1 就職三年目
武藤さんとの徹夜、すでに二日目に突入していた。
武藤家、武藤さんの部屋。
大量の本をさらに積み上げて見える床を広げ、長座布団を何枚も敷いて、体が痛くならないようにして思考とプログラムに没頭している。
疲れ切ると、長座布団の上にひっくり返って、五分ほどの仮眠。で、仮眠とはいえ思考は手放さないので、夢の中でも考え続け、神が降りてくること二回。
飛び起きて、プログラムを書き直す。
徐々にその完成度は高みに登り、今晩からは武藤佐も同室してくれている。
俺の嗅覚も、美岬の視覚もセンサーで感知できるようになって久しい。科学技術の進歩は素晴らしい。
ただ、当然のようにそこには質の問題があって、美岬の能力で言えば、単に温度差を見ているだけでなく、表情筋の強張りやそこへの血流を確保する動静脈の太さまで見ているのを、一括にデータ処理して分析するのは大変なことだ。
感情の動きだけではない。
パンデミックを起こすような疫病を始めとする健康疾患までを網羅せねば、このデータ処理は意味がない。結果として、マシンパワーも必要だし、データ参照も膨大になる。それでも、まだ、画像解析の延長で、データ数が常識の範囲に収まるならいい。
俺の嗅覚に至っては、壁の向こうまで見通せるような、華やかで重層的な世界をセンサーで描き出すことは不可能に近い。においの種類は無限と言っていいほどあるのに、複数の香りを定性定量的に受け取れ、自分の感覚から見て価値を認められるセンサーはまだないのだ。
ただ、それでもヒントになったのは、美鈴の能力だった。
美鈴はその手でμV単位の電位差を感じることができ、脳波も心電図も、そのまま指先で感じることができる。
相手の持つ脳波の個人的パターンさえつかめれば、手のひら全体で頭を抱え込むようにして、記憶の抜き出しや、洗脳の効果の確認さえもできる。
でも、美鈴がやっていることは、実は単純な高感度テスター以外の何物でもない。敢えて違いを言えば、プローブが手のひらという面に高密度に配置されているだけだ。
そして、この程度の違いであれば、電子技術的にカバーすることは容易い。
もっとも、医療として使うというのと、俺達の諜報の世界で使うのでは難易度が桁違いだ。
測定や医療の現場のように、一室を設けてμV単位で磁場と電位が安定した空間を作ってなんてことはそもそもできないし、まさか対象にアースをぶら下げることもできない。
ましてや、プローブも相手の頭皮に直接触れられることは稀で、通常は髪が邪魔をする。少なくとも世の人類の半分は女性なのだ。
美鈴は、そこを経験と勘でカバーしているけれど、それは、脳の情報処理だけでなく、手のひらの神経自体の感度を上げたり下げたりすることまで含む総合的なものだ。
で、俺がそこで思いついたのは、たとえ難しくても、その面的なプローブ・システムからのデータをコンピュータに取り込むシステムを作れたら、ということだ。そして、その反応パターンを蓄積し、頻度ごとに整理したデータと対象の状態の二つを結び付けられたら、と。
そして、その結び付けの機能をプログラムとして作り上げられれば、あとは俺の能力も美岬の能力も、すべて同じようにコンピュータでカバーできるのではないかということ。
美鈴が人体表面の電圧変化を観察しているとすれば、美岬は人体表面の温度変化を観察している。どちらも、アナログ・デジタル変換すれば、同じデータになってしまう。
俺の嗅覚については、もっと複雑。だけど、特定の臭気ごとに感応するセンサーを十数個も組み合わせて、空気の流れを感知するセンサーも含めてプログラムを並列処理させれば、情報処理は不可能ではない。データ量は美岬たちの数十倍になってしまうけどね。
当然、物事はお話ほど簡単には済まない。
美岬の能力は、相手がどのような武器を持っているかまで見抜く、極めて広範囲に応用できるものだ。人体の表面温度の変化だけを、限定して見ているわけではない。
でも、最初から、俺達の完全な代替は考えていない。
一番単純な美鈴の能力から置き換えに成功させられれば、あとは自動的に組織の中のウィザードたちがプログラムを改良し、機能を拡大し、精度を上げていってくれるだろう。
そして、この技術は、「つはものとねり」だけのものだ。技術の流出を防げれば、十年は他組織に対して優位に立てる。
俺は、密かに構想を温め続けた。さながら、雌鳥が卵を温めるように、だ。
そして、プログラムまでは無理でも、基本の流れ図を描くことまでは考えがまとまった。
その中には、観察対象の感情や考えが行動や口に出される前に、それを予測し、対応方法の支持を出すシステムも含まれている。詳細な観察が必要な監視と違い、戦闘になった場合は行動選択肢が少なく、この的中率は大きく上がる。しかも、相手の行動に対し、必ずと言っていいほど「先手」が取れる。正確に言うならば、「後の先」だけど、その速さが桁違いで「先手」に見えるのだ。
これはすでに実用化されている。
必ず、じゃんけんに勝つマシンがあるのだ。
手の筋肉の動きを解析し、その動きがグー・ちょき・パーの形になる前に、対抗の手を出してしまうのだ。
武藤佐に描いた流れ図を見せ、意見具申した後、その図を武藤さんにも見せて、意見を仰いだ。
その結果、一日後には流れ図は、赤字でみっしりと書き込みがされていた。その赤字の指摘事項を一つ一つ潰し、先日からようやく具体的なプログラミングに踏み込むことができるようになったのだ。
これさえできあがれば、あとはセンサーとパソコンを繋ぐだけだ。
武藤さんの、白髪交じりの無精髭が濃い。
俺も、身ぎれいとは言い難い状態なのは、似たようなものだ。
武藤さんが纏めてくれたプログラムを、武藤佐が確認している。武藤さんの書くプログラムは、正直で機能を着実に果たす優れたものだ。でも、俺達が作っているものは商品ではない。機能を着実に果たすだけでなく、さらにそれを複線化して不慮の事態に備え、解析されることを前提としてトラップを仕掛けて、正直さを抜きとらねばならない。
あえて、既存のカーネルを使用しないこともあるし、プロックごとの言語だって統一しない。ややこしくひねくれた、どこぞの常春の島国の王様の作るようなプログラムが必要なのだ。
そして、そのためには、武藤佐の視点が必要不可欠だった。
この人の怖いところは、ブロック分けされたプログラムの中に、ウイルスさえも休眠させて仕込むという徹底した意地悪さを、思考ゲームの中で面白さまでに昇華させていることだ。そして、それだけのことをしながら、コンフリクトやバグを産まない能力も恐ろしい。
「見習いたい」などとは簡単に口に出せぬ領域なのだ。
次回、帰還、の予定です。




