砂漠、傷心、運命の二人
見渡すとそこは一面の砂漠だった。
「…………」
手で砂をすくってみるとサラサラと指の隙間から零れ落ちていった。その砂に自分を映して、皮肉げに口元を歪める。
「上出来な場所だな」
男はそこに倒れ込んだ。強い日差しが目や体を焼いていく。男は死ぬ気だった。職も、家も、家族も失った彼に生きる気力はもう残ってはいなかった。
どれほどそうしていただろう。目を瞑っていても明るかった視界が急に暗くなったので、男はゆっくりと目を開けた。そこで一人の女性が自分を見下ろしているのが見えて、男はもう自分は死んだのかと勘違いしそうになった。それほど、目の前にいたのは美しい女性だった。
「何をしているんですか?」
女性は流暢な日本語で彼にそう尋ねた。男は驚いて体を起こす。流れる金色の髪にしっかりと整った顔立ち。あまりに顔つきと言葉がかけ離れていて、男は更に混乱した。
「えっと、What are you doing?」
今度は英語で何をしているのかと聞かれる。男はその言葉を聞き、彼女はハーフかもしれないと思った。そう思うと幾分落ち着いた。男は一つ息を吐いて無理矢理作った笑みを彼女に向ける。
「いえ、日本語で結構です」
その男の言葉に安堵したのか、女性はホッと一息ついた。女性がそうしている間に、男は話すことをじっくり考えていた。嘘をつくべきだという事は分かっている。話す必要性も義理もこちらにはないのだ。そんな風に結論づけ、適当な嘘を考えていた矢先に女性が先に声をかけてきた。
「こんなところで人に会うなんて思ってなかったのでびっくりしたんですよ。一体どうしたんですか? 観光にしてもここは砂漠しかありませんし」
考えていた嘘を先に言われてしまい、男は苦笑いするしかなかった。そうしているうちにだんだん死のうとしていた事が恥ずかしい事の様に思えてきた男は、ついに彼女から目をそらした。彼女はそれを見逃さなかった。
「……良かったら、少し歩きませんか?」
彼女の真意をつかめない男だったが、その真っ直ぐな瞳と透き通る様な声に逆らう力はもっていなかった。
彼女の後を歩く。砂に囲まれた世界で美女と二人。男が自分の頭を正常か疑ったとしても仕方のない状況だ。
「砂漠って不思議だと思いませんか?」
女性は男を振り返る。揺れる金色の髪。一瞬見とれた男は、一拍遅れて意味が分からないといった表情を浮かべた。
「普通に見渡せば、一面の砂漠。だけど今見てるのと全く同じ状態の砂漠は世界中探してもないんですよ」
女性の声は男の心に、それこそこの砂漠に一滴の水滴を落としたかの様に染み渡っていく。それを男は自分でも驚くほど素直に受け入れる事が出来た。
改めて辺りを見渡す。さっきまでと変わらない風景。だが今とさっきまでとは何かが確実に変わっていた。
「何をしようと思ってここまで来たのかは、もう聞きません」
今度は男が女性の方を振り返る番だった。笑っている女性。聖母の微笑みとはきっとこんな感じだっただろう。無宗教な男だったが、そう思わずにはいられなかった。
「ただ考え方を一つ変えるだけで、人生は一気に変わる。私はそう思うんです」
女性が男に近づく。男が手を少し伸ばすだけで触れられる程の距離。男を見上げる女性。大きく動く自分の心臓の鼓動を確かに男は聞いた。
「生きたい。そう、その心臓は言ってはいませんか?」
男は頷く。生きたい。その先に見えた自分の想いは、心だけには留まらずに言葉として外に出た。
「生きたい。出来るなら、貴女と共に」
その男の言葉に、女性は笑顔で応えた。
物語は終わらない。そしてこれは奇跡の物語ではない。人が生きている限り、誰にも起こる可能性がある物語。ただの一人の男が経験した、物語の一部でしかないのだから。
fin