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想う人-7

 

 〔 思う人 〕


 莉子りこ道旗みちはたの入院している病院へ足を運んだのは、これで四回目になった。本当は毎日病院に通いたいくらいだった。莉子は莉子で、それなりに悶々と毎日を過ごしている。

 家に帰っては黒猫に語りかけ、母親に泣きつき、学校でも授業にもほとんど身が入らない。時折降る雪をぼんやり眺めては目頭に涙を浮かべ、とうとう保健室行きになってしまったりしていた。

 そんな莉子を見兼ねた友人たちの、慰めには程遠い解決提案を莉子は今日実行しようと病室の前に立っていた。

「言ってスッキリした方が絶対いいんじゃないの」

 友人の言うアドバイスは尤もである。それは莉子も同意見ではあった。こう見えて「ダメだったらどうしよう」などと弱気になったりはしないのだ。そう言うおかしな根性の太さは父親譲りだったかもしれないし、前向きな部分も母親譲りだったのかもしれない。

 とにかく気になることは、なるべくはっきりした方が好きなのだ。

 とはいえ、そういう図太い意識は存在するが、それ以上に腰抜けの部分も莉子にはある。そういう志も砕けそうになる心境で。莉子は病室の前に立っていた。

 道旗の病室が個室なのが良かったのか、大部屋であって欲しかったのか。

 そんなことをうだうだと考えていたその時。

 突然ドアが開いた。

「ひゃっ」

 短い悲鳴をあげて莉子は思わず仰け反った。そのまま尻餅をつくのだろうということを、莉子は他人事のように予想した。「あっ」と後ろに重心が移る。その拍子に腰に腕を回されて誰かに抱きすくめられたのを理解した。

 至極ゆっくりな、スローモーションのように莉子には感じられたのだ。

「わわわ、ごめんなさい」

 慌てて離れようとした瞬間。懐かしい香りに莉子の本能がざわめいた。

「こちらこそ、そこに莉子ちゃんがいるとは思ってもいなかった」

 頭上からかけられた優しい声色が耳に届くと、莉子の全身に鳥肌がたった。身体の芯から力が抜けそうな、幸せの限界を超えたがための鳥肌だ。

「わわわ、ごめんなさい」

 さっきと全く同じセリフを喚いた莉子は道旗を見上げる。

 眼鏡の反射でその瞳がよく見えなかったが、間違いない道旗だと莉子は認識した。慌てて離れようとしたが、

「あたた」

 思いがけず拍子抜けする声に、莉子はようやく現状を把握した。

 道旗は脇の下に挟んだ松葉杖に体重を乗せ、思わず莉子を片腕で抱きかかえていたのだ。

 ぐらりと不安定になった道旗を、今度は莉子が抱きつくような形でしっかり安定させた。


「本当にごめんなさい、ごめんなさい。傷口とか開いてないですよね」

 今までこれほど謝ったことなどないほど、口をひらけば「ごめんなさい」しか出てこない。

 ペットボトルを買いに行こうとしていたという道旗を、ベッドに座らせてから莉子は自販機に走り部屋に飛び戻った。

 ベッドに腰をかけた状態で、道旗はにこやかな笑顔でそこに居た。

「あ……」 

 一気に莉子の中の安堵感が膨らんだ。

 涙が勝手に流れてくる。

 病室の中に入った途端、莉子はペットボトルを握りしめたまま涙を流した。パタンと後ろのドアがゆっくり自然に閉まる音がする。

「莉子ちゃん」

 道旗が莉子の名前を呼んだ。

「莉子ちゃん」

 呼ばれていたのはわかっているのだが、自分が泣いていることと、その泣き顔を見られたくないことと。女の子は泣き虫だとか思われたくないのと、おかしなプライドが莉子を沈黙させていた。できればこの場所を飛び出してしまいたかったが、それをやってしまうのも許せなかった。

 気持ちを伝えるが為にここまできたのも、大した度胸だったと自分でも莉子は思う。しっかり対面して向かい合えるほど自分は強くもカッコ良くもないくせに、一丁前の度胸と垂直さという傲慢さが自分にはある。

「お茶、ありがとう」

 コクリと莉子は頷いた。そして自分の涙で濡れたペットボトルを制服に擦り付ける。

「ここに来てくれないかい」

 頷いて莉子は俯いたまま静かに歩んだ。

 一歩、二歩。歩むごとに見える病院の床。ベッドが軋むような音を聞いた錯覚をして莉子は思わず顔を上げた。

 目の前に道旗が見える。

 大粒の涙が溢れた。

「どうしてそんなに泣くんだい」

 言われて莉子はそのまま道旗に抱きついた。涙が、鼻水がついちゃうじゃない! ともうひとりの自分が慌てふためいていたが、もはやそれどころではなかった。

「道旗さんが死んじゃうと思ったぁ!」

 高校生にもなって子供のように泣く日が来るなんてと、莉子は思いながらも泣きじゃくった。

「生きているじゃないか。ほら、死ぬような怪我でもなかっただろう」

「でも、でもっ」

「莉子ちゃんは優しいんだね」

 言われて莉子は必死に首を振る。首を振るたびに、押し付けた前髪が衣類に擦られてサリサリと音を立てたのを、莉子は人ごとのように耳に入れていた。

「違うの、違うんです」

 震える声で莉子は言葉を紡いだ。道旗は黙って言葉の続きを待っているように、自分に抱きついているサキの背中に静かに手を添えた。

「違うんです、私は優しいとかじゃなくて。道旗さんの事が好きだから。好きなんです。初めて会った時から、好きなんです!」

 そこから何か捲したてるように喚いた記憶がある。

 莉子自身、自分が何を伝えてどんなことをしたのか、ひどく曖昧だった。気が付いた時には、自分の身体の半分以上がベッドの上に乗っかり、馬乗りになろうとせんばかりの姿勢で道旗にしがみついていた。

 薄く自分の状況を把握しだすと、少しばかり冷静になってきた意識が羞恥心を認識させる。

 どっと脳天から汗が吹き出したのを莉子は自覚した。

「あ、あの……すいません」

 口を衝いて出るのは「すいません」ばかりだ。

 まるでこの世界の時間が全て止まってしまって、自分だけが取り残されている錯覚に陥る。莉子は堪りかねず道旗の顔色を伺うべき、静かに目線を上げた。

「あの」

 お付き合いできますか、とヤケクソ気味に尋ねる前に、思わず莉子は言葉を飲み込んだ。

 道旗が微笑んでいた。

 拒絶でもない、受容でもない。

 中途半端なのは嫌だったのだが、それがひどく心が和らぐ笑みだった。

 



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