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7/8

週末


 居心地が悪かった。

 俺は他人の部屋にいる気分であった。

 何も匂いがついていない部屋。俺はここに住まなきゃいけないんだ……。


 クローゼットには新品の私服がある。テレビもゲーム機もある。

 ベットの横には目覚まし時計がある。――無くても起きれるのに。


 勉強机の上には俺の教科書が乗せられていた。


 ……ふかふかなベットが慣れない。俺はフローリングを撫でる。

 冷たい感触が心地よい。


 この部屋には優しさしかなかった。居心地が良すぎる。

 俺の心を壊してしまいそうだ。

 何故だろう? 苦しみが生きている実感を得られる。

 それは――間違っているのだろうか?


 夕食は家族で囲み、雑談をしながら穏やかな時間を過ごした。

 俺が苦しそうな顔をしていたら、お義母さんは「すぐに慣れるわよ」と言ってくれた。


 俺は慣れるつもりなんてなかった。だけどこの状況には抗えない何かを感じる。

 心を閉ざせば、誰にも迷惑をかけない……筈だ。


 ドアがノックされた。

 俺が返事をする前にドアが開いた。


 パジャマ姿の春香が枕を持って立っていた。


「お、お兄ちゃん……ゲ、ゲームしよう……、ちょ、ちょっとだけだから――」


 眉毛をへの字にして恐る恐る俺に聞いてきた。

 俺は遊んでもいいんだろうか? 断ったら春香が悲しむかも知れない。


「あ、ああ、俺はやった事がないから……点け方から教えてくれ」


 俺がそう言った瞬間、春香は満面の笑顔になった。それは嬉しそうで楽しそうで――

 俺は困惑をした。俺の行動で人を笑顔にできるのか?


 俺の行動で感情が左右されるなんて――、悪い気がしてきた。






 義妹は眠くなるまでゲームをして、そのまま俺のベットで寝てしまった。


「ふがっ……、お兄ちゃん……お兄ちゃん……出てかないで……うぅん……」



 気持ち良さそうに寝ている春香を移動させようと思ったが――

 何故か寝顔を見ていると俺は気分が落ち着いてきた。

 いつもみたいに暗い気分にならない。母さんに受けた仕打ちを思い出さない。

 学校であった嫌な視線を思い出さない。


 俺は春香の寝顔を見ながら、眠気が襲ってきた。

 もういいか、寝てしまおう。


 俺がフローリングで横になろうとしたら、再びドアが開いた。


「あら? ……春香、起きなさい! もう、そこは健人のベットよ!!」


 お義母さんがツカツカと部屋に入ってきて、ベットの上で寝ている春香を叩き起こす。


「うみゅ? ……春香はお兄ちゃんと一緒にねりゅの……ママは引っ込んでて……すかー」


「春香? お小遣い減らすわよ?」


 春香は一瞬で目を覚まして、自分の部屋へと帰っていった。

 お義母さんは部屋の電気を暗くして俺に言った。


「ほら、あなたは体調が悪かったのよ? 早く寝なさい――」


 俺をベットに促す。俺は仕方なくベットの上に移動する。

 ……ベットは春香の体温で暖かかった。春香の匂いもする。まあいいか、ひどく眠い。思考が低下している。


「わかりまし……わかった。おやすみ、お義母さん」


 俺はそのまま眠りに着こうとした。

 …………視線を感じる。


 ふと目を開けると、お義母さんがベットの横で座って俺の顔を見ていた。


「あら、気にしなくていいのよ? 早く寝なさい――あなたは――うちの子なのよ――」


 俺は返事も出来ないほどの眠気に襲われた。

 ここはどこだ? こんなにも安心して眠るのなんて――


 俺は眠りに落ちた――





 ***********





「へへ、お兄ちゃんのスマホ何にしようか! 最新のにしようよ!」


 俺の身体が軽くなっていた。身体の疲れと心の澱が眠りとともに消えていったようだ。こんな気分になるのは初めてであった。


 今日は学校が休みだ。アルバイトがない休みなんて初めてだ。

 俺は春香と街に出ていた。街には人が溢れていた。


「いや、一番安いものでいいよ」


「んっ、お兄ちゃんが気に入れば何でもいいね! ほらほら、早く行こ!」


 俺の手を引く春香。……春香はこんなに明るい性格だったのか? 俺がイメージしていた春香は、俺をからかったり、構いすぎたり、パシリにしていた。


「あっ」


 靴の量販店に通りかかった。

 俺は思わず声を漏らしてしまった。

 ガラスに写る俺の姿は――以前と全く違っていた。


 髪はボサボサで変わらない。新品の服に着られている俺がいた。血色は良い。

 そこらにいる普通の男子と変わらない姿をしていた。

 足元を見る――


 履き慣れないピカピカのスニーカーが目立つ。

 それを見ると、何故か胸にこみ上げてくる感情が生まれそうであった。


 俺は我慢をした。

 そうしないと、俺の心が壊れてしまいそうであった。

 俺はこんな贅沢をしていいのか?


 ――喜んでしまいそうな自分を――浅ましいと思ってしまう。


 春香もガラスに写る俺を見ていた。


「へへ、かっこいいよお兄ちゃん。靴、似合ってるね! 春香が選んだからね!」


「…………っ」


 言葉が出せない。

 だって、言葉を発すると、違う何かが出てしまいそうであった。







 お義母さんが昼頃、合流した……。

 俺が親方のところに行って挨拶をするって言ったら……「あら私も行くわよ。あなたの働きぶりを聞きたかったしね」と俺に告げた。


 駅前で待ち合わせをしたお義母さんはいつもよりもオシャレであった。


「あれって芸能人? 超綺麗……」

「誰かに似てるけど違うか」

「はわわ……」


 周りが随分と騒がしい。

 お義母さんは俺の腕を取って歩き出した。


「まだまだ、現役には負けないわよ? ふふ、健人行きましょう」


 何故かお義母さんは上機嫌であった。





 親方に会う前に、俺たちは昼食を取ることにした。

 駅前にあるファミリーレストラン。


 俺はレストランになんて入った事がなかった。マナーも何も知らない。

 緊張してきた。というか、レストランなんて値段が高いはずだ。勿体ない――


 春香とお義母さんは慣れた感じで、店員さんの案内を受ける。

 俺は周りをキョロキョロしてしまう。


「ふふ、珍しいわよね? ここは値段が安いから学生さんたちも多いわ。だから安心してね」


「は、はい……」


 緊張した俺は敬語に戻ってしまった。

 お義母さんはそんな俺を見て微笑んでいた。





「お待たせしましたっす! シーフードドリアとミートソースとハンバーグステーキです! 楽しんで下さいっす」


 妙に元気の良い店員さんがオーダーした物を持ってきた。

 店員さんの足は異様に筋肉が付いていた。鶏肉みたいだ。


「ほら、お兄ちゃん、店員さんが可愛いからってそんなに見ないの! もう……」


「ふふ、同い年くらいかしら? 可愛らしいわね。――いただきましょう」


「いただきます!」


「い、いただきます……」


 俺の前に熱々のハンバーグが置かれている。

 俺は外食が初めてだ。どうしていいかわからなかった。本当に食べていいのか?


 俺はフォークを握り締めたまま、固まっていた。


 ドリアを食べているお義母さんが俺を見た。

 お義母さんはナイフとフォークを使って俺のハンバーグを一切れだけ切った。

 それを小皿に置いて、俺に渡した。


「熱いから気をつけて食べなさい。あら? それとも食べさせた方が良かったかしら?」


「い、いや……、い、いただきます」


 俺はお義母さんが切ってくれたハンバーグをフォークで刺した。

 口元にそれを持っていく。

 ソースと肉の良い香りがする。


 俺は一口でそれを食べた――



 身体が拒絶反応を起こしそうになった。味がわかる……。あの夜からだ……。

 こんなに美味しいものを食べていいのか? これが格安なのか?


 駄目だ――身体がこれを食べろって命令している。


 俺は夢中でハンバーグを食べた。美味しい。こんなに美味しいなんて――

 昨日の夕飯を思い出す。

 お粥を作ってくれた。――生まれて初めてのお粥はすごく美味しかった。

 泣きそうになるのを我慢した。感情を表に出さずに淡々と食べていた。だって、母さんは俺が喜ぶと暴力を振るった。お義母さんは母さんじゃないってわかっている。でも身体に染み付いたくせは抜けない。


 お弁当だってすごく美味しかった事を思い出してしまった。味に慣れないようにわからないふりをしていた。

 味なんて感じないふりをしていたんだ。

 でも、先生のせいで思い出してしまったんだ。


「う、ぐ……」


 嗚咽を殺しながら俺はハンバーグを食べる。

 大丈夫だ。二人にはバレていないはずだ。




 俺は無くなるのを惜しむようにゆっくりとハンバーグを噛み締めた。






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