8/26 ②
「ねえ、神崎。地球が終わるって本当なのかな」
その声はどことなく寂しそうだった。
「僕も信じられないけど、NASAがそう言ってるんだからそうなんだろう」
「そっか、そうだよね」と言って山内は膝を抱えた。ビニール袋の中の菓子パンに手を付ける気配はない。
僕が知る限りでは山内夏美はいつも明るく元気なハイテンションガールだった。
ところが今、目の前にいる山内はそうじゃない。異様に元気がない。さすがの山内でも地球滅亡に直面したら深刻にならざるを得ないのかもしれないな。
そんなことを考えながら僕は卵焼きを口に運んだ。
すると、山内が少しだけ元気を取り戻したかのような声で僕に向かって言った。
「ねえ、頬、つねってよ」
「えっ?」
「もしかしたら夢かもしれない。変な夢を見ているだけなのかも」
山内は真面目な顔で僕に迫ってきた。
「ねえ、つねって」
僕は弁当箱と箸を屋上の緑色のコンクリートの上に置いて、右手を彼女の頬のあたりまで持っていき、親指と人差指でそっとつねった。
彼女の頬は予想以上に柔らかかった。
胸の鼓動が速まっていく。身体が火照っていくのは決して暑さのせいだけじゃない……。
これは……。
僕は慌てて彼女の頬から手を離した。
いやいや、僕には昨日鷹梨さんという恋人ができたばかりじゃないか、山内に対してそんな気持ちはこれっぽっちも芽生えちゃいない、気のせいだ、気のせい……。
山内はさらに僕に顔を近づけて言った。
「ねえ、今のは弱すぎ。もっと強くつねって!」
「待て待て、そんなの自分でやればいいじゃないか。それに僕だって驚いてるよ。夢なんじゃないかって思ってる。でも、僕たちにはどうすることもできないんだよ」
「そうだよね…。ごめん……」
「それで話ってのは今ので終わり? ほっぺたつねってってヤツ?」
僕は自分の気持ちを彼女に悟られるのを恐れて話を切り上げようとした。
「えっと、そう。ごめんね。こんなくだらないことで呼び出して」
そう言う彼女の苦笑いにはどこか諦めのようなものが漂っていた。
山内は手つかずのパンが入ったビニール袋を持って立ち上がり、「ありがとう、そんじゃ」と言って屋上を去っていった。
僕はひとり弁当の残りを食べながら、流れていくいくつもの浮雲をただ眺めていた。
「神崎君、挨拶って人間の基本だと思うの」
少し前を歩く鷹梨さんは僕のほうを振り向くことなく言った。
「ええっと」
「今日の朝、あなたはいつも通りチャイムの直前に教室に入ってきて、そうして私に声をかけることなく席についたわ」
これは、尋問が始まっているのか……!?
この日はついにすべての部活動が休みになった。僕と鷹梨さんは昨日と同じように駅の方向へ歩いていた。
「でも鷹梨さん、朝、読書してたじゃない」
「本ぐらい自由に読ませてほしいわ」
「邪魔したら悪いなと思ったんだよ」
「そりゃ、邪魔したらもちろん絶交よ。でも挨拶は別。それに考えてもみなさい。席について黙って何もせずにあなたの挨拶を待ってるほうがおかしいでしょう」
それはそうだが……。
僕は彼女の背中に向かってわざとらしく大きな声で反撃を試みた。
「要するに僕に挨拶してもらえなくて寂しかったんだねぇ。悪かったよ。寂しがり屋の鷹梨のぞみさん」
鷹梨さんはピタッと歩みを止めて一瞬立ち止まり、ふん、と言って少し怒ったように早足で再び歩き始めた。
まあまあ効いたかな?
「まあ、そんなことはどうでもいいのよ。毛ほども気にしてないわ」
いや盛大に気にしてるだろ。
「それより、今日不思議なことがあったの」
「……え? う、うん」
急に話が切り替わるな。
「今日の朝、山内さんが『顧問の原田が昼休みに職員室に来るように言ってたよ』って言ってきたの。だから私、その通りに昼休みに職員室に行ったのよ」
ああ、それで4限の授業が終わった途端に立ち上がって教室を出ていったのか。
「でも、職員室には原田先生はいなかった」
「授業が少し長引いたんじゃない?」
「それも考えて10分待ったわ。でも先生は現れなかった。それで職員室にいたほかの先生に聞いたら『昼はいつも体育館の準備室にいるはず』って。自分で人を呼びつけておいて約束の場所にいないだなんて教育者としても人間としても絶望的な出来の悪さね、なんてことを思いながら体育準備室まで行ったの」
いや、鷹梨さん、そういうあなたは女子高生として絶望的な口の悪さだな、おい。
「で、原田先生は結局そこにいらっしゃったんだけど、『俺はそんなこと言ってない』なんてぬかすのよ」
「え?」
「だから私、胸ぐらつかんで『どういうこと?』って問いただしたわ」
「そんなことしたの!?」
「嘘に決まってるじゃない。脚色よ」
脚色が脚色に聞こえん……。
「そうしたら原田先生、『山内がなんか勘違いしたんじゃないか?』って言ったわけ」
まあ、そういうこともあるかもな。
「神崎君みたいに頭の悪い人なら、ここで『ああ、そういうこともあるか』と思ってそれで納得するかもしれないけれど、私は決して頭の悪い人ではないので考えたわ」
挨拶しないよりその発言のほうがよっぽどひどいだろ……! あと、心の声を読むな……!
「つまりね、神崎君、山内さんは最初から私を騙すつもりだったんだわ」
「というと」
「昼休みに私をどこかへ追い払っておきたい理由があったのよ、きっと。私はあなたが朝、挨拶しなかったことより、余程こちらのほうが重大な事案だと思っているわ」
彼女は突然立ち止まり、ぱっと振り返って僕の顔をじっと見て言った。
「その理由、何だと思う?」
なんだ、なんかすごく嫌な予感がする。山内が鷹梨さんを騙した理由は多分僕に関係があり、しかも鷹梨さんはそのことを理解していながら、あえて僕にその理由を解明させようとしているような気がする……。
そして、その理由とは恐らく昼休みに僕が鷹梨さんに捕まらないようにしたかった、ってことだろうな。それで山内は先生が呼んでるなんて嘘を言ったんだ。もし僕が鷹梨さんに声を掛けられたらそこからはもう抜け出せない、と山内も思っていたのだろう。
まあ、作戦自体はうまくいったわけだけど、しかし首尾よくやってほしいものだよ。なんで僕にツケが回ってきてるんだ……。
ここはとりあえず、しらを切って相手の出方を見よう。
「さあ、ドッキリでも仕掛けようとしてたんじゃない?」
「そのあと教室に戻ったけど驚かされるようなことなんて一つもなかったわ」
「失敗したんだよ、準備がうまくいかなかったから中止になった……とか」
「……そっか、そうね、きっと」
お……?
「そんなわけないじゃない。こんな事態の時に誰がドッキリ仕掛けてキャッキャするのよ」
ダメか……。
「神崎君、適当なこと言ってると隕石落ちてくる前にあなたを滅亡させてあげるわよ」
「なんだよ、『あなたを滅亡』って……」
「私、わかってるのよ。あなた、山内さんと密会していたんでしょう?」
全部バレてんじゃん!