8/25 ①
【8/25(月)】
高校に入って初めての夏休み。友達と遊びまくったり、ひと夏の恋に胸をときめかせたり、なんてことは全く無かった。
昼頃起きて、クーラーが効いた部屋でTwitter見て、ゲームやって、飯食って寝る。
そんな毎日を繰り返していたら、いつの間にか二学期だ。
「このミトコンドリアっていうのが、お前らが今朝食べた米とかパンとかを……」
小学生の頃なんかは、友達とプール行ったり、近所の公園で日が暮れるまで遊んだりしてたのになぁ。僕はいつからこんな無気力人間になってしまったのだろう。
「お前ら、ミトコンドリアに作ってもらったエネルギー、無駄遣いすんなよ〜。ミトコンドリアが可哀想だからな」
生物担当の原田先生が下手な図を描きながら、よく通る声で笑いながら言った。
はいはい、どうせ僕のミトコンドリアは可哀想ですよ。今日からまた授業授業の毎日か。夏休みも退屈だったけど、学校に通うのも面倒なんだよな。
学校に来ても楽しいことがあるわけじゃないし、仲のいい友達がいるわけでもない。
「え! マジ!?」
教室の真ん中あたりの席の女子が突然叫んで立ち上がった。その勢いでふわっと広がるショートヘアが目に入った。
山内夏美だ。手にはスマホを握りしめている。
僕と彼女は同じ小中学校出身だ。深い関わり合いこそなかったものの、小柄ながらに運動神経のいいハツラツ少女だということは知っている。しかし、さすがに授業中に叫んで立ち上がるところは初めて見た。
おい山内、授業中だ、スマホもしまえ、という原田先生の声を、ミトコンドリアなんてやってる場合じゃないよ、と遮って彼女は深刻そうに言った。
「隕石落ちてきて、地球、終わるって……」
NASAの発表によると隕石の直径は130km。恐竜を滅ぼした隕石の10倍以上の大きさだ。
地球上どこにぶつかっても2時間以内にすべての生命体を死滅させるほどの威力があるという。
隕石が落ちてくるまで9日間の猶予はあるものの、現在のテクノロジーでは隕石を破壊したり隕石の軌道をずらしたりすることはできないらしい。
つまり、ほぼ100%の確率で地球は滅亡するというわけだ。
授業は自習に切り替わり、原田先生は「勝手に帰るなよ」と言い残して教室を出ていった。
クラスメイトたちは「ヤベーよ、隕石って…」「私、死にたくないよぉ」「ロケットで地球から脱出しようぜ」「今日エイプリールフールじゃないよな」などと騒いでいる。何人か泣き出している女子もいた。
確かにちょっと信じられないし僕も正直驚いた。あまりに唐突過ぎるのだ。
ただ、公共放送も民放も新聞各社もこぞって「隕石接近、地球に衝突か」と報道しているところを見るに、実感も確信も持てないけれど、きっと紛れもない真実なのだろう。
しかし僕はこうも思った。今の生活が楽しいわけではないし、将来に希望があるわけでもないし、世界のほうで勝手に終わってくれるのならそれもアリかな、と。
それに騒いだところで助かるわけでもない。いいじゃないか、いままで人類が誰も見たことのない天体ショーを生きてる間に見られるんだから。いや、それは流石に思考が狂ってるか、なんて考えながら僕はスマホでTwitter上の反応を眺めていた。
「ねえ、ちょっと」
耳元で誰かが囁いた。驚いて声がしたほうを向くと、そこにいたのは鷹梨さんだった。
鷹梨のぞみ。クラスの女子の中では背が高いほうである彼女は、黒髪ロングヘアをいつも風になびかせている。
二重のまぶた、透き通った瞳、すっと通った鼻筋、そんな容姿でなおかつ口数の少ない彼女に、僕はなんとなく高嶺の花というイメージを持っていた。
その鷹梨さんが何の用だ? しかもこんな時に?
「外に出て」
彼女は座っている僕の腕を掴み、グイと引っ張った。彼女の目は真剣そのものだ。
何のことだかわからない僕は気が進まなかったけれど、抵抗できそうにもなかったので立ち上がって促されるまま廊下に出た。
僕はそうして彼女に体育館裏まで連れてこられた。太陽は地面を強く照りつけ、蝉の声が絶えず鳴り響いている。
「鷹梨さん、一体何の用……?」
「何か思い当たることはない?」
彼女はやはり真剣な眼差しで僕の目を凝視している。
ヤバい、これ絶対怒ってるよ。何だ、何に怒ってる? 大体、夏休み中、鷹梨さんには一度も会っていない。もしかして一学期のことか? でも、そもそも彼女とは数えるほどしか話したことがないし……。
「すみません、わかりません」
「本当に?」
「は、はい」
暑さと緊張で額から汗が流れてくる。
鷹梨さんは表情も崩さず静かに言った。
「私、あなたのことが好きなの。気づかなかった?」
「えっ?」
「ねえ、だから付き合ってくれない?」
一瞬、僕の思考は止まった。
「た、鷹梨さん、え、どういうこと?」
「どういうこともこういうこともお付き合いの申し入れをしているの」
いや、それはわかるんだけど、何でそんなに親しいわけでもない僕に、しかも地球が滅ぶと騒ぎになっているこのタイミングで、告白なんかしちゃってるの!?
「あの、さ、もうすぐ隕石が落ちてきて地球が滅ぶって大騒ぎになってるんだよ。それなのに僕なんかに告白したりして。えっと、つまりどういうことなの」
「いつ告白するかの自由くらい、私にも認めてほしいわ。神崎君は、どうせみんな死ぬのに今から付き合ったところで何の意味があるんだ、って言いたいわけ?」
ええっと、そこまでは言ってないけど……。
「あのね、神崎君、当然だけれど残酷なことに、遅かれ早かれ人は死ぬの。あなたは今、もうすぐ地球が滅ぶと言ったけれど、もしかしたら私はそれより前に死ぬかもしれない。今日の午後、交通事故に遭うかもしれない。明日の朝食に毒を盛られて倒れるかもしれない。一秒先のことは誰にもわからないのよ。私たちに保証されているのは今だけ。私たちが手にしているのは今だけ。だからいつだって今の自分に正直でいたいの」
うつむきがちにそう語る彼女の表情は、ほんの少しだけ翳りを宿していた。
「神崎君、ねえ、だから……」
「鷹梨さん、それはわかった。でも、なんで僕なんだ」
彼女は顔にかかっていた長い黒髪を右手で右耳にかけた。
そして、彼女は頬を少し赤らめて、戸惑いの表れなのか、揺らぎのあるこもり気味の声で言った。
「……す、好きに理由がいるかしら」
さっきまでめちゃくちゃクールで押し通そうとしてたのに、突然の恥じらい……!
そんないじらしさにハートを撃ち抜かれてしまった僕は、鷹梨さんの申し入れを受け入れざるを得なかった。
こうして不器用過ぎる僕たちの恋物語が始まったのである。