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第5章(1) チェリー・ブライトン

 ねえ、ケインおじさん……。

 あたしの本当のお父さんって、もしかしたらおじさんなの……?



 あたしはホテル・グランディオールの最上階スイートのバルコニーから午後の街を見渡した。

 このあたりは高級住宅街が多い港区の中でも、王宮に特に近い所だ。凝ったつくりの豪邸ばかりがずらりと並んでいる。あたしたちの住んでた西区と違って、全然ごみごみしていない。どのお屋敷にもたっぷり広い芝生の庭がついてるから、ここから見下ろすと緑ばかりが目につく。

 空気もなんだか違う。すがすがしくて、ほんのり甘いような香りがする。少し遠くに目をやれば緑の森。その向こうには王宮があるはずだ。

 ――同じクテシフォン市内だけど、あたしは、港区に足を踏み入れるのは生まれて初めてだ。ここは金持ちや貴族の暮らす別世界。あたしたちには縁のない場所だ。

 あたしの立ってるバルコニーは西向きだから王家の森がほぼ真正面に見える。右側、北の方角には大きくうねりながら流れるチグリス川。そしてその向こうは東区の歓楽街だ。夜になると華やかな照明がきらめいて宝石箱みたいな一帯だけど、昼間見るとただのくすんだ灰色の街だ。あたしの左側、南の方角にはずっと高級住宅街が続いていて、それがエウフレン山で切り取られている。山の中腹に外周(アウター)ハイウェイが細く走っているのが見える――クテシフォンの市街地のまわりをぐるりと走っているハイウェイだ。外周ハイウェイを越えると《郊外》になる。

 あたしは視線を足元に移した。はるか下に石畳の道路が見える。すごく、すごく小さい。舗道を行きかうリムジンもまるでおもちゃみたいだ。人間なんか、まるで砂粒みたい。

 こんなに高い所から見下ろしていると、自分がとても偉くて強い存在になったみたいな――地べたを這いずるちっぽけな人間なんか簡単に蹴散らしてしまえそうな、そんな気分になってしまう。

 ケインおじさんとクラウディア姐さんを殺したのも、きっとこういう目で世界を見てる人間じゃないのかな。あたしはふとそう思った。

 ここへ来てからテレビのニュースを見た。シュナイダー窃盗団でいちばん腕ききの金庫破り、レフティ・フランツ兄さんも殺されたらしい。部屋は荒らされていて、ニュースでは詳しく言わなかったけど、やっぱりひどい殺され方だったみたいだ。

 拷問を受けたらしい。ケインおじさんの死体を見てジェスはそう言っていた。

 犯人はなにかを探しているのだ。部屋を探してもみつからないので、おじさんやその他の人たちを拷問して口を割らせようとした。

 なにを探しているのか知らないけど……。

 人の命を、なんだと思ってるのよっ!

 何十年も生きてきたその人の人生や思い。そんなのちっとも気にかけていない。足元を這いずる虫を踏みつぶすみたいに、自分の都合であっさり人の命を奪う。身勝手な冷たさが伝わってくる。

 許さないわよ。絶対に。

 あたしはケインおじさんがくれたペンダントをぐっと握りしめた。

 こわいけど――あたしはもう二度と泣いたりするものかと誓った。高い所からあたしたちを見下ろしてる奴らを相手に、めそめそ泣いて逃げ回るのは負けたのと同じだ。

 負けるもんか。あたしにはもう、なにも失うものなんてないんだから。



 このホテル・グランディオールに来たのは昨日だ。

 まともにチェックインしたわけじゃない。

 「超」の字がつくこの高級ホテルに、ロニーとあたしは箱詰めされたまま入りこんだのだ。

 スーツ姿のジェスとフリント(フリントはスーツを着てもちんぴらにしか見えない)。そして二つの大きな箱に入ったロニーとあたし。

 お金持ちの集まる華やかなホテルのロビーでは、ずいぶん場違いな集団だっただろうと思う(箱の中にいるあたしには外の様子がわからないから、想像するしかなかったけど)。ポーターロボットに運ばれて、あたしたちの入った箱はロビーを進んで行く。自信満々に歩いて行くジェスの足音が、箱の中のあたしの耳に届く。

「市の観光局の者ですが……支配人と話をさせていただけませんかな?」

 たぶん、フロントか事務所。箱の動きが止まり、ジェスのもったいぶった声が聞こえた。

 しばらく経ってから、言葉の詰まった壺をひっくり返したみたいに、ジェスがものすごい勢いでしゃべり始めた。

「……ご承知のとおり、希金属の採掘および加工とならんで観光は当市の基幹産業のひとつといっても過言ではありません。気候温暖、風光明媚。市南部のオーベール湖とエウフラ高原のあたりは特に美しい自然に富み、観光客に愛されています。そして言うまでもなく、パールシー建国当時を彷彿とさせる歴史的建造物の数々。他都市のみならず、国外からも毎年多くの観光客が当市を訪れています。ところが……」

 まくし立てる、というのはこういうときに使う言葉なのね。あたしは箱の中で感心した。ジェスの話は猛スピードでどこまでも続く。

「ここ数年、観光客数の伸びにわずかながら陰りが見られるのです。毎年当局で発行している観光白書によりますと、一昨年、当市を訪れた観光客は八七六,九九一人、うち男性四二〇,五六九人、女性四五六,四二二人。年齢構成は十代以下が七四,一六一人、二十代が一八三,八九〇人、三十代が一九九,六四二人、四十代が二〇一,〇〇八人、五十代が一五五,七二一人、それ以上の年齢層が六二,五六九人となっています。それに対して昨年は……」

「いえいえ、お話はよくわかりました、具体的な数字は結構です。それで、当ホテルにどのようなご用件でしょうか……?」

 ジェスが息つぎした隙に、支配人らしい男の人の遠慮がちな声が割りこんだ。

 止められても、ジェスの勢いはちっとも衰えなかった。またしてもトップスピードのおしゃべりが始まった。

「当局では市内の主要ホテルのサービスの質を調査しているところなのです。もちろん観光客にもアンケートをとっていますし、価格及びサービス内容に関するデータは各ホテルから提出していただいていますが……顧客の感じるであろう満足度は、実際に泊まってみなければ判断できませんからな。ベッドのシーツの柔らかさ、従業員の応対、客室のスイッチの感度、どれぐらいの早さでシャワーのお湯が適温になるか……些細な事柄だと思いますか? ところがそういう細かい点こそが、意外とお客の印象を決定づけるのですよ。それで、私たち観光局の者が市内の主要ホテルに順に滞在し、当局が独自に策定した百近い調査項目をもとに、データを収集しているのです。

 そうですな、一週間ほど実際に滞在してみれば、顧客に対してどれぐらい満足のいくサービスが提供されているのか把握できますかな。当局の報告書は王国内の全都市の観光局へ送られることになっていますから、全国の旅行会社にも情報が伝わるわけです。今後の観光の動向に相当影響を及ぼすことは間違いありますまい」

 そこまで一気にしゃべってから、ジェスは初めて言葉を切った。その次に出てきた声は、それまでとは響きが違っていた。思わず言うことを聞きたくなってしまうような、力のある声だ。

「空いている客室がありましたら、我々の調査のために提供していただけませんか? 私と、ここにいる私の助手が一週間ほど実際に滞在しますので」

 “助手”というのはフリントのことだ。

 箱の中であたしは息を殺し、緊張しながら支配人の返事を待った。

 長く待たなくてもよかった。

「もちろん! 当ホテルの最高級スイートをご用意しますよ。ルームサービスもおつけします」

 支配人の愛想の良い声が響きわたった。

「当ホテルのサービスはクテシフォン・シティ随一と自負しております。お客様にも最大の満足を味わっていただいているという自信があります。どうかその目で、当ホテルのサービスをお確かめください」

「ご協力、感謝します。……ホテル・グランディオールさんについては良い報告書が書けそうですな」

 ポーターロボットが、あたしの入っている箱を持ち上げた。なにかにぶつかったのか、急に箱が揺れて傾いた。あたしは悲鳴をこらえながら、あわてて箱の壁に手足を突っ張って体を支えた。

「ああ、気をつけてくださいよ。絶対に傾けないように。その箱には精密機械が入ってるんですから。水質および空気成分の分析用の……」

 ジェスの声が響く。

 箱はまもなくまっすぐに戻った。その後は特に何事もなく、あたしたちの箱とジェスとフリントは移動した。

 最上階スイートルームへ。

 ようやく狭苦しい箱の中から解放されたあたしの目の前に広がっていたのは、とんでもなく豪華な部屋だった。すべてがきらきら輝いて見える。靴が隠れるぐらいふかふかのカーペットが敷かれた居間には、少なくとも十人はくつろげそうな応接セット。座り心地の良さそうな長椅子と、骨董品らしいテーブルが置かれていて、テーブルの上にはお茶の用意ができている。そしてもちろん天井にはシャンデリア。

 この居間だけでも、あたしたちが住んでたアパートよりも広いぐらいだけど――それだけじゃないのだ。あたしたちは扉を順番に開けて回った。日当たりのいい書斎、快適そうな寝室、広々した浴室。どこに行っても花だらけだ。色とりどりの花をこんもり盛り上げた花瓶があちこちに置いてある。そのせいで部屋じゅうに新鮮な甘い香りが満ちあふれていた。

 息を弾ませながら客室をすっかり見て回り――はっと気づいた。

 こんなことをしている場合じゃない。市内でいちばん高級なホテルの客室に初めて入ったので、つい興奮しちゃったけど――クラウディア姐さんまで殺され、あたしたちにも危険が迫っているかもしれないのだ。

 居間ではジェスがあたしたちのためにお茶をいれてくれていた。

 あたしとフリント、ロニーは黙ってソファに腰をおろし、暖かいお茶をすすった。

 とってもいい香り。きっと高級なお茶なんだろう。喉から胃袋にかけて暖かさが広がり、それにつれて心も落ち着いてくるみたいだった。

「……あなたのペテンの技、すごいわね。びっくりした」

 あたしはジェスの顔を見ながら口を切った。

「どうして普通にチェックインしなかったの? お金なら十分持ってるはずでしょ」

 テーブルの上の銀の皿に、チコリーフを焼き込んだクッキーが扇状に並べられてる。フリントとロニーは食欲むき出しでそのクッキーにつかみかかった。

 ジェスはにっこりした。人をほっと安心させるような笑顔だった。

 腕利きの詐欺師はみんなそういう笑顔を持ってる。ラカトシュ街育ちのあたしはそのことをよく知っていた。

「我々のような人相風体の四人組がホテルにチェックインしたという記録を残したくなかったんだよ。人探しをするなら、まずホテルの宿泊記録をあたるのが常道だからね」

 ジェスの返事を聞いてあたしは気分が悪くなった。ぞっとしたんだ。だけど、もう、絶対に泣いたりびくびくしないって決めてるから。必死で冷静な声を作って続けた。

「ジェス。あなたには本当に感謝してる。あたしたちがいちばん困ってる時に、かくまってくれたもんね。……でもあたしたち、あなたのこと何も知らないから、あなたの言葉を全部信じるわけにいかないの。教えてよ……あなたいったい何者? ケインおじさんに何の用事があったの?」

「そうだそうだ。だいたい、なんでタイミング良くクラウディア姐さんのアパートに現れたんだよ、あんた?」

 口いっぱいにクッキーを詰めこんだまま、フリントもとがった声を出す。

「……」

 ジェスは答える前に少し時間をとった。あたしたちの頭上に視線を泳がせ、どこか遠いところを見ているような瞳をした。ひょっとしたら、単にまた、もっともらしい嘘をひねり出すための時間だったのかもしれないけど。

「わたしが何者か、という質問に答えるのはとても難しいんだが……まあ見ての通りの男でね。これと言って人生に目的を持たず、刺激を求めてふらふら各地を渡り歩いてる人間。古い言葉でいえば『冒険家』というやつだ」

「冒険家? ペテン師じゃなくて?」

 -―なによ、冒険家って。そんなの職業とは言えないじゃない。あやしすぎるわ。『強盗』とか『ばくち打ち』の方がまだ正直なぐらいよ。

 あたしの疑いの視線をものともせず、ジェスは穏やかに言葉を続けた。

「わたしは今、友達の仇を討とうとしているところなんだ」

「……!?」

「『友達』と呼んでいいのかわからない。身分が違い過ぎるからね。年齢もかなり離れていたし。まっすぐな気性で、理想と信念に燃えた、非常に気持ちのいい若者だった。わたしたちは戦争で一緒だったんだ。解放軍に加わって、同じ部隊で何年も戦ってきた。彼には何度も命を救われたし、彼が連邦軍の捕虜になったときはわたしが助けに行った。生死を共にしてきた戦友だったんだ。

 しかし……彼は死んだ。今年の春、メフィレシア公爵の別荘に滞在中、突然熱病に冒されて急死したというんだ。それを聞いてショックだったよ。病気などとは縁のなさそうな、はちきれんばかりに健康な青年だったからね、彼は。

 先月だったか。知り合いの、ある婆さんがわたしにこう言ったんだ。彼の死はただの病死じゃない。だれかに謀殺されたんだ、と。そしてメフィレシア公爵には怪しいところがあるから、調べた方がいい、とね……」

「それとケインおじさんとどういう関係が……!」

 フリントが叫びかけたが、あたしはその脇腹をつついて黙らせた。人の話を最後まで聞け、とはいつもおじさんが言ってたことだ。相手のカードをさらけ出させて全部見てから、自分の出方を考えるのが生き残りの秘訣だと。

 ジェスは不意に笑顔を見せた。そのあたたかい茶色の瞳を、一瞬よぎったように見えた悲しみの色は、もう跡形もなく消えてしまっていた。

「わたしはこの街ではかなりの情報網を持ってるんでね、シュナイダー盗賊団のことはすぐに耳に入ったよ。貴族や富豪の屋敷を専門に狙う、最高に腕の立つ盗賊団だという評判だ。わたしはシュナイダー氏に、メフィレシア公爵邸に押し入ってくれるよう依頼するつもりだった。公爵とわたしは顔見知りで、屋敷にも何度か行ったことがあるので、邸内の見取り図や警備情報なんかは提供できる。その代わり、押し入る時にはわたしも同行させてくれないか、と……」

「ケインおじさんは、知らない人からの仕事の依頼は受けないわよ」

「ああ、そのことは考えた。だからミス・クラウディアも交渉相手として考慮していたよ。わたしはたいてい、男よりはご婦人と話が合うんでね」

 あたしはしばらく黙って、ジェスの話を頭の中で整理しようとした。

 つじつまの合わない話じゃない。それに、嘘を言ってるようには見えない。

 だけどわからないわよねー。この人が嘘つきとしてはピカ一だってこと、さっきのホテル支配人とのやり取りでよーくわかったわけだし。

 気がつくと、ジェスがとても優しい目であたしの顔をのぞき込んでいた。

「シュナイダー盗賊団は事実上なくなってしまって、わたしの捜査も一歩後退したわけだが、きみたちとこうやって知り合えたのも何かの縁だろう。できるだけ力になるよ。こう見えてもけっこう役に立つ男だからね。どーんと頼ってもらっていいよ」

「……ほんっっっとーに、それだけ? 怪しいなぁ。なにか他に魂胆があるんじゃないでしょうね?」

「善意だよ、善意。信じてくれよ、チェリー。きみたちをかくまったって、わたしには何の得もないじゃないか。きみのハートを獲得できるかもしれない、というささやかな希望の他には、ね」

 いかがわしい。いかがわし過ぎる。そう思ったけど、あたしは自分の頬が赤くなるのがわかった。

「あんた……チェリーに妙な真似しやがったら、ただじゃおかないぞ?」

 割って入ったフリントが、ちんぴらっぽく凄んで見せる。

「悪いけど、あたし、おじさんは趣味じゃないから」

 思わずドキッとしてしまった分あたしの口調もきつくなった。ジェスはこたえた様子もなく笑った。

「『おじさん』は勘弁してくれよ。こう見えても『永遠の青年』で通してるんだ。……このままだと、シュナイダー氏を殺害した連中はいつまでもきみたちを狙うだろう。何者かはわからないが、目的のために手段を選ばない危険な連中なのはたしかだ。しかも恐るべき組織力を持っているらしい。

 わたしとしては、即刻パールシー王国を出ることを勧めるね。もしきみたちがその気なら、偽造旅券と航空券はわたしが手配しよう。だれにも見つからないよう、この国から出してやれる。まっとうな観光客としてね」

 あたしはフリント、ロニーと顔を見合わせた。

「……しかし、もしきみたちが何らかの理由でこの街にとどまることを選ぶのなら……わたしはきみたちに協力するよ。全面的にね」

「ありがとう、ジェス。でも、ちょっと考えさせて。すぐに結論なんて出せない。三人でよく相談してみるわ」

 あたしは答えた。



 ホテル側は毎回、最高のルームサービスを用意してくれた。

 白手袋をはめた上品なボーイが、ちょっと見たことがないようなごちそうの数々を、カートに山盛りにして運んでくる。夢みたいな光景だ。

 とても二人前とは思えないたっぷりした量の料理だったけど、四人で食べるには少なすぎた。

「食糧を確保してくるよ。メニューは選べないが、我慢してくれ」

 ジェスは書斎へ姿を消したかと思うと、ホテル・グランディオールのボーイの制服に着替えて現れる。一体どこで手に入れたの、その制服!?

 ボーイの格好で部屋を出て行ったジェスは、数分後、おいしそうな匂いの湯気をたてている銀のカートを押して戻ってくる。制服姿でボーイ溜りに立っていると、ルームサービスの配達を頼まれるので、それをそのまま失敬してこのスイートまで運んでくるということらしい。

 ジェスはどこからか、あたしたちの着替えまで手に入れてきてくれた。このホテルに着いた翌日、二、三時間留守にしたかと思うと、箱いっぱいの衣料をポーターロボットに運ばせて帰ってきたのだ。

「サイズがわからなかったから、適当に調達してきた。どれでも好きな服を選んでくれよ」

 ジェスは明るく言ったが、その明るさはいかにもうさん臭かった。あたしたちは用心深く箱を調べた。服はすべて新品で、袋に包まれている。だけどお店で買ってきたわけじゃないのは一目見ればわかる。『調達してきた』という言い草もなんだかあやしい。

 まあ、ジェスはこうして住む場所、着る物、食べ物をあたしたちのために揃えてくれているわけだ。至れり尽くせりの世話をしてくれる。とっても親切な人だ。だけどたぶん、それをするのに一クレジットのお金だって使ってない。こういう人にとって、世渡りをしていくのにお金なんていらないんだろうな、とあたしは思った。ジェスは舌先三寸であらゆるドアを開けることができるのだ。

 彼がそんなこんなで部屋を留守にしている間、あたしたち三人はこれからの行動について相談した。お尻がむずがゆくなってくるような、贅沢で心地良い居間のソファに座りながら。 

「……どういうことだよ、チェリー。逃げずにこの街に残るって。殺されたいのかよ!?」

 フリントが金切声をあげる。あたしはなんとか彼を冷静に戻そうとした。

「間違えないで。『あたしは残る』って言ってるだけよ。あんたに残れなんて言ってない。……あたしたち、もうそろそろ大人なんだから、いつまでも三人でつるんでなくてもいいでしょ?」

「だけど、どうしてなんだよ。せっかくジェスが切符まで手配してくれるっていうのに。おれ、こんなヤバい街に、もう一日だっているのはイヤだぜ」

「このまま逃げたくないの。ケインおじさんたちにあんなひどいことをした連中をそのままにして、自分だけ安全な所で暮らすなんてできないよ。敵があたしを狙ってくれば、それは逆に、敵の正体をつきとめるチャンスにもなるでしょ。絶対しっぽをつかんでやる」

「無理だよ、チェリー……あんなに強かったケインおじさんでも、かなわなかった相手なんだよ?」

 ロニーが情けない声を出した。あたしはきっぱり言い切った。

「大丈夫よ。おじさんたちは、だれかに狙われてるなんて思ってもいなかったから、油断してるところをやられたの。あたしは十分警戒してるもの。そう簡単に寝首はかかれないわよ?」

 背筋を伸ばして、顎をぐいと上げ、がんばって強気なふりをした。でもフリントの目はごまかせなかったみたい――探るような視線でじっとあたしの顔をのぞき込んでる。

 おまえを一人で残してはいけない。フリントがそう言い出したのは三日目のことだった。

 うれしかったけど、そんなそぶりを見せないように注意して、あたしは彼をじっと見返した。

「無理につき合ってくれなくたっていいのよ。命がかかってるんだから」

「おれだっておじさんたちをあんな目に合わせた連中は憎い。それに、おまえを置いて逃げたらあとで化けて出られそうだし」

「なっ、何よそれ~。縁起でもないこと言わないでよ」

 あたしは口をとがらせて抗議した。そこへ、

「ぼくも残るよ! やっぱり三人一緒でなきゃ、楽しくないもん!」

 元気いっぱいにロニーが叫んだ。危険をわかってるのかわかってないのか――まるでピクニックの計画でも立ててるみたいな陽気さだ。

 なんだかんだ言って、フリントやロニーと別れずに済んであたしはほっとした。ずっと、きょうだい同然に育ってきたあたしたちだ。離れ離れになったらきっと身体の一部をもぎ取られたような気分になるだろう。

 あたしたちはジェスに、クテシフォン・シティに残って犯人探しをするつもりだと宣言した。



 シュナイダー盗賊団の生き残りの人たちに会いに行こう、というのがあたしの計画だった。ケインおじさんたちがなぜ殺されたのか、少しでも手がかりになる話が聞けるかもしれない。

 あたしはフリントやロニーと共に、なじみ深い西区に向かった。あたしたちにスリの技術の手ほどきをしてくれたラッセルおじさんに会うためだ。

「家にいるかな、おじさん……?」

 歩きながらフリントが不安げな声をあげた。

「ひょっとしたら、もう地下に潜っちまってるかもしれないぜ? だれかがシュナイダー盗賊団を狙ってるのはまちがいないんだ。おれだったら、殺されるのをのんびり待ってないで、さっさとどこかに隠れるけどな?」

「そうね……ラッセルおじさんには会えないかもしれない。でも、やってみる前からあきらめてたら、なんにもならないでしょ? みんなの家を一軒ずつ回っていこうよ。順番に回ってたら、ひとりぐらい隠れないで家に残ってる、度胸のある人に会えるかもしれないわよ」

 あたしは力強い声を作って答えた。

「警察には話さなかったようなことでも、あたしたちにはきっと教えてくれるはず。そうすれば、そのうち犯人の手がかりがつかめるわ。あたしたちで見つけるのよ……ケインおじさんたちを殺した犯人を。絶対に」

 西区へ入る。見慣れたはずの街並みが、一瞬ひどく汚らしく、ごみごみして見えたのであたしはショックを受けた。超高級ホテルのスイートルームの豪華さに、いつの間にか目が慣れてしまったみたい。

 洗濯物の張り渡された路地。アパートの出入口の階段に腰をおろして大声でしゃべり合う、下着姿のおじさんやたくましいおばさん達。引っくり返ったゴミ缶。そんなごちゃごちゃした街角で、マイク片手に演説している若い男の人がいた。服装は地味だけど、顔はきりっとしていて賢そうな感じ。同じような雰囲気の男の人たちが、演説している人の周囲でビラを配ってる。最近このあたりでもよく見かける風景だ。『政治演説』というやつらしい。

「……私たちの生活が、いっこうに良くならないのはなぜでしょう? それは、役立たずの王族貴族を養うために、クテシフォン市の税金が使われているからです。市の予算のかなりの部分が王侯貴族の贅沢な暮らしを維持するために使われているのが現状です。何の役割も果たしていない、形だけの王国議会の議員たちに、なぜ我々の税金から歳費を支払わなくてはならないのでしょう? それだけの金額を、たとえば低所得者に良質な住宅を提供するのに使えば、もっともっと街の環境は良くなるのに……!」

 あたしたちは顔を伏せるようにして、演説する人の前を通り過ぎた。

 一生懸命なのはわかるんだけど――そういう難しいことって、あたしたち苦手なのよね。貴族や議会なんて、はるか雲の上の話じゃない?

 表通りを外れて、さらに狭くてごみごみした裏道へ入っていく。ラッセルおじさんは路地の行きどまりにあるアパートの四階に住んでいる。あたしたちはアパートの入り口に足をかけた。

 そのときだった。

「現れやがったな……張り込んでいた甲斐があったぜ」

 建物の中から背の高い赤毛の男が出てきた。目をぎらぎら輝かせて、あたしたちを見下ろすと、

「チェリー・ブライトン、フリント・ハートランド、それにロナルド・ゴアだな。俺はクテシフォン市警殺人課のケリー・マグレガー刑事だ。シュナイダー殺しについて、同居していたおまえたちの話を聞きたい。ずっと探していたんだ。署まで同行してもらうぜ」

 身分証明バッジをちらつかせた。

 ものすごーく凶悪な顔をした刑事だった。鋭い眼光。人間の肉なんか食いちぎれそうな、尖ったギザギザの歯。ギャングでもここまで人相が悪いのはめったにいない。殺気にあふれる表情であたしたちを睨み据えている。

 あたしは、じりじりっと後ずさりした。

 マグレガーと名乗った刑事の後ろから、もう一人の男が姿を現した。相棒の警官らしかった。

 ――『警察』と聞いたら、やることは一つでしょ?

「みんな。逃げるわよ!」

 叫ぶが早いか、あたしは刑事たちに背中を向けて駆け出した。

 返事はなかったけど、フリントとロニーも走り出したのがわかった。

「ま、待ちやがれ! 待たねぇと射殺するぞ!」

 背後からマグレガー刑事の怒鳴り声が響く。

 え。いきなり射殺!? ムチャクチャだわ。恐怖であたしの足はいっそう速くなった。

 はるか上の方で、窓がバタンと開くような音がした。聞き覚えのある声が降ってきた。

「チェリー……チェリーか? フリント! ロニー! おまえたち無事だったのか……!」

 ラッセルおじさんだ。

 ああ、よかった。思ったとおりだ。ラッセルおじさんはこそこそ身を隠すような弱虫じゃなかった。ちゃんと元のアパートに踏みとどまっていてくれたんだ。

 でも、今はあたしの予想が正しかったことを喜んでる場合じゃない。まずはこの刑事たちを振り切らなくちゃ。

 あたしたちはバラバラに分かれて逃げた。

 刑事は二人。あたしたちは三人。

 となると、たぶん、つかまえやすそうな相手を追ってくるのがお約束よね。

 だとすると、女のあたしと、ちびのロニーということになるかな?

 思った通りだった。走るあたしの後ろに、例のマグレガーという刑事がぴったりくっついてきた。最低に汚い言葉をまき散らしながら追って来る(本当に警官なの、この男?)。

 女だと思ってバカにしないでよね。こう見えても逃げ足の速さには自信あるんだから。

 このへんのアパートは、たいてい裏口から玄関まで一本の廊下でつながってる。ここからなら、通り抜ければササイズ街という表通りに出られるはずだ。ササイズ街は人通りも多い。人込みにまぎれて、刑事をまけるかもしれない。

 手近なアパートの裏口に飛びこんだあたしは、あっと声を上げて立ちすくむ羽目になった。廊下の突き当たりに見える玄関がシートや足場などで完全にふさがれていたのだ。どうやら工事中らしい。

 仕方なく、あたしはそばにあった階段を駆け上がった。

 二階、三階……。階段を下りてきていたおばさんが、驚きの声をあげて壁に身を寄せた。その横をきわどくかすめて、あたしは階段をのぼり続ける。マグレガー刑事はすぐそこまで来ている。相変わらずひどい悪口をまき散らしながら。四階……。ちょっと息が苦しくなってきた……。そして屋上。

 急に目の前が明るく開けた。

 あたしはアパートの屋上に立ち、ずらりと並ぶ下町の屋根の波を眺めていた。

 すばやく見回し、いちばん遠くまで逃げられそうな方角を見きわめる。あたしは走り出した。隣のアパートの屋根に飛び移った。とん、と軽い音をたてて着地に成功。そのままスピードを落とさずに走り続ける。ちょっと行って、また隣の建物にジャンプ。

 下町では家々が隙間なくひしめき合っている。おまけに、五階建て以上のアパートを作ると建築基準がとたんに厳しくなるとか何とかで、四階建てのアパートがものすごく多いのだ。だからほとんど同じ高さの屋根とか屋上がずらりと並ぶことになる。飛び移って逃げるには完璧だ。

「待てぇっ! てめぇ、待ちやがれ、この!!」

 マグレガー刑事の大声が、青空の下で響いた。

 同じように屋根伝いに追ってきてるらしい。刑事が飛び移るたびに、どたん、ずしん、と重々しい音が聞こえた。

 突然ひときわ大きな音とともに「ぎゃああっ!!」という悲鳴。走りながら、思わずあたしは振り返ってしまった。屋根の一つが刑事の体重を支えきれなかったらしい。マグレガー刑事は踏み抜いた屋根に胸のあたりまで埋まり、身動きとれずにいた。

 今がチャンス。いっきに引き離してやるわ。あたしはさらにスピードを上げて屋根から屋根へと走った。あと少し行けば、屋上のあるアパートがある。階段口が開いてるから、そこから建物内に入って地上へと逃げられる。

 そのとき。鈍い音がして、あたしの足元で何かが弾けた。

 あたしは走るのをやめて、おそるおそる足元に視線を落とす。屋根のその部分が高熱でどろどろに熔けていた。撃たれたんだ。レイガンで。

「女子供を撃つのは趣味じゃねぇが……何をおいても、おまえを逃がすわけにはいかねぇ」

 ぞっとするほど冷酷な刑事の声が響いた。

 あたしは振り返った。

 屋根の穴に半分埋もれた格好のまま、マグレガー刑事は銃の狙いをぴたりとこちらに定めていた。

「動くな、チェリー・ブライトン。これ以上逃走を続けるなら、足を撃って動けなくしてから署へ連行する。……なぜ逃げる必要がある? 逮捕しようってんじゃねぇ、ただ話を聞くだけだぜ?」

「話を聞くだけの人間を、撃つの? 信じられない。イカれてるわよ、あんた」

 あたしは叫び返したが、ちょっとだけ声が震えていた。

 どうしよう。もう逃げられない。あたしは警察なんてちっとも信用していなかった。話を聞くだけ、とか言ってても、すぐに理由をみつけて逮捕するに決まってる。警察の目から見ればあたしはただのちんぴらだし、ちょっとでも犯罪の匂いがする人間に対してこの街の警察はものすごく厳しいのだ。逮捕されたら、ケインおじさんたちを殺した犯人を探すことができなくなってしまう。困るよ、それは。絶対につかまりたくない、つかまるわけにはいかない――。

 マグレガー刑事はあたしに銃の狙いをつけたまま、苦労して穴から這い出そうと努力していた。

 あたしは凍りついたみたいになって、銃口から目を離せずにいた。すると、

「チェリーっ! こっちだ。飛べ!」

 あれ。ジェスの声だ。どこから聞こえるんだろう?

「早く。チェリー。こっちだ、こっち!」

 下だ。あたしはちょうど屋根の端に近い位置に立っていた。おそるおそる首を伸ばして(刑事に怪しまれないよう注意して)そーっと道路を見下ろしてみる。四階下にある道路は、目まいがするぐらい小さく見えた。ほとんど真下ぐらいの位置に、一台のトラックが停まっていて、運転席の窓から首を突き出したジェスがあたしを見上げて大きく手を振っているところだった。

 一目見たらすぐにわかる、救貧院行きのトラックだ。というのはコンテナいっぱいの衣類を詰め込んでいたからだ。慈善事業を趣味にしている上流階級の奥様方が、もう着なくなった服や流行遅れの服をどこからか集めてきて、月に一回貧しい人たちのために寄付してくれる。それを配るためのトラックが救貧院や児童福祉施設を走り回ってるのは、西区に暮らすあたしたちにとって見慣れた光景だ。ジェスが乗ってるのは、そのトラックだった。

 なんでそんな物に乗ってるのよ? もしかして、盗んだわけ?

 ――だけど、そんなことは別にどうでもいいように思われた。あたしは恐怖で痺れた頭で、ぼんやりトラックとジェスを見下ろした。

 トラックのコンテナの上部が全開になっているので、中にびっしりと詰め込まれた色とりどりの衣服がよく見える。

「飛べ! 大丈夫だから。思いきって、飛べ!」

 再び、ジェスが叫んだ。手を振り回しながら。

 あたしは呆然と立ちすくんでいた。

 マグレガー刑事はとうとう穴から脱出して立ち上がった。ぎらぎら光る凶悪な目であたしをじっと睨みすえ、銃口をこちらに向けたまま、一歩一歩、油断なく歩み寄ってくる。どんどんあたしとの距離を詰めてくる。

 もう迷ってる暇はなかった。

 すごく、すごく小さく見えるトラックのコンテナ目がけて、あたしは飛んだ。

 四階建てのアパートの屋上から飛び降りるのは、すごく勇気の要ることだ。下から見上げる四階ってそれほど高くは思えないけど、四階から見下ろす地面は果てしなく遠く見えるんだ。あたしの背中を押したのは、ここでつかまるわけにはいかない、という強い思いだけだった。

 落下する。

 激しい空気の流れがあたしを包む。

「きゃああああああああーっ神様たすけ……」

 て、まで言う前に、ずどんと重い衝撃が来て、布だのレースだのボタンだのがあたしの全身を下から上へ激しくこすり上げていくのを感じた。あたしは完全に衣服の山の中に埋もれていた。そして落下は止まっていた。

 ああ、嘘みたい。どこも怪我もしていない。あたし、助かったんだ。

 ぐいっと横向きに力がかかったので、トラックが走り出したことがわかった。

 あたしは苦労して、衣服の山のいちばん上から頭を出すことに成功した。ようやく視界が開けて、新鮮な空気を吸えるようになったので、ふーっと深呼吸した。

 トラックの後ろに小さくなっていく、古びたアパートが並ぶ街並み。

 そのアパートの一つの屋根の上に、マグレガー刑事が立って、じっとあたしたちを見送っていた。ここからじゃもう、顔までは見えないけど、きっと悔しそうな表情をしてることだろう。

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