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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

きっと世界で一番弱い勇者

作者:

「はあああああああぁぁぁぁぁ!!」



 ソードマスターであるカインが、大剣を振るう。大剣は半円の軌跡を描き魔物の集団を一刀両断、肉片へと変えた。

 周囲の魔物を全て倒し、六人からなるそのパーティーの戦闘は終わった。


 日が落ち周囲はオレンジ色に染まっている。もう少しすれば真っ暗になるだろう。そんな時間帯だった。


「ふぅー。皆さんお疲れさまです。今日はもう終わりにして、宿に戻るとしましょう」


 聖女ユーフィリアが仲間達に声をかけた。お馴染みとなっている活動終了の合図だ。



 聖女ユーフィリア、ソードマスターカイン、賢者シーラス、魔導師ネクレア、聖騎士イリアナ


 誰もが美女、美丈夫、まるでおとぎ話に出てくる英雄達をそのまま具現化したようなある種、神秘的にさえ感じられるそのパーティーには一点、異質が存在した。


 盗賊クレイ


 黒髪黒目、細い目に低い身長、どことなく機嫌が悪そうに見えるその顔は、お世辞にも優れているとは言えない。


 また聖女、ソードマスター、賢者、魔導師、聖騎士といった希少なクラスを持つ、国の推薦で集ったメンバーのなかで、ただ一人、途中参加の一般的な盗賊のクラス。


 彼がそのパーティーにふさわしくないことは誰の目にも明らかだった。


 談笑しながら町の宿へと戻るパーティー内で、彼は最後尾を一人で歩く。


 彼にも自覚はある。自分の能力が仲間達に釣り合っていないこと。迷惑こそかけていないものの、大して役に立てていないこと。


 クレイは何度もパーティーを抜けようとしたがユーフィリアはその度に涙を流し、引き留めるのだった。心優しい彼女にとってはクレイは立派な仲間であり、そこに差など存在していなかった。


 しかしこのパーティーに所属していて彼がもっとも苦しいのは、容姿や能力の差とはもっと別のところにあった。



 街の門を抜け、宿へと歩く。


 街に活気はない。それどころか外を歩く人間さえほとんど見受けられない。これがこの世界の普通であった。


 道中、子供が道の端に倒れているのをユーフィリアは見つけた。


「あっ......」


 驚きの声を出すとすぐに駆け寄っていく。側にしゃがみこみ、抱き起こす。仲間達も後に続いた。


「どうしましたか? 大丈夫ですか?」


 子供はまだ五歳にも満たない少年であった。衣服はぼろぼろで、恐らくスラムの子供だろう。

 少年は苦しそうに呻き声をあげて目を少し開く。


「おなか......すいたよ......」


 少年はユーフィリアに手を伸ばす。


「あるけなく、なっちゃった......。しんじゃうのかな......」


 少年の声は弱々しく、体は痩せ細り今にも折れてしまいそうだった。


「見ろ」


 カインが少年の足を指し示す。

 少年の足は指の先が灰色に染まっていた。


「魔王の呪い......」


 ユーフィリアが苦し気に呟いた。

 そしてその美しい顔を悲しみに歪め、少年を抱き締める。

 目から一筋の涙を流し、少年に微笑みかけた。


「あなたに、神のお導きがあらんことを、心より願っています」


 カインがユーフィリアの肩に手を置く。


「俺がやろう」


 ユーフィリアは目をつぶり辛そうに頷いた。


「すみません。お願いします」


 ユーフィリアは少年をそっと寝かせると、カインに場所を明け渡す。


 そのとき、クレイが前に出ようとした。その肩を魔導師ネクレアが押さえつける。


「何をする気なの? うちらだってつらいんだよ。君はまだ分からないの?」


 クレイはネクレアを睨み付ける。それを受けてネクレアは氷のように冷たい視線をクレイに返す。クレイは何も言わず、もう動こうとはしなかった。しかし体は怒りで震え、固く握った手は爪が食い込み血が流れていた。


カインは少年の側に歩み寄ると、剣を抜き、躊躇なく首を絶ち切った。


少年は声を発することもなく絶命した。


クレイは歯を食い縛り目を固く閉じていた。


(なんで......なんでだよ......。なんで殺さなくちゃいけねぇんだよ!)


クレイは心の中で吠える。


(なんでその手を握ってやれねぇんだ。どうして助けちゃダメなんだ......。俺には......わからねぇよ......)


怒り、悲しみ、絶望、色々な感情がクレイの中で渦巻いていた。


そんな彼に聖騎士イリアナが話しかける。


「戦える者には責任がある。それは盗賊風情の貴様でも同じだ。私達の使命は勇者様が現れるまで人類を守ること。そのためならば人間をやめる覚悟さえある。貴様の愚かで直情的な行動はいたずらに人を苦しめ、殺すだけだ」


賢者シーラスも続いた。


「あなたのそれは正義とは言いませんよ。僕達よりも力の弱いあなたが誰かを救おうとするのは傲慢というものです、身の程を知るべきです。出来る範囲で人類のために動くのですよ」


 そんな二人をユーフィリアがたしなめる。


「二人とも言い過ぎですよ。人はそんなに簡単に変われるものではありません。クレイさん、少しずつでいいのです。少しずつ自分が出来ることを理解し、人類のために出来ることをやっていきましょう」


 ユーフィリアはクレイの両手を握り慈母のように微笑みかける。彼女の心は美しく、その行動は全て人のためである。彼女こそが正義であり善であった。


 クレイは何も言えなかった。彼女らの言うことは正しい。間違っているのは自分なのだ。それを理解していてもどうしても受け入れられない。

 彼は正義を貫けない。彼は善になりきれない。




 この世界には魔王がいる。魔族の頂点にして最強の存在。その力は人間を遥かに凌駕する。

 過去、人間と魔族は不干渉を貫いてきた。しかし五十年前、魔王が代替わりし魔族は人類に戦争を仕掛ける。

 その戦力差は圧倒的で人類は追い込まれ、土地の大半を失った。人類は食料不足に苦しみながらも土地の奪還を諦め、残された土地で防衛に徹することを決断。

 それが功を奏し、魔族に攻め滅ぼされることなく今日まで命を繋ぐことができた。

 しかしそこで、魔王は人類を滅ぼすため呪いをばらまいた。

 それが魔王の呪いである。

 その呪いにかかると体が徐々に石になり、それが心臓に達すると命を落とす。

 人から人への感染はしないものの、その呪いは人類の土地全てに及び、魔力抵抗の低い子供や老人の命を奪っていった。

 食べ物もなくいつ自分が死の呪いにかかるか分からない。そんな圧倒的絶望の中にあっても、しかし人類には希望があった。

 それは人類の国、マレイトスより発せられた一つの予言。

 曰く、近い将来救世の勇者が現れ、魔王を打倒しこの世に平穏をもたらす。

 この予言を受けて、人類は勇者が現れるそのときまで、ただ堪え忍び生き残る、それが残された唯一の道だと信じるのだった。

 魔王の呪いは魔王を倒すことでしか解くことが出来ない。そのため呪いにかかってしまった者は、食料不足を緩和するために殺される。

 力を持つ者達は決して無理な戦いをせず、生命力の高い大人を生かすことを優先する。

 守りきれず魔族に攻め込まれた街や村は早々に放棄し、必要であれば子供や老人を囮に使う。

 全ては勇者が現れるその時までに人類が生き延びるため。

 それがこの世界の善であり正義だった。




 一行は宿に戻った。夕食を終え、各自割り当てられた部屋で眠る。

 ベットに入るとクレイはいつも思い出す。

 誰かを守るため一人で戦い始めたこと。

 魔族と戦い、敗北し、命からがら逃げたところを聖女達に拾われたこと。

 聖女達の仲間になって自分達で殺した人々のこと。

 毎夜クレイは腕で目を覆い涙を流す。自分の無力を嘆き、絶望が彼の心を引き裂く。人のために戦い、人のために傷を負える、しかし人のためであっても殺せない、非情になりきれない優しさが彼を苦しめる。

 夜が更け、クレイもやがて眠りに落ちた。


 翌朝、支度を終え聖女達は宿を出た。


「さあ、今日からは昨日話し合った通り、予言の国マレイトスに向かいます。皆さん準備はいいですね?」


 ネクレアが元気に返事をする。


「うん、大丈夫!  忘れ物なし!」


 それをカインがからかった。


「お前が忘れ物しないなんて無理だ。あきらめろ」

「なんだとー!」


 一行の雰囲気は良好だった。厳しい状況においても彼らの心に絶望はなく、いつも明るい。

 カインにはそれが自分の心の弱さを浮き彫りにさせるようで辛かった。


「何が起こるか分からないのだ。気を引き締めていこう」


 イリアナがまとめると、一行は歩きだす。


 街を出て森に入り魔物と遭遇するも、彼らは人類の中でも選りすぐりの精鋭達だ。危なげなく殲滅していく。


 それは正午になる頃だった。

 人里から離れた森のなか、右側には岩山が聳えている。


 一行の進行方向から小さな人影が近づいてくるのが見えた。


「むっ」


 カインが剣を抜き警戒する。

 ユーフィリアがカインに声をかける。


「カイン、大丈夫。女の子です」


 走ってきたのは十四才ほどの少女だった。腕に何かを抱え、息も絶え絶え走ってくる。


「た、助けて! 弟が......弟が!」


 少女の名前はネル。身体中に傷を作り、着ているものはまるでぼろ布のようである。赤い髪に、鋭く輝く赤い瞳が特徴的な少女だった。


「どうしたのですか!?」


 ユーフィリアも走り寄る。


「弟が、呪いにかかって、こっちの街に聖女様が来たって噂を聞いたから、助けてもらえるんじゃないかって......」


 少女に抱かれたのは膝の先まで灰色に染まった少年だった。彼女は弟を救うため、隣の村から走ってきたという。魔物の多く住む森の中を力のない少女が子供を抱き抱えたまま走り抜けられたのは、ほとんど奇跡のようなものだった。


「あっ......」


 ユーフィリアが顔を沈痛に歪ませる。一行の間を沈黙が支配した。


「聖女は私です。でもごめんなさい。私ではその子を救うことは出来ないのです。呪いを解くためには勇者様が魔王を打倒しなければなりません」

「そ、そんな......」


 少女の顔に絶望の影が落ちる。


「だったら、だったら聖女様達が魔王を倒してください! 聖女様達は強いんでしょう!? お願いします! 弟を助けてください!」


 ユーフィリア以外に声を出せるものはいない。全員が辛そうに下を向いていた。


「私達が危険をおかして魔王に挑むことは出来ません。今は戦える者がとても少ないのです。戦える者は人類を魔族から守り、人類の存続に専念しなければなりません」


「そしたら......弟は......」


「その子はもう、長くはないでしょう。これ以上の苦しみを与える前に神の元へ送り届けるのがその子にとっても救いでしょう」


「えっ......」


 ネルが瞳を見開く。何を言っているのか分からないといった表情だった。


 カインがネルに近づいた。それを見てネルは後ずさる。


「ま、まってよ。なにするの? まさか、そんな、嘘でしょ?」


 ネルは転んでしまった。弟を強く抱き締め。カインを見つめる。


「それがその子の、そして人類ためなのだ。分かれ」


 カインがそう言いながら手を伸ばして、ネルの弟を取り上げようとした。


 そこにクレイが割って入る。

 カインの手を弾いた。

 ネルと弟を背に庇い、一行に正面から向き合う。


「なっお前......」


 カインが絶句する。

 それは他のメンバーも同じだった。


「ク、クレイさん?」

「貴様、まだ分からないのか!!」


 ユーフィリアが驚き、イリアナが激昂する。


「信じられないよ。まさかそこまで愚かだとは。君は僕達が初めて会った時から何も成長していない」


 クレイは歯を食い縛り一行を睨み付けた。


「うるせぇよ......。こんなのは間違ってるだろうが! 姉の前で弟を殺すことの何が正義なんだよ!」


「君は本当にわかっていないの? うちらのやってることが悪で、自分のやってることが正義だと本気で思ってるの?」


 ネクレアの視線がクレイを貫く。衝動的に動いてしまったクレイは何も言い返せない。彼自身、自分の行動が正しいのか分からなかった。


 そんなクレイにユーフィリアは優しく微笑む。


「クレイさん。あなたの行動はその子達を思ってのものです。恥じることはないのです。しかし自分の過ちに気づけたのならばそれを正せることも勇気ですよ」


(過ち......。過ちなのか? 俺がまだ未熟だから、俺の心が弱いから。間違ってるのは俺なのか?)


 ユーフィリアに諭されてクレイの内側で燃えていた怒りの炎が揺らいでしまった。彼の中に自分を貫く力はもう残っていなかった。


 クレイが下を向く。

 そんなクレイにユーフィリアが手を伸ばそうとした、そのときだった。



「ウオオオオオオオォォォォォォ!!」


 突如雄叫びが響き渡る。


「なっなんだ!?」


 カインが焦りに声をあげる。


 その瞬間、巨大な石の塊がクレイを吹き飛ばした。その衝撃にクレイは地面を転がり、木へとぶつかる。


「ぐはぁ!」

「クレイさん!」


 ユーフィリアが駆け寄ろうとするもその腕をイリアナが掴み、止めた。


「ユーフィリア! あれを見ろ!」


「なっあれは......」


 イリアナが右に面する岩山の上を指し示す。

 そこにいたのは体長が五メートル程もある巨大な化け物だった。


 豚の頭部に鋭い牙を持ち、人間のような体躯は筋肉の塊だ。それがすさまじい勢いで岩山を駆け降り一行へと迫っていた。


「オークキング、ですね......」

「ああ、下級でも魔族だ。倒せても全員無事にとはいかないだろう。近くに守るべき人里はない。ここは引くべきだ」


 ユーフィリアに決断が迫られた。ユーフィリアはクレイの方を向く。


「クレイさん! 走れますか?」


 クレイは上半身を起こし返答した。


「......だめだ。左足を痛めちまった」


 ユーフィリアが唇を噛む。額には汗が浮かんでいた。


「カイン、クレイさんを......」


「ユーフィリア」


 イリアナがユーフィリアの肩に手を置く。

そして何も言わずユーフィリアを見つめた。


「で、でも」

「全ては、人類のためだ」


 イリアナはユーフィリアの言葉を遮る。

 クレイを庇いながらでは逃げることはできない。それにクレイが残れば囮にもなるだろう。

 ユーフィリアの瞳が揺れた。

 ぎゅっと目をつぶり、目に涙をためてかすれた声でつぶやいた。


「クレイさん、ごめんなさい......」


 そんなことを言ってもクレイは救われない。

 その謝罪はクレイではなく自分のためだろう、ユーフィリアも理解していた。

 しかしこれは人類のため、正義のため、善のため。


 一行は走り出した。クレイを置いて。足を痛めた仲間を見捨て正義のために走り出した。


 しかしそれを見ても、クレイの心は静かだった。

 今まで何人もクレイは人類のため、人を見捨ててきたのだ。そのときの苦しみに比べたら、自分が見捨てられる方が彼にとっては楽だった。


 オークキングが迫ってくる。クレイはそれをぼんやりと見ていた。せめて、自分の死で先に殺した誰かの心が救われますように。


 大地が揺れる。オークキングが岩山を降り、立ち止まった。

 すぐにオークキングはクレイに襲いかかり殺すだろう。それを遮るものは何もない。



――はずだった。



 小さな赤色が横から飛び出す。

 それは先ほどの少女ネルだった。


 弟を森に隠し、ひのき棒を構えて、クレイに背を向けオークキングに立ち向かう。


 クレイは目を見開いた。


「おっ、お前!?」


 ネルは何も返さない。無言の背中は、オークキングに比べあまりにも小さく、あまりにも弱々しかった。


「な、何考えてんだよ!? どういうつもりだ!」

「助けますから、黙ってて下さい」


 ネルの声はかぼそく、恐怖に震えていた。


「ふざけんじゃねぇぞ! お前に何ができるってんだよ!! いいから弟と逃げろ!」

「黙ってて! 走れないんでしょ? なら......黙ってて」


 彼女に戦えるわけがなかった。彼女に力はなかった。膝が震え、今にも倒れてしまいそうだ。

 オークキングがゆっくりと近づいてくる。

 クレイは焦った。自分の無力でまた誰かが死ぬ。その恐怖は死の恐怖よりも大きかった。そのせいか、今まで何度も言われた言葉が自然と口をついて出てしまった。


「それは、正義なんかじゃねぇんだよ! 力のないヤツが誰かを救おうとするのは傲慢だ! 愚かなんだよ! その行動が誰かを苦しめる! 誰かを殺す! 自分にできることを考えろ! お前が今、やるべきことはなんだ!!」



「あなたを助けること!!」



 ネルが叫ぶ。その声に震えはない。力のこもったその声にクレイは言葉を失った。


「私の無力は、私が一番知ってる! 傲慢でも愚かでも! それがたとえ正義じゃなくても! 助けたいと思っちゃったんだからしょうがないじゃない! 私は誰も諦めたくない。こいつを倒してあなたを助けて、魔王を倒して、弟を助ける!」


 ネルの言葉がクレイを打ち砕く。クレイが必死で求めた正義も正しさも彼女にとっては関係がない。ただ彼女は目の前の人を助けたいだけ。

 自分よりも無力な少女が、強大な敵に立ち向かう。

 その姿はまるで、勇者のようだとクレイは思った。

 彼の頬を涙が伝う。


 ネルは微笑んで言った。


「失敗しても死ぬのは私だけです。だったら私の命の使い方は、私が決めます。正義なんかにまかせない」


 ネルの前にオークキングが迫っていた。拳を振り上げる。


「うおおおおおおおおお!!」


 クレイは片足と両手の力でネルを飛び越えオークキングに体当たりした。

 その衝撃にオークキングはたたらをふむ。


 クレイはナイフを引き抜くとを振り返らずに言った。


「俺がやる。君は弟を守れ」

「でも足が......」

「大丈夫。信じてくれ」


 ネルはクレイを見つめたあと頷いて駆けていった。

 今のクレイに怖いものなどなかった。

 自分が散々苦しんでいたものをネルは打ち砕いた。

 自分が必死で求めていたものをネルに見せつけられた。

 答えは貰った。


 あとは、命を懸けるのみ。


「ぐぉぉぉぉ」


 オークキングが低く、唸る。


 オークキングはその筋肉と毛皮で鉄壁の防御力を誇る。

 普段のクレイでは絶対に勝てない相手。しかし彼は今、負ける気がしなかった。


 彼の盗賊クラスで使えるスキルは多くない。

 素早く動ける『瞬動』、敵を麻痺させる『パラライズダガー』、敵を毒状態にする『ポイズンダガー』、正確に物を投げられる『投擲』、気配を殺す『隠れ身』


 『パラライズダガー』においては大型の敵にはほとんど効果がなく、体の一部を麻痺させる程度。『ポイズンダガー』は毒に耐性のある敵には無意味だ。



 オークキングが動く、一歩を踏み出し拳を叩きつけてくる。


「瞬動!」


 一瞬のうちにクレイは、オークキングの踏み込んだ足の前に移動した。


「パラライズダガー」


 ナイフが黄色い光を帯びる。

 そのナイフでオークキングの足を薄く切り裂く。


 オークキングは一瞬の足の痺れに膝をついた。その隙をクレイは逃さない。

 右足のみの跳躍でオークキングの首にしがみつき、その目をナイフで突き刺した。


「ポイズンダガー!!」


 ナイフが紫の光を放ちオークキングに毒を送り込む。


「グガアアアアァァァァァ!」


 オークキングが叫びをあげ、激しく体を振る。その力でクレイは弾き飛ばされた。片足では受け身もとれず地面を転がる。

 それをオークキングは息も荒々しく片目で睨み付けた。その目は殺意に染まっている。


「お兄さん!」


 思わずといった感じでネルが叫びをあげた。オークキングはそれに反応し、一瞬のネルの方を見る。

 それは明らかな隙であった。

 クレイは一度も緊張を切らしていない。


「投擲!」


 オークキングがもう一度クレイに視線を戻したとき、クレイはナイフをオークキングのもう片方の目に投げていた。

 それは寸分違わずオークキングの目に突き刺さり、オークキングから光を奪う。


「グガアアアアアア!!」


 オークキングは両目を失い恐慌状態に陥った。木をなぎ倒し、岩山を殴り付ける。


 その衝撃で岩山から巨大な岩石が転がってきた。

クレイはもう一本のナイフを取り出すとオークキングが暴れまわる暴力の台風の中へ飛び込んだ。

 瞬動を細かく発動し、片足のみでオークキングに肉薄。


「パラライズダガー!」


 片足を切りつける。

 オークキングはうめき声をあげてよろめいた。

 クレイは飛び上がり岩壁に片足をつける。


「瞬動!!」


 全体重をのせた最大威力の体当たりをオークキングの背中に見舞う。

 体勢を崩していたオークキングはその一撃に大きく飛ばされ、仰向けに地面へと倒れる。


 そして、オークキングは起き上がる間もなく巨大な岩石に潰された。


 岩石からはみ出たオークキングの手はピクリとも動かない。

 完全な絶命。

 ――クレイは、オークキングに勝利した。




「勝った......」


 クレイは小さく呟くと膝をついた。片足は酷使したせいで、ガクガクと震えていた。


「お、お兄さん」


 ネルがクレイに近づいていく、その目にはいっぱいに涙がたまっていた。


「勝ったぞ......。どんなもんだ」


 クレイはへとへとになりながらも必死で笑顔を作った。

 それにネルは涙声で答える。


「ありがとう、ありがとうお兄さん!」

「それは違うよ」

「えっ?」

「ありがとうはこっちの台詞だ」


 そう言ってクレイはネルの頭を撫でた。


「怖かったよな。でもありがとう。君に助けられて俺は生きてる。君のおかげでまた戦える」


 それを聞いてネルは泣き出してしまった。


「でも、でもお兄さんがいなければ弟は剣士の人に殺されてました。それにきっとあの怪物も私達を逃がしてはくれなかった。だから、ありがとう、ありがとうです!」


 ネルはクレイに抱きつき腹に顔を埋め号泣した。

 クレイは優しくネルの頭を撫でる。

 弟のために一人で森を走り抜けた。

 クレイのために、一人でオークキングに立ち向かった。

 この子はどれ程、強いのだろう。


「もうちょっと、待っててくれな」

「えっ......?」


 ネルはキョトンとして涙目でクレイを見上げた。

 クレイは真剣な顔をして、ネルの目を見て言った。


「君の弟は、必ず俺が救ってみせる。魔王は、俺が倒す」






 一月後



 聖女達はマレイトスの王城で国王と謁見していた。


 形式的な挨拶を済ませ国王が口を開く。


「聖女一行よ、その活躍、我が耳にも届いておる。平和の象徴ユーフィリア、一騎当千の剣豪カイン、人類の叡知シーラス、神秘の魔導ネクレア、博愛の守護者イリアナ。そなた達は救世の勇者に次ぐ人類の希望だ。その存在が民に与える心強さは他の追随を許さぬだろう。我は国をあげて、その活躍を支えるつもりだ。期待しておるぞ」


 聖女一行は跪き、国王の言葉を受けとる。

 これに、ユーフィリアが代表して答えた。


「もったいなきお言葉です、陛下。私達の願いは一重に人類の存続です。勇者様が顕現なさるその時まで、我が身を犠牲にしても必ずや人類を守り抜くことをお約束いたします」


 それに国王は満足そうに頷く。


 謁見も終了を迎えようとした頃合い、突然謁見の間に兵士が入り込んできた。

 兵士は国王の側に控える宰相に何やら耳打ちする。


 宰相は国王へと向き直った。


「陛下、謁見中申し訳ありません。しかし火急の事態です」

「よい、どうした」

「城の宝物庫に盗人が侵入し、納められた魔道具などを盗み出した模様です。盗人は今現在捕まっておらず、万が一のことを考え、陛下には安全のため自室に避難して頂けないでしょうか」

「なんと......。人々が団結せねばならない今の時代に盗人とは、嘆かわしいことだ......。聖女よ」

「はい」

「今の話聞いておったな? その盗人、そなた達に任せてもよいだろうか」

「もちろんです、お任せください陛下」

「うむ、頼んだ」


 聖女一行は謁見の間を後とする。


 ネクレアが声を出す。


「でもわざわざお城のなかに盗みに来るなんて何考えてるんだろうねー」


 カインが答える。


「相当のバカか、もしくは人類滅亡主義者なんだろう。少しでも人類の足を引っ張りたいのさ」

「いずれにせよ、許せることではありませんね。ネクレア、お願いします」

「まかせてー」


 ネクレアが杖を振り上げ呪文を唱えると、杖の先から紫色の波動が放たれる。

 波動は一瞬のうちに城の外まで達した。


「見つけた! こっちだよ!」


 ネクレアを先頭に一行は走り出す、その速さは風のようだ。

 階段を駆け降り、廊下を抜け、難なく盗人の背を捕らえた。


「そこの者、止まりなさい!」


 ユーフィリアが声を張り上げる。同時にネクレアが杖から火炎弾を放った。

 盗人は火炎弾を跳んで回避し、聖女達と盗人の間に炎の壁が生まれた。


 炎の壁がはれたとき、聖女達に衝撃が走る。


「なっ、あなたは......」


 ユーフィリアは目を見開く、目の前の光景が信じられなかった。


 聖女達と相対するのは自分達が見捨て、死んだはずの仲間、クレイであった。


 クレイが口を開く。


「まさか、皆が城内にいるとは。偶然だな」


 クレイには落ち着きがあり口調も淡々としていた。


「ク、クレイさん......。生きて、いたのですね」

「まあ、なんとか」

「ああ、良かった......」


 ユーフィリアは目に涙をため、表情に安堵をうかべる。


「どういうつもりなんだい? もしかして、これは君を見捨てた僕たちへの復讐のつもりかな? 愚かさもここまで来ると清々しいね」


 シーラスが嘲笑を浮かべクレイに問いかける。

 ユーフィリアはこれを聞くとはっとして、クレイを見た。


「愚かなのは否定しない、でもこれは復讐なんかじゃない」


 イリアナが怒鳴る。


「貴様は何を考えている! 城の宝を盗むなど、それがどういう意味か分かっているのか!」

「分かっている。俺は今より人類の敵。死刑は避けられない反逆者だ」

「何故なのですか、クレイさん。貴方はそんなことをする人じゃなかった」

「もともとこういうヤツだったのかもよ、ユーフィリア」


 聖女達の目は既にクレイを罪人として見ていた。彼女達にとって正義は一つであり、それは自分達に他ならない。自分達と相対する人間が悪でないはずがない。


「俺には、正義が分からなかった」


 クレイの声に迷いはない。


「ただ、自分の命は自分の心に従って使う。そう教わった、そう決めたんだ」


 ユーフィリアが涙を拭い、微笑んで言う。


「クレイさん。投降して下さい。今ならまだ間に合います。過ちは、正せます。私も陛下に死刑だけは免れられるよう掛け合いますから」


 クレイの瞳は静かなままだ。その心に宿る炎はもう揺らぐことはない。


「ユーフィリア、君はいつだって正しかった。その心は美しく、正義は常に君と共にある。他の皆も同じだ。君達は俺とは違う。強い人達だ。自分を信じ、己の正義を貫ける。俺には出来なかった」

「何が言いたい」


 イリアナが憤怒を込めた声色で問う。


「俺は、たとえそれが最善だとしても、目の前の助けを求める人を見捨てることに耐えられない。なあ、ユーフィリア。自ら立ち向かうことを諦め、全てを勇者に負わせる人類に未来はあるのか? 自分の手で誰かを救おうとせず、ただ救いを求める先に希望はあるのか?」

「そ、それは......」


 ユーフィリアの目が泳ぐ。クレイの言葉で心が揺れたのは初めてだった。


「聞くな、ユーフィリア。罪人の戯れ言だ」

「君に何ができると言うんだい? 自分の無力がまだ分からないのかい?」


 しかしイリアナにも、他の誰にも届かない。


 クレイは堂々と答えた。


「助けたいと思ったんだ。なら俺の無力は関係ない。俺は、俺の命を使って助けたい人を助ける。それが俺の正義だ」


 そう言うと、クレイは足に力を込める。


「瞬動」


 クレイは窓を突き破り、聖女達の前から消えた。


「なっ!? 待て!」


 それは誰が言ったのか。その後、紫や赤に輝く閃光がクレイに届くことはなかった。






 魔族の国マグラカント


 その最奥にたたずむ城を、マグラカントの防壁の外からクレイは一人で眺めていた。

 城は家々に囲まれている。遠くからみれば人間の国と変わらない。

 ここまでの道のりは過酷を極めた。イバラの壁を潜り、毒の沼に身を隠し、蜘蛛やトカゲをかじって餓えを凌いだ。

 辺りをうろつく魔族はオークキングなど足下にも及ばない。見つかれば死、違和感さえ与えてはならない。


 クレイはマレイトスの宝物庫からいくつかの宝を盗み出した。


 伝説の大魔導師アクレイアが魔力を込めた魔石のついた杖。

 スキルの効果を跳ね上げる腕輪。

 どんな攻撃でも一度だけ完全に防ぐマント。

 羽のように身を軽くする靴。


 それらに助けられ、遂にクレイは目的地にたどり着いたのだった。


 夜になり、クレイは気配を隠し走り出した。

 魔族は人間と同等の知性を有するため、言葉を話し、街を作る。人類側では力の強いオークキング等の魔物も魔族と定めているが本物の魔族は人間とは能力と外見にしか違いはない。

 クレイはマグラカントの防壁を暗闇に乗じて乗り越えた。フードで顔を隠し、城の近くまでは人間だとばれないように歩いて近づく。

 城は堀に囲まれていてその底には水を湛えている。城へと繋がる橋は一本しかなく見張りが立っていた。

 クレイは周囲に気配がないことを確認し、堀を飛び越え、勢いをそのままに高い位置にある窓から城の中へと侵入した。

 息を殺し、隠れ身を発動。クレイの存在感を薄くなる。腕輪の力で効力の高まった隠れ身はクレイを直視しない限りは、その存在を悟らせることはない。

 力が大きな意味を持ち、魔王こそが最強の存在であるマグラカントの城はマレイトスより遥かに警備が手薄だった。

 天井に張り付き、物陰に身を隠し、謁見の間へと侵入する。


 そこは禍々しい雰囲気に包まれていた。

 恐ろしげで天井に届くほど巨大な怪物の像が壁に沿っていくつも置かれ、最奥には玉座が佇む。

 しかし今そこに魔王の姿はない。

 クレイは魔王へとすぐに戦いを挑むつもりはなかった。相手は圧倒的強者である。城内で身を隠し、少しでも多く魔王の情報を集める。それがクレイの策だった。




 一週間もの間、クレイは城内に身を隠していた。

 怪物の像やシャンデリアなど身を隠す場所には困らない。

 おかげで、クレイは目的通り多くの情報を手に入れることができた。


 魔王は以外にも、いつもは人間と変わらない普通の容姿をしていた。

 城での生活も人間の国王と大差ない。

 しかし、魔族の政治はどうやら魔王がその力で家臣や民を押さえつける独裁のようであった。

 魔王は傲慢であり、家臣の首を気まぐれに切り落とす。そして毎夜の日課として謁見の間で自ら、魔族と一対一の殺し合いを繰り広げていた。

 その魔族が罪人か、もしくは己の意思でその場に立ったのかは知れないが、クレイよりも遥かに強者であった。

 魔王と互角の戦いを繰り広げるものもいた。しかし魔王は自分の不利を悟ると、巨大な竜へと姿を変えた。口を大きく開くとそこに白い魔方陣が現れ、そこから閃光が放たれる。その閃光は一瞬で相手を消し飛ばし、回りを囲む大勢の家臣に、魔法の防護壁によって止められるのだった。

それこそが魔王の切り札であるとクレイは知った。

相手を倒した魔王は手を広げ、大声で笑うのだった。






「では、始めようか」


 笑みを浮かべながら魔王が口を開く、その声は重々しく聞くものに恐怖を与える。


「よ、宜しくお願いします」


 対する相手は一人の魔族の男。体は震え、完全に恐怖に飲まれていた。


 男が手の平を魔王へ向ける。そこに赤く魔方陣が輝き、巨大な炎を魔王へ飛ばした。

 魔王は一歩も動かず手刀で炎を切り裂く、男は間髪いれず魔王へ急接近、拳で殴りかかる。

 魔王は片手でそれを受け止め、強烈な蹴りを男の腹に食らわした。


「ぐっはぁ!」


 男は血を吐き、床を転がる。


 魔王が手の平を向けると男の周囲にいくつもの青色の魔方陣が展開する。

 魔王は凄惨な笑みをつくり、手を下に振るう。

 魔方陣から氷の杭が放たれ、男を襲う。


「ぎゃあああああああ!!」


 男は避けること叶わず断末魔をあげながら全身を貫かれた。

 後に残るのは男の死体と巨大な氷の塊であった。


「わはははははは!! 他愛ない!」



 魔王は玉座へ振り替える。


 そこにスタンッと魔王の背後で音がした。


「待て」


 声がする。

 魔王はゆっくりと振り返った。



「俺が相手だ」



 クレイが魔王を見据えていた。






「人間だと? なぜこのような場所に人間がいる?」


 魔王は驚いていた。自分より遥かに脆弱な人間が自分の前に立っている。しかも自分に戦いを挑んでいるのだ。


「あんたを倒しに来た」


 クレイはナイフを抜いた。


「魔王様!」


 周囲の家臣がクレイを捕らえようとする。それを魔王自身が止めた。


「まあ、待て。せっかくの客人だぞ? 失礼をしてはならん」


 魔王は笑っている。


「人間よ、さしずめお前は呪いを解くために単身乗り込んで来たのだな?」

「そうだ。あんたを倒して呪いを解く」


 これに魔王は声をあげて笑った。


「わはははははは!! 愚か、愚かよのう! 人間風情がワシに戦いを挑むだと? それも一人で! これ程の道化は初めて見たわ!!」


 クレイに動揺はない。黙って魔王を見ていた。


「よかろう! 相手をしてやろうじゃないか ! 楽しませてくれよ? にんげ――」

「瞬動」


 魔王の言葉が終わらないうちにクレイは動いた。

 魔王へ肉薄し、杖を腹に押し当てる。


「爆破」


 杖の魔力で爆発を引き起こす。


「ぬ!?」


 大きな音と共に炎が吹き荒れる。

 爆発は魔王を飲み込み、その姿を黒煙に隠した。

 クレイはすぐに後退し離れる。


 魔王が手を振ると風が起こり黒煙が吹き飛ばされる。

 その先には無傷の魔王の姿があった。


「何かと思えば実に下らん。その程度の魔法でワシに傷を負わせられると本気で思っておるのか?」


 苛立たしげに魔王はクレイを睨み付ける。しかしそこにクレイの姿はなかった。


「なに?」


 魔王が驚くのもつかの間、横から爆音が聞こえる。

 クレイは杖で怪物の像を破壊していた。

 その倒れる先に魔王がいる。


「ちぃっ!」


 魔王が手を振り上げ、像に手の平を向ける。すると像は爆散した。魔王には届かない。


「忌々しいっ」


 魔王が像の足下に手の平を向けるも、そこにクレイはいなかった。


「なっ!?」


 クレイは魔王の背中に杖を突きつけていた。


「爆破」


 衝撃。黒煙が舞う。


「うがああああ!!」


 黒煙の向こう側へ、クレイを視界におさめず魔王は拳を横凪ぎにする。しかし、当たらない。


「どこへ行った!!」


 魔王が辺りを見回すもクレイは見つけられない。


「ポイズンダガー!」


 声に反応し上を向く。

 クレイは跳躍していた。魔王のがら空きの目に、紫に輝くナイフを突き立てる。


「があああああ!!」


 魔王は叫びをあげる。クレイは即座に魔王から距離をとった。奇しくも最初と同じ立ち位置である。

魔王は血が流れる片目をおさえ、クレイを睨む。


「よくもワシの目を! 許さん、許さんぞ人間!」

「人間を舐めているからだ。俺を殺したければ本気でこい、魔王」

「ほざけえぇ!!」


 魔王が手の平をクレイに向ける。それを中心に青色の魔方陣が五つ展開。全てから氷の杭が打ち出される。


「瞬動」


 ひとつが容易く肉体を破壊する死の嵐の中、クレイは全てを避けていく。体を反らし、ナイフで受け流し、回転しながら宙を舞う。一つのミスが死に直結する緊張感のなか、しかしクレイの心に恐怖はない。勇気はもらった。覚悟は決めた。誰かを救うために戦える今にクレイは幸福さえ感じていた。


「くそがぁ! ちょこまかと!!」


 宝物庫の靴、腕輪、そしてクレイの得意とする細かい瞬動、さらには片目を潰し、隠れ身も発動している。

クレイは今、己の全てを使って魔王を圧倒していた。魔王にとってクレイは過去の全ての魔族と比べて最速に思えた。


「これならどうだぁ!!」


 魔王が両手をクレイに向けると、赤い巨大な魔方陣が床に展開する。

 クレイはそれを見たことがあった。動きを直線的に切り替える。


「瞬動!」


 一定の距離を保ってきた魔王から全力で遠ざかる。

一瞬の静寂、


「食らえぇ!!」


 大爆発。クレイは背中で衝撃を感じ、吹き飛ばされる。杖から出したものと比較にならないほどの炎と爆音が辺りを襲う。


「逃がさん!!」


 小さな爆発がクレイを追ってくる。クレイはただ最速で動くことに専念した。背中のすぐそばで爆発が何度も生じる。床の破片が飛び、クレイを傷つけた。跳躍し壁を蹴って、爆発から逃げる。床を転がり体勢を立て直そうとするも、何かに足を滑らせた。

 それは魔王にやられた魔族の血だった。


 そこに、爆発で砕けた像の頭がクレイを襲う。


「しまっ......」


 咄嗟に避けようとするも、後一歩足りなかった。

 クレイは像に左足を潰された。


「があああああ!!」


 足をおさえて絶叫をあげる。飛び散った破片によって体はぼろぼろでクレイはもはや満身創痍だった。


 それを見て魔王は勝利を確信。口の端をつり上げる。


「やっと静かになったな人間。羽虫のように目の前を飛び回りおって。しかしその羽も、もげたようだな。なに、人間にしてはやるではないか、なかなか楽しめた。誉めてやろう」


 それを聞き、クレイは血だらけで息を切らしながらも嘲笑を浮かべて魔王を見る。


「何が楽しめただ。俺には随分と必死こいてたように見えたぜ。あんたの家臣達もその無様をしっかり目に焼き付けただろうよ」


 その言葉に魔王はクレイを睨む、頭には血管が浮いた。


「貴様ぁ! このワシを侮辱するつもりかぁ!」

「侮辱もなにも俺は真実を述べただけだ」


 魔王は怒りを湛えたまま、それでも笑みを浮かべた。


「まあよい。貴様にもはや命はない。羽虫のように、何も達せられず、無駄に、醜く、死ぬがいい」

「へっ、あんたをここまでからかえたんだ。俺は満足さ。後はこの血、この肉を使ってあんたの自慢のお城を少しでも多く汚してやるさ」

「どこまでも小癪なやつだ!」


 怒りのあまり目を充血させて魔王が吠える。

 しかし突然、何かを思い付いたようにいやらしい笑みを浮かべた。


「貴様がそこまで言うならば真実を教えてやろう。貴様がどれ程無力で愚かな道化であったか教えてやる。そのあかつきには肉の一片、血の一滴すら残さず消し飛ばしてくれるわ」


 唐突に魔王の体が震え始める。目から光を発し、内臓を揺さぶるような唸り声をあげる。

 魔王の体が目を開けていられないほどまばゆく輝く。


 光が収まり、クレイは目を開けた。果たしてそこにいたのは巨大な竜であった。


 魔王が笑い声をあげる。


「グハハハハハハ!! どうだ人間! これがワシの本当の姿だ! 分かるか! 貴様との戦いなどワシにとっては所詮ただの遊びだったのだ!」


 それを聞いたクレイは目を手の平で隠した。


「フハハハハハハ! どうやらやっと分かったようだな、自分の愚かさが! そのまま涙を流し、絶望を噛み締めながら消えるがいい!」


 魔王が口を大きく開ける。それはあの魔王の切り札であった。


 クレイはその時を待っていた。

 魔王の攻撃を捌きながらずっと待っていたのだ。

 腕で顔を隠したクレイは目をぎらつかせ笑っていた。


 杖から魔力のこもった魔石を外し、ナイフを叩きつける。魔石にはヒビが入り、白く光を放ち震え始める。


「投擲!!」


 大きくあいた魔王の口へ魔石を全力で投げつけた。

 魔石は輝きながら魔王の口内へ消える。魔王が目を見開く。


そして――


 魔石が発する白い光は魔王を飲み込み、謁見の間を飲み込み、城下町から分かるほどに強く輝いた。

 目をつぶっても目を突き刺す光と爆風に、クレイはうつ伏せに這いつくばって耐える。


 数秒後、光が静まりクレイは目を開く、そして魔王のいた場所へ目を向けた。



「フハハハハハハ!! これが貴様の切り札と言うわけか! 悪くない! 悪くなかったぞ人間!!」


 そこには身体中に傷をつくり血を吐きながらも、生きて笑い声をあげる魔王の姿があった。


「なるほど! 先ほどの憎まれ口も演技だったわけだ! フハハハハハハ! よい、認めてやろう! お前は道化ではなく、立派な戦士なり得た! 見事だ!」


 体に力が入らず、クレイは魔王をぼうっと眺める。この状況はあの時に似ているなと思った。


「立派な戦士に敬意を表して、ワシの全力で終わらせてやろう! 自分を誇り、逝くがよい!」


(俺は殺される。無力なまま、誰も救えず殺される。でも、そうだな、自分の正義を見つけたんだ。貫いたんだ。誇ったって良いはずだ)


 魔王が口を開く、そこに輝くのは白い魔方陣。


(あの時はネルに助けられた。でも今は一人ぼっちだ。助けてくれる人は誰もいない)


 クレイの脳裏にネルの姿が甦る。

 とんでもなく小さい体でひのき棒を持ってオークキングに立ち向かっている後ろ姿。

 思い出してクレイは思わず笑ってしまった。


(いくらなんでも、ありゃねえよ。どんだけ無茶してんだ)


 魔方陣の光が強くなる。


(でも、そうだよな。君はそれでも立ち向かえるんだよな。君は誰も諦めないんだ)


 魔方陣から、白い閃光が放たれる。


 クレイは歯を食い縛り、光の奔流を睨み付ける。


(自分を誇りに来たんじゃない。今度は俺の番なんだ。あいつらの命を、諦めるわけにはいかねぇだろうが!!)


 クレイは宝物庫から盗み出したマントを自分と閃光の間に滑り込ませた。


「うおおおおおおおお!!」


 マントはクレイを閃光から守る、布越しに感じる圧力をクレイは全身の筋肉を使って押さえつけた。

 魔王の魔方陣にヒビが入る、魔王の顔が驚愕に染まる。


 身体中から血が迸る、永遠にも思われる時間が過ぎ、遂に魔方陣が砕け散った。同時にマントも灰になる。


 間髪いれず、クレイはナイフで像に潰された左足を切断した。


「瞬動!!」


 まるであの時の再現の様にクレイは片足のみで跳躍し、魔王へと肉薄する。

 そして勢いそのままに魔王の口内へと飛び込んだ。魔王は慌てて口を閉じるも間に合わない。

 クレイの視界は闇に包まれる。


 光が全くない暗闇をクレイは目を閉じて潜っていく。ただ音を聞いていた。この暗闇において最も大きく響く音。それは鼓動。それを発するは、すなわち心臓。


 その音が最も大きくなったとき、クレイは目を見開いた。


「パラライズダガァァァァ!!」


 黄色い光が周囲を照らす。クレイはナイフを両手で持ち、全力でそれを突き刺した。


「カッハッ」


 魔王の体に衝撃が走る。目を見開き、口から血をこぼし、しかし体は硬直している。

 口をぱくぱくと閉じ、開いて、けれど何を発することもなく体が沈んだ。

 目は閉じられ、そしてもう二度と開くことはなかった。





 魔王の城から遠く離れた人間の土地。


 そこで一人の少女が幼い少年の枕元に座っていた。


 少年の体はみぞおち辺りまで灰色に染まっている、少年に意識はない。


 少女は少年の頬をなで、暗い瞳で少年を見ていた。


 ふと、少年のまぶたが微かに動く。


 それに少女は目を見開いた。


 少年が目を薄く開き、小さく声を発した。


「おねぇちゃん?」


「ユ....ニス?」


 少女は驚きを隠せない、少年の意識が戻ることはもうないと思っていた。

 少年の体から徐々に灰色が消えていく。

 その下には少年の痩せ細った、けれども健康的な肌の色が戻っていた。


 少女が一粒涙を流す、すぐに二つ目がこぼれる。それはだんだんと増えていく。


「あ、ああ、ああ」


 少年は少女を小さな声で心配する。


「どうしたの、おねえちゃん?」


 少女は涙をいっぱいにこぼしながら大声で泣いた。


「あああああああああ! ユニス! ユニスユニス!」

「おねえちゃん!?」


 少女は少年を力いっぱい抱きしめ、その肩に顔を擦り付けて泣いた。


「ユニス! ユニス! 良かった! 良かったよぉ!!」


 少女はいつまでも泣いた。


「ありがとう! ありがどう! クレイさん!! 助けてくれて、ありがどう!!」






 数日後、人間の国マレイトスでは、魔王の討伐、そして戦争終了を祝して盛大な祝宴が催されていた。


 クレイが魔王を倒した後、魔族達は魔王の独裁によって開始した戦争の取り止めを決定。そして傷を治したクレイと共にマレイトスへ使者を送り、その旨を人類側へ伝えた。人類はそれを了承し、魔族側から人類へ領土も返還された。


 こうして人類に平和が訪れたのだった。


 ここはマレイトスの王城の謁見の間である。そこに一人の男が跪き、王から言葉を贈られていた。

 周囲では華やかに着飾った貴族や、美しい令嬢達がその様子を眺めている。



「此度の活躍、誠に大義である。お主は単身魔王を打ち倒し、この世に平和をもたらした。お主は人類を救ったのだ、救世の勇者クレイよ」


「もったいなきお言葉です陛下。......ですが一つだけ、訂正させて下さい」


「む。どうしたのだ?」


「私は救世の勇者などではありません。ただの盗賊クレイです」


「それは、しかし......」


「お願いします陛下」


「......うむ。お主がそう言うのならばそうしよう」


「有難うございます。お心遣い痛み入ります」


「気にするでない。......して、クレイよ。お主は確か紹介したい者がおると申しておったな?」


「はい、この場におります」


「であれば、連れてくるがよい」


「はっ」


 クレイは立ち上がり周囲からの注目を浴びつつ、足を進めた。

 その先には聖女達がいた。


「クレイさん」


 聖女達は皆、複雑そうな表情をしていた。

 彼としては彼女らに思うことは特になかった。クレイは己の正義を貫いただけだ。


「ユーフィリア、お互いの正義の形が違っただけだ。俺達は人類のために戦った仲間だ。胸を張ると良い」


「っ......」


 ユーフィリアは今にも泣きそうである。

 クレイは聖女達に軽く頭を下げると横を通り抜けた。


 その先には、赤い髪の毛、赤い瞳が特徴的な真っ赤なドレスを着た少女が立っていた。


「あ、あのクレイさん、これ」


 ネルはとてつもなく緊張していた。クレイはそんなネルの手をとり、国王の前へと引っ張って行った。


「国王陛下、この者です」


「うむ。何者なのだろうか?」


「彼女は......」


クレイは一度言葉を切って、ネルを見た。

ネルは緊張でカチコチの表情でクレイを見ていた。





「俺の、勇者です」




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[良い点] 感動的でした! 皆が語る勇者はいなかったんですねー。
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