはみ出て見える、男の後頭部を見ながら少女は日本語で呟いた。
男は何も答えず、ただ車を運転するだけだった。
友里は車に揺られながら考えていた。
この男は自分の正体を知っていた。だから、男は後部座席に自分を確認するや否や銃を突きつけた。ただの女子高生だとしか教わっていなければ、年端もない学生に、しかも、日本の住宅街で銃を突きつけるなんて事はしないはずだった。
(もう戻れないわね…。)
直接乗り込むという選択は、他の誰でもない、自分自身で決めた選択肢だった。そこに後悔はない。だが、これからどんな人間と会い、どんな話を聞かされるのか。それを考えると、言いようのない心細さに襲われた。数時間後の自分がどんな未来を歩いているのか全く予期できないまま、それでも友里は進むしかなかった。険しさと寂しさが混じった表情で、車の窓の向こうに流れる景色を見送った。
そして、一五分ほど走ると、車は目的地と思われる場所の近くまで来た。別に驚きはしない。いくつか予想していた場所の内の一つだった。
ほどなく、車は「U.S. AIR FORCE Yokota Air Base」と刻まれた石壁の横を通り抜けていった。
車は敷地内のある建物の地下駐車場に入り、そこに停車した。運転をしていた男に車から降りるよう言われ、そのまま彼について行くと、三階のとある部屋の前まで到着した。
「I'm bringing her, sir.
(連れてきました。)」
男がドアの向こうにいる人間に向かってドア越しに言うと、中から声がした。
「Come in.
(入り給え。)」
ドアを開けて入室する男に続いて部屋に入ると、そこは会議室のような細長い部屋だった。自分が入ったドアの反対側にある窓から広大な基地内の土地が見渡せる。敷地内では、様々な種類の戦闘機や輸送機が並んでいた。
一方、室内には、丸みを帯びた細長い環状の机があった。そして、部屋の奥、その机を前に、中年の白人男性が三人、こちらを向いて座っていた。
「Welcome to Yokota. I'm full general Womack from Pentagon.
(ようこそ横田へ。私は、国防総省のウォマックだ。)」
三人の内、先んじて真ん中の男性が身分を明かした。他の二人と違い、唯一、仰々しい軍服を着ていたので、身分が軍人であることはすでに察しがついていた。
片手を前に出し、友里に椅子に座ることを促す。友里はそれに従い、三人の対面に座る。
自分をここまで案内した男は、友里の背後を陣取る。車内とは反対の位置関係になった。
(これでおあいこね。)
友里は、密かにそんなことを思った。
真ん中の軍服は、そのまま残りの二人の紹介を始めた。腕を少し広げて、まずは向かって左側の人間から。
「He is Ernest Sinclair, the agent in charge the CIA East Asia operation.
(彼はCIA(中央情報局)東アジア地区担当のシンクレア。)」
そして、もう一人。同じように逆の手を少し広げて紹介する。
「And he is NSA chief of staff Alfred Johnson.
(こちらはNSA(国家安全保障局)のアルフレッドだ。)」
紹介された二人は、自分から口を開こうとはしない。ただ静かに、目の前の少女に冷たい視線をぶつけている。
「Should I identify myself, too?
(私も自己紹介した方がいいかしら?)」
皮肉を込めて言った。おそらく、自己紹介などしなくても、彼らは自分の素性など細かく把握しているであろうことは、もはや容易に知れたことだったから。
三人の内の一人、NSAの人間が冷ややかに鼻で笑った。皮肉を理解したらしい。
「Pentagon, CIA and NSA... here is prominent personnel. It will be perfect if MIB's Agent is here.
(ペンタゴン、CIA、NSA、そうそうたる顔ぶれね。これでMIBが居たら完璧だったのに。)」
「What?」
「Your country's Movie. Don't you know?
(映画よ。あなたたちの国の。知らないの?)」
「Yes, I Know. But I don't know why you say that suddenly.
(いや、知っている。しかし、なぜ突然その名前を?)」
「You don't have to play innocent. That Giant and Monster came from space. You broadcasted the information fragment of broken artificial satellite would fall and crash to deceive that, didn't you?
(とぼけないでいいわ。あの巨人と怪獣は宇宙から来た。そして、人工衛星の破片が落下・衝突するというニュースはそれを隠すための偽の情報だった。違ってる?)」
少女の方から突然、巨人の話を切りだしてきたので、三人は、顔にこそ出さないが、返答に詰まった。だが、巨人の話が出てきたことは、話を手っ取り早く進めるには、好都合でもあった。先ほどと同じく、ペンタゴンの人間が口を開いた。
「MIB is fiction. But we have an institution that is a little similar to MIB. Do you know SETI?
(MIBはフィクションだ。しかし、似た組織がないわけでもない。SETIを知っているかね?)」
「Yeah. Officially, Search for Extra-Terrestrial Intelligence. But, sometimes It is said `tax thief'. Is this correct?
(ええ。正式には地球外知的生命体探査。しばしば、税金泥棒と揶揄されるときがある。合ってるかしら?)」
「大まかにはね。しかし、最後が異なる。
(Effectively. But, it that's mistake you say last.)」
友里は、ため息と深呼吸が合わさったような深い息をついた。
「That is not tax thief, isn't it?
(税金泥棒ではなかったのね。)」
「Quiet so. In 1971, they received a message from space.
(その通りだ。一九七一年、彼らは、宇宙からある伝言を受け取った。)」
そこから先の話は、まるで米国お得意のハリウッド映画の脚本を聞かされているようだった。