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episode 3 『融合』

「大丈夫ですか!」


 そう声をかけたが、友里は少し面食らった。


(外人…?)


 友里が駆け寄った人物の正体は白人の男性だった。そして、その白人男性は、友里の言葉には何の反応も示さず、目をつぶったままでいる。


「大丈夫ですか!?Ah...Are you OK!?」


 もうすでに事切れていないことを祈りながら、もう一度声をかけたが、返事はない。


 しかし、体が一定のリズムで、数ミリだが、上下するのが見て取れた。呼吸をしている証拠だ。どうやら死んでいるわけではないことが分かり、友里は安堵する。


(いったい誰なの?さっきまでこんな人はいなかった。)


 友里がまごついてしまう要因はまだあった。走り寄って、彼の姿が鮮明になるにつれ、彼はとても風変わりな出で立ちをしていることが分かった。


(…宇宙服?)


 真っ白い服だった。触ってみると、これまで触れたことのない質感で、どんな素材で作られているのかは分からない。


 その材質不明な服が、白人男性の全身を覆っている。一部、顔の部分だけが、潜水服の頭部のように、丸味を帯びたガラスの窓でガードされている。その点が友里に宇宙服であるこのように思わせたのだが、一方で、宇宙服と表現するに戸惑う点もあった。自分が知っている宇宙服よりずっとスリムで、資料映像や映画で見るようなぶかぶかとしたはれぼったさがなかった。


 もう一つ、不可解な点があった。彼は石を持っていた。野球ボールの位の大きさの石だ。だが形は丸くない。角に丸みを帯びた正八面体のような形だった。更にその石は微かに光を発していた。綺麗な青い色の光を。


(何者なの?)


 多くの得体の知れない不審さに戸惑っていると、くぐもった声がした。


「Is here Japan?

(ここは日本か?)」


 意識を取り戻した白人男性が、丸いガラス窓の向こうから友里に話しかけた。だが、その口調は息苦しそうで、弱々しい。


 友里は動じる心を抑えながら、冷静に英語で返答する。


「Year. In Japan. You are in Tokyo.

(ええ。日本よ。日本の東京。)」


「Nobody is injured?

(誰もケガしていないか?)」


「What?

(え?)」


「Are there any casualties?

(死傷者は出ていないか?)」


 返答に困った。あの母親は背筋が寒くなるほどの血の量でズボンを染めていた。だから、けが人はいないか、という質問に対する答えは「ノー」だ。


 しかし、死者は0だ。あの母親は、車に乗る頃は意識がなく、後部座席に横になると、その後は無言で運ばれていったが…、それでも、助かるに決まっている。


(生きてるわよ。絶対!)


「Year. There are no victims.

(ええ。犠牲者は0よ。)」


 邪念を払いそう答えた。


「Good.」


 言葉と安堵のため息が混ぜ合わさる。しかし、白人男性は、すぐに表情を変えた。人種が違くとも分かる。神妙な顔つきになった。


「Ok, girl... listen to me well now.

(これから言うことをよく聞いてくれ。)」


「Ah...yes.

(わ、分かったわ。)」


 その様子に思わず、友里も緊張する。


「Please take this stone to nearly U.S. army base.

(この石を近くの米軍基地へ持って行ってくれ。)」


「what?

(え?)」


「But. Whatever you do. Never pass this except American. NEVER!

(ただしだ。いいか?何があっても、絶対にアメリカ以外にこれを渡してはいけない。絶対にだ!)」


 脈絡が分からないお願いに頭が混乱する。


 そんなことよりも早くここから離れるべきだろう。自分の命が惜しくないのか?そんな意識が先に立ってしまう。


「What are you saying!? Stone? It's just indifferent! Let's go to hospital now!

(何を言ってるの?石?そんなのどうだっていいわ。今すぐ病院に行きましょう!」


「Listen!

(聞いてくれ!)」


 激しい口調に友里はたじろぎ、黙ってしまう。


「Listen to me. Please. My name is Humphrey. Say "I brought the STONE." at the base gate. They ought to understand if you say so.

(お願いだ、聞いてくれ。俺の名前はハンフリー。基地のゲートで「石を持ってきた。」と言うんだ。そう言えば通じる。)


 彼は友里の手を掴み、自分の方へ引き寄せ、手にしていた石を友里に手に移す。


 だが、どうしても彼の言うことを咄嗟に受け入れることは出来なった。内容は理解できるが、うなずけない。何を言われたとしても、この白人を助けることがまず第一なのだ。


 友里は、彼を助け、何としても奇跡を守りたかった。


「OK! But I should be going to take you to the hospital first of all. Can you get up!?

(分かったわ。でも、やっぱりあなたを病院に連れて行くのが先よ。起きあがれる?)」


 白人の背中に手を回し、彼を起こそうとする。だが、


「Charles, Steve. Daddy did it. No victims. No deaths. Daddy did it.

(チャールズ、スティーヴ。父さんやったよ。犠牲者を出さなかったぞ。誰も死んでないんだ。父さんやったぞ。父さんやったぞ。) 」


彼は虚ろな目でそんな台詞をただ繰り返し始めた。


「Hey! What are you saying! Are those your children!? Get up now! Hey!

(ちょっと!何言ってるのよ!あなたの子供!?起きてよ!ねえってば!)」


 起きあがろうとしない彼に苛立った友里は、背中に手を回すのを止め、もう一度、面と向かって直接ものを言おうとする。しかし、彼の顔を見てその言葉は喉元で止まった。


 目が白くなっていた。元々青い色を帯びていたはずの眼球の中心は色を失い、もうどこを見ているのか分からない。


 もう一つ。彼の顔の皮膚にひびが入り始めた。もはや人の肌には見えない。丸いガラス越しに彼の顔は、極暑の日照りに遭ったように干からびていく。


「...Charles,... Steve. Daddy did it.

(…チャールズ、…スティーヴ。父さんやったよ。)」


壊れたブリキ人形のようにそれだけを繰り返しつぶやく。


「Wait! Hey! Let's go to hospital! No! Wake up! Please!...Please…

(待ってよ!ねえっ!病院に行くのよ!だめよ!起きて!お願いっ!…お願い…。)」


 友里は声をかけ続けたが、その内、自然と声をかけるのを止めた。そのまま彼は何も言わなくなった。何を話しかけても、反応しなくなった。


「……。」


「……お願い。」


 奇跡は終わった。今、ここに一人の命が終わった。彼はもう何もしゃべらない。もう動かない。


 これまで、極限の状況の中でも、どう判断し、行動すべきかを絶えず張り巡らせていた彼女の脳は、いま考えるのを止めていた。


 自分の目の前で一人の人間の命が終わりを迎えたことに、ただ茫然としていた。悲しみも怒りもない。あるのは未練だった。奇跡を守れなかった未練が彼女の思考を止めていた。


 ほんの何秒間だが、静寂だった。彼女はそのほんの少しの時間、傷心に浸った。





しかし。本当の始まりはこれからだった。





 友里の背後で気配がした。


(だれ?)


 この事態を察知した誰かが近づいてきたのかと思い、後ろを振り向く。しかし、振り向いても、そこには誰もいない。いるのは首のない巨大な亡骸だけ。


 だが、やはり、気配がする。


(なんの気配?)


第六感が友里に何かを告げる。


 誰が想像をする。そんなことを。


 起きあがったのだ。白人の男性ではない。


 奴が。


 ついさっき首から上を亡くした怪獣が起きあがったのだ。まるで映画で死者がゾンビになって甦るように不気味に。手も掴わず、脚も曲げず。倒れたシーンを巻き戻すかのようにゆっくりと。


 たった今、友里が背後に感じた気配は、まだ死んでいなかったこの怪獣の生気だった。


「……うあっ…あっ」


 もはや声などでない。目の前の光景にただ震えるしかなかった。


(逃げ…なきゃ…。)


 だが、友里の足腰は脳の命令を聞いてくれなかった。あまりの衝撃的な光景に再び腰が抜けた。


「…うぁ……ぁ」


 起きあがった怪獣は首があった頃と同じように少し前屈みに立っている。そして、そのまま怪獣は、先ほどまで巨人がいたこの位置に向かって、前進を始めた。


 怪獣の速度は徐々に加速し、すぐに大股の突進に変わった。まるで、自分の頭部を奪った巨人にありったけの憎しみを込めて反撃するかのように、乱暴に体を振りながら突っ込んでくる。


 あっという間に、怪獣は腰が抜けた友里の眼前に迫ってきた。そして、首なし怪獣は、右手を振り上げると、友里と白人男性がいる地点めがけて腕を振り下ろした。


「うあ………あっ…っ死」ぬ?


 思考の全てがその一文字に塗りつぶされた。


 だが、少女は死ななかった。





少女は彼と出会った。





 怪獣の大きな手が、友里のすぐ上まで振り下ろされた瞬間、それは光った。


「きゃあっ!」


 友里が手にしていたその小さな石が、その小ささからは考えられないほど明るくまぶしい光を大量に溢れさせ、友里の視界全体を覆った。


(まぶしいっ!)


 石が放つその光に、友里は視界の全てを奪われた。そして、世界は突然静かになった。


(な…に…?)


 自分の身に何が起こったのか、何も把握することができない。だが、そこには、さっきまで自分の視界を覆っていた怪獣の気配はない。それどころかなんの音すらしない。不思議な状況を確認するために、友里はゆっくりと目を開ける。


(…どこなの?)


 友里の前に広がっているのはどこまでも白い世界だった。地平線も上も下もない。ただ果てしなく真っ白な世界。しばらくの間、友里はその不思議な世界をさまよった。


(何が起こったの?怪獣はどこ?)


 突然、これまで自分がいた世界と断絶してしまった友里は、混乱し、不吉な想像をしてしまう。


(もしかして…死んじゃったの?)


 どこを見ても、そこは真っ白な世界。そもそも、自分の体がそこにあるのかすら分からなかった。


 死後の世界と判断するのに難色ない綺麗な世界だった。


(誰もいない。怪獣もあの外人も、公園もない。…死んだのか、わたし。)


 徐々にたどり着きたくない結論に到達してしまう。


(天国に来ちゃったんだ。そうか、私、死んだんだ。お母さん残して…。馬鹿な娘だ、私は。……最低の娘だ。)


 友里は、純白の世界で自分を責めた。


 あの母娘の命を救うためとはいえ、父と母がせっかくこの世に産み落としてくれた貴重な命を、自分は捨ててしまった。母は自分を立派に成人させようと、父の死後も女手一つで私を育てた。その結晶を、自分は奪ったのだ。


(お母さん…。)


 友里は自責を止められなかった。


(最低だ、私は。私は、お母さんから私まで奪って。お母さんはお父さんを奪われているのに。そんな人から、私は、娘も奪ったんだ。大馬鹿だ!最低だ!)


「ごめんなさいっ、お母さんっ!馬鹿だよっ!私、馬鹿だっ!ごめんなさあいっ!」


 友里は、どこまでも白く彩られた純然とした空間で叫び続けた。


 友里は悔しかった。それは、自分の命が若くして終わってしまったことにではない。自分の命が自分だけのものではないことを少女は知っていた。


 友里は、真っ白な世界の果てに向かって何度も嘆き続けた。何度も。何度も。


 だが、彼女にはまだやるべきことがあった。


 声がした。



「Don't be crying.

(泣いてちゃダメだ。)」


「誰!?」


 どこからか響いた声に友里は驚く。そして、その声には聞き覚えがあった。さっきまで自分が抱えていたあの白人男性の声だった。


 少女は、嘆くのを止め、広い空間に耳を傾ける。


 また声がした。


「It hasn't finished yet.

(まだ終わってないんだ。)」


 やはり、あの外人の声だ。


「どこにいるの!?どうして!?」


「Fight with him, or there will be many deaths and injures. That's too bad.

(闘ってくれ。彼と。そうしないとたくさんの犠牲者が出てしまう。それはいけない。)」


「What are you saying now!? Fight with him? Who is he!?

(何を言ってるのよ!?闘う!?彼!?いったい誰のこと!?)」


 友里の問いに声は少しだけ黙ると、こう言った。


「He is in you.

(君が彼だよ。)」



 その言葉と同時に、白い世界は閉じた。白い世界はただの暗闇になった。聞こえなかった音も聞こえるようになった。音という音はない。ただ、いつも自分が暮らしている街の気配が聞こえた。しかし、感じられた気配はそれだけではなかった。


 ゆっくりと視界が開けた。すると、目にしたくなかったものが目の前に飛び込んできた。


 怪獣の首の断面だった。さっき、巨人の放った光球が直撃して、吹っ飛んだ頭部。その断面が、なぜか友里の目の前にあった。光の炸裂ともにこの世から消えた頭部の断面は、鋭い刃物で切られたわけではないから当然、乱暴に肉と骨が千切れ、そこに溢れた血が加わり、この上なくグロテスクに露出していた。


(気持ち悪い…。)


 最初の感想はそれに尽きた。だがすぐに次の疑問が湧く。


(なんで、こんなのが見えるの?)


 ついさっきまで自分が生きていた世界の気配が感じられた瞬間は、自分が天国から帰ってきたと思えて喜ばしかった。だが、それを単純に喜ぶには、まだ状況が読めない。


 なぜ怪獣の首の断面が見えるのか。自分の視点が怪獣の首より上になければ辻褄が合わない。


 自分を覆う状況が計れず、ただ狼狽していると、怪獣がぐるんっと回れ右をした。


 嬉しいことに、それまで目の前にあった惨たらしいものは視界から消えた。


 しかし。


(…がっ!!!)


 何が起きたか分からなかった。おそらく、自分のわき腹にすさまじい遠心力を秘めた何かがぶち当たった。しかし、友里は、公園の敷地ギリギリまで体を吹っ飛ばされても、まだ状況をつかめなかった。


(びっくりした…。なに?何がどうなってるの?)


 何かが激突して、自分が地面に横たえていることは分かった。だから立ち上がろうとする。身をかがめ、地面に手を突いた。


(………え?)


 自分の手のひらは何色だ?


 聞くまでもない肌色だ。美術の時間に、白と黄色と赤の絵の具を、バランス良く混ぜ合わせて出来るあの色。黄色人種の肌色と言えばその色だ。その色に決まっている。他にどんな色がある?


(灰色?)


 友里は咄嗟に目に飛び込んできた自分の手の色に慌てるでもなく、驚くでもなく、ただ自分の手を見つめていた。


(この色、どこかで…。)


 友里はその手を知っていた。自分はさっきまでその肌を見ていた。


 だが、まだ頭は、この狂った現実を整理できてない。友里はとりあえず立ち上がる。


 不思議な光景だった。


 ふつう、高い建物などから景色を見る場合、どんなに立派でおしゃれな展望台でも、一方向の景色しか見ることは出来ない。違う方角の景色を見ようとして左右を見れば、自分がいる展望スペースが邪魔をする。反対の方角なんて論外だ。ぐるっと回って、反対の展望スペースに行くしかない。だが不思議なことに、右を見ても、左を見ても、後ろを見ても、何も視界を邪魔するものがない。どこまでも遠く景色が広がっている。


 悪寒がした。脳が状況をまとめ始めた。徐々に鋭く冷たい感覚が前進を駆け巡った。


 声が言った言葉を反芻する。


『「He is in you.

(君が彼だよ。)」』


 もう一度、手を見る。今度は分かった。


(あいつの手だ。)


 そう、自分の手として動かしている、灰色と銀色が合わさったようなこの手は、先ほどまで自分の目の前で闘っていた、あの巨人の手と同じ手だった。


『「He is in you.

(君が彼だよ。)」』


(冗談…止めてよ…。)


 あの白人男性の言葉が嫌な感覚とともに五臓六腑に染み渡ってくる。


 混乱、狼狽、パニック。どの表現も当てはまるが、どの表現も、彼女の精神状態を表現するには不十分だ。


 あえて言うなら拒絶だ。彼女は導き出した結論を受け入れられなかった。


(夢よ…。そうよ!夢よ。やっぱり夢なのよ!そんなことがあるわけがないじゃない。こんな展開はナンセンスだわ。こんなの現実じゃない。童話よ。人間が巨人になるなんて。さっきまでの出来事は全部夢なのよ。そうよ。きっとそうだわ。怪獣なんかいるわけがないもの。…………怪獣?)


 その単語がよぎり、現実逃避を止めた。ふと辺りを見渡す。


(あの怪獣は・・・どこ?)


 あの怪獣はさっき後ろを向いた。そのときの尻尾が自分に当たった。自分のわき腹を襲った衝撃はおそらくあの怪獣の尻尾だ。


 後ろを向いて、その後はどこに行く?ずっとこの公園をうろうろするか。それとも公園を出るか。


(公園を…出る…?)


これまでで最大級の悪寒が全身を貫いた。


(公園を出る!?)


 現実逃避を止めた。方向感覚を無理矢理回復させ、自分が先ほどまで立っていた地点を向く。


(いない!)


 怪獣はいなかった。怪獣は後ろを振り向いたまま直進していた。


 直進。


 怪獣は、友里が状況を整理し受け止めている間に、残酷にも、公園の敷地の外に向かって進んでいた。公園の外は住宅地だ。


 走っていた。


 あの母親と眼があったときと同じである。人には尊厳がある。尊厳とは人を人たらしめる、損得を超越した心の聖域だ。


 いま、あの怪獣は公園の敷地を出て住宅地に及ぼうとしている。あの怪獣が人の営み踏み潰す。体が無意識にそれをさせまいと巨大な体躯を駆けさせた。


 ここは夢か天国か、もうそんな雑念は友里の頭になかった。


 巨人になっても友里はその尊厳を失わなかった。


 巨人になっても彼女は安城友里だった。



「止まれえええええぇぇぇぇぇぇ!!」



 怪獣に追いつくと、咄嗟にその図太い尻尾に両腕を回し、抱きつくようにしがみついた。そして、そのまま大木の幹で綱引きをするようにありったけの力で引っ張る。しかし、怪獣はそれを(ほど)こうと、すさまじい勢いで、その大木のような尻尾をしならせる。怪獣の動作はのろい方だが、尻尾だけはまるで別の生物であるかのように、硬質でありながら柔軟で、巨人の体を吹っ飛ばそうと凶暴にうねりながら暴れ回る。


(だめ!抑えられない!)


 暴れ馬にまたがるように全体重をかけて、尻尾を押さえつけようとするが、そんなものなどなど比較にならない凶暴さに何度も体を弾き飛ばされそうになる。


 公園の外は目前だった。


(だめ!そっちはダメ!そっちには人がいるの!たくさんいるの!お願い!止まって!)


 そんな願いなど通じない。怪獣は地面に大きな足跡が(かたど)られるほど強い力で地面を踏みつけ、引っ張られる方向とは逆の方向に進もうとする。


 自分が手を離せば、もう終わり。奇跡も何もない。ここで手を離して、街の人々に被害が及んだら、それは自分の責任だ。いま、この怪獣を止められるのは自分だけだ。


(離さない!離さないぞ!)


 頭の中をその言葉だけが占めた。


 だからなのか。それは分からない。


 想いが形になった。そう表現できるだろうか。だがやはり、理論など分からない。


 腕が光り始めた。正確には、輪にした腕の内側、怪獣の尻尾と接着している部分が。その光は暖かな熱も伴っていた。


(…光ってる。)


 驚いたが、腕の力を緩めるわけにはいかない。光は無視し、尻尾を押さえつけることに集中する。


 徐々に光が持つ熱が、暖かさを越え、炎のような高熱を発し始めた。


(熱い!でもっ!)


 直後、卒倒してしまいそうな嫌な感覚を腕の内側に覚えた。


 ねじ切ったのか。焼き切ったのか。両方なのか。


 巨人が後ろに吹っ飛んだ。のたうつ尻尾にはね飛ばされたわけではない。尻尾に抱きついたまま、尻尾と一緒に吹っ飛んだのだ。


 後ろに吹っ飛んだことで、再び地面に倒れたが、すぐに起きあがる。


 見ると、怪獣から尻尾が消えていた。尻尾が生えていた尻の部分は、切り株のように丸い断面を作っていた。だが、その断面には首の断面と同じく、肉と骨が見えた。そこから血が溢れ、大地を汚している。


 騒がしい気配がする方を向く。恐ろしい生命力を目の当たりにした。胴体から分断されたにもかかわらず、切り離されるまでと同じように、まるで陸に打ち上げられた魚のように激しくのたうち回る長い尻尾が、そこにはあった。


 怪獣は全身を乱暴に振り回していた。尻尾を失った痛みなのか、尻尾を奪われた憎しみなのか、判断は付かない。


 しかし、友里はおぞましい光景に怯まなかった。一瞬でも怯んだとするならば、それは尻尾が切れた瞬間に自分の頭によぎった惨い思いつきにだった。


(尻尾が切れたなら…)


 脳をフル回転させ、残酷な行為を瞬時に選択した。同時に、自分のこれからしようとすることに自分で怖れた。しかし、それしかなかった。


(ごめんなさい!ごめんなさい!)


 巨人は再び怪獣めがけて突進すると、今度は尻尾と同じくらい太い怪獣の片脚に両腕を回した。


(お願い!ごめんなさい!もう一度光って!)


 さっき尻尾にしたことを、今度は脚にする。尻尾を奪っただけでは、意味がない。脚が二本ある以上、この怪獣は公園の外を目指す。それを封じるには、足を奪うしかなかった。


(光れ!光れ!光れ!光れ!光れええええぇぇ!)


 暴れる怪獣の脚にしがみつきながら馬鹿みたいにただそれだけを念じた。そしてまた同じように腕の内側が熱を伴って光り始めた。


「うあああああああああああぁぁぁぁぁ!!!」


 嫌な音。嫌な感触。二回目の。


 怪獣が転んだ。起きあがらなかった。体をばたつかせているが、決して起きあがることはない。当たり前だ。起きあがるにも脚は千切れてしまっているのだから。抱えている千切れた足をゆっくりと地面においた。


(ごめんなさい!ごめんなさいっ!)


 足が片方ない。首もない。尻尾もない。残った足と両腕をただじたばたさせながら地面に悶えている。各断面から大量の血液を散らしながら。


 この光景を作り出した張本人が自分であるという事実が背筋を這いのぼってくる。


(ごめんなさい…。でも、お願い。もう死んで!もう動かないで!)


 やがて、怪獣の手足の動きは、ゆっくりと鈍り始め、ただ小刻みに痙攣するだけになった。そして、それも終わると動かなくなった。


 気がつけば、千切れた尻尾も静かになっていた。


(…殺したんだ。)


 ついさっき、自分の目の前で白人男性の命が終わった時とは違う。殺すのと同時に、まるで自分の魂も少し持っていかれたんじゃないかと思えるほど、心が削られた気がしていた。


 こんな巨大な生物にもおそらく魂があった。だから動いていた。自分はそれを奪った。


(でも、他にしようがあった?)


 自分にそう言い聞かせる。この怪獣を助けなければ、この怪獣は住宅地を闊歩した。


(そうするしかなかったじゃない!)


 そう心の中で繰り返した。


 自分はいいことをした。そうは言わない。だが、あのまま何もせずに怪獣が街を踏みつぶすのを黙ってみていることの方が罪だ。そのはずだ。そう自分を説得した。


 だが、次の瞬間、その説得が少し鈍った。


「すげえ!殺したよ!」


 誰かの言葉が小さく聞こえた。


 今まで怪獣にしか向けられていなかった意識が、怪獣の動きが止まったことで、ようやく外の世界に広がってきた。


 声のする方を見る。公園の敷地の外。公園に沿った道に逃げもせず、巨人と怪獣の乱闘を見物していた人々がそこにはいた。


(何してるのよ。逃げなさいよ。)


 有名人と出くわしたかのように、携帯電話の写真機能やデジカメなどで、動画なのか静止画なのか分からないが、ともかく自分を撮影している。


 自分が守ったと鼻にかける気はないが、目の前の小粒な人間達の振る舞いは、怪獣を殺した罪悪感とせめぎ合っていた、犠牲者を出さなかったという充足感を曇らせた。


(…そんなもんよね。)


 人々に怒りや憤りを抱くでもなく、友里の心に寂しい風が吹いた。


(疲れた…。)


 友里は巨人の姿で地面にひざを突き、そのまま伏せた。疲れからか安堵からか、意識がぼんやりとしてくる。そんな中で、怪獣を相手にしていた時とは、また異なる不安が襲った。


(どうしよう…。あたし、ずっと…このまま?)


 しかし、幸運にも、そうはならなかった。


 巨人の体が光に包まれた。


(あったかい…。)


 その光は、巨人の全身を覆い、巨人は巨人の輪郭をした光そのものになった。


(やっぱり死ぬの?だめ。それはダメ。家に帰らなきゃいけないの。お母さんに、夕方には帰るって言ったの。だから、戻して。元の姿に。お願い!)


 光が散った。もうそこに巨人の姿はなかった。巨人の体があった空間は、何もない空間に戻った。巨人の姿は完全になくなった。

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