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第4章 ヘレナ・ヘジナ・ホルムズド

 わしの名はヘレナ・ヘジナ・ホルムズド。

 王家お抱えの占い師だ。王家に仕えるようになってから、もう百九十年ほどになる。

 伝説の古き神の名を持つ我が一族の者は、代々強大な魔力を誇ってきた。未来を見通す眼を持ち、災いが王家に降りかからぬよう陰となり日向となり守ってきた。

 宮廷付きの占い師といえば、昔は尊敬され、能力にふさわしい高い地位を誇っていたものだが。いまいましい《中央》のバチ当たりな科学技術文明とやらが持ち込まれてからは、人間は魔法に対する畏敬の念を失ってしまった。宮廷に仕える口さがない娘どもはわしのことを「気違いババア」と嘲笑う始末じゃ。

 しかし、ただの気違いババアに、陛下や王家の方々が足しげく相談に訪れたりするだろうか? 陛下はわしのために、王宮の中庭の一角に庵を建ててくださった。わしはそこで俗物どもに邪魔されず、しずかに星の運行や宮中の《気》の流れを探ったり、はたまた未来を予測したりできるのだ。それは陛下がわしに寄せて下さっている深い信頼の表れと言ってもよい。

 ある日、庭に向けて扉を大きく開け放ち、わしが古代呪文に関する書物を研究しているとき、金髪の美しい女性が庵に入ってきた。

「こんにちは、ヘレナおばば」

「おお、エヴァンジェリン姫様か」

 相手は少し驚いた様子で、

「あら。どうしておわかりになったの?」

「わしは、人の心の色を見ますからな。外見などにはごまかされませぬわ」

「かなわないわね、おばばには」

 姫は軽やかな笑い声をたてた。

 この双子の姫君――姉のエヴァンジェリン姫様と妹のシスティーン姫様は、外見だけは本当によく似ていらっしゃる。まるで鏡に写したような対称形だ。絹糸のように繊細な金髪、秀でた額、あかるく輝く菫色の瞳、まぎれもない高貴な血筋を感じさせる典雅な顔立ち――なにもかもがそっくりだ。お二人がときどき衣装や髪型を取り替え、お互いになりすまして遊んでおられるのを、わしはちゃんと承知している。人間というものがいかに簡単に外見にだまされてしまうかは、見ていておかしくなるほどだ。お二人が入れ替わっているのをだれも見破ることができないらしい。

 しかし似ているのは外見だけなのだ、あくまで。物しずかで控えめで、花や動物を愛し、ひとりで思索と空想にふけっていることの多いエヴァンジェリン姫様に対し、システィーン姫様は生まれつき華やかで派手で、いやでも人を引きつけずにはおかない強烈な個性の持ち主だ。宮廷舞踏会でも多くの取り巻きを従えているのはいつもシスティーン姫様の方だった。システィーン姫様の笑い声がいつも王宮に響いていた。

 だが最近はそれも変わってきた。このごろのエヴァンジェリン姫様は、内側から自信と生命力を発散させて輝かんばかりだ。威厳に満ち、王者の風格さえ感じさせる。兄であるゾフィー様が亡くなられた結果、ご自分が正式な王位継承者となったことで、姫様の中で何かが変わったのであろうか。

「占ってくださいな、おばば。占って」

 逆らうことのできないほど優美な仕草で手を差し出し、姫様は言った。

「わたくしの未来を……そして、わたくしの恋を」

「恋ですと? あのメフィレシア公爵の息子のことではありますまいな。あんな男はやめておきなされ、姫様。まったくもう、姫様といいシスティーン様といい、どうしてあんな格好だけの優男に心ひかれるのかわかりませぬ。あれは肝心の時に頼りにならぬだめ男ですぞ?」

「まあ。それは占い師としての意見?」

「いや。そうではありませぬが……二百年も生きてきた年寄りの言うことは聞くものですぞ、姫様。人間を見る目だけはいやでも肥えてまいりますからな」

「二百年ねえ。本当に?」

 姫様はいたずらっぽく目を輝かせてわしをみつめる。信じられない、という顔だ。

 わしは少し鼻白んだ。本当か、と問い詰められれば実は困ってしまう。百四十歳を超えたあたりから面倒になって、自分の年齢などいちいち数えておらぬのだ。まあだいたい二百歳ぐらいだろう、ということで……。

 間をとりつくろうために咳払いしてから、わしは水晶玉を取り出し、深く心を落ち着けて、呪文を唱え始めた。

 室内の《気》がざわめき始めるのが感じられる――。

 澄み切っていた水晶玉の中央に曇りができ、それが玉全体に広がっていく。いつの間にか水晶玉の中は星空を映し出している。姫様の天空だ。無数の星々が形づくる架空の星座はすべて、見る目を持った者に厳然たる未来を教えている。明日の出来事から、いつか訪れる最期まで、ありとあらゆる吉凶を。

 わしは唸った。良い卦しか告げないというのが愛される占い師の資格であることは承知しているが、これは――。

「今、姫様の中天にのぼっている新星は偽りの道標……いずれ西の空に沈んでいく運命にあります。おそらくこれが例のメフィレシア公爵の息子でしょうな。今は明るく華やかに輝いてはいても、姫様にとってそれほど重要な存在ではない、ということでしょう」

 エヴァンジェリン姫様は不服そうに口を尖らせたが、黙って耳を傾けていた。わしの占いに対する信頼は絶大なのだ。

 わしは続けた。

「北の空に新星が見えます。強く、まがまがしい光を放つ美しい新星……」

「あら。それがわたくしの運命の男性なのかしら」

「その星は姫様に破滅をもたらします。決して、決しておそばに寄せてはなりませぬ。もっともその星の方から姫様のもとへ向かってくるでしょうが。お気をおつけになって。絶対に近づけてはなりませぬ。……おわかりになりましたね」

 姫様は神妙な面持ちでうなずいた。

「だれのことかしら、その新星って……」

 しばらくたってから、ためらいがちに尋ねる。わしは首を振った。

「今はまだ小さく、地平線近くにあります。ということは、姫様とそれほど関わりの深い者ではない、ということでしょう。まもなく大きくなります。まがまがしく美しい新星。どうか本当に注意なさってください。その星に触れれば姫様は破滅ですぞ」

「なんだか怖くなってきましたわ」

 姫様はつぶやいた。寒い戸外でするように、自分の体を両手で抱きかかえる。しかし室内は寒くなどなかった。そんなことは姫様もわしも承知していた。



 王宮の中庭には、人の背丈を超える高さの生垣が、複雑な模様を描くようにして何重にもはり巡らされている。

 この庭はわしの発案によって設計されたものだ。宮殿から見ると生垣の描く模様が邪悪を退ける護符となるようデザインしてあるのだ。

 それぞれの生垣と生垣の間は、ちょうど人が通れるぐらいの幅の小道となっている。

 いつの間にかこの中庭は、王宮に仕える使用人たちの格好の息抜きの場となっていた。生垣が人目を遮るので、見つからずに油を売るのにちょうど良いわけだ。

 その朝もわしは中庭の小道を散歩していた。

 だれにも聞かれぬと安心しているのだろう。生垣ごしに、使用人たちのさまざまな内緒話が聞こえてくる……。

「ヤブ医者だよ、あの典侍医。まちがいない。手なんか、こんなに震えてるし、目だってほとんど見えてないみたいなんだもの。あんな医者には、俺、水虫の手当だってしてもらいたくないね」

「陛下が最近すごく顔色がお悪いのも、そのヤブ医者のせいかしら?」

「そりゃあそうに決まってら。あんなヤブにかかってたら、健康な人間だって病気になっちまうよ。陛下も気の毒になぁ。医者、選べねぇんだもの。代々王家の典侍医をやってた家柄です、って言われちゃうとなあ……」

 わしは百九十年にわたってパールシー王家に仕えてきた。この王家が呪われた血筋であることを痛感するのに十分な時間だ。長年にわたって繰り広げられてきた血なまぐさい陰謀と近親相姦の数々。残虐と狂気の華やかなタペストリー。

 今のクレハンス十三世国王陛下は、ファルデモーナ王妃とその実兄エスディゲルド大公との間にできた不義の子だ。前王アルダシル九世はその呪わしい秘密を知って嫉妬に狂い、王妃とエスディゲルド大公を惨殺した。もちろん表向きは、王妃と大公は事故死したと発表されたが――アルダシル九世はその狂気から生涯立ち戻ることはなかった。公の場へ顔を出すのを最小限に抑えて、王宮の奥深くで廃人のようになって人生を終えた。

「なんか最近お変わりになったわよねー、エヴァンジェリン様。昔っから目立たない方ではあったけど……このごろそれに拍車がかかっちゃって。ほとんど口もきかないし、身動きもしないで、お部屋でぼーっとしてらっしゃるんだもの。大丈夫かしら? だって将来の女王様なんでしょう?」

「でもあたし、エヴァンジェリン様が女王になってくださった方がいいな。エヴァンジェリン様って、あたしたちみたいな下々の者にも、優しく声をかけてくださるじゃない。あのシスティーン様に比べれば。……システィーン様みたいなのが女王になってごらんなさいよ、あんた。毎日が地獄よ」

「まあ、そうよねー。強烈だもんね、システィーン様って」

 そしてそのアルダシル九世は、先々代の王ベルジブ十一世が愛人に生ませた庶子なのだ。わしはその愛人、メイレーアという女の顔もはっきり覚えている。勝気な菫色の瞳が印象的な美しい女だった。ベルジブ十一世には正式な王妃と王子がいたが、我が子が王位を継承することを望んだメイレーアの手にかかって毒殺された。メイレーアは捕らえられ投獄されたが、けっきょく彼女の願い通り、アルダシル九世は王位を継承した。血塗られた王位だ。

 王家の双子は不吉だという言い伝えがある。わしに言わせれば、このパールシー王家そのものが不吉な存在なのだが。この王家にあっては双子は決して同じ空で輝けない宿命にある。一人が天空に昇れば、もう一人が地平線下に沈む。一方の繁栄はもう一方の没落を意味する。相容れない運命にあるのだ。

 もともと権力のためなら手段を選ばないのがこの王家の血筋だ。共栄共存できない双子は、つねに権力争いを巻き起こしてきた。それが血で血を洗う大惨劇に発展したことが過去何度もある。王家に双子が生まれるたび騒乱が起こってきた。そこから「双子は不吉」という俗信が発生したのだ。

「私、お暇もらおうかと思ってるの。なんか周りでいやなことばっかり起きるんだもの」

「何言ってるのよ。簡単にうちらの都合でお暇なんかもらえるわけないじゃない」

「だけどさー、いやでいやでたまらないのよ。空気が悪くて……息がつまりそう。ゾフィー様が亡くなられてからというもの、なんだか宮殿全体の雰囲気が変わっちゃったわ」

「そうね。私もゾフィー様が亡くなられたのは残念。優しくて、いい方だったもんね、ゾフィー様って」

「マーガレットが病気になったのも、ここの空気が悪いせいだと思う。私もそのうち病気になっちゃうわ。そうなる前に、やめたいよぉ……」

 わしは生垣の角を曲がって、さえずるように会話を続ける小間使いたちの前に姿を現した。

「マーガレットとやらは、おぬしらより敏感なのじゃろうな。この王宮には不吉な《気》が満ちておる。まともな者ならとても耐え切れぬほど濃厚な瘴気じゃ」

 娘たちは驚いたように口をつぐみ、続いて顔を見合わせた。「気違いババアよ」と無言で目くばせを送り合っているのがわかる。

 わしは別に会話に入れてもらいたいわけではなかった。朝靄を割って立つ西の塔をじっと見上げた。

「若くて健康で、輝かしい将来を約束されていたゾフィー皇太子殿下が亡くなられた……それはほんの手始めに過ぎん。これからもっともっと恐ろしいことが起こるぞえ。空気が澱み始めておる。死臭が満ちておる。わしにはわかる、水晶玉の星座は破滅を暗示しておるのじゃ。王宮のみならず、このパールシー王国全体のな」

 小間使いたちは不審げに囁きを交わしながら、急ぎ足でわしから離れて行った。

 わしは西の塔を見上げ続けていた。おずおずと明るみつつある空の雲模様、塔の周囲の空気の流れ、木々のざわめき。そういった何気ない自然のすべてが《凶》の卦を示していた。凡人には見て取れぬのか、この恐ろしい光景が。なんということじゃろう。何もかもがこんなにも明々白々に「終わり」の始まりを告げているというのに。

 あの男こそが最後の希望だ、とわしは考えた。

 この王国を破滅から救う可能性を秘めた、ただひとりの男。水晶玉の勧めに従って、わしはあの男のもとへ依頼にでかけたのだ。どうか一刻も早く、あらゆる手を尽くして、王家と王国を守ってくれと。

 あの男にやる気を出させるために、ゾフィー皇太子殿下の名前を出さねばならなかった。それが功を奏したのか、あの男は「なんとかする」と快諾してくれた。今はそれを信じるしかない。

 わしは自分の庵へ戻ることにした。邪悪なる《気》の侵入を防ぐ結界を張ってあるから、庵の中の空気だけは清浄だ。本来であれば陛下の居室にも同じような結界を張りたいところだったのに、西の塔にわけの判らぬまじないなど持ち込むなと宮内庁から横槍が入ったのだ。結界さえ張っておけば……今ごろ陛下ももっと……。

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