三月、「好き」で終わる小説
「好き」なんていう陳腐な言葉でこの小説を終わらせるなんて、いい加減にしてほしい。
卒業式の日以来、久しぶりに会った中学生の頃の友人から面白いと太鼓判を押され、強制的に貸し付けられた恋愛小説だが、そのシーンは大変、気にかかった。他の部分は普通にいいから、それだけが残念だなあ。
これじゃ何の好きかが全く分からないんだよね。普通に読めば、恋愛感情の好きなんだろうけど、「好き」なんていっぱいあるじゃないか。
この恋愛小説のような異性としての好き、恋愛としての好きの他にも、友愛としての好き、好きな食べ物のような物体への好き、最近ハマっているという意味の好きとか。別にこの小説に意地悪したい訳じゃないし、小説の意図を全く読み取れてないわけでもない。ただこの大雑把さは私には合わないねって話。
さて友人にどう返信しよう。幸か不幸か、この本を渡されたときに「感想、教えてね」と相手にその気はないだろうが、圧をかけられてしまったのだ。ここで無視はあまりよろしくない。
だいたい高校生になっても、繋がりを失いたくないから貸したりしているのだろうし。その人とは高校は別々なので、私だって繋がりを失いたくない。
スマホを取り出し、メール画面を開く。相手のメールアドレスを打ち込んで、さあどうしたものか。最後の「好き」の部分を除けば、おおむねいい小説なのだから、それを上手く言葉にすればいいだけだ。
けどなあ。私の潜在的な野党根性がどうしても、そこに対して突っ込みたくなる。それでも険悪になりそうな文面は避け、適当に当たり障りない本心を書いてメールを送信……しかけた。できなかった。
友人に嘘をつくのが許せないとか、そんな対外的なものではない。これは自分だけの信念の問題だ。
自分が「好き」でもない所まで「好き」と嘘をつくのが許せないのだ。もっと「好き」は大切な宝物であってほしい。私が勝手に思ってるだけだけど。
ベットに体をダイブさせる。変なことを考えすぎた。メールは明日でもいい。もう眠いや。
明日は四月九日、高校の入学式。こんな自分が上手く青春を謳歌できるのかという不安、そして「好き」という答えの見つからない問が頭の中でない交ぜになりながら、やがて深い眠りに落ちた。
お久しぶりかもしれません、明日野ともしびです。色々あって連載短編集という形で、また連載を始めさせていただきます。後書きの欄には物語の補足やら裏設定やらを思いつきで書いていこうと思います。よろしくお願いします。連作短編集の定義を、作者が厳密に分かっていないのはナイショです。