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【短編】「母殺しの仕儀」

作者: 糺ノ杜 胡瓜堂



 「もうだいぶ夜も更けた・・・そろそろ寝るとするか・・・・」


 亥の刻(午後十時)も過ぎて、金之助が読み物をしていた書見台を離れ立ち上がった時、どこからかかすかな物音が聞こえた、それに続く、聞こえるか聞こえないかのような小さな人の争う声。


 「・・・・賊か?」


 怪しい物音と人の声は、どうやら母のいる屋敷の奥の方からしたようだった。

 最近、この辺りにも武家屋敷を狙う大胆不敵な盗賊が出るらしい、そう聞かされていた金之助は深夜に響く物音に過敏に反応し、全神経を集中させる。


 金之助は刀架に掛けてあった二尺三寸の愛刀を掴んで、物音の聞こえた、母が普段居室にしている部屋の方へと向かうと、突然目の前の襖を開けて走り出して来た物影があった。


 金之助が驚いて、「誰か!」と大きな声で怒鳴るがその物影は金之助に背を向け走り去ろうとした。


 咄嗟に金之助は「賊かっ!待てっ!」と叫んで、刀の鞘を払い逃げてゆく影の肩先から袈裟斬りに斬り付けた。


 日頃稽古しているそのとおりに、頭で考えるより先に反射的に刀が出たのである。


 影は「ギャッ」と小さく叫んで倒れたが、それが女の声であったので金之助は驚いた。


 廊下に突っ伏したその人影に近寄ろうとした瞬間、同じ部屋から飛び出して金之助にぶつかってきた者がある。

 暗闇で感じ取ったその躰はどうやら男のようだ。


 「おのれっ・・・」


 倒れそうになる身体を踏ん張って体勢を立て直すと、バタバタと大きな足音を立てて逃げようとするその大きな影に食らいつくようにして背中から突き通す。


 重い手応えがあり、二人目の曲者は声も立てず倒れた。

 そのまま切っ先を倒れた黒い塊に向け、しばらく呼吸を伺っていたが、黒い塊はピクリともしなかった。金之助は賊を仕留たのを確認し、初めて我に返った。


 ・・・・とにかく灯りを・・・・。


 彼は、最初に斬ったのが女らしい事、夜目にうっすらと見たその着物の柄に見覚えがあったような感覚に胸騒ぎを覚えながら自分の書斎へと急いだ。


 書斎から行燈の灯を持ってきて廊下を照らすと、そこには血の海に転がっている二つの死骸があった。


 その最初に斬った方の死骸を見て、金之助は驚きの声を上げる。


 「・・・・は、母上!」


 襖を開けて飛び出してきた最初の影は、金之助の今年四十三になる金之助の母親、お勝であった。


 ・・・・どうして母上が・・・・何故こんなに事!


 親殺しは天地容れない大犯罪であり、例え過失であったとしても親を殺したものは武士以外であれば獄門である。

 金之助はしばらく魂が抜けたように茫然としていたが、ハッ・・と我に返ると、悄然として横たわっている母の遺骸を整え両手を組ませた・・・。


 ・・・・もう一人の死骸は?


 金之助は少し前に転がっている二人目の死骸を行灯の灯で照らす・・・・男だった。

 うつ伏せにこと切れているその男を足でひっくり返し顔を見ると、その男は金之助の見たことのない男であった。

 年は母と同じか少し上くらいだろうか、身なりから察するに武家の者ではないようであった。


 ・・・この男は一体・・・どうしてこんな夜に母上と一緒にいたのだ・・・。



 金之助は暗い気持ちになった、考えたくもないが母はこの男と密通していたものであろう。

 それ以外には考えられないのである。

 物音と争うような声は、母と密夫が痴話喧嘩を始めたものであろうと推測された。 


 金之助の家は小身の旗本であった、三年前父が亡くなってから金之助が家督を継いだが、後家となった母のお勝はもともと美しい顔立ちで、四十を過ぎた今でも、五つ六つは下に見えるほどの艶やかさがあった。


 ・・・・まさか母上が男を作り密通していたとは・・・。


 武家の後家にはあるまじき母の行状を金之助は自分の事のように恥じる。

 しかし、母の行状がどんなに良くなかろとう、親を殺してしまった自分は大悪人である。


 ・・・・俺は親殺しという大罪を犯してしまった・・・


 武士である金之助の行動は一つしかなかった。


 「切腹しよう・・・・」


 改めて母の遺骸を整え手を合わせると、血に染まった手足を手水で洗い、自室に籠った。


 代々伝わる短刀を持ち出し懐紙を巻き切腹の準備を整え、目をつぶって心を落ち着かせる。

 色々な感情がまとまらないまま頭の中をよぎる。


 金之助はふと思った。


 俺がこのまま切腹すれば、俺が乱心して母と密夫を殺害し、自害したと世間では思うだろう・・・家は絶えるが、代々続く家名に疵がつくのは耐えがたい事だ、そうだ・・・本間にだけは事の顛末を伝えてから腹を切ろう。


 本間源次郎は金之助と同じ組に属する朋輩で、幼いころからの友人である。

 彼にだけは、真実を打ち明けてから自害するのも遅くないと思った金之助は、数町離れた本間源次郎の屋敷の門を叩いた。


 丁度便所にたっていた源次郎が、屋敷の門を叩く物音に気付く。

 

 ・・・こんな夜分に誰だろう・・・・。


 源次郎は家の者を起こすのも面倒と思い、自分でこの訪問者を確認しに行った。


 「・・・・この夜分に誰か」


 「・・・・本間、開けてくれ・・・俺だ、森島だ・・・・」


 その静かな声が同僚の森島金之助だと分かると、源次郎はすぐに門を開いた。


 「・・・・森島か、どうしたのだ、この夜更けに・・・・」


 夜目にも青ざめている金之助が絞り出すように言った。


 「・・・・母を殺した」


 「えっ?・・・・母君を・・・い、一体それはどういうことだ、ま、まあ入れ」


 源次郎は金之助を招き入れると、能面のように硬い表情の金之助を座敷に座らせる。


 「・・・・母君を殺めたという事だが、それは一体なにがあったのだ・・・」


 金之助は、事の顛末を最初から源次郎に話した。


 「母上が密通していたというのも無念だが、このまま俺が切腹すれば誰も事の詳細を知るものがいなくなる。親殺しの大罪だ・・・切腹は覚悟の上だが、後々家名に疵が付くことだけが心残りなのだ、それでお前にだけは真実を伝えておこうと思ったのだ」


 金之助から母を殺めた経緯を聞いた源次郎は、彼の軽率を責めたい気持ちになったが、一面これは不幸な事故とも言える。

また彼が切腹を覚悟している以上もうこれは仕方ないものと思った、親殺しをしてしまった以上源次郎もそれ以外の解決策が見いだせなかったのである・・・・。


源次郎は、竹馬の共であり気の合った朋輩である金之助を殺したくはなかった。


 「森島・・切腹は待て・・・卒爾をするな」


 「・・・本間、かたじけない・・・しかし、もう決めたことだ・・・」


 「腹を切るのはいつでも出来ることではないか・・・少し待て、俺が組頭に相談してくる、それまでは決して早まるな!・・・いいな、必ず死なずに待っておれ、俺に約束してくれ」


  源次郎の強い説得に金之助も折れて、彼が帰るまでは切腹しないと誓った。

  金之助は朋輩の心遣いが有難かった・・・・。


 本間源次郎は、その足で急いで自分達の上司である組頭、間瀬市右衛門の家の門を叩いた。


 「夜分に大変恐縮でございますが、少々お目にかかり相談したい儀がございまして参りました」


 突然の訪問者に、組頭、間瀬家の用人が応対する。


 源次郎は、金之助が母を斬ったこと、そしてその顛末を用人に一から話す。


 用人も深いため息をついて眉に皺を寄せた。


 「・・・・また、なんという軽率な・・・しかし、過ちとしても親を殺めてしまったとなれば、やはり切腹しかないだろうと思うが・・・」


 源次郎も暗い顔で用人を見る。


 「・・・やはり、切腹しか道はないのでございましょうか・・・」


 「・・・おそらくは・・・・これから主人にこの事を伝えて参るので、少しお待ち下さらんか」


 用人は主人、間瀬市右衛門にこの事態を伝え指示を仰ぎに立った。

 用人はなかなか戻って来なかった、源次郎がジリジリと焦れてきた頃に用人が戻ってきて、源次郎に主人からの口上を述べる。


 「森島方に盗賊が忍び入り母を殺害、森島殿がその盗賊を討ち取った・・・と用人から報告を受けたが、用人からの又聞きでは詳細が不明なので後で直接話を聞きたい、只今少々体調が優れず療養しているので、申し訳ないがしばらく待たれよ・・・・そう主人が申しておりますので、ここでお待ちになってくだされ」


 源次郎は用人が話した顛末が、自分の話した内容と異なっている事に直ぐに気が付いた。


 口上を聞き終え用人に声をかけようとした瞬間、用人は源次郎からの質問を一切受け付けない・・・そんな威厳をもって制し奥の間へと消えていった。


 用人と入れ替わるように、使用人たちが入ってきて夜食が供される。

 源次郎は、夜食をいただききながらも、先ほどの用人の言葉を反芻していた。


 ・・・・盗賊が忍び入り森島の母を殺害・・・・・そして、その盗賊を森島が討ち取った。


 ・・・・俺はそう伝えた覚えはないのだが・・・・まさか、組頭の御用人ともあろうお方が間違いや嘘を伝えるはずもあるまいが・・・・これはどういうことなのか。



 二時(四時間)ほども待たされたであろうか、主人の間瀬市右衛門が座敷へと入ってきた。


 源次郎が丁寧に頭を下げると、市右衛門は静かに切り出した。


 「長らく待たせてしまい恐縮でござった」


 「こちらこそ夜分に失礼をしたしました・・・・」


 「森島殿の母君が亡くなった事、大変残念でありお悔やみを申し上げる・・・」


 源次郎が顔を上げて組頭の顔を見ると、間瀬市右衛門も真っすぐに自分を見ていた。


 「盗賊が森島方へ忍び入り、御母堂を切害したことは是非もない不幸な事であった、しかし森島殿がその場で盗賊を自らの手で討ち取り母の無念を晴らしたこと、天晴な働きであった・・・・亡くなった母君へのせめてもの手向けとなろう」


 組頭に面と向かって改めてそう言われ、源次郎は初めてその思し召しに気付いた・・・・組頭・間瀬市右衛門は「公儀にはそう報告せよ」と言外に源次郎に伝えているのである。


 組頭、間瀬市右衛門は知恵のある者であった。

 源次郎から事件を聞くと、すぐに体調不良にかこつけて源次郎を待たせ、その足でさらに上司である頭の所に走り、事の顛末を報告して「この件は盗賊による母親殺害、森島はその賊を討ち母の仇を討った・・・そのように処理させて頂きたい」と内諾を受けてきたのである。


 「あ、有難いお言葉でございます・・・・森島には必ずそう申し伝えます」


 朋輩、森島金之助の命を救うための組頭の機転に源次郎は感激して礼を言った。


 愚鈍な上司であれば、金之助を切腹させて一件落着とするであろう、凡庸な上司であれば、過失として処理し金之助の切腹を認めないかもしれない、しかしそれでは「間違いで母を殺した」という汚名が森島の家に長く残る事となる。

 それは武家として耐えられない恥辱ある、畢竟、金之助の自害を思い留まらせることは不可能であろう。

 源次郎が自宅へ戻り、待っていた金之助に組頭から言われたことを伝える。


 「これは組頭、間瀬様の思し召しだ・・・・」


 「・・・・なんともかたじけないこと・・・しかし俺は・・・」


 「森島、よく考えよ・・・たとえお前が腹を切ったとしても家は断絶し汚名だけが残るのだ、間瀬様はお前にその身を全うして主君の為に働けとおっしゃって下さっているのだ、それが亡くなった母君の為にもなるのではないか。間瀬様の思し召しを無にするな、生きよ!」


 金之助は言葉も出さずに涙を流し続けた。



 翌日、公儀にはこう届け出がされた。


 『旗本森島金之助屋敷に盗賊一人侵入し同人母を切害、逃亡に及ぶ処、金之助賊に後方より斬り付け切害し母の仇を討ち果たし候』


 森島金之助は切腹することなく、その後も無事に役目を勤めたという。



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