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 翌日の朝。

 雪が降った昨日とは打って変わって、昼近くになる頃には日当りのいい部屋は暖かさが満ちて来た。外に出ると相変わらず風は冷たいが、昨日降り積もった僅かな雪は既に消えている。

 社務所の受付所の真上に位置する琥珀の部屋は、燦々と太陽が入り込む場所だ。そんな日に限って遅すぎる朝を迎えた琥珀は、勢いよくカーテンを開け自分の部屋に日光を招き入れた。そして窓辺に椅子を引き寄せてから、徐ろに窓の外を眺める。

 土曜日の昼前。

 今日は莉子がやってくる日だ。用事という用事はおそらくないだろう。

 喜和子とも仲良くなっている分、道旗に逢いに、という彼女の思惑はちょうど雲隠れして好都合なのだろう。

 ただ今日の琥珀には、莉子を待ち望むひとつの理由があった。

 御山家に莉子の知らない人物が一名いる。

 ボグダンだ。

 莉子はどんな反応をするのだろう。

 ましてや外国人だ。黒髪の不気味なほど肌の白い容姿の。付け加えればかなりの美形。

 五十嵐家で莉子に最初に逢った日を思い出す。琥珀にはタメ口で話しかけてきて、道旗の顔を見るなり自室に駆け込んだ。そんな突飛な行動をする反面、御山夫妻とは難なく溶け込んでいる。

 その御山家にて、ボグダンという外国人がいるのだ。

 莉子はどんな行動をするのか--。

 琥珀は久々に自分の心が踊るのを感じた。



 莉子が泉神社の鳥居をくぐったのは、昼過ぎの午後一時に近い時間だった。

 昼ごはんを食べ終わった御山夫妻と向き合った形で、道旗と琥珀は居間に腰を下ろしていた。もちろんボグダンも同じ席に腰を下ろしている。

「禅の修行が最近のマイブームで胡座は心身のリラックスです」

 などとボグダンがほくほくとした笑みで話を弾ませていた時だ。

 玄関のチャイムが鳴った。

「あら」

 貴和子が嬉しそうな顔で立ち上がる。

「素敵なお客様がいらしたわよ」

 ボグダンにウインクをして玄関に向かう。貴和子はそういった表情豊かな中年女性だ。

 琥珀はお茶を啜りながら何度か乾く目を瞬きした。心待ちにしている心情を悟られないように、静かに大きく息を吐く。

 女性特有のワイワイとした話し声が聞こえ、それに耳を傾ける間もなく居間の戸が開けられた。敷居を跨ぐ紺色のソックスが目に入った。

 即座にその人物の顔を琥珀は凝視した。

 莉子は和気藹々と居間に入ってくるなり、異質な人物を見て目を大きく見開いた。

(そうだ、その表情だ)

 琥珀は胸が高鳴るのを覚えた。

 彼女だってボグダンを見るのは初めてだ。驚いたっておかしくはない。むしろ自分と同じく、目の前の男に不信感すら感じてもらいたい。

 ボグダンを見た莉子は、数秒ためらって立ち止まり、それから恭しく前髪を少し弄りながら貴和子を見た。

「あの、お客さんがいたんですか」

 見慣れないメンバーに、少々のぎこちなさを感じているらしい。

「ボグダンさんよ。私はボグちゃんって呼んでいるの。靖彦くんの古くからのお友達よ」

「道旗さんのお友達なんですか?」

 貴和子の説明に一瞬にして目の色が変わったのを琥珀は見た。ひやりと琥珀の背中を汗が流れる。

「初めまして、ボグダンと申します」

 流れる仕草で立ち上がり、ボグダンは莉子に握手を求めた。大きな白いしなやかな手を差し出され、莉子は引き込まれるようにその手に応えた。

「初めまして、五十嵐莉子です」

 みるみると頬に赤らみが差している。

(この展開は)

 琥珀は良からぬ焦りを感じた。悪い予感しかしない。

(このままどうか、無言で気まずい雰囲気になってくれ)

 何故か不運を願う自分がいる。琥珀は生唾を飲んで目線を落とした。自分の予想が外れる恐怖と、不運な事を望んでいる自分がいる嫌悪感と--。


 そういう琥珀の思惑とはかけ離れ、莉子とボグダンは琥珀が危惧していた以上に打ち解けていた。

 人見知りだと思っていた少女は、一年経つ間に一つも二つも殻を脱いでいる。それとも、莉子にとって「道旗に近くための餌」をボグダンは持っているからだろうか。一際目を輝かせてボグダンの話を聞いている。

 琥珀はなりふり構わず、この場で思いっきり舌打ちをしたい気分になった。

 結局、この不審な侵入者--琥珀以外の全員が歓迎しているであろう--ボグダンを認めていないのは自分だけになる。

 果たして莉子は内心はどうなのだろう。道旗の過去を知る者として単にボグダンに興味を示してるだけなのではないのか。本心では琥珀同様、この男に恐怖心を感じてはいないだろうか。

 そんなことをモヤモヤと考えているうちに、猫のみさえさんが琥珀をじっと見つめていた。琥珀の心の内を見透かされているような気がして、琥珀はみさえさんに薄く口角を上げて微笑した。

「ヤースーとは大学のサークルで知り合ったのさ。そこから意気投合して、卒業後は僕はイギリスに行ったけど、今でもメールは頻繁だよね」

 楽しげに話すボグダンの横で、道旗はほとんど口を開かない。

「どこの大学なんですか」

「ハーバードだよ」

 至極あっさりと莉子の耳に流れた。

「はい?」

 あまりにもあっさり過ぎて、鼓膜に残った音の薄片を聞き返す。

「ハーバードって?」

「ケンブリッジだよ、アメリカの」

 面食らった顔をしたのは莉子だけではない。テーブルを挟んで聞き耳を立てていた琥珀も目を見開いた。

「道旗さんってハーバード大卒業だったんですかぁ」

 声が上ずったのは莉子だが、琥珀も同じ言葉をほとんど同時に発していた。

「まぁ、二人とも綺麗にハモってた」

 と囃し立てたのは貴和子だった。

「ケンブリッジに家があったからね、家から近い大学だったんだよ」

 道旗がようやく口を開いた。

「ほとんど目と鼻の先だったね、キミの家は。それなのに二年目からもずっと寮生活してた」

「楽しかったからね、ハウス生活は。それに皆そうしていたじゃないか」

(それ俺、聞いていない)

 琥珀は生唾を飲んだ。確かに道旗がどこの出身でどういう経緯で生きてきたのか、そういう身の上話を聞いたことはなかった。そして琥珀が聞くまでの理由もなかったのだ。まさかの帰国子女だったとは--と、驚きを隠せないでいた。

「海外留学ってすごいですね」

 驚きで言葉が出ない琥珀とは違って、莉子はさらに目を輝かせてボグダンと道旗を交互に見ている。

「聞いてなかったの? ヤースーはアメリカ国籍なんだけど」

「え?」

(え?)

 さらなる衝撃に琥珀は持っていたコーヒーカップを落としそうになった。

「うん、生まれも育ちもアメリカだけど、両親は日本人。母親が御山ここの長女で、御山さんは母親の弟に当たる人。父親はアメリカ人夫婦の養子だった日本人。だから遺伝的には日本人だけどね」

 自分の事のように語るボグダンに、静かに頷く道旗。

「でも道旗さんって苗字はどこからきたんですか」

 琥珀も頭をよぎった質問を莉子は投げかけた。

「それはね、父親が本当の生みの親の苗字を探し出して名乗ってた名前なんだよ」

 答えたのは道旗だ。今まで以上に穏やかな声色だった。

「へぇ、そうなんですかあ」

 あっさりと納得した莉子とは裏腹に、琥珀の方は全く飲み込めないでいた。

「おっと、ちょっと抜けてもいいかい」

 ポケットのスマホを取り出して道旗が席を立った。

「上にメールが入ったみたいだから見てくるよ。転送が上手くいかない」

 上とは、道旗の部屋のパソコンの事である。コクリとうなずいて琥珀は了解した。道旗が出て行くと、ボグダンと莉子は思い出したように話を再開した。

 喜和子の淹れた珈琲が各カップに注がれる。御山は自分で急須に煎茶を淹れていた。

「これ美味しいね」

「はい」

 莉子は素直に頷いた。

「莉子ちゃんはヤースーのことが好きなの?」

「……」

 莉子の目線を追ったボグダンがにこりと微笑んだ。

「え? ええええ?」

「だってさっきからヤースーの出て行った方向ばかり見ているでしょ、それに」

「そ、それに?」

「恋をしている香りがする」

 すっと莉子の髪を指で搔きよせ、ボグダンはその黒い長い髪の匂いを嗅いだ。決していやらしくないその仕草に、憤慨したのは莉子ではなく琥珀だった。

(よくもこのやろう)

 莉子の髪に触れた男を睨んだ。だが決してその怒りは口には出しはしない。何故なら莉子が惚けた顔をして嫌がってはいなかったからだ。

 腑に落ちないのは、結局自分だけだ。

 琥珀は内心大きくため息をついて、それからボグダンに聞きたかったことを訊ねた。

「ボグダンさんは今回なんの用で日本に来たんですか」

 思えば一番最初に聞くべき用件だったと琥珀は思う。

「ああ、そうそう。そのことはヤースーに伝えてあるし、物も彼に預けてあるから気になるならヤースーの部屋に行けばいいよ」

「物?」

 大きな引っ掛かりに琥珀は怒りに乱れていた精神がスゥッと薄くなるのを感じた。ボグダンがいう「物」というキーワードに意識が一瞬触れたからだ。

「気になります、私も行って見てもいいですか」

 莉子が高めのテンションでいうと、ボグダンはにっこり笑って応えた。

「いいよ、ヤースーに預かっているのを持って来てくれる?」

「わかりましたー」

 すくっと立ち上がった莉子の後ろ姿を見送って、琥珀はボグダンに静かに問いかけた。

「物っていいましたよね」

「はい、いいましたよ」

 爽やかな返事が返ってくる。

「それって俺に関わることですか」

「イエス、君に見て貰いたい物です」

「マジか」

「マジ、です」


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