オーバーヘッド外伝~アジアの龍、イングランドに剣を突き立てる~
2020年初冬、和歌山県から一人の日本人ストライカーが、イングランド・プレミアリーグの中堅クラブ、サンデーランドFCに入団した。世界最高峰、フットボールの母国でもある国のリーグへの移籍は、日本人などサッカー後進国からの選手であればさほど注目は集まらないのが常だ。
だが、この日本人選手にはかなりの耳目が世界中から注がれ、会見も本拠地のスタジアムでサポーターをも招き入れて行う大々的なものとなった。その男が、アジア人で史上初のW杯得点王だからである。
『ようこそ、ロシアW杯の得点王!リュウイチー、ケンザーキー!!』
アナウンスとともに、スタジアムの選手入場口からスモークが勢いよく吹き出、その合間からユニホーム姿の選手、剣崎龍一が現れると、集まったサポーターから大きな歓声が沸いた。振り返ってサポーターを見渡した剣崎は、思わずこぼした。
(ほえ~…すっげえ歓声。こりゃ暴れねえとな…)
サポーターに向かって両手の拳を突き上げると、さらに大きく沸いた。
Jリーグで地方クラブの一つであるアガーラ和歌山で8年間プレー。日本人離れした決定力を発揮し、J1J2の二つのカテゴリーでリーグ戦100ゴール以上を記録。得点王には合わせて5度輝き、日本代表としてもリオオリンピックとロシアW杯でエースストライカーとして活躍。いずれも大会得点王となって、「日本人FWは決定力がない」という定説を覆した男、剣崎龍一。生涯Jリーグを公言してはばからなかったが、同年代の選手が世界で羽ばたき、成長している姿を見て、自分のサッカー生活に膨らみつつあった行き詰まりの打破を目指して、日本から遥か西のイングランドに降り立ったのだ。
日本と違って秋春制のプレミアリーグでは、この時期は後半戦に突入、上位は優勝争い、下位は残留争いがそろそろ佳境となる時期である。獲得された剣崎に期待されているものは、もちろんチームの得点力向上である。
『私の生涯でW杯得点王を迎え入れる日が来るとは夢にも思っていなかった。我々を選んでくれたことに感謝したい。ぜひともその力を存分に発揮してもらいたい』
会見でオーナーは誇らしげに語り、剣崎にハッパをかけた。海外挑戦をするうえで、優遇とまではいかないものの、必要な戦力であるというスタンスで接していることは重要だ。選手としてはまず、試合に出なければ意味がないのだ。
ただ、初挑戦となるとピッチ内ももちろんのこと、ピッチ外の快適さも重要だ。日本語という世界でも屈指の難解な言語は、ひとたび海外に出ればほとんど通じる機会がない。そんな相手がいるかいないかでかかるストレスは雲泥である。この難点も、剣崎の場合はクリアされている。チームメートに気心の知れる選手がいるからである。
「おつかれ、剣崎。派手なセレモニーだったな。俺の時はここまでじゃなかったから、正直うらやましいよ」
「正直緊張したし、鳥肌立ったぜ。まさかあんなに歓迎されてるとは思ってなかったからよ」
「お前でも緊張するんだな。ユースの時から、そういうのは一切感じないと思ってたけど」
「バカ言うなよ、人を何だと思ってんだ。俊也」
セレモニー終了後、剣崎にそう声をかけたのは、同じく所属する日本人選手、竹内俊也である。
剣崎とはユースのころからの顔なじみで、日本では彼と同じくアガーラ和歌山に所属し、FWないし右のサイドアタッカーとして実績を積み、日本代表でも主力として活躍。一昨年夏に一足早くイングランドに渡った竹内は、当初は得点源として期待されたもののなかなか真価を発揮できず、シーズン途中に右サイドハーフに実質的にコンバート。すると、息を吹き返し、華麗かつ俊敏なドリブルテクニック、そしてロシアW杯でも光った、高精度のクロスを連発して仲間の得点を幾度となくアシスト。自身のゴールは4にとどまったが、彼のクロスは9つのゴールを生み出し、攻撃面で欠かせない戦力であると言える。
そして剣崎の場合、彼以外にも顔見知りがいた。
「ケンザキ、サポーター期待シテル。頑張レ」
片言の日本語で話しかけてきたセルビア人選手がそれだ。
彼の名はザウテン・バゼルビッチ。セルビア代表の肩書を持ち、国際Aマッチに60試合近く出場。主力センターバックとして長く活躍。父親も旧ユーゴスラビア代表選手というサラブレッドである。彼は6年前、気アガーラ和歌山がJ1に昇格したシーズンに加入し、1年半主力としてプレーしたことがあり、いわば元チームメートである。一足先に念願をかなえてヨーロッパのビッグクラブを渡り、今はこのサンデーランドに行きつき、キャプテンとしてチームをまとめている。
実績を残しているとはいっても、環境次第で結果がモロに出るのが海外移籍である。言葉が通じる、そして気心が知れている存在が整っているこの環境は、「至れり尽くせり」の部類であろう。
入団会見、セレモニーを終え、剣崎はさっそく翌日のチーム練習に参加した。『アジア人初のW杯得点王』の肩書を持つ男がどの程度の動きを見せてくれるのか。見学に来ているサポーターはもちろん、剣崎をネットやクラブからのアナウンスでしか知らないチームメートも自然と注目する。各自のウォーミングアップを終え、すぐさまゲーム形式の練習に入る。
『よし。これからハーフコートで5対5を行う。オフェンスはビブスを着ろ。ビブスを着るのは、トシヤ、テリー、ジョン、アイク、リュウイチ。守備側はザウデン…』
コーチの振り分けにより、剣崎はさっそく攻撃側の選手でプレーするときになる。
「俊也と同じチームか。へへ、こりゃちゃんと結果出さねえと白けるな」
ニヤリとしながらビブスを着る剣崎を見て、同じ攻撃側の選手となったMFテリー・ハリスは戸惑った。
『なんだあいつ…。ずいぶんニヤニヤしやがって。おいトシヤ、あいつなんであんなに自信満々なんだ?』
『自信しかないからだよ。とりあえず、アイツにボールは出してやってくれ。絶対にシュートを打つから』
『シュートを打つって…。打てばいいものでもなかろうに』
ゲーム開始。攻撃側のボールはハリスから始まる。ああは言われたものの、どこの馬の骨ともわからない剣崎に、さすがにいきなりボールを託す気にはなれない。まずは竹内にその「手本」を見せてもらおうとパスを出す。
「まあ、やっぱさすがにそうか。それじゃあ、まずはあいさつしてこい」
竹内はハリスのパスの意図を察すると、剣崎にアイコンタクトを送りながらクロスを入れる。蹴った瞬間、剣崎はすでに反応しているが、それは同じくチームメートだったバゼルビッチも同じである。
(やはり出してきたか。そう簡単に挨拶はさせんぞ)
剣崎も、背後にいるバゼルビッチが身体を寄せ、いつでも潰せる姿勢であることをチラ見して察する。
(へへ。でも忘れてねえだろう。俺の『凄み』をよ!!)
一歩目の動き出しはほぼ同時。だが、二歩目の力強さが半歩分、バゼルビッチを引き離す。たかだか10センチ強のズレだが、一対一でこの差が生まれたら、攻める側は一気に有利になる。
(こいつ。いきなりシュートを打とうってのか?)
その剣崎の前に立っていたのが、バゼルビッチとセンターバックでコンビを組むDFマウントバッツ。剣崎を挟撃するべく、そちら側に重心を移す。
しかし、剣崎は続く三歩目でマウントバッツよりもさらに前へ。クロスに頭から飛び込んでいく。そして、ボールが額に当たった瞬間、ややバックヘッド気味に首を反り上げてボールを浮かせる。ボールはキーパーの重心を前にしていた頭上を越えて、反対側のネットを内側から揺らす。ループ気味のヘディングシュートが決まって、練習場のファンから拍手が起きた。
「ふん!どうだ?」
立ち上がって二やつきながらガッツポーズを見せる剣崎。東洋の地方クラブからやってきたストライカーに対し、次第に疑心が驚きに変わっていく。
(すげえ…。一歩一歩であれだせマークを剥がせるのか?)
(あいつ日本人かよ…あのバネ、アジア人じゃなくてアフリカ人だろ)
(力で強引に持っていきやがった。あれがW杯得点王かよ…)
ざわつくチームメートを見て、竹内も二やついた。
(さすが剣崎。つかみはオッケーだ)
その後も、ミニゲームにおいて剣崎のアピールは続く。特にシュートへの意識の高さ、ボールへの執着心、さらにいくら削られても、むしろどんどん突っかかってくるメンタルの強さをそれに耐えうる頑強なフィジカル、海外で生き抜く上で重要なスキルを全力でさらけ出すことで、次第に信頼を勝ち取り始める。
日を追うごとに、竹内以外のチームメートからもパスを供給されるようになり、それを枠内へのシュートに繋げることで応えていった。
『ふむ…。得体が知れないとは思っていたが、意外にも順応は早そうだな』
『ええ。彼はイングランドはもちろん、ヨーロッパでもなかなかお目に掛かれないレベルの選手です。リーグ戦再開初戦に、即先発の価値も十分かと』
『W杯とオリンピックでの大会得点王、正直言って「偶然の産物」かとも思っていたが、どうやら違うようだな』
『ウチは今シーズン、点が取れなくて苦しんでいます。ケンザキにはそれを打破する能力を持っていますから、いきなり使っても問題はないでしょう』
練習後のクラブハウス。その一室で間近に控えるリーグ戦に向けて、ヘンリー・ハウ監督はコーチ陣とともに剣崎の能力を講評していた。言わずもがな、あれだけの動きができていれば、評価は高まる。魅力にひかれてスタメン起用でのデビューを推すコーチも複数いる。
だが、ハウ監督は意見を聞いてから頷いた後、こう口を開いた。
『確かに、彼を90分使えば、少なくとも3回以上は得点の香りを漂わせてくれるだろう。だが、私の中ではまだ彼に最前線を託すレベルに達していない。シュートを打つだけなら、ジョーカー扱いで十分だ』
『…では、次節での起用はベンチからですか?』
『うむ。それに、勝ち試合で進むのなら彼を出すことはない』
指揮官の構想に、コーチ陣の一部は少なからず驚く。だが、監督は意図を話す。
『あの男は厳しい環境に放り出してこそ輝きを増す。勝ち試合の場慣らしなど必要ないだろう。なにせW杯の得点王になった男だ』
『ですが、それでは飼い殺しになる可能性も』
『なに。その心配はないだろう。飼い殺しにできるなら、我々は今この順位にいないだろう』
自虐丸出しの笑いにくい監督のジョークに、場の空気は濁ったのは言うまでもない。
そして、剣崎のデビュー戦はほどなく巡ってきた。
リーグ戦、ホームスタジアムに順位が上のアーゼラルを迎えての一戦。アウェーで対戦した折に3-0と完敗を喫している。試合開始前、ピッチにしてウォーミングアップをしていると、目に入ったのは観衆が埋め尽くすスタジアム。5万人収容のサッカー専用スタジアムの歓呼は、プレミア初挑戦のストライカーの目を輝かせるには十分だった。
「すっげ…このチームって、プレミアじゃ中堅って聞いてっけど、まるで浦和じゃねえか」
「ヨーロッパのクラブは、そもそも日本と歴史が全然違うからな。このクラブも、100年以上前に誕生して今に至ってるんだから、ホームタウンの浸透度が違うよ」
「は~…生まれてこの方、紀三井寺以上のホームスタジアムを知らねえからな俺。これが『普通』って、正直…ちびりそうだ」
「おいおい。それで大丈夫か?W杯得点王さんよ」
不安を口にした剣崎を竹内は茶化したが、剣崎はすぐに口元を緩め、眼光には鋭さが宿る。
「いんや…。このスタジアムを俺で沸かせられると思うと、うずうずしてくらあ。出たらぜってえ決めてやる!」
なるほど、この男に『場慣らし』は不要だ。指揮官の判断に狂いはなかったのだ。
だが、ピッチに立つ瞬間は、悲しいことに白けた雰囲気に包まれた中で訪れた。
開始早々から力の差を見せつけられ、前半で2失点を喫したサンデーランドは、後半開始早々にもさらに失点。残り時間を30分以上残して、前回対戦時と同じ3-0という完敗ムードであり、客席はちらほら空き始めていた。
『う~む…対策は施したつもりだが、やはり防げなかったか』
『どうします監督。これでは今日はケンザキの出番はなしですか?』
『いや、どうせ負け試合なのなら、せめて盛り上げれるものを残そう。まだ時間はある』
『ケッ。今日もしょうもねえ試合しやがって。ヒース、帰るぞ』
『うん。…あ、パパ待って。あいつ出るんじゃない?』
スタンドで帰ろうとしていた親子。その子供が、ベンチを指さした。遠目からでも目立つ長身と髪型から、それが剣崎であることに気づく。羽織っていたコートを脱ぎ、赤と白のストライプの背中に、背番号9が印字されたユニフォーム。剣崎だった。
『んだよ。こんな展開で使うこともないだろうがよ…。ま、土産なしに帰るのもあれだ。見ていくか?』
『うん。なんかアイツやりそうじゃん』
試合が止まり、交代を告げられた味方が戻ってくる。剣崎はその選手とタッチを交わす。
「うし、あとは任しとけ!」
『イテェ!!』
剣崎のタッチは気合が入りすぎているせいか、強烈な一撃に。受けた選手は手をはらしながらベンチ裏に下がった。
『…相当な力だな』
『くそ。試合の疲れが全部ふっとんじまうよ』
剣崎は入れ替わった選手が元居たポジション、2トップの一角に入った。そして場内に剣崎の名前がアナウンスされると、にわかにホームのサポーターが活気を取り戻す。
「お。ちょっと沸いたか?だったらもっと騒いでもらうか」
その雰囲気を感じた剣崎は、振り返り、味方に叫んだ。日本語で。
「うーしお前ら!俺にボールをよこせ!一発かましてやるぜ!!」
ジェスチャー付きだったのでボールを要求しているらしいことは分かったが、スタジアムを貫かんばかりの大声は日本語。完全に理解できたのは竹内だけで、笑いを懸命にこらえていた。
(あいつ…。ほんとバカだな…いろんな意味で…プクク)
『おい、トシヤ。あいつ、ボールをくれって言ってんのか?』
その傍らで、ボランチのダグラスは困惑しながら問いかける。
『ああ。概ねそう思ってくれ。とりあえず、ボールを渡したら、何かしでかしてくれるさ』
『しかし、デビュー戦だろ?なんであんな平然としてんだ?』
『平然とできるから、オリンピックやW杯で点取ってきたんだよ。わかるだろ?』
『実績は語る、か…』
そしてその実績が実力であることを証明するのに、4分と掛からなかった。
相手の守備が大量リードで勝っていることで、わずかにほころんでいるところを、ダグラスが見逃さなかった。
(試すならここか?ケンザキ、いけっ!)
右足から通された縦パス。放たれたと同時に剣崎は反応、一発でその裏を取った。オフサイドはない。
「へっ!これが俺の名刺だ!!」
剣崎はそのボールを、トラップせずそのまま右足を振り抜く。一対一となって迎え撃とうとしたキーパーにその余裕を与えず、ボールはネットを揺らした。ただ、期待の新戦力の初ゴールにしては、スタジアムの盛り上がりはいまいちだった。
「んだよ!盛り上がらねえな。だったらもう一発行くぜ!おいてめえら、さっさと戻れよ!」
走りながらボヤキ、そのままゴールの中からボールを抱えてセンターサークルへ反転し、剣崎はアーゼナルの選手にうながした。無論、日本語で。
一瞬のゴールで、決めた当人がパフォーマンスもなくさっさと動いてしまうため、スタジアムには呆気にとられた空気が包む。その空気が5分後に切り裂かれる。
アーゼナルの左サイドにスペースを見つけた竹内がドリブルで突破。アタッキングサードに達したあたりで一度ゴール前を見る。剣崎の前後に相手のセンターバックがいる。
(ちょうど中間点か…。これなら下か)
竹内は切り返してマークについてきた相手のDFを振り切るや、左足でグラウダーのパスを出す。球足の速いパスは、剣崎の前にいたセンターバックの足が、ちょうど一歩分届かない場所を通過。剣崎は再び、それをダイレクトで右足を振り抜き、キーパーの跳躍も及ばないゴール右上を貫いた。1点目と違ってサンデーランドサポーターがヒートアップする。アーゼナル側も我に返ったように、表情に緊張感が戻った。
「おーし!だいぶ暖まってきたぜ。トシ、このままいくぞ!!お前らもついて来いよ!!」
「おーい、俺には通じるけど、周りに日本語で激飛ばしたってわかんねえって」
剣崎に苦笑交じりにツッコむ竹内。このやりとりを見て、サンデーランドの選手たちは活気を取り戻す。そして、すっかり剣崎を信じ込んだ。
ただ、これで全員が乗せられて前かがりになったことが仇になった。クラブとしての「格」の差なのか、アーゼラルは空気の変化に機敏だった。剣崎の評判通りの決定力を披露したことで、サンデーランドは剣崎を軸に攻撃を組み立てようとした。だが、残留争いをしているレベルである故、それがわかりやすすぎた。
「あ」
誰かがそう漏らした時、ボールはアーゼラルが持っていた。
剣崎のパートナー的存在である竹内への縦パスがあっけないほどにインターセプトされ、そこから瞬く間のカウンター。前がかりになったことで、ズレが生じていたDFラインの裏をとられ、決定的な4点目を失った。それでも剣崎のデビュー戦は、途中出場ながら2得点を記録するという上々の内容だった。
その後剣崎は次戦でスタメン出場を果たすと、ここでもゴールを挙げ、たった2試合でエースの地位をほぼ手中に収めたといってよかった。デビューからの5試合で4得点を挙げたことは当然日本では大々的に報じられ、世界各国でもそれなりに驚きを与えた。「看板に偽りなし」を体現できたと言えた。
ただ、サンデーランドのチーム戦績は、反比例して一向に向上しなかった。
上位勢からすれば、降格圏に順位を沈めているチームは勝利することが絶対条件。そんな勝ち星を計算しているクラブに、油断ならないストライカーが入団し、いきなり結果を出している。となれば、取る手段はその選手が本領を発揮できないようにすることだ。
そのため、各クラブはサンデーランド対策に「剣崎に対してマンマーク役を必ずつけて自由を与えない」「一番のパス供給源である竹内を徹底的につぶす」を金科玉条としてそれを遂行。それがハマってサンデーランドは連敗街道を走り続ける羽目に陥った。
「ぐあっ!」
徹底したマンマークを受けることになり、剣崎に対しては連日強烈なタックルをはじめ、油断すれば即負傷につながりかねない接触プレーを浴びる。そして日本では無双を誇っていた空中戦でも、互角止まりの日々が続く。
(くそ…ロシアでずいぶんとやり合ったけどよ…。代表に入れねえレベルでこんなに強いのか。それに、日本と違って審判は倒れても簡単に試合を止めねえ…ずいぶん基準が違うのか?)
起き上がりながら剣崎は、日本と違ったDFの当たりの強さ、容赦なさに舌を巻く。
同時に、剣崎以上の集中砲火を浴びたのが竹内だった。ボールを持った瞬間、四方八方から猛烈なチャージに襲われ、それらを上手くいなしながらも最終的に奪われるシーンが目立つ。右サイドを主戦場としながら司令塔的役割を担っていた竹内がパスを出せなくなると、サンデーランドの攻撃は目に見えて停滞した。
『今日もマークが激しいなトシヤ。大丈夫か?』
『ああ、なんとかな。しかし、ここまでやられるとどうしようもないな』
『すまないな…。お前ばかりに負担をかけて』
『まあ、こうなるやここまでやることがなくなるってのは…正直問題っちゃ問題だよな。これで剣崎がいなかったら悲惨だぜ』
駆け寄ってきたハリスは竹内に詫びるが、竹内は苦笑しつつチームの問題点をぼやく。ハリスは言葉に詰まった。
『ようするに、今はお前ら地元選手が問われてるんじゃね?俺らがこうなってる間に、何か見せてくれよ』
『あ、ああ…』
竹内のハッパに、ハリスはそう頷くしかなかった。
そして竹内の言うように、剣崎がいるおかげでサンデーランドは試合中に戦意を失うことはなかった。
試合終了間際、バゼルビッチの懸命のロングフィードに反応した剣崎は、一瞬のスキを突いて相手DFラインの裏を取り、キーパーと一対一を迎える。
「憂さ晴らしだ。くらえっ!!」
『うぐっ!』
そしてキーパーに苛立ちをぶつけるように、剣崎は右足を振り抜く。真正面に飛んできた砲弾のような一撃に、キーパーは本能的に顔を守るようにボールをはじく。受け止めた左手は捥がれるような勢いを受けた。ボールは剣崎の執念が乗り移ったのか、そのままゴールマウスの中へと弾んでいった。この得点で剣崎の得点数は9となり、二桁ゴールにリーチをかけた。それだけでも一つの快挙であった。
ただ、この試合の剣崎の一撃は焼け石に水であり、この日も2-1で落とした。気づけば連敗は6となり、残り3試合でリーグ最下位に沈むサンデーランド。残留圏の18位との勝ち点差は8となった。
このような状況になると、はじめのうちは期待を込め、そして頼もしく感じていたサポーターやチームメートの一部には徐々にこんな感情が芽生えるようになった。
『ケンザキはチームのためにプレーしていないのでは?』
その疑念が膨らみ始めると、練習場に来るサポーターの雰囲気も変わってくる。ただ、それをさらに複雑にしているのが、他ならぬ剣崎自身の振る舞いだった。
「へいへい!!プリーズ!ガッツ!ショー、ユアー、ガッツ!!」
覚えたての、拙い中学英語で練習からオーバーアクションで吠え、チームを鼓舞する姿は、決して自分勝手な選手のそれではない。覇気のないチームをなんとか盛り上げようとする、むしろキャプテンシーの片りんが見られた。
「ウィーアー、ノット、ウィーク!!OK!?カモン、カモン、タックルカモン!!」
ただ、剣崎がそう振る舞えば振舞うほど、チームメートとの溝が広がっていった。
『あいつ必死だな。この流れはもう降格だろうよ』
『ああ。懸命にアピールして、他のクラブ関係者に見てもらおうとしてんだろ。妙に闘将ぶっちまってさ』
クラブハウスへ引き上げる道中、竹内がそんな雑談を耳にする。鼻で笑いつつも、何も言わなかった。
「くそっ!」
誰もいない全体練習が終わった後の練習場。そのゴールに向かって、剣崎は居残りのシュート練習に取り組んでいた。ただ、それは技術向上のためというよりも、ストレス発散を名目としていた。
「どうよ剣崎。ここんところの調子は」
「ああん?絶叫調に決まってんだろ。チームとはズレまくってるけど」
茶化すように問いかけたのは竹内。剣崎は笑みを浮かべつつも、吐き出す言葉には苛立ちがこもっている。
「…感じてるんだな。最近の雰囲気」
「ああ。最悪だ。アガーラにいる時はこんなことなかった。J2降格が見えてきた中でも、最後まで戦っていた。だが、ここじゃどういうわけか笑われる。この空回りが気持ち悪くてしょうがねえよ!」
語気を強め、その怒りを右足に込めてシュートを放つ剣崎。相変わらず、その威力は抜群で同じFWとしてほれぼれする。しかし、竹内はそれを聞いてもかける言葉がなかなか見つからなかった。
一時期竹内も剣崎と同じように悩んでいた。
このチームで先に日本人ながらエースとして活躍し、ともに国を背負って戦った時期がある元日本代表・薬師寺秀栄の後釜として入団した折、同じ日本人FWというくくりだけ、ゴールのみが評価対象とみなされた移籍初期は苦しみ、チームメートとも「大したことない」と次第に見下されていった。
しかし、英語を懸命に学習してコミュニケーション能力を身に着けると、ハリスをはじめとするチームメートと可能な限り対話を重ね、自分のプレースタイル、得意分野を訴えて、周りが求めるプレーをまず言葉で聞き、自分に落とし込んでいった。そうすることで徐々に結果も生まれ、最終的には右のサイドハーフ、あるいは3トップの右ウイングでポジションを確保し、日本サッカー史上最高精度とたたえられたアーリークロスを武器に結果を重ねた。そうすることでチームメートと和解し、溶け込んだ。
ただ、今の剣崎と当時の自分は、悩みの質が違う。自分の場合は結果を重ねることで信頼を勝ち取ったが、剣崎の場合は瞬く間にチーム得点王に上り詰めるという明確な結果を残しているのにもかかわらず、かえってチームメートが離れていくという反比例状態に陥っている。剣崎の熱い振る舞いもそれに拍車をかけており、彼らしさを出せば出すほど状況が悪化していくという、解決の糸口が見えない状況だった。
「よう。お前たち、ずいぶん暗い顔してるな」
いらだつ剣崎と、声掛けを躊躇し佇む竹内に、声をかける日本人がいた。
「あん?誰だてめ…え?」
「あ、お前、もしかして薬師寺か?」
フェンス越しに対峙する日本人。それは、剣崎や竹内にとって縁の浅くない人物。わずかな期間ながロシアでの躍進を期する日本代表のユニフォームを着たもの同士。このクラブのOBであり、元日本代表FWの薬師寺であった。
「おいおい久しぶりじゃねえか薬師寺!お前いま何やってんだよ」
「何やってんだよって、見ての通りプータローだよ。あれ以降、俺の足は死んだも同然だしな」
薬師寺はそう笑って話すが、ロシアW杯を目前としたテストマッチで重傷を負い、それは彼の選手生命を断ち切るものであった。手術を受け、日常生活に支障が出ないまでには回復し、今は草サッカーを興じる程度には動かせるという。だが、彼のストライカーとしての感性を体現するレベルには及ばず、1年のリハビリののちに彼は現役生活にひっそりとピリオドを打った。サンデーランドは異国の、それも極東からチームに加わり、叩き上げでエースに上り詰めた彼の功績をたたえて、日本のサッカークラブで言うところのアンバサダーと言う地位を用意したが、ほとんど名誉職のようなもので、サッカーどころか仕事らしい仕事を与えられてはいない。
ただ、引退後このクラブの近くに居を構え、日々試合を観戦している身として、そしてOBとして、クラブの現状に言わずにおれなくなり、現状最も輝いているといっていい彼らの下を訪ねたのだった。
「しかし竹内。せっかくこいつほどの点取り屋が入って、相乗効果でお前の価値が上がってるっていうのに、結果が噛み合ってないせいか、すっかり孤立してるようだな」
「ずいぶん直球だな」
「実際そうだろ。お前は言葉を覚えて言語で自分を伝えることができたが、こいつは正直そうじゃねえ。誰よりもゴールを取ることだけを磨いてきたせいで、熱気以外にチームメートを飲み込む術を知らない。このイングランドで中学英語なんざしゃべってみろ。かえってバカにされるだけだ。実際、今このチームに剣崎の熱意を真に受ける人間は、お前と…せいぜいバゼルビッチだけだろ」
「…」
薬師寺の指摘に、竹内は言葉に詰まる。さすがに近くでチームを見ているだけあって的を射ている。
「…だから何だってんだ」
そこに剣崎がボールを抱えて割って入ってきた。その眼光は相変わらず鋭く、口元にも不敵な笑みを浮かべている。
「おめえが言ったように、俺にできることはただゴールを取って、その本気を全身で訴えるだけだ。俺には、それしかできねえや」
だが、薬師寺はため息をつき、そして冷たく言う。
「褒めようがけなそうが、そのブレない姿勢は見事だが…お前はやっぱここでやるべきじゃない」
「は?」
「ハッキリ言ってやる。お前は…このシーズンが終わったら、さっさと日本に帰ったほうがいい」
唐突に退団を促す薬師寺に、剣崎と竹内はポカンと立ち尽くす。
「な、なんだよ突然。てめえ、俺にクビ勧告ってか?そんな権限あんのかよ」
「いやない」
「ねえのかよ!」
我に返った剣崎の反論をあっけなく返す薬師寺。剣崎は思わずつんのめる。だが、薬師寺は続けた。
「ただ、これ以上このクラブだけじゃなく、欧州にいること自体、俺はお前に合わないと思う。どういう風の吹き回しで来ることになったのかは知らんが、おそらくお前が求めたものここにはない」
「俺の求めたものがないだと?」
「ああ。お前は今時、日本一筋でやってきて代表のエースになって、さらにはワールドカップと言う世界最高峰の舞台で、極東のサッカーしか知らないにもかかわらず、世界の猛者たちを叩き潰して得点王にものし上がった。これはハッキリ言って運でできるもじゃない。お前はわざわざ本場に来て鍛える必要がなかったんだよ」
「じゃあ、お前に分かんのかよ。俺に足りねえものが」
「少なくとも、ここにはないって断言していい。お前は、お前が讃えられるクラブに残りの人生をぶち込んで来い。ここでの収穫は、その準備が整えられたってところだろ」
薬師寺の助言は、よくよく考えればかなりおかしなことを言っている。『お山の大将でいられるチームでプレーするべき』と解釈でき、あまり褒められたものではない。当然、剣崎は反論する。
「ふざけんな。俺は俺の育ったクラブをもっと強くするためにここへ来たんだ。その手ごたえがねえのに、そんな簡単に帰れるか!」
「そうだよ薬師寺。いくらなんでも、それはあんまり褒められたもんじゃない。剣崎だって、相当な覚悟を持ってここに来たんだぞ」
剣崎、そして竹内の反論を、薬師寺はじっと聞いていた。剣崎は続けた。
「まあ、確かにお前の言う通り、俺はここに合う戦力じゃねえ気もする。実際、トシヤ以外で俺を構ってる奴はいねえし、監督すら俺のこと、あんまりいいように思ってないこともうすうす感じてる。だけどな…」
「だけど?」
「だけどな。俺はサポーターに一人でも俺を信じる奴がいるなら、そいつのためにやるだけだ。誰かが求めてるなら、それにこたえるのがストライカーってもんだろ」
再びニヤリと笑って見せる剣崎。薬師寺は口笛を吹いて拍手を送った。
「…お前はホントうちなんかにゃもったいないな。こいつの心意気を感じないようじゃ、このクラブはたかがしててるな。ま、シーズンはあとちょっとだ。存分に暴れてやれ」
薬師寺はそう言い残して背を向け、そのまま練習場を去った。
そして剣崎は吹っ切れた。自分で口走った以上、それを体現せねばなるまい。そう肝に銘じて試合に臨んだ。
チームはその後もなかなかまとまらなかったが、剣崎は以後も相手のマークを受けながらも懸命にゴールを狙い続けた。百戦錬磨の、それも世界最高峰のリーグで生き残る屈強なセンターバックたちを、時にはじき返し、時に耐え抜き、足や首を懸命に伸ばして味方のパスに食らいつく。呼応するように
竹内もコンディションを盛り返し、リーグ戦終盤、首位を行くFCマンチェスターブルース相手にアベック弾を決めて鎮める金星をもたらした。
『ケンザキは極東のヘラクレスだ。プレミアのタックルにここまで耐えきり、そして競り勝つ選手はそうそうお目に掛かれない。あれならロシアでの得点王も納得だ』
試合後、敵将にそう言わしめた剣崎は、イングランドで確かな足跡を残した。
だが、その次の試合を落としたサンデーランドは、ついに二部リーグへの降格が決定。これで気持ちが切れてしまった選手たちは次節も力なく戦い完敗。シーズンの最下位が確定したのだった。
剣崎の海外初挑戦は、リーグ戦19試合に出場し11得点。途中加入ながらチームの得点王となった。
そんな剣崎のオフはさらに大きなクラブに移籍することになった。
「ほえー…」
その移籍先のホームスタジアムを前に、剣崎は呆けていた。その傍らには代理人の内村、そしてチームメートであった竹内もいる。
「この俺が…まさかこんなでけえクラブに移籍とはなあ…」
「ほーん。お前でもこのクラブがどれだけの格かってことを分かってるか」
「あたりめ―だろ!マンUだぞ!サッカーやってたら誰だって知ってるだろがよ」
内村に冷やかされて剣崎は声を荒げる。竹内もただ唖然としている。
「剣崎ならわかるけど…まさか一緒にここに来るなんて。俺そんなに大したことないですよ」
「トシ。お前も自信持て。剣崎よりも1年早く、このイングランドでプレーしてるんだ。同じリーグのトップクラブから結構調査依頼来てたんだぞ。お前のクロスと突破力は、お前が思っている以上に高いんだぞ。それに、ドベに沈んだチームにあって、お前たちのホットラインの評判はうなぎのぼりだ。とは言っても、新参者が生き残るには並大抵の世界じゃない。ファンも結果を残せば称賛はするが、残せなかっらた同じぐらいに批難する。…覚悟はいいな。お前ら」
「おう!俺は俺のやれることだけを見せつけるだけだ」
「…一生に一度、あるかないかのチャンス。やるしかないでしょ」
内村の問いに、剣崎はいつものように自信満々に、竹内は肚をくくったように淡々と返した。
シーズン終了後、二人はプレミアリーグの、いや世界規模でも名門中の名門、マンチェスター・ユニバーサル・フットボールクラブ(俗称:マンU)への完全移籍が決まった。移籍金や年俸はサンデーランド時代と比べたらさほど上がったわけではないが、サッカーの世界で生きる身であれば、一度は憧れるクラブだ。クラブカラーと悪魔的な実力から『赤い悪魔』の異名をとり、世紀単位での歴史を持ち、手にした栄冠は数知れず。元日本代表MFの加賀美俊司のほか、アジア人が数名所属したこともある。
近年、同じマンチェスターを本拠地とするFCマンチェスターブルースが急速に力をつけて優勝争いの常連となるのに反比例して、長くチームを率いていた世界的名将の退任後、長く低空飛行…と言っても毎年上位には名を連ねるが、覇権争いに絡み切れない停滞期が続く。その打破を目論み、今回の移籍と相成ったのである。
「せっかくサッカーの生まれた国に来たんだ。もうちょっと暴れるとするか!」
剣崎龍一。アジアの龍は、またしばらく、イングランドで剣を振り回すことになる。