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episode 2 『遭遇』

二時間前 九月二十七日 土曜日 午前八時



ピピピピ、ピピピピ。


 目覚まし時計が、電子音を発する。その音の発信源に布団の中から手が伸びる。


「…あと十分。」


 布団の中から手だけがにゅっと伸び、目覚まし時計のスイッチをオフにした。室内は電子音が鳴る前の静かな時間に巻き戻され、カチコチという目覚まし時計の秒針が発する音だけが室内に控えめに響く。


 二度寝、突入?


 しかし、十分後。目覚まし時計をオフにした張本人が、むくっと上半身を起こした。


「うー。起きるか。」


 そう言って、ベッドから降りたその声の主は、艶のあるセミロングの髪に小さな寝癖をこさえた女の子。


 少女の名前は「安城友里」。東京都内の都立高校に通う華の女子高生である。


 友里は、ベッドから降りると、同じ部屋の鏡台に腰をかけ、櫛を手に取り、寝ぐせをリセットし始める。まだ眠そうではあるが、手だけは的確に、さざ波のように小さく乱れた寝ぐせを伸ばしていく。そして、それを終えると、パジャマのまま自室を出て、隣のリビングと呼ぶには贅沢な畳部屋の居間へ移る。


「あらー。今日土曜日で学校ないのに早いのねー。」


「んー。」


 この「んー。」は彼女なりのおはようだ。


 母親は朝、いつも言葉をどこか遠くの方へ投げるように近くにいる娘に話しかける。朝の友里は、何を話しかけても反応が鈍く薄い。睡眠時間の一部を勉強に割いているという学生らしい理由だ。母親としては、勉学に励む娘は大変誇らしいのだが、その分、朝の淡泊な娘の反応が少し寂しい。その娘の低反発加減を補うために、母親は無意識に間延びさせたような声で娘に話しかけてしまう。


「とりあえず、昨日の晩ご飯の残り物しかないけど、少しだけでも食べる?」


「ん。」


 この「ん。」は「うん。そうする。」という意味だ。母親は阿吽の呼吸で台所から自分の分と娘の分、二人分の朝食をテーブルに並べる。


「いただきまーす。」


「んー。」


「いただきます。」という意味である。


 友里は右手に箸を持つと、左手でテーブルの上にあったリモコンを手に取り、テレビの電源ボタンを押す。そして、すかさず、友里はチャンネルをBSの経済番組にした。安城家では、ある時期から、テレビのチャンネルはずっと経済番組だ。


 理由は、民放地上波の情報番組のトピックが、いつもくだらない芸能人のゴシップに放送時間の大半を割いているから。地上波各局は今日も、政治や経済、外交などの重大な諸問題を差し置いて、俳優や芸人の不倫報道を、まるでこの国の一大事化のようにトップニュースに据えて、堂々と番組を垂れ流している。友里はそんな品位のない情報を脳に入れたくなかった。


「では、今日の特集の前に、現在入っているニュースをお伝えします。」


メインの特集の合間に、アナウンサーが今朝までの種々のニュースを手短に伝える。端的だが、不要な情報を入れたくない友里にとってはそれだけで十分だ。


「昨日、アメリカ航空宇宙局、NASAは、すでに運用を終えた大気観測用人工衛星が地球に落下することを公表しました。NASAの発表によりますと、『運用期間を全うした人工衛星などが落下することはよくあること。その際、大気圏内の熱でほとんどの部品は燃え尽きるが、今回は一部の金属が燃え尽きずに、そのまま地表へ落下する可能性がある。』との声明を発表。また、NASAは今後およそ一ヶ月の間にその破片が地球上の誰かに当たる確率が三二〇〇分の一とも発表し、その数字にアメリカ国内のみならず、様々な国と地域で、大きくはありませんが戸惑いや動揺の声が出ています。」


「へー。三二〇〇分の一だってー。なんか数字だけ聞くと、確かに確率高く感じるわねー。」


 母親が、彼女らしい緩やかな口調で感想を言う。しかし、友里は、そのニュースと母親の反応がどうやらお気に召さなかったらしい。はぁ、と声帯を震わせない息だけのため息を漏らす。


「全く、やめてほしいわね。NASAの発表をそのままオウム返しするような報道しちゃってさ。視聴者の不安を煽るだけよ。お母さんもこんな報道真に受けちゃダメよ。地球上の誰かに当たる確率が三二〇〇分の一って言ってるのよ。地球上に、今人類が何人いるか知ってる?もう七〇億人を突破したのよ。その七〇億人の誰かに当たる確率が三二〇〇分の一って言ってるの。せめて報道機関はNASAの発表をそっくりそのまま鵜呑みにするんじゃなくて、特定の誰かに当たる確率を算出して報道するべきだわ。その計算をすれば、この出来事が大事じゃないなんてことすぐにわかるはずよ。たとえば、私、安城友里という特定の個人に当たる確率を算出するには、三二〇〇×七〇億っていう計算をしなければいけないの。そうすると、その確率は二二兆四〇〇〇億分の一よ。そんな天文学的な確率を怖いなんて言ってたら、日常生活を営めないわ。交通事故に遭わないように注意して歩く方がよっぽど肝心よ。日本人が交通事故で死亡する確率は、日本人の人口と年間交通死亡事故者数を単純計算して、一万二〇〇〇分の一だもの。まったく。馬鹿げた報道しちゃってさ。」


「計算はやいわねー。はい、おはよー。」


 友里の脳は、毎朝、このようにして完全に目覚める。ニュースをつけるまでは、開いているのか、閉じているのか、傍目からは分からない目をしているが、テレビでアナウンサーがニュースを読み上げ始めると、さっきまでの様子が嘘のように、目をカッと見開き、テレビの中のアナウンサーを、まるで討論で叩きのめすかのようにまくし立てるのである。


 対して母親は、勢い盛んな娘とは対照的に、和やかな口調で、そんな娘の弁の達者さにただただ感心するのみ。安城家の朝の日常風景である。


 そして、友里が、ニュースに論戦を挑んでいる最中に、ニュースは次のトピックに移る。


 少し前なら、この後も引き続き、ニュースの一つ一つに、ああではない、そうではないと、隠居した中高年のように、テレビの報道に文句を付けるのだが、最近は、そんな風にテレビに言い募る度合いも少なくなってきた。


 テレビは淡々と、後半のニュースを伝える。


 大陸の東に位置する日本の隣国の漁船団が、またまた日本のとある島の近くの領海内に不法侵入し、海上保安庁と一悶着あったらしい。今回は、その内の数人が拘束されたらしく、声高に、「自分たちの領土だ」と叫びながら護送される映像が流れている。隣国は、拘束された船員を、即時釈放するように、と強気な催促をし、我が国の領土なのだから、拘束される筋合いはない、との主張を今回も報道官を通して発表している。


 以前は、トップニュースで取り上げられていた隣国のトピックだが、何度も似たような事を繰り返される内に、徐々に報道に割く時間も削られ、後半の時間帯で淡々と読み上げられる程度のニュースになっていた。


 友里自身も、以前は、これらのニュースに対し、先ほどのように、揚々と対抗弁論していたが、いつの間にかその熱も冷めてしまっていった。


 乱暴狼藉も、繰り返し行われると、そのことに対し、いちいち怒りを表現するのが疲れてきてしまう、というのもあるのだろう。しかし、それ以上に、友里の気分を辟易させてしまう最大の要因は、その隣国の横柄な行動と言い分に対して、この国が毅然とした態度を見せてくれないことだった。


 今回も、我が国は、伝家の宝刀「遺憾の意」を表明して、角が立たぬよう、波風を起こさぬよう必死に努める。好き勝手言われ、好き勝手やられ、それでも隣国に対し、礼節を以て接そうとする母国の姿を見ていると、奮然と憤るエネルギーも失せてしまう。


 今日は、日本の外患を伝えるニュースが他にもあった。


 半島にある独裁国家が、もう何度目か分からない「人工衛星打ち上げ実験」と称した、長距離ミサイル発射実験を宣言した。打ち上げるロケットの先端に核弾頭を装着すれば、あっという間に核ミサイルになる代物だ。


 これら日本の憂き目に対して、我が国の同盟国であるアメリカ合衆国は、わざわざ太平洋の向こう側から、日本を憂い庇うコメントをしてくれている。「日本が有事に見舞われた場合、我々は、日米同盟に則って、我が国の素晴らしい友人である日本を全力で守る。」とのことらしい。


 言葉だけは、なんとも心強く、頼もしい。言葉だけは。


 そして、友里は、そんなニュースばかりのテレビを見ながら、最近はずっと深いため息をもらすのである。


「全くこの国は…」


「どこへ向かおうとしてるのやら?」


「ちょっと。先に言わないでよ。」


「だって、あなたニュース見る(たんび)に、いっつも同じこと言うんだもの。そりゃこっちだって覚えちゃうわよ。」


「私が悪いんじゃないわ。ニュースが悪いのよ。」


「見るニュース、見るニュース、いちいち、ケチつけたり、ため息ついたりして。なんだかあなた、最近ホントおじさんみたいよ。」


「あらー、不思議。お嬢さん、若々しくて素敵ですねって言われるより、ずーっと嬉しいわー。」


 友里は、視線をテレビに向けたまま、母親には目を移さず、わざと白々しい目つきを作って、母親の言葉をかわす。


 はっきり言って、この親子、口喧嘩では娘の圧勝になる。だから、母親は、こうやって娘にあしらわれると、決まって父親に話しかける。


「お父さん。あなたの娘はこんなに強くなりましたよー。口が。」


「や、やめてよ。」


 照れるように頬をほんの少し赤くした娘を背に母はチーンと鈴棒で鈴を鳴らす。その音が居間に優しく響く。母親の前には仏壇と遺影。友里の父親のものである。


 六年前、友里が小学校五年生の時だった。若くして、白血病に侵された友里の父親は、一年間の闘病生活の末、病院のベッドで枯れるように亡くなった。


 強く男らしい父親の体が病魔に冒されて、徐々に弱っていく様を見せつけられることは、幼い友里にとっては衝撃的なことだったが、つらいことはそれだけではなかった。


 父親が亡くなる前まで、友里一家は、人並の一軒家に住んでいが、一家の稼ぎ頭がいなくなったために、家のローン返済を完遂できなくなり、手放すことを余儀なくされてしまった。だが、持ち家を売りに出しても、ローンを完済することは到底無理だった。正確な数字は分からないが、今も、安城家には借金が残っていることを友里は知っている。


 だが、それらの出来事は友里の反骨精神に火を付けた。父の死後、友里は勉学に励み、地元で最難関の都立高校に合格した。


 それは、彼女の自身の野望を果たすためであった。


 母親に対し、突っ慳貪な口調で接することもある友里だが、心の内では、誰よりも、母親のことを案じ、想っている。


 彼女の野望は、私立に比べ、学費のかからない国立の大学に合格を果たし、高給取りと呼ばれるような立派な職業に就くことで、母が現在もコツコツと果たしている借金の返済に自分も加わることである。


「ほら、あんたもお父さんにおはようしなさい。」


「はーい。」


 父の死後、女手一つで自分をここまで育ててくれた母だけは、何があっても守ってみせる。友里は、そう、自分に言い聞かせながら人生を歩んでいる。



「ああ、そうそう。私、来週の土日いないから。家のことよろしくね。戸締まりとか。」


母親が、台所で食器を洗いながら、居間で朝食を食べている友里に聞こえるボリュームで話しかける。


「知ってる。広島に行くんでしょ。…ええ!?もう、あれから四九日経っちゃうんだ!?」


「ホント。お母さんもびっくり。」


そして、もう一人。遠戚ではあるが、友里にとって、かけがえのない人物が、つい先日、この世を去っていた。友里の曾祖母である。


 今から、四十日ほど前。八月の中頃だった。


 夏休みで、授業が休みだったことで、曾祖母という、親等が離れた親類のお葬式にも、友里は参席することができた。


 母親は「最近は会ってなかったんだし、あんたまで無理して来なくてもいいのよ。」と言って、無理に参列することを勧めなかったが、友里の方が行くと言って聞かなかったのた。


「すごいよねえ。あんな事があっても、あんなに長生きできるんだもんね。」


「そうねえ…。」


 友里の言葉に母親は、食器を洗う手に目を落としたまま、ゆったり返事をした。


 だが、その後に友里が言った「私も長生きしなくちゃね。」という言葉は、友里の独り言として受け取ったのか、どうなのか、母親は返事をしなかった。


「ほら、全部食べちゃって。お皿洗っちゃうから。」


「おっけー。」


 友里は食事を済ませると、着替えのために自室に戻った。


 母と友里がいない部屋のテレビはその時間の最後のニュースを伝えていた。


「最後のニュースです。インド洋に配備されていた、アメリカのニミッツ級航空母艦フランクリン・ルーズベルト号が、任務を終え、神奈川県の横須賀基地に寄港しました。この空母は、横須賀で、補給任務を終えた後、約三〇〇〇人のアメリカ海兵隊員を乗せ、アメリカ本土へと戻る予定です。」


「あれ?もう出るの?土曜日で休みなんだから、少しはゆっくりしていけば?」


 朝食を終え、着替えと身支度を済ませた友里は、玄関で外靴をはめた足先で地面をつついていた。その脇には自主勉強に必要な教材を積めた鞄が置いてある。


「中間試験が近いの。それに、早く行かないと図書館の自習スペース、先輩達にとられちゃうから。」


 友里は現在、高校二年生。しかし、他の同学年の生徒とは異なり、大学受験を控えた受験生に劣らない勤勉さで、普段から自主学習を絶やさない。今日も、彼女は休日をのうのうと遊興に充てることはせずに、図書館に密集する高校三年生と肩を並べ、自学自習に精を出す。


「夕方までには、帰るから。行ってきまーす。」


 そう言って、友里は自宅から自転車で五分ほどの場所にある、地域の図書館に向かった。 


 しかし、友里は、二〇分後、図書館ではなく、とある公園の入り口に立っていた。友里が図書館に着くと、フリースペースの座席は、迫る受験を意識した三年生の先輩たちで、すでに埋まっており、友里は、家を出る時間を見誤まったことを少し悔やみながら、仕方なく行き先を変えたのだった。


 平成記念公園。東京都内で最も広い公園だ。普段は有料だが、今は開園三〇周年で入園無料であることを彼女は覚えていた。この公園に遊びに来る人々は都内にあるとは思えないほどの広大な敷地がお目当てだ。


 ここのベンチで、参考書でも見ながら時間を潰して、三年の先輩が昼食でもとりに図書館を出る時間を見計らって、再び図書館に向かおう。友里は自転車を漕ぎながら、そんな算段をめぐらせていた。


 そして、彼女は公園へと足を踏み入れたのだった。




『さて、こうして、彼女はこの公園に来てしまったのです。

 図書館に席が一つでも空いていれば。公園が無料開放期間中でなければ。その日の天気が雨であれば。少女はこの場所に来ることなどなかったでしょう。そうすれば、あんな奇怪な現象に巻き込まれることもなかったでしょう。

 これは偶然だったでしょうか。何かが彼女をその世界に引きずり込んだのでしょうか。答えは分かりません。

 しかし、いまこの瞬間に確定したのです。それはもう変えられません。彼女は、もうすぐ迷い込みます。恐ろしいアンバランスな世界へ。あとほんの数分で、少女はあの異様な世界へと足を踏み入れてしまうのです。

 みなさま、どうか目をそらさぬようお願い申しあげます。これより先は人智の及ばぬ、浮き世の均衡が崩れた世界です。』




 駐輪スペースに自転車を置き、公園に入ると、驚くほど人は少なかった。犬の散歩をしている中年男性がいて、その他には、幼い女の子の手を引いて歩く母親の姿が遠くの方に見えるだけだった。そして、その内、犬の散歩をしている男性も、遊歩道を歩いていく内に、友里から遠ざかって消えていった。


 広大な敷地にはもったいないと思いながらも、周りが騒がしくないことは、参考書をめくるのにはちょうどよかった。友里は気にとめることもなく、ベンチを目指す。


 公園の中央には広大な芝生が巨大な円形状に広がっている。友里はその大きな芝生の円を突っ切るように直進する。外周を囲うように舗装されているウォーキングコースを歩いていくよりも、その方がベンチが設けられている場所に近いからだ。


 反対の方向から、先ほどはずっと遠くの方に見えていた親子が近づいてきていた。お互いが芝生の中心に近づく。


 親子が芝生の真ん中辺りに近づくと、公園の広さに気分が高揚したのか、幼い女の子は引かれていた手をほどき、きゃっきゃと喜色満面の笑顔で、公園の芝生の上を走り回り始めた。無軌道に走り回る女の子は両手を大きく広げながらどたどたと子供らしい走り姿で友里のすぐそばを通過する。


「すみませーん。」


 接触などはしていない。しかし、対面する女子高生ほどの女の子のパーソナルスペースに近づきすぎたと母親は思ったのだろう。天真爛漫かつ不作法なフォームで友里のそばを走り回る娘を、少し離れたところから軽く詫びる。


「そんなに離れると危ないからー。」


 母親が優しく注意しても女の子の上機嫌は収まらない。いつの間にか、少女は、母親からだいぶ離れたところにまで走ってしまっていた。ちょうど、母と娘の間に友里が入る形となった。


 少し変な場所にいるな、と友里自身も思いながら母親が向かってくる方向へと進む。


 しかし、女の子が発した言葉が耳に留まり友里はふと立ち止まった。


「ねー。まーまー。あれなあにいー?」


 友里は自分の横を通り過ぎた女の子のいる後方を振り向いた。見ると、女の子は体を反らし、空を仰ぎながら、人差し指で上空を指さしていた。それを見て、友里も母親も視線を空に向けた。


 さして集中して目を凝らすようなことはしない。そんなことをしなくともそれは目に入った。


(・・・光ってる。)


 空には、夜の一等星よりも明るいと思われる光があった。


(なんの光?)


 こんな昼にそれほど明るい光があることも不自然だったが、もう一つ不可解なことがあった。不思議な光点は一つではなかった。


(二つ?ううん。三つ?)




それからは一瞬だった。




「きゃあっっっっっっ!!!」


 友里の。母親の。悲鳴が轟いた。


 それまで光はゆっくりと空を滑っていた。しかし、転瞬。その光は、すさまじいスピードで急降下し、三人のすぐ頭上に迫り降りてきた。


 落ちてきた光は二つ。しかし、その二つの光は更に計り知れない現象を見せた。


 光は、急降下で落下してきたにも関わらず、地面に接触して大爆発を起こすこともなく、地面に触れる手前で急ブレーキをかけ、ただふわふわと浮遊しているだけだった。まるで、大人が子供の頭の上でげんこつを寸止めするかのように、光の落下は止まったのだった。


 三人の直上には正体不明の巨大な球状の光の塊が二つ、何をするでもなくふわふわと浮いている。ただふわふわと。


 三人を襲ったのはすさまじい速度で降下してきた光の落下速度を殺したブレーキが生み出した、べらぼうな風圧だけだった。この時点では。


(なんなの・・・これ・・・。)


 友里は怖れていた。


 たった今、自分の目の前にあるものは得体の知れないものだ。これまで自分が遭遇したことのないものだ。物体があんな軌道を描きながら空中を動くものか?しかも、今のスピードは何だ?あらゆる法則を無視している。地面に衝突して爆発するでもなく、ただふわふわと光を発しながら浮いている。浮いているのだ。浮くとは何か?水中ではなく。空中をだ。そんなことがあり得るか?プロペラもない。翼もない。なのになぜ浮く?浮くはずがない。しかし浮いている。何だ?つまり、これは自分のこれまで積み上げてきた常識というものをあっさりと超越した不気味な何かだ。何かとは何だ?そんなことはどうでもいい。大事なのは常識を逸脱してるということだ。常識が通じないということはつまり、予期できないということだ。近づいていてはいけない。爆発はしない。だからといって、すなわち安全ではない。これから何が起こるのか予想も付かない。爆発するよりも何か危険なことがあるかもしれない。無味無臭の有毒の何かを発しているかもしれない。いや、そんなことすら考えなくていい。ただ呆然と口を開けて立ち尽くしてはいけない。早く離れるんだ。冷静に。冷静に。慌てることはない。さっさとここから去ろう。ベンチ自習は中止だ。


 刹那の時間で、混乱と情報整理を済ませ、「何が起きるか予測が出来ない。」という予測を立てた。友里は公園の外を目指し、出口の方へと向き直そうとする。


 直後、凶事は起きた。


 光にひびが入ったのだ。それは一瞬で球体全面に広がった。そして、ガラス玉が割れるように大きな光球は割れた。すると、その光の塊は巨大な卵だったのか、中から見たこともない造形をした何かが現れた。


 片方は、まるで人間がそのまま巨大化したかのようなシルエットだった。


 しかし、輪郭こそ人間のようではあるが、顔は石像のように無機質だった。目、鼻、口らしきものがあるのだが、そこから感情を読みとることは難しい。まるでダビデ像がそのまま巨大化したように表情がなかった。


 肌もあらゆる人種の肌色とも遠い色をしていた。何か近い例を挙げるとするならば、灰色だろうか。しかし、石像のような色と質感のようでありながら、銀色のような光も併せて放っている。


 しかし、何よりも、人間のシルエットと異なる点は、背中から翼が生えていたことだった。いや、「翼のようなもの」と言った方が適切かもしれない。図鑑や映画で見る翼は純白で、鳥の持つそれと酷似しているが、この巨人の翼はそんな美しいものではなかった。背中の筋肉が異常な進化を遂げ、異様な筋肉が発達した。そんな印象だった。


 そして、その体躯は、そんな異様な翼が生えてもおかしくないほど、筋骨隆々としていた。


「巨人」。そう表現するに相応しかった。


 しかし、それとは別に目に留まる点があった。元々がそういう姿なのだ、と考えることも出来るが、やはりそうは見えなかった。


 ボロボロなのだ。体中に傷やあざのような跡があり、そこからは人間の赤い血の色とは違う色の体液が滲み出ていた。表情は読みとれないが、その大きな体はもうすでに力を使い果たし、弱っているように見えた。


 その巨人の様子を訝しみながらも、今度は別の造形物に目をやる。


「怪獣」。一見幼稚な単語に聞こえるが、しかし、この単語が他のどの言葉よりも正しくこの生物を表現できた。


 体型は、巨人のような人に近い形をしておらず、というよりも、こちらの怪獣は、アスリートのように洗練された肉体をしている巨人とは対照的に、とても寸胴で、どうしようもなく不格好だった。


 まず胴体が、ぶくっと膨らんでいる。さらに、そのダルマのような胴体から伸びている手や足は、巨人と比べると短く、そのシルエットはとても体裁が悪い。しかし、その重そうな体を支える脚は、短くはあっても、ずっしりと太く、その重たげな図体を支えるに十分な、力強い脚をしていた。


 胴体の上部には首のような頭が、頭のような首が生えている。太さが一緒なのだ。首と頭の境目はなく、どこからが首で、どこからが頭なのかが分からない。その頭部が、更に不格好さを強めている。


 そして、胴体の下部。お尻からは、胴体と首から上までを足した長さよりも遙かに長い尻尾のようなものが生えていて、かつそれは、まるで樹齢数千年の大樹のように図太い。


 しかし、この怪獣、何よりも不自然だったのは、脚が下にあり、頭が上にあったことだった。この怪獣は、寸胴な体型でありながら、二足歩行を前提に佇んでいた。


 最初、友里は、この寸胴で不格好な怪獣よりも、巨人の方に不気味さを感じていた。怪獣の顔には、巨人と違い、どこかで見たことがあるような目や鼻や口があり、それらを合算すると、この地球上にいる動物とどこか類似していた。異常な発達を遂げただけの巨大な爬虫類とでも言えばいいのだろうか。大きさこそ人智を越えていたが、自分の知っている生物と似ているという点で、正体不明の空恐(そらおそ)ろしさは巨人の方が勝っていた。


 しかし、三人を危機に晒したのは、その巨大な爬虫類の方だった。光の中から現れたニ体の生物は、まだふわふわと浮いていたが、巨人の方は、翼をゆったりと動かしながら、ゆっくりと地面に着地した。


 だが、怪獣は、それまで無視していた引力を空中で受け取ると、そのままその図太い足で、地面を踏みつけるように落下したのだった。


 これまでの人生で感じたことのない振動だった。超大型の直下型地震がすぐ目の前で発生したような激震だった。大きく揺らぐ大地の上で立っていることなど到底無理で、足早に退散しようという目論見は、一瞬で封じられてしまった。


 そして、そのまま二体の戦いは始まった。大きな公園をリングに二つの巨大な塊が取っ組み合う。しかし、巨人の旗色が悪いことは、すぐさま一目瞭然となった。

 怪獣は、体重にありったけの遠心力を混ぜ合わせて、太い手を振り回しながら、巨人に突っ込んでいく。


 巨人はそれを避けることも出来ずにただ虐げられた。巨人はもはやサンドバッグ状態で、スタミナが切れたボクサーのように怪獣にクリンチしてしまう。


 すると、怪獣は両の手を握り合わせ、自分に寄りかかる巨人の背中にその体重を乗せた両腕を、巨人の背中めがけて、上から叩きつけた。


 巨人はそのまま怪獣に寄りかかるようにずり落ちていき、怪獣の足下に崩れ落ちる。


 怪獣は敵を打ちのめしたことで気分が高ぶったのか、自分の力を誇るように長い尻尾を大きく波打たせた。


 最悪のきっかけはその尻尾だった。


 大木のような鞭がうねる。大きくゆっくりと波打った尻尾がワンテンポ遅れて地面に激しく叩きつけられた。地面と尻尾の激突は、周囲に大量の土塊(つちくれ)を舞い上がらせ、その内の石粒が友里にも無数に飛んできた。とっさに目を守るが、顔に肌に足に、石のあられがぶつかる。ぶつかったところからは血が滲んだ。


(痛い。)


その痛みが、この状況が夢じゃないことを証明してしまった。


 目を守っていた手をどけた。すると、人の頭ほどもある大きな土塊(つちくれ)が目に入った。そして、その大きな土塊(つちくれ)がゆっくりと友里の頭上を越えて、友里の後方に落下していった。


(私の後ろ…?)


 嫌な予感がよぎった。そして、当たった。


「あぁっ!!」 


 鋭いような鈍いような、表現にもどかしい悲壮な声が友里の後方から響いた。振り向くと、母親は右の太ももを押さえながらうずくまっていた。


「あぁぁぁぁぁっ!まあぁぁぁぁまあぁぁぁぁっ!あぁぁぁぁっ!」


 女の子は突然の凄絶(せいぜつ)な事態にもう何も考えてはいない。歩くことも考えられないように見える。大地震のせいでバランスを崩したのか、ただ腹這いになって母を叫び求めていた。


 友里は、自分が置かれた状況を整理するために目を閉じた。自分の後ろには負傷した母親。そして、前方には庇護(ひご)すべき幼い子供。


「リナちゃん!リナあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 母親はその場にそのままうずくまることを続けなかった。あの恐ろしい巨体のいる方に向かって足を引きずりながら進む。


関係ない。娘がいるのだ。愛するものをこの危険な状況から守るのだ。しかし、スピードなどでるはずもない。じわじわと母親のふとももが赤く滲み始める。


 友里は負傷した母親と目があった。





『ここでようやく時計の針が最初に戻りました。

 少し針を戻し過ぎたかもしれませんね。ですが、いいのです。これでこの少女について知っておいて欲しかったことは見てもらえました。

 このようにして彼女はアンバランスな世界に足を踏み入れたのです。

 ですが、これはまだほんの始まりなのです。いや、始まってすらいないのかもしれない。なぜなら、彼女はまだ「彼」と出会ってません。

 それでは、そろそろ時計の針を元に戻しましょう。いつにかって?始まりの時間にです。

 そう。本当の始まり。彼女が「彼」と出会うその瞬間にみなさまをお連れしましょう。』


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