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episode 1 『疾走』

「リナちゃんっ!リナっ!リナーーーーーっ!」


 女の子の母親が遠くにいる自分の娘を見つめて叫んでいた。そして、そのまま、その若い母親は自分の娘の方に向かって、片足を引きずりながらにじり寄ろうとする。右の太ももあたりには血がべっとりと染み込んでいた。


 歩いてる場合じゃない。すぐにでも横になって安静にしてなきゃいけない。しかし、そんなことは絶対に出来ない。女の子はただ泣きじゃくるだけ。パニックでそこから動こうとすることもできない。母親である彼女が助けるしかない。だが、速度は出ない。

 そんな母親と目が合った。しかし、目が合っただけで、母親は何も言わない。無理もない。目が合った人物はおそらく女子高生くらいの女の子。そんな年端も行かない女の子に、自分の娘を助けてください、と乞うには年が若すぎる。母親は、すぐに視線を娘の方へ戻すと、また片足重心でゆっくり進み始めた。でも、やっぱりスピードは悔しいほどゆっくりだ。


 いま、負傷した母親と目が合った女の子こそ、この物語の主人公である。主人公は、いま自分の目の前に広がっている「あり得ない光景」を前に、自問自答して心を落ち着かせようとしている最中だった。


(冷静にならなきゃ。冷静にならなきゃ。冷静にならなきゃ。こんな状況で?でも冷静にならなきゃ。きっと死んじゃう。これは夢じゃない。いま目の前で起こっていることは、普通では考えられない事だ。でも夢じゃない。痛いし、泣きたいし、目を覚ましたいけど覚めないから。だからこれは現実なんだ。逃げなきゃ死んじゃう。でも、あの娘が!)


 母親の視線が娘の方に戻った瞬間に彼女は自問自答をやめた。


『大丈夫。あなたには頼まない。』


 視線が自分から外れた瞬間、そう言われた気がした。自分がこの母親を突き放したのではなく、母親に自分が突き放された気分だった。


 しかし、そう言われて喜ぶほど人間はそんなに浅はかではない。少女は、母親の視線が自分から離れ、女の子に戻った瞬間に、女の子がいる場所向けて、全速力で駆け抜けた。


 そんな目で見られたら、何とかしなきゃと思うのがまっとうな人間だった。


 全速力で地面を蹴り進みながら、彼女は考えていた。


(カッコつけてるわけじゃない。そうするしかないんだ。あのお母さん、怪我してるんだ。他には誰もいない。じゃあ、私がやるしかないじゃないか!)


 主人公の目の前で起こっていることは確かに、夢だと疑いたくなるような、荒唐無稽な光景だった。


(あれは何?恐竜?)


 そんな単語が頭をよぎったが、この時代にそんなものがいるはずがない。そもそも、こんな造形をした生物は恐竜図鑑ですら見たことがない。自分の身長など遙かに及ばない大きさの生物が鋭く目を光らせながら目の前に佇む。


(この大きさは何?あれじゃ恐竜っていうよりも・・・。)


「かい・・・じゅう?」


 自分が発したにもかかわらず、その単語があまりにも浮き世離れしすぎていて、思わず薄ら笑いをするように片方の口元がひきつる。状況にそぐわない不謹慎な表情だった。


 彼女の真正面、泣き叫ぶ女の子のもうひとつ向こうに、その怪獣がいる。しかし、それは自分ではない何かを見つめて、その場にじっとしている。チャンスは今しかなかった。


(あの怪獣がこっちに歩き出す前に、あの()のところまで行けば大丈夫。あの娘を抱っこして、早くあのお母さんのところまで戻るんだ。大丈夫。運動神経は鈍い方じゃない。あの怪獣、動きはそんなに素早くない。大丈夫。間に合う。間に合うぞ。)


 彼女は冷静だった。怪獣がこちらに意識を切り替え、自分たちの方へ向かってくる前に彼女は女の子のいる場所に到着した。重心を低くし、スライディングするように女の子の前で足をブレーキさせる。


「大丈夫。大丈夫よ。助かるからね。」


 すかさず、女の子の脇の下に両手を入れて、そのまま抱き上げた。母親のいる方へと体を向き直す。視線の先には、右足全体が真っ赤になっても座り込まず、じっとこちらを見つめたままの母親の姿があった。


(大丈夫だ。間に合う。)


 女の子を抱いた彼女は、ほんの少し、自分とこの()の命が安全圏に近づいたような気がして安堵する。


(よし。このまま母親のところまでまた全速力で戻って、そしたらあのお母さんと一緒に・・・、一緒に?)


 彼女の動きが鈍った。


(あれ?違う。あのお母さん、怪我してるんだよ。あのお母さんと合流して、あのお母さんにこの()を預けたって、お母さんが怪我してたら逃げられないじゃない!)


 自分の行為は浅はかな勇み足だったんじゃないか。そんな意識に襲われてしまった。余計なことに気づいてしまったと自分でも後悔した。途端に彼女は動揺し、呼吸が乱れた。


「大丈夫よ。大丈夫よ。大丈夫よ。」


 子供を抱きながら、繰り返す。半分は自分に言っていた。


(関係ない。とにかく戻らなきゃ。ここで止まったら意味がない。)


 張り詰めていた集中の糸が途切れた、ちょうどその瞬間だった。


「さ、お母さんのところにもっ・・・」


 言葉が途絶してしまった。


 未だかつて、聞いたことのないほど大きな音量だった。大きな爆発が起こったんじゃないかと思うほどの地鳴りのような空気振動だった。その音の正体は怪獣の雄叫びだった。あまりのボリュームに、少女はその場に座り込んでしまった。


 驚きと(おび)えが混じったまま、怪獣の方を見ると、怪獣はこちらを見ていた。そして、怪獣は、彼女と泣き叫ぶ女の子の方に向かって歩き始めた。


(やばい。逃げなきゃ。逃げ・・・、あれ?)


 曲がったひざに全ての意識を集中させ、足を立たせようとする。しかし、


(あれ?な、なんで?・・・動かない。)


 腰が抜けていた。少女はへたりと座り込んだまま、ただ怪獣とお見合いするだけになった。やがてあの怪獣は、自分の視界の全てを覆ってしまうだろう。しかし、それが分かっていても、力は腰から下に伝わらない。


(あれ?ど、どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。)


 少女はこの瞬間まで、狼狽はしながらも混乱はしていなかった。しかし、ここに来て判断力と行動力を支えていた冷静さと果敢さが崩れ始めた。自分の身に起きた思わぬ事態に、頭の中が途端に雲がかった。


(何してんのよ、私。自分で助けに来たんじゃない。)


 戦場では臆病者が生き残るという言葉が頭をよぎった。自分が勇敢なふりをした恥ずかしい愚か者のように思えてくる。危機を脱しようという意志を、そんな考えが更に塗り潰し、思考は乱れた。


(何してるのよ。自分から出しゃばっておいてさ。やっぱり無理だったの?ただの女子高生が人の命を救うなんて。おこがましいことだったの?命を救うなんて。馬鹿だよ。誰かを助けようとして死ぬなんて・・・・・・死ぬ??え、死ぬ?わたし、死ぬの?死ぬ?死ぬ?死ぬ?)


ぐちゃぐちゃな思考。いつの間にか立とうとすることすら忘れていた。しかし。


ばしっ!


何かが自分の頬にぶつかった。


「まあぁまあぁぁぁぁぁぁ!まあぁまあああぁぁぁぁっっ!あああぁぁっ!」


 抱いている女の子が振り回した手だった。小さい手をグーにして腕の中で暴れ回る。不安と恐怖を全身を使って表現している。少女はほんの一瞬でもこの小さい命のことを考えていなかった自分に驚き、恥じた。そして、はっと顔を上げた。


(お母さんは?)


 自分が抱く幼い娘を見れば、当然、母親の存在も意識に上がる。さっきまでこの娘の母親が立っていた方に目をやる。


「うそ・・・。」


 思わず口から漏れていた。信じられない光景だった。母親はさっき、その場に座り込んでもおかしくない血の量に右足を染めていた。今も母親はあの距離に留まっているだろう。勝手にそう思っていた。


 しかし、違った。母親は、足を引きずりながらこちらに向かって歩いて来ていた。


「・・・ダメよ。」 


 再び大きな罪悪感に襲われる。


(こっちに来ちゃダメよ。あなたがこっちに来たら、あなたまで死んじゃう。それはダメよ!)


 自分のせいで自分以外の誰かが死ぬ。それは自分のために自分が死ぬこと以上に人の尊厳が許さない。この少女も心にそんな聖域を持ち合わせていた。


(わたしのせいだ。わたしがこんなところにいるからだ。)


「何やってんだ、わたし・・・。」


 あんなケガをしてる人が動いてる。歩いてる。こちらに向かってきている。自分の命も省みず、自分以外の命を優先しようとしている。


 そんな姿をまざまざと見せつけられ、その聖域が大きく突き動かされる。


(あの母親を殺すのかあんたは。道連れにして殺すのかお前は。馬鹿言ってんじゃないわよ!)


 こんな小さいまま人生が終わっていいわけがない。自分のために他人が死んでいいわけがない。自分も他人もそんな簡単に死んでいいわけがあるものか。


 少女は再び、全神経を足腰に集中させる。


(立て!立て!あし!動けえぇっ!)


「動けええぇぇぇっっ!」


 女の子を抱きしめる腕に力がこもる。そして、その力はひざに、足に届き、再び彼女を全速力で母親のいるところへスパートさせた。


 あの母親をこれ以上、こちらに来させてはならない。あの母親の足をこれ以上引きずらせるわけにはいかない。その一念が、子供を一人抱えているとは思えないほどのスピードを、彼女に引き出させた。


 そのまま彼女は母親の許へ到達した。


「ありがとうございます!ありがとうございます!」


 表情を苦痛に歪ませながらも、自分の娘の命を救おうと、危険を省みず疾走した少女に、何度も何度も感謝の言葉を繰り返す。


 しかし、少女はそれを無視した。まだ何も終わってはいないから。


 女の子を左腕に抱え、もう片方の腕で母親の右腕を肩に回す。母親の右足が地面につかなくとも速度が出せるように。ふがいない様を一瞬でも露わにし、娘を危険にさらしてしまったことへの償いだった。


(このお母さんも助けるんだ。絶対に!)


 あとはただ足を前に進めるだけ。子供を、母親を、二人の体重を華奢な全身に受け止めながら、少女はただ地面を踏みしめる。


 背後には、まだ恐ろしい気配が消えない。


(振り向くな。振り向いてる暇なんかない!)


 そう思っていた。だが、二回目の爆発音が怪獣の口から響いたとき、再び体が竦んだ。そして、思わず後ろを振り向いてしまった。


 あの怪獣の足の裏が実はもう自分たちのすぐ上にあって、そして、次の瞬間、その足が自分たちを容赦なく押しつぶす。そんな恐ろしい想像に負けてしまった。


 振り向くと、状況は何も変わってはいなかった。今も怪獣は高い視点からこちらを見下ろしながら、自分たちの追跡を続けていた。


(ちくしょう。ちくしょう。)


 か細い体で踏ん張りながら、溢れてきたのはこらえきれない悔しさだった。


(ここまできたのに。やっとこの娘をお母さんに届けたのに。ちくしょう。ちくしょう。みんな死んじゃうの?そんなのってないわよ。)


 いつの間にか、大粒の涙が目尻からこぼれ、何度も頬を伝っていた。


 やっぱり助けられない。やっぱり助からない。どんなにもがいたところで覆せない。そんな現実に圧迫されてこみ上げてきたのはぶつけどころがない怒りだった。


「ちくしょおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!」


 母親と女の子、二人の体重に上半身をかがませながら地面に向かって吐き出した。品のない言葉だが、目の前に突きつけられた危機を前にしても生を最後まで諦めない人間の尊ぶべき言葉でもあった。


 その時だった。


 その言葉は地面に向かって放たれた。だから、誰に対して言ったわけではない。


 しかし、それは「彼」に届いた。人の言語を理解出来るのか、それは分からない。しかし、彼は反応した、今までうつ伏せに倒れていた彼もまた、彼女と同じようにひざを曲げ、腕を折り曲げ、地面に拳を押しつけて、顔を上げ、立ち上がろうとしていた。


 そんな彼に、彼女も気づいた。


(・・・何よ。あんた、生きてたの?何してるのよ、あんた。)


 頬を涙に濡らしながら、彼の方を見つめる。


 そう。この場所にはもう一人、登場人物がいた。それは、ついさっきまで、あの大きな怪獣と戦っていた。あの怪獣と同じように大きな、一人の巨人がいたのである。


 しかし、彼は、先ほど、怪獣の攻撃を浴び、そのまま地面に倒れ込んでしまっていた。そのダメージがまだ残っているのか、立ち上がろうとはするものの、体を起こすことができずにいる。


 そんな彼の姿を見て、今までぶつけどころのなかった悔しさ、怒りを、彼女は彼にぶつけた。


「何してんのよ、あんたっ!」


 この状況から脱して、生き延びようとあがいている自分たちと対比して、まだ地面に突っ伏しているその姿に止めどない感情が湧き上がる。


(何寝てんのよ、あんた。わたしは立ったわよ。走ってるわよ。この娘も、お母さんも。それなのに何よ。しっかりしてよ。あなたも立ち上がってよ。あなたが戦わなきゃ、ここにいるみんな死んじゃうよ。そんなところで寝てるなんて、ふざけるんじゃないわよ。あなたが敵か味方かなんてどうだっていい。でも・・・さっきまであなた戦ってたじゃない。あの怪獣と戦ってたじゃない。じゃあ、また戦ってよ。そんなところで寝てんじゃないわよ!立てっ!)


「立ってぇ!お願ああぁぁぁぁぁぁぁいっ!」


 少女は全身全霊をその叫び声に込めた。


 彼女のその叫びが届いたのか、それは分からない。しかし、次の瞬間、彼は立ち上がった。そして、怪獣めがけて突進し、減速することなく、そのまま怪獣に突っ込んだ。怪獣は、脇からの突然のタックルに吹っ飛んだ。


 その瞬間、自分たちの後ろから絶えず響いていた、地震のような足音が途切れた。自分たちは怪獣の追尾を逃れたのだと信じ、未だ得体の知れない巨人に、少女は感謝した。


 だが、背後に尖らせていた神経は緩めることはできない。自分たちの跡を追っていた怪獣の足音は消えはしたが、その代わりに、今度は、大きな塊同士が激しく衝突し合うことで生まれているのであろう鈍い音が、不規則に続き始めた。


 しかし、その音の響きも、足を前に踏み出すにつれ、少しずつ小さくなっていった。のろのろとした速度ではあったが、確実に自分たちはあの怪獣の元から遠ざかりつつあるんだと安堵の色が大きくなった。


 そうして、出口付近まで到達したとき、出口の方から一人の男性が大声を発しながら公園に入ってきた。


「さなえーーっ!リナーーーっ!」


 すぐにこの二人の夫で父親である人物だと分かった。男性は、母親に近づくにつれ、自分の妻の右足が残酷な深紅の色に包まれていることに気づき、顔から血の気が引いていく。


「大丈夫なのか!」


「大丈夫、・・・大丈夫よ。」


 母親は、大怪我を負いながらも、夫を不安にさせぬよう、しっかりとした口調で言葉で応える。


「マンションにいたら地震がして・・・、それで窓から公園を見たんだ。そしたら公園にあんなのがいて・・・、急いで車で来たんだ。すぐそこに止めてあるからな。」


「この人が助けてくれたの。リナも・・・この人がいなかったら・・・」


 母親は、それ以上、先の言葉は言わなかった。


「ありがとう!ありがとうございます。」


 それを聞くと、男性はせわしなく、しかし、ありったけの誠意を込めて細い体で自分の妻の肩を担ぐ少女に感謝の意を表す。


「早く手当をしなきゃいけないと思いますから、救急車を呼んだ方がいいと思います!」


 男性の謝辞には答えず受け流した。謙遜している時間が惜しかった。動揺の色を極力見せず、心と言葉を整えることに意識を割いた。足を負傷してまでも、他者を配慮するこの母親の頑強な精神を無下にしないために。母親に倣い、自分も精一杯、心を落ち着かせようとする。


 男性は、そのまま、少女の肩から妻の肩を譲り受けた。


「この娘は私が。」


 少女は、男性に母親だけ譲ることにした。どの組み合わせが最もスピードが出るかを即座に判断した結果だった。父親は頷き、無言でその案にのった。


 後ろを見ると、巨人が怪獣に馬乗りになり動きを封じていた。


(間に合う!)


 少女達は再び公園の外を目指す。


 公園の出口に到達すると、男性のものと思しき車が見えた。車は左側の前輪と後輪を公園の敷地内に乗り上げるように乱暴に横付けされていた。


 少女はその車を見た瞬間に先手を打った。


「私は大丈夫ですから。」


 車は、スタンダードな四人乗りの軽自動車だった。運転席は父親。助手席のチャイルドシートには子供。後部座席がまだ二人分空くことになるが、母親には、自分が酷使させてしまった足を少しでも負担のない状態にするために、後部座席全体を独占させてあげたかった。


 少女は、抱えていた女の子を助手席のチャイルドシートにセットし終わると、すかさず、自分たちがいる側の後部座席のドアを開けた。そして、男性が母親を車に乗せるのを、反対側の後部座席から手伝おうと思い、そのまま車道側に回り込んだ。


 自ずと自分が今までいた公園が視界に入る。


 すると、予想外の異様な光景が目に映った。巨人と怪獣はいつの間にか、馬乗りで揉み合うのをやめていた。


(・・・何をしているの?)


 巨人と怪獣、それぞれが奇怪な現象を作り出している。巨人は両手を怪獣に向かってかざす。そしてその両手のすぐ前には、光の塊が生まれて、巨人のすぐ前に浮いていた。そして、その光の塊は徐々に大きくなり、小さな太陽のようにギラつき始めた。


 一方、怪獣の方も先程までとは少し様子が違っていた。大きく体を振り回すように動かすことはせず、じっと動きを止めていた。しかし、ある一点だけが奇怪だった。


陽炎(かげろう)?)


 怪獣の口の中が不気味に光っているように見えた。口、顔、その周り背景がゆらゆらと揺れていた。徐々に怪獣の口からさらに光が漏れ始めた。巨人の光が放つ青白く綺麗な光とは違い、禍々しい赤黒い光だった。


 同時だった。


 巨人の前に浮いていた光の塊は、巨人が両手を前に突き出すような動きを見せると、すさまじいスピードで怪獣の顔面めがけて飛んでいった。一方、怪獣の赤黒い光は、まるで極太のホースから大量に噴射される水のように怪獣の口からものすごい勢いで飛び出し、巨人めがけてまっしぐらに直進した。


 その後の陰惨な光景を、少女はおそらく死んでも忘れないだろう。


 巨人が放った光の塊は怪獣の顔面にぶつかった。光の塊は怪獣が放射していた赤黒い炎を巻き込んで、まるでバズーカ砲が暴発するみたいに、怪獣の頭部を大爆発ととも吹き飛ばした。首から上の組織全てが大小の肉片になり周囲に飛び散った。


 頭部を失った怪獣は、しばらく弁慶の立ち往生のように、直立不動のまま動かなった。しかし、数秒すると、ゆっくりと、よろめくこともせず、直立した状態で静かに体を後ろに傾かせ、そのまま背中から地面に倒れ込んだ。また大きな地震が起きた。


 少女の全身はショッキングな光景に硬直して動かなかった。


 怪獣を撃退した巨人もただでは済まなかった。巨人は怪獣の発した赤黒い炎を胸部に浴びていた。巨人は胸を押さえ苦しんでいる。巨人の胸部は怪獣の発した炎と同じ赤黒い色に変色し、ただれていた。見ているだけで顔を背けたくなるように悲惨な質感に見えた。


 すると、また想像もつかない出来事が起こった。


 痛みと苦しみに悶える巨人の体全体が白く発光し始め、見る見る内に巨人は人の形をした光そのものになっていったのだ。そして、直後、まるでリモコンで一時停止のボタンを押したように、巨人はピタリと動かなくなった。


 少女は、異様な映像に、唖然としつつも、訝るような目つきで、その光景に釘付けになる。


 刹那。真っ白になった巨人の体に、ひびが幾筋も入り、それは一瞬の間に全身を覆った。瞬き一つの時間で、巨人の全身は、美しい発光を止め、干からびた化石のようになってしまった。


 そして、次の瞬間、再び少女は全身を強ばらせた。


 パリンっ!


 まさしくそんな音だった。高級で上質なダイアモンドが砕けたかのように、巨人の全身は小さな破片となって粉々に飛散した。巨人には失礼だが、この世のものとは思えないほど綺麗で美しい光景だった。


 一転、先ほどまでの振動や地鳴りが嘘だったかのように辺りは静まりかえる。


 それまで、目の前で起こった人智を超えた現象に意識を奪われていた少女だったが、静寂の中で自分が果たすべき責務を思い出した。


「今です!今しかないっ!」


 少女と同様に、数々の奇々怪々な光景に圧倒されていた男性も、少女の言葉に自分が何をすべきかを思い出し、少女の手を借り、母親を後部座席に乗せた。


「君は・・・」


 男性は、おそらく成人に達していない少女を、このままこの場に一人残すことに負い目を感じていた。


「いいんです。行ってください。早くっ!」


 しかし、少女は男性のそんな逡巡をなぎ払う。


 少女の気迫に気圧されるように、男性は運転席に乗り込み、車のエンジンをかける。去り際、ドアを閉める直前に、再び「ありがとう!」と口早に告げた。男性はもっと深く感謝の意を示したかったが、少女にはそれだけで十分だった。


 今まで張りつめていた緊張が少し緩むのを少女は感じていた。これまで自分にのしかかっていた責任を、ようやく本来の場所に、無事に譲り渡せたことに安堵した。


 しかし、少女は、改めて、心を張りつめた。


(本当にこれで終わり?)


 公園に目をやる。首なしの怪獣は今も、無言のまま仰向けている。動かないとはいえ、得体の知れない巨体がその場に残っているということは、さっきまでの緊迫感とは別の恐怖があった。


 一方、巨人が粉々に砕けた場所にも目をやる。当たり前だが、そこに、もう巨人の姿はない。

 しかし、それとは別の、何かが少女の視界に入った。


(あれは?)


 何か白いものが見える。しかし、巨人の破片には見えなかい。じっと目を凝らした。


(うそ?)


 信じられなかった。そこには、自分とあの母娘(おやこ)しかしないはずだったから。


(・・・ひと?)


 じっと見澄まさなければ見逃していたかもしれない。しかし、慎重にその白い輪郭を確認すると、それは横たわる人間のシルエットだった。


 なぜ自分たちが今までいた場所に人がいるのか、少女は戸惑ったが、すぐにまた冷静に思慮する。そして、直後走り出した。


(あの人も助けなきゃ!)


 おそらく、まだ誰も死んでいない。犠牲者は奇跡的に0だ。少女はこの奇跡を穢したくなかった。


 動かない首なし怪獣を大いに警戒しつつ、少女はそのシルエットに駆け寄った。


「大丈夫ですか!」






『さて。いま、この物語の主人公は、誰も経験したことのないような複雑怪奇な出来事に巻き込まれてしまいました。この出来事が起こるまで、主人公の毎日は全てが満ち足りた、とは言えないまでも、やはりごくありふれた日常的なものだったのです。

 しかし、みなさんがご覧になった通り、彼女はたった今、誰もが予想も出来なかったアンバランスな世界へと迷い込んでしまいました。

 みなさんには、そんなアンバランスな世界に投げ込まれてしまったこの少女のことを、ほんの少しでも知っておいてもらいたいのです。

 もうすでに、この少女はアンバランスな渦に飲み込まれてしまいました。しかし、これから先、彼女を飲み込む渦はもっともっと激しく荒々しいものになります。

 そして、この少女は大衆に知られることなくその渦の中で一人で戦います。多くの人が知らないまま。

 だから、あなたたちだけは知っておいてほしいのです。この少女が、どんな人物なのか。どんな生い立ちで、どんな考えをもって暮らしてきたのかを。

 せめて、あなた達だけは、この少女の孤独な戦いを覚えていておいてほしい。これからこの少女の往く戦地は心許せる者などいない荒野です。

 そのために、少し時計の針を戻そうと思います。少し長くなるやもしれませんが、それでも、そうさせてください。

 そして、出来得るならば、忘れないでいてほしい。この星を大きな災厄から守るため、たった一人で戦った少女が、この日本のどこかにいるということを。』


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