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第28章(1)

第28章(1) アンドレア・カイトウ署長

 ぼくは署長室のデスクトップで、市内の概況を眺めていた。

 「枯野に火を放つ」という表現は、こういう状況を形容するためにあるんだろう。

 暴動の広がり方は、市警がこれまで公安委員会等と行ってきたシミュレーションをはるかに上回っていた。

 最近の治安の悪化ぶりから、エヴァンジェリン王女の国葬の直後に大きな動きがあることは予想できていた。しかし事態の変化は予想以上に急速で暴力的だった。分離独立派の系統だと思われる若者の集団が、南区の貴族の屋敷に次々と火を放ち、王宮を襲ったのだ。連中は、驚いたことに、防衛軍並みの高度な武装を持っていた(現場の警官が、やつらの銃がゴライアスZZK20099であることを確認している――最新式より一つ古いだけのモデルだ)。分離独立派は王宮の正門の前にバリケードを築き、爆弾で門を破壊した。現在、宮廷警備隊や駆けつけた警官隊と銃撃戦の真っ最中だ。

 それに呼応して、クテシフォン市のパールシー王国からの独立を唱えて中央区で行われていた市民デモが暴徒化した。中央官庁街近くでの数万人単位の暴徒に対し、特殊戦略攻撃部隊(SSAT)の投入だけでは足りず、防衛軍の協力を要請せざるを得なかった。

 いったん噴出し始めた市民の不満は、とどまるところを知らなかった。

 市内の各所で暴動が発生した。

 デスクトップの概況図は、各分署からの情報を元に、市内の各ブロックの治安の悪化レベルを色分けして示している。今のところ、全市の八割近くがレベルB「緊急事態」で、レベルA「制御不能」に達したブロックも徐々に増えつつあった。

 ――初めは、なんとか鎮圧できるのではないかという希望もあった。数学パズルのような要領で、最大の効果を上げ得るように戦略的に警官隊を投入することにより、暴動の広がりをある程度抑えられていた。しかし、何と言っても、勢力が違い過ぎた。暴徒の絶対数は桁違いに多かったのだ。まるで全市民がここぞとばかりに一斉に不満を爆発させ始めたかのようだった。あるブロックで、催涙ガスで暴徒を散らすことに成功したかと思えば、すぐ隣のブロックで別の暴動が発生する。きりがなかった。

 社会が根底から崩れつつある。最悪のシナリオを超える最悪の事態だ。

 複数の回線を開きっぱなしにしているので様々な声と情報が交錯する署長室で、致命傷にも似たその知らせを受けたとき、もはや衝撃さえ感じなかった。

 ――武装集団による市議会の占拠。

 ゴライアス製のライフルを携えた学生らしい数十人の若者が議事堂に突入し、約百五十人の議員を拘束した。たまたま議会に出席していたザカリア市長も、一緒に拘束された。(議会の事務員や警備員などの職員は全員外に出され、市長と議員だけが人質にされた。)

 市議会の議事堂内の各所には監視カメラが設置されている。そのカメラからの映像を、公安委員会がこちらへ転送してきたので、ぼくらもデスクトップで議事堂内の様子を見ることができた。

 占拠犯は、数えてみたところ、四十人だ(幸い、ティントレット博士は加わっていなかった)。正面玄関と裏口を七人ずつが警備し、残りの二十六人が議場にいる。議員たちは全員が議場の奥に集められ、モスグリーンの絨毯の床に座っていた。その周囲を、銃を手にした犯人たちが取り囲んでいる。

 画像で見る限り、犯人たちは若い。学生かもしれない。

 しかしライフルを構える手つきは堂に入っており、ある程度の訓練を受けていることが察せられた。

「……貴族院の無能ぶりは目に余る。パールシー王国政府が、まっとうな政府としての機能を失っていることは、もはやだれの目にも明らかだ。かかる無能な政府のために、我が市の貴重な資源をこれ以上費やすことは、許されるべきではない……」

 地味な茶色のスーツを着た初老の男が演壇に立ち、議場に向かって弁舌をふるっている最中だった。流行から十年以上遅れている髪形、気弱そうな顔、締まりのない小太りの体型。風采の上がらない外見だが、紡ぎ出される声は力強く、張りがあり、抑揚豊かだった。人が耳を傾けずにいられない魅力を備えていた。大勢の前で話すことに慣れている人間だと察しがつく。

 クテシフォン市立大学政治学研究科のコンラッド・テイスペス准教授。分離独立派のカリスマ的リーダーだ。

 これまで表立った活動はしてこなかったが、ついにこの大詰めで姿を表したというわけか。

「……我々は、クテシフォン市民を代表して、今ここに現クテシフォン市政の停止を宣言する。我々は、クテシフォン市民を代表して、今ここにクテシフォン市憲法の停止を宣言する。我々は、クテシフォン市民を代表して、クテシフォン市が本日只今をもってパールシー王国から独立したことを、ここに宣言する……!」

「あ。市長がなんだか苦しそうですよぉ、ほら。犯人に撃たれたんですかね?」

 准教授の演説を無視してジョー・ブレア警部補が緊張感のない声をあげ、画面の一部を指さした。たしかに、床に座ったザカリア市長が顔を歪めて体を二つ折りにしている。

 ぼくもその部分に目を凝らしてみた。――苦しそうではあるが、出血はしておらず、特に外傷がある様子でもない。

「腹でも痛むんだろう。胃痛持ちらしいから」

「ああ! ストレスですね! わかりますよ、その気持ち。私も同じですから」

 バーンズ副署長がここぞとばかりに身を乗り出して主張した。その熱心な顔を、ぼくは思わず見返してしまった。

「きみも胃痛持ちだったのか。世の中、胃に問題を抱えている人間が多いんだな。幹部連中も何かあるたび、すぐに『胃が痛い』と医務室へ走るし……」

「うーん……もしかして、ご自分が周囲にストレスを与えているという自覚がないんですか、署長?」

「きみら、事態の深刻さがわかっておらんのかね! 何をのんきに世間話をしているんだ! そんな場合ではないだろう!」

 つながったままの回線の一つから、市の公安委員長が金切り声をあげた。

 ぼくらは公安委員長を白けた目で見やった。

 必死の形相を作れば危機に対応できるわけじゃない。緊急事態に直面したときいちばん大切なのは平常心だ。冷静な判断が下せなければ、あっという間に泥沼に飲み込まれる。

「今、対策を考えてるところですよ。黙っててください。何か良い案を思いついたのでない限り」

 ぼくは公安委員会との接続回線を最小化し、市議会議事堂の内部構造を示す詳細な見取図を画面に表示させた。正面玄関と裏口を固めている犯人に気づかれずに議場へ侵入する可能性を検証した。

 テイスペス准教授を人質にとって、分離独立派の連中に手を引くよう要求することはできるだろうか? 議員たちを解放させて議事堂から撤退させ――できれば、王宮前で宮廷警備隊と銃撃戦を続けている連中も投降させることは?

 不確定要素が多すぎる。テイスペス准教授が、分離独立派の内部でどの程度重要な地位を占めているのかが読めない。准教授は単なるスポークスマンで、真の実力者は他にいるかもしれない。例えばエイブラハム・ガーランドなど。そうであれば准教授は人質としての価値を持たない。

 ブレアがぼくのすぐ隣までやって来て、横からデスクトップをのぞき込んだ。

「また物騒なことを企んでるでしょ、署長。顔に出てますよぉ。……このボスっぽい男を消せば何とかなるかもと思ってるんじゃないですかぁ? それも、ご自分の手で」

 ――とんでもない洞察力だ。部下にここまで内心を読まれていいのか。

 ブレアの言葉に応えて、バーンズが口元を引き締め、けわしい表情を作った。

「だめです、署長。今日はどこへも行かせませんからね。スタンドプレーは認められません」

「実力行使してでも、止めます。悪いですけど手加減はしませんよぉ」

「そのためにジョーをここへ連れて来たんです。私では署長にはかないませんからな」

 バーンズとブレアが揃ってこちらをみつめていた。その顔には本気の決意が浮かんでいた。

 ぼくは表情を読まれないよう注意しながら二人を見返した。

「スタンドプレーはしない。ぼくはここで全体の指揮統括をしているのがベストだ。それぐらいはわかっている」

 そう言いながらも頭の中では、とても他人に任せられないような違法・非倫理的な手段を含め、事態を打開するためのあらゆる選択肢を猛スピードで検討していた。

 戦況は不利に過ぎる。あらゆる出口は塞がれており、こちらの持ち駒はあまりにも少ない。しかし投了(リザイン)という選択肢はない。ぼくらは何があろうとも、市民の生命と安全を守るため戦わなければならないのだ。

 そのとき、不意に室内に沈黙が訪れた。

 いくつもの回線から飛び出してきていた声が、突然絶たれた。

 デスクトップのすべての画面が一斉に閉じ、新しい画面がただ一つだけ開いた。

 こんな真似ができるのは防衛軍以外にない――回線経由でこちらのデスクトップに強制割り込みをかけてきたのだ。開いた画面には案の定、ダーレン・ターフメイン大元帥の面長の顔が大写しになっていた。背景は均一なライトブルーの壁紙で、軍がいつも公式発表に使っている部屋であることがうかがえる。

「多忙なところ申し訳ないが……重要な話がある。人払いを願えないかな?」

 よく響く柔和な声で、大元帥は言った。

 合成音声だろう。何度か実際に聞いたことがあるが、大元帥の地声はこんな声じゃない。あきらかに呼吸器系の疾病を抱えていそうな、聞き取りにくい弱々しい声のはずだ。

 画面に映っている顔も、六十歳とは思えないほど若々しく艶がある。しっかり化粧を済ませてきたに違いない。広く市民に顔をさらすために。

 ぼくが目くばせすると、バーンズとブレアはすかさず立ち上がり、退室して行った。

 外界の騒乱など遠い世界の出来事に思えるような不自然な静けさの中で、ぼくはクテシフォン防衛軍の最高司令官と対峙した。

「もっと早い段階で、きみと話を詰めておきたかったのだが。こんな形での初顔合わせになって残念だ。しかし、時間の不足は情報量で補えると信じている。われわれはすでに互いの立場と見解を十分理解し合えているはずだ。そうだろう?」

「そうですね。あまり時間がないので、単刀直入に用件を言っていただけるとありがたい」

 ぼくはデスクトップを操作して、市内の治安レベルの概況図だけでも表示させようとしたが、無駄だった。軍の割り込みは強力だ。デスクトップはロックされていて操作を受け付けない。大元帥の若作りな顔を眺めているしかない。

「防衛軍は、あと二時間以内に、王宮周辺と市議会議事堂周辺への部隊の配備を完了する。二時間後、一六○○時ジャストに非常事態宣言を行い、戒厳令を布告する。市政府がもはや市内の統治能力を失ったという判断に基づき、軍を主体とした暫定政府による統治を開始する。同時に、部隊を動かして、分離独立派の若造どもを強制排除する」

 穏やかな人工の声が響いた。

 ぼくはうなずいた。驚きはなかった。

 大元帥の化粧済みの顔も、用意されたこの合成音声も、大元帥がテレビで非常事態宣言を読み上げる際の画面()えを考慮してのことだろう。軍の高官連中は妙なところで体面にこだわるのだ。

 それに続いて発せられた大元帥の言葉も、これまでの経緯を考えれば、驚くに値するものではなかった。

「きみと何人かの市警幹部に、暫定政府に加わってもらいたい。市内を制圧するためには市警の協力は不可欠だ。防衛軍と市警……共に手を携えて、市内に秩序をもたらそうではないか。われわれの利害は一致している、そう考えているが?」

 ぼくはしばらく黙っていた。

「今の体制はもうおしまいだ。現体制を維持したまま、この騒ぎを収めることは不可能だ。……そのことは、もうきみにも実感できているはずだ」

 大元帥の声は、人工の音声とは思えないほど、しんみりと響いた。

「われわれは今日、市警の奮闘ぶりをずっと見てきた。――きみたちは混乱を鎮めるため最善を尽くした。すばらしく戦略的な動きで、指揮統制も完璧だった。何者もきみたち以上の働きはできなかっただろう。今のこの手に負えない騒乱は、だから、不可避の結果なのだ。長年にわたって続いてきた無能な国政の。止めるための方法はひとつしかない」

「……認めたくないが、あなたの言う通りです、大元帥。今のままでは全市の暴動を鎮圧することは不可能だ。防衛軍の戦力を全面的に投入するしかない。……具体的にはどういう手を打つつもりですか」

「非武装の暴徒については、ドルマンガス等の非殺傷兵器で鎮圧する。武装勢力に対しては、こちらも殺傷力のある兵器で対応する。そして事態が沈静化するまでの間、市内に外出禁止令を出す。これらの鎮圧活動については市警との全面的な協力の上で進めていきたい。間もなく会議の場を設定するから、担当者を出してもらえるな?」

「市内の秩序を回復するのに防衛軍の戦力が必要だという点は認めますが、戒厳令や暫定政府は必要ですか? クテシフォンの現市政の権威を否定しなくとも……あなた方は、今の体制を護持するために出動することもできるのでは?」

「現在、市政の中枢は、分離独立派のならず者どもの支配下にある。市長と市議会議員全員が、だ。ならず者は高度な武器で武装している。生半可な手段で連中を制圧することは不可能だ。分離独立派を壊滅させるための作戦の際に、多少の犠牲が出ることはやむを得ないだろう……もはやきれいごとを並べていられるような戦況ではないのだ。王宮の前で騒ぎを起こしている武装集団の制圧についても、同じことが言える。

 きみとて、けっして人道主義者(ヒューマニスト)というタイプではないはずだぞ、カイトウ署長。凶悪なならず者を制圧するためには犠牲も必要だということを、きみも理解してくれると信じている。

 つまり、分離独立派の制圧と平和の回復は……市長と市議会議員の死を伴う、ということだ。罪もない彼らを死なせるのはわれわれとしても心が痛むが、その犠牲なくして、分離独立派を制圧する手段はない。その結果、街に平和が戻ったとき、市政には空白が生じている。当然、暫定政府を立てなければならんだろう。これ以上の混乱を防ぎ、秩序を再確立するためにもな」

 大元帥は不意に口調を変えて、

「――その手に(いかづち)を帯びし者

 焦土に立ちて ひとりごちぬ

 『()は果たして勝者なりや

 吾は果たして勝者なりや

 凱旋を称える喇叭(らっぱ)さえ鳴らぬ

 この寂寞たる戦場(いくさば)で』――」

と微笑んだ。

 ぼくはひどく不愉快な気分になった。殺戮者の文化人気取りは鼻についた。

「M・キリムですか」

「ほう。詳しいんだな」

「こんな場面で引用されて、今ごろキリムも墓の中でこむら返りを起こしてるでしょうよ。……そもそも分離独立派に武器を与えて武力蜂起を促したのは、あなた方ではないんですか。ゴライアスZZK20099は素人が簡単に入手できる銃じゃない。それも、あんなに大量に。ゴライアス・メカニクス社は非常に顧客を選ぶ会社だから、各国の正規軍か警察にしか製品を販売しないはずだ。防衛軍から分離独立派に流れたと考えるのが、最も辻褄が合う」

 大元帥は謎めいた微笑みのまま、肯定も否定もせず沈黙を続けた。

「市議会議事堂の中にいた人間が全員死亡していれば……市長や議員を殺したのが分離独立派の連中だったのか、突入した防衛軍だったのかは、だれにも証明できない。そうでしょう?」

「それが、どうした? きみだってよく使う手じゃないか」

「一緒にしないでください。ぼくは、私利私欲のために汚い手を使ったことはない」

「そうだ。きみは正義のために手を汚す人間だ……そして、世間がきみを評価しているのも、その清廉潔白さゆえなのだ。きみはわが軍にないものを二つ持っている。頭脳と、市民からの信頼だ。だから、きみにはぜひ暫定政府に加わってもらいたいのだ」

 反論の言葉がぼくの喉元まで湧き上がってきた。市民に信頼された覚えはない。マスコミにはいつも叩かれているし、昨年は「社会の敵ナンバーワン」にまで指名された。――話の本筋から外れるので口にはしなかったが。

 代わりに、叩きつけるべき言葉があった。

「邪魔者は一人残らず抹殺する、というわけですか。分離独立派も、市長や議員も」

 大元帥は軽く小首をかしげてみせ、まなざしだけでぼくの言葉を肯定した。

「いったん火がついた民衆というのは、血を求めるものだ。だれかの血を……生贄を見ずには収まらない。彼らを暴動に駆り立てた不満、怒りの原因が何であれ、その咎を背負ってだれかが死ぬところを見たいと望むのだ。さもなければ、本当の意味で火が鎮まることはない。生贄として、現体制を象徴する政治家たちは最適だ。彼らの死は市民の心を静め、暫定政府を進んで受け入れる気持ちにさせるだろう」

「あなたはつまり、こう言っているわけだ。軍が市内の秩序回復に全面的に協力するのと引き換えに……あなた方が議事堂に突入して、分離独立派の連中と、ついでに市長や議員を皆殺しにするのを、ぼくらに黙認しろと。黙認し同意しろと」

 ぼくはかなり凶悪な形相になっていたはずだが、大元帥はそれに気づいたようなそぶりさえ見せなかった。つるりとした人工的な顔のまま、

「その方が問題があとくされなく早く片づくからな。どちらにしても、われわれが議事堂に突入しなければ、議員たちはテロリストどもにやられて終わるだろうさ。それに、そもそもこんな事態を引き起こしたのは彼らの責任だ。市長や議員たちの無能さが、市民の不満を蓄積させ、こんにちの事態を招いたのだ。代償を支払ってもらうのはやむを得ないだろう」

 そんな馬鹿げたロジックは聞いたことがなかった。ふだんのぼくなら一笑に付していただろう。どんな理由があっても、なんの罪も犯していない市民の命を奪うなど許されない。

 しかし、ぼくの舌は麻痺していた。

 自分が正しいと信じていることを主張できないのは生まれて初めての体験だった。

「……われわれはすでに市内のキーパーソンの傾向を分析、把握している。きみの行動原理はきわめて明白だ。きみが守りたいのは、この街で暮らす普通の人々の生命と安全、のはずだ。断じて、クテシフォン市の政治システムなどではない。そうではないか? それを守るために今必要なのは何なのか、よく考えてみることだな。きみが軍を嫌っていることは承知しているが……目的のために嫌いなものを飲み込むぐらいの度量は持ち合わせているのだろう?」

「少し時間をください」

 ぼくはこれまでの人生でほとんど吐いたことのないせりふを吐いた。大元帥はうなずいた。

「返答は一時間以内に頼む。一三〇〇時までに。こちらにも準備があるのでな」

 そして通信は唐突に切れた。

 軍からの強制割り込みが解除され、それまで閉じていたデスクトップの画面が一斉に開いた。遮断されていた回線が復活し、署長室内は再び声で満たされた。

 市内の治安レベルの概況図は、赤くない箇所を探す方が難しくなっていた。ほとんどのブロックがレベルA「制御不能」に陥っていた。

 ――この混乱を止めるには市警と防衛軍が協力するしかない。軍の力を借りれば暴動は鎮圧できる。

 しかしそれは、市長と市議会議員の虐殺を伴う選択肢だ。

 市長も議員たちも、善人とは言えないかもしれないが、少なくとも法を遵守する市民だ。いくら市の秩序を回復するためとはいっても、彼らを犠牲にするわけにはいかない。なんとか彼らを殺させずに、軍に協力させる方法はないのか――?

 次第にヒステリックな様相を帯びる多数の通信と情報が交錯する中、突然署長室の扉が開いた。

 ぼくは顔を上げた。

 そこに立っていたのは名誉市長だった。いつもこざっぱりとしているこの男にしては珍しく、髪は乱れており、眼の下に濃い隈ができていた。ネクタイもしておらず、シャツは皺だらけだ。


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