第31章(1)
第31章(1) ライバート・ジェシー・カイトウ名誉市長
《分離独立派》が市民を扇動して始めた革命を、わたしが途中から乗っ取った。
革命を鎮めるどころか、逆に達成してしまったのだ。
《分離独立派》は大喜びでわたしの味方となった。わたしは革命の首謀者としてまつり上げられ、新しい暫定政府の指導者となった。
――なんの心の準備もできていないまま。
コンラッド・テイスペスがいつもわたしの傍らにいてくれて、助かった。
《分離独立派》のリーダーであり政治学者でもあるコンラッドは、クテシフォン市を変えていくための具体的な計画を、すでにいくつも持っていたのだ。
コンラッドに言われるまま、わたしは暫定政府のメンバーを任命した。
元市議会議長(市議会は暫定政府の設置を決議すると同時に自主解散したので、「元」議長だ)。
元事務次官で、今でも市の行政官庁に大きな影響力を持つ影のボスと呼ばれているアンネ・ロックザイン卿(わたしの魅力がまったく通用しない数少ない女性の一人だ)。
クテシフォン市立大学の経済学専攻の若手研究員二人(一人は就任を辞退した)。
そして――コンラッドの強い意向で――わが最愛の息子、アンドレア・カイトウ凱旋門本署署長。
アンドレアは暫定政府に加わることをきっぱり断った。
その断り方ときたら――汚い言葉をあまり耳にした経験がなかったらしい育ちの良いコンラッドを、思わず絶句させるようなものだった。
電話の向こうのアンドレアは、コンラッドが目を白黒させ、ついに頭を抱え込んでしまうほど強烈な罵詈雑言を並べ立てた後で、「ぼくなんかより、防衛軍のターフメイン大元帥を暫定政府に入れろ」と言った。
「防衛軍を取り込んでおかないと、後が厄介だぞ。大元帥に仰々しい肩書きや役職を付けてやって、中身のない派手なだけのイベントを定期的に企画してやれよ。勲章を見せびらかせるようなイベントを。そうすればしばらくは満足しておとなしくしてるだろう。ただし、ぜったいに実権は与えるな。肩書きだけだ」
「できれば、あなたも暫定政府に加わってくれないだろうか」
コンラッドは動揺しながらも食い下がった。
「過去三年間の市警の運営ぶりを見れば、あなたの行政官としての能力は明らかだ。それに、《無血革命》の時のライバートの演説は、あなたが脚本を書いたと聞いた。あなたにはビジョンがある。市民の幸福のためのビジョンが。そのビジョンを現実のものにしたいとは思わないか?」
「あいにく、ぼくは忙しいんだ」
愛想のかけらもない態度でそう答え、アンドレアは電話を切った。
たしかに、忙しいのは事実だろう。
市内の不安定な空気は、まだ完全に収まったとはいえない。
わたしたちが暫定政府を立て、クテシフォン市の実権を手中に収めたあの日の出来事は《無血革命》などと呼ばれているが――実際には「無血」どころの騒ぎではなかった。暴動のため、市内で大勢の死傷者が出た。
死人の大半は、王宮の正面で《分離独立派》と宮廷警備隊が繰り広げた銃撃戦によるものだった。
街頭テレビでコンラッドが《分離独立派》の同志に向かって投降を呼びかけ、銃撃戦が収束した頃には、舗道には大量の血が流れ、いくつもの死体が転がっていたという。王宮への攻撃を指揮していた《分離独立派》幹部のエイブラハム・ガーランドという若者も、戦いの中で命を落とした(コンラッドが彼の死をひどく嘆いていた)。
あの革命の日、ディオン・ザカリア市長は市議会議事堂から病院へかつぎ込まれた。
人質にされた恐怖とストレスで、胃に穴が開いてしまったのだ。
緊急手術で彼は一命をとりとめた。二週間もすれば公務に復帰できるだろうとのことだったが、ディオンは「今の市政は、もはや私の手には負えない」という言葉を残し、政界から完全に引退すると宣言した。
その結果、市長官邸が空いたので、わたしがそこへ移り住んではどうかと勧められた。
「いい加減、『住所不定の風来坊』を卒業してはどうですか。あなたはもう責任ある立場なのだから」と元市議会議長が分別くさい顔つきで宣告した。
わたしはためらっていた。
根無し草として、何にも縛られずに気ままに漂う暮らしを長年続けてきたので、「定住する」というのはどうにも居心地が悪かった。クテシフォン市に戻ってきてからも転々と住まいを変えていて、一つの場所で百日以上暮らしたことはないのだ。
シュナイダー盗賊団の解散パーティを開く、という話が持ち上がったのはその頃のことだった。
この上なく、陽気な集まりだった。アジトの一階のサロンには豪勢な食事と大量の酒が並べられ、シュナイダー盗賊団の面々がすっかりできあがって、騒々しく笑い合っていた。
「おれたちは完全にバラバラになるってわけじゃねえんだよ。これは、アジトの解散式だ。もう一緒にまとまって住むのはやめる。それだけの話だ」
グラスを片手に、ラッセルがわたしに力説した。
「これからも仕事は一緒にやるさ。必要に応じてな。人手が要るときは、お互いに声をかけ合う」
――まるで全員が同時にしゃべっているかのような騒ぎだった。彼らは思い出話に花を咲かせた。わたしは冗談をさし挟み、彼らを笑わせた。気のおけない連中とのどんちゃん騒ぎ。これほど楽しいことがあるだろうか。
慣れない《政治》の世界の重圧。じわじわと囲いを詰めてくる《責任》という名の拘束具。息のつまりそうな日々を送っているわたしにとって、昔からの仲間のように親しく感じられるシュナイダー盗賊団の面々との時間は、本当に心やすらぐものだった。
しばしの別れになるのだから、女性陣とも腰を据えて話をしたかったのだが。
彼女たちはだれも、あまりわたしに近づいてきてくれなかった。ときおり女同士で険のある視線を交わしているのが見えたので――抜けがけしないよう、お互いに牽制し合っているのかもしれなかった。
わたしたちはしこたま飲み、さんざんしゃべった。時間を忘れてグラスを傾けた。そして気持ちよく酔っ払い、哄笑しながら意識を手放した。
気がつくと、わたしは階段の踊り場に仰向けに横たわっていた。
ふらふらしながら起き上がった。窓の外が真っ暗なので、まだ夜は明けていないようだが――周囲の静けさから察するに、パーティがお開きになってから相当の時間が過ぎているのだろう。
体を動かすと、上着やパンツのポケットから、かさかさとシートがこすれるような音がした。手を突っ込んで探ってみた。あちこちのポケットから、シンシアやクララをはじめとする女の電話番号が書かれたメモや名刺などが、合わせて八枚みつかった。わたしが寝こけている間にポケットに突っ込んでいったらしい。
彼女たちの気持ちだけ、感謝と共に受け取っておくことにした。実際に連絡するかどうかはわからないが。
転がり落ちないように慎重に、階段を一階まで下りた。サロンでは、床や長椅子で何人かの男たちがいびきをかきながら眠り込んでいた。宴の後のけだるい空気が室内を満たしていた。
チェリーとロニーがテーブルの後かたづけをしているところだった。
「手伝うよ」
わたしは、できる限り颯爽とした身のこなしを作って、二人に近づいた。
チェリーと話ができる絶好の機会だ。彼女は今夜のパーティに顔を出していなかった――色々あって、聖アスナーバブル病院で別れて以来きちんと向き合って話をするチャンスがこれまで一度もなかったのだ。
「ありがとう。でも、いいのよ。これはあたしたちの仕事だから」
チェリーは微笑み、わたしの申し出をあっさりと一蹴した。
トレイの上に皿を重ねながら、ロニーが快活に言葉を添えた。
「ぼくら、シュナイダー盗賊団のメンバーじゃなくて、見習いだからね。雑用はぼくらがやることになってるんだ」
「……」
わたしは思わず、一人掛けのソファから半分ずり落ちるような姿勢で眠りこけているフリントを見下ろした。
彼もチェリーたちと同じ“見習い”ではないのか? その割には、盗賊団のメンバーと同じようにパーティで飲み食いして、一緒になって騒いでいたようだが?
「うん。言いたいことはわかるわ、ジェス」
「フリントはね、こういうやつなんだよ。昔から」
チェリーもロニーも、別に怒っている様子もなく、笑いながら作業を続けている。仲間というのは良いものだ。わたしは二人の制止を押し切り、汚れた食器をキッチンまで運ぶのを手伝った。広くはないが使い勝手の良さそうなキッチンは、こぎれいに整頓されていた。
「ここはチェリーとジェスに任せてもいいかな。ぼく、片づけ残した物がないかどうか、もう一度サロンを見てくるよ」
そう言い残してロニーは姿を消した。実に自然な態度で。
キッチンに二人きりで残されたわたしたちは、高価そうな食洗器(店で普通に買ったとは思えない。だれかが「調達」してきたんだろう)に食器を放り込んだ。その作業が終わり、食洗器が回り始めても、ロニーは戻ってこなかった。
気を利かせてくれたにちがいない。彼は人の心の機微がわかるやつだ。
わたしは心をこめて、息子の入院中に世話になったことの礼をチェリーに述べ始めた。
チェリーは微笑みながらわたしの言葉に耳を傾けていた。その濃い紫色の瞳には、かげりが見える。どこか寂しそうな――哀しそうな表情だ。
「ここを引き払ったら、どうするつもりなんだ、チェリー?」
彼女の表情を不安と解釈し、わたしは尋ねてみた。
チェリーの返事はよどみがなかった。
「またフリントやロニーと組んで仕事をするわ。スリの仕事。……《おぼろ公園》の近所に三人でアパートを借りたの。ラッセルおじさんと同じアパートよ。あたしたちの部屋が三階で、ラッセルおじさんの部屋が四階。何かあったらすぐに相談できて安心だもんね」
「ずっと……そうやって暮らしていくのかい」
「うん。何か他に面白そうなことがみつかるまで、ね。あたしたちはいいチームなの。三人分の生活費ぐらい余裕で稼げるわ」
いつもの勝気な態度でそう言い切ってから、チェリーは不意に、わたしの瞳の底をのぞき込んできた。
「ジェスはこれからきっと……何か難しい仕事をするんだよね。カイトウ名誉市長、だっけ? 知らなかったわ、あなたがそんな偉い人だったなんて」
胸のど真ん中に、杭でも打ちこまれたかのような衝撃が走った。わたしは思わずよろめいた。
「偉い人なんかじゃないさ。外から与えられた肩書きになど、なんの意味もない。わたしはただの根無し草……どこにも属さず、ふらふらさまよい続ける放浪者だ。初めに言っただろう? 職業は“冒険家”だって」
「いかがわしい! それ、すごく、いかがわしいわ。あなたって本当に、全身丸ごとうさん臭いわよね、ジェス。偉い人にはとても見えない」
「その『偉い人』というのは勘弁してくれ、お願いだから。『おじさん』呼ばわりされた方がまだましだよ。わたしは勝手にまつり上げられ、肩書きを押しつけられたが……中身は何も変わってない。きみが見ている通りの人間だ。きみの前では、わたしはいつもただのジェスさ」
「でも、たぶん、みんなはあなたに期待してるよね。あの“革命”の日、みんな、テレビの中のあなたに向かって拍手してたもん。あなたはきっと、この街の人たち全員のために、やらなくちゃいけない仕事があるんだよね。違う?」
チェリーの輝く瞳とまっすぐな言葉が、優しい鎖となって、わたしを縛り上げた。わたしは自分が完全に囚われ、逃れられなくなったことを悟った。
自由人としての日々は、とうとう終わりを告げたのだ。
「そうだ……わたしには、やらなくちゃならない役目がある」
たとえそれが自分の意思で選びとったものとは言えなくても。周囲と状況によって、いやおうなく押しつけられたものであっても。
わたしは覚悟を決めて、チェリーに明るく微笑みかけた。
「わたしはこれからずっと市長官邸にいるよ。少なくとも、あと何年かは。……何か困ったことがあったら、いつでも気軽に相談に来てくれ。困ったことがなくても、来てくれ。顔を見せに来てほしい。……きみはわたしの大切な友達だ、チェリー。いつまでも」
チェリーが急に、あわただしくまばたきした。言葉が発せられるまで、少し間が開いた。
「あたしみたいな泥棒が市長さんの家に出入りしてたら、まずいんじゃない?」
「寂しいことを言わないでくれ。友情に職業は関係ないさ」
――わたしたちはキッチンの隅に転がっていたスツールに腰を下ろして、おしゃべりに興じた。深夜のアジト内は静まりかえっていて、わたしたちの邪魔をしに来る者はだれもいなかった。わたしは、少女らしくめまぐるしく表情を変えるチェリーの様子を、感動をもって眺めた。
「よくアンドレアと一緒にいる黒髪の警部補。あの人ぜったい、アンドレアのこと好きだよね? そう思わない?」
目をきらきら輝かせて、いかにも面白そうにそう言ったかと思えば、数分も経たないうちに神妙な表情になって、暴動の最中、催涙ガスを浴びた人たちを無償で助けていた赤毛の親子のことを話し始める。
「あたしね、あのとき心の底から『助かったー!』ってうれしかったの。それで、あたしもいつか、だれかを助けられる人間になりたいのよ」
チェリー。きみがその綺麗な心をいつまでも失わずにいられますように。
わたしは罪も過ちも数えきれないほど犯してきた根っからのろくでなしだが、せめてできる限り、きみたちを支えたい。




