第5話 名付け
「真、あなたの考えていることは解っている」
明るい美岬の声。
いろいろなことを考え込んでしまっている俺の耳に、ダイレクトに入ってくる。
さすがは、厳しい訓練を重ねてきた基礎体力だ。出産という大仕事を終え、もう回復しつつあるらしい。
「真、この子に生きて欲しい人生に、ふさわしい名前を。
真と私の子に、最初の贈り物をお願い」
うん、そういう約束だった。
俺が考えるんだ。
「美岬という名前は、別の世界への旅立ちを意味しているんでしたよね」
美岬の両親に遠慮して、そういう言い方になった。
この場では、美岬本人に聞くよりも、その両親に聞くのが筋だからね。
美岬と義両親、頷く。
「であれば、幸運なことに俺たちは、その旅立ち自体はできたと思うんです。
あとは、幸せにその旅を続けたい。そして、次の世代であるこの子には、安住の地を見つけて欲しい。
なので、広さを表し、かつ心がゆったりと落ち着いた状態をも表現する『悠』の字か、そこにたどり着く意味の『到』を使いたい。
女の子であれば、『到』は硬いイメージの字なので、美悠で『みはる』にしようかと思っていました。
で、男の子ですから、そのまま一文字で『到』ならば『ゆき』、『悠』ならば『はる』だと女の子っぽいので『ゆう』で良いかと思っています。
あとは、この子の顔を見て決めようと……」
そこまで言ったところで、個室のドアがノックされた。
ドアが開き、慧思と和美ちゃんが現れる。
おそらくは慧思、新幹線で俺の後を追うように東京から来てくれて、駅で和美ちゃんと待ち合わせしたんだろう。
「来てくれたんだ」
「ありがとう」
「日をずらそうかとも考えたけど、美岬ちゃんの体力なら大丈夫かもと思って来ちゃった」
「おお、男の子かぁ」
なんてあいさつがあって。
慧思も、当然のように男の子が生まれる意味を解っているからね。我が事のように喜んでくれた。
「で、名前は決まったのか?」
と慧思が聞く。
「ああ、今、その話をしていたところだ。
『到』で『ゆき』、『悠』ならば『ゆう』、そのどちらかにしようかと思っているんだ」
「『悠』で『ゆう』にしとけ」
お、慧思にしちゃ珍しい。
いつもの言い難いことを言う時の、申し訳ないっていう態度がない。
「なぜ?」
「『到』は『転倒』に通じるなんて屁理屈は言わんけどな、でも、少しでも名前としてありふれた字にしとけよ。
俺が言うんだから間違いない」
「あれっ、慧思、自分の名前で苦労したのか?」
慧思という名は、僧侶である祖父が付けてくれた名前で、慧思禅師という僧から来ているらしい。なんでも、聖徳太子に生まれ変わったと言われている高僧らだとか。
「ああ、文字どおりだ。
僧侶になるとしたら偉大過ぎる名前だし、ならないとしたらわけが判らん。じいさんも、初孫に舞い上がって付けた名前なんだろうな。
で、名前って、無意識にも本人が一番影響を受ける。
たぶん、俺がこの性格になったのも、この名前のせいってのはあると思うよ。
となると、『悠々』と生きる方が良くないか?
まして、禅宗に繋がりがあると、『到』の字は『暫到和尚』とか『新到和尚』なんて言葉が浮かんでな……」
まったく以って、こういう知識では慧思には敵わない。
「どういう意味だ?」
「暫到がお客さん、新到が新米って意味だ」
「ああ……。なるほど。
だけど、それなら、『悟りに到る』ってことも言えないか?
到るという字に、悪い意味はないのじゃないか?」
屁理屈ではなく、単純にそう疑問に思ったんだ。
慧思の言葉は簡潔だった。
「双海、悟りに到って欲しいのか、この子に?」
「えっ、まぁ、よく生きて欲しくはあるけど……。
親として、この子に悟りに到って欲しいとまでは思ってないなぁ」
「親として、それを願うのならば問題ないだろうさ。
どこかに到るほどの一廉の人物になって欲しい、それは、願いとして当然のものだ。
だが、双海、お前の望みはそこじゃないだろ?」
ああ、確かにな。
慧思、お前の言うとおりだ。
次話、フィナーレです。
長くお付き合い、ありがとうございました。




