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第25章

第25章 アンドレア・カイトウ署長

 情報が必要だ。外で何が起きているのか、一刻も早く知らなければならない。

 テレビのニュースを見ていてわかったのは、世間に公表されている情報がいかに表面的なものかということだった。マスコミに流されている情報は真実のほんの一部にすぎない。それでは、本当のことは何もわからない。なんとかして署と連絡を取らなくては。

 当面のぼくの敵は病院だった。病院側は「近親者以外は面会謝絶です」と言い張り、署に連絡してだれか署員を派遣してもらってほしいというぼくの要求を却下したのだ。

 ぼくは、ベッドから満足に起き上がれない状態で可能な限り、高圧的な態度をとった。要求が受け入れられないのであれば、退院後、聖アスバーナブル病院のザカリア市長に対する献金疑惑を最優先で捜査させることになると示唆した。

 病院側も負けてはいなかった。やり手らしい五十代の病院幹部がやって来て、

「少しは自覚してください。あなたは仕事ができるような状態ではないんです。命をとりとめただけでも奇跡なんですから。今必要なのは安静にして体力の回復を図ることです。どうしても安静にしていられないというのなら……強制的にしずかにしていただく措置を取りますが?」

 医療機関にのみ可能な、合法的な脅しを持ち出してきた。

 ぼくは次に警察病院への転院を要求した。「親権者の許可がなければ認められない」という、きっぱりした答えが返ってきた。病院の入院約款を見せてもらい、穴がないかとすみずみまで精読した。しかし「親権者によって入院させられた未成年者は、その親権者が許可しない限り病院を出られない」という病院側の主張が正しいことを確認するだけで終わった。ぼくは四万人の警官を動かせる市警幹部で、連邦上級公務員でもあるというのに、私法上はただの無力な未成年にすぎないのだ。

 そしてぼくをこの病院に放り込んだ名誉市長は、完全に行方をくらましてしまっている。

 チェリー・ブライトンの話によると、あの阿呆は、ぼくが意識を取り戻した直後に走り去り、それっきり戻って来ないという。

 いったい何を考えてるんだ。あの男の行動は、だいたいにおいて、ろくなものじゃない。厄介事を起こしていなければいいが……。



「ぼくがこの病院に入院していることを母に連絡してくれませんか。きっと、とても心配していると思うんです」

 見たところいちばん親切そうな中年の看護師に向かって、ぼくは渾身の「しおらしい子供」の演技をしてみせた。

 本性を知られていない相手であれば、ぼくの「子供のふり」はたいてい効く。

 看護師の顔にたちまち同情の色が浮かんだ。

「事情があって……母は姓も違いますし、こんなことがあっても、すぐに連絡するわけにはいかなかったんですが。やっぱり母には、ぼくが無事だと知らせておきたいので……」

 声をとぎらせながら、視線を落とす。

 看護師の力強い声が頭上から降ってきた。

「わかりました。私から連絡しておきます。今はお父様がいらっしゃらないから、お母様に来てもらった方がいいものね。お母様の連絡先は?」

 ぼくは秘書の自宅の電話番号を看護師に教えた。

 ミズ・グレイスバーグは機転が利く。いきなり「あなたの息子さんが入院している」と、独身の彼女にとって心当たりのない電話がかかってきても、事情を察してうまく対処してくれるだろう。

 翌日、ミズ・グレイスバーグはさっそくぼくの母になりすまして病院を訪ねてきた。

 ――こんなにうまくいくのなら、病院幹部を威嚇したり入院約款を盾に取ろうとしたりせず、初めから泣き落としを使っておけばよかったのだ。

 顔を合わせるが早いか「いつも勝手に無茶なことばかりするから、こんな目に遭うんです」から始まる小言が爆発したが、言いたいことを言い尽くしてすっきりした後のミズ・グレイスバーグは現状をあます所なく語ってくれた。



 ぼくが姿を消している間、バーンズ副署長だけでは刑事弁護士の猛攻を防ぎきることができず、王党派の貴族たちの保釈を認めざるを得なかった。メフィレシア公爵を含め九十七名の貴族たちが全員保釈された。

 それから数日と経たないうちにメフィレシア公爵の屋敷が火事で全焼した。焼け跡から公爵の死体が発見された。死因は急性一酸化炭素中毒だった。

 死者は公爵一人だけで、怪我人もいなかった。

 火災の原因は不明だが、火元は公爵の書斎辺りらしい。

 不審な火事であり、不審な死亡だった。公爵の家族は前日に領地へ向けて出発しており、火災当日の朝には使用人全員に暇が出され、すぐに荷物をまとめて屋敷を退去するよう指示された。まるで公爵が一人きりになるため、すべての同居人を追い払ったかのように。そして公爵以外だれもいなくなった屋敷が夜半、原因不明の炎に包まれたのだ。

 ――犯罪の嫌疑をかけられ、宮内庁長官の職も失ったメフィレシア公爵が恥辱に耐えきれず自ら屋敷に火を放ち、自害した。そう解釈しても無理のない状況だ。

 ただ、何者かが公爵を縛り上げるなどして拘束し、書斎に放火したと考えても、現場の状態と矛盾しない。公爵の死をめぐる状況は今のところ謎のままだった。

 公爵の死は、エヴァンジェリン王女がシャルル・ド・メフィレシアと共にエウフレン山中で崖から落ちて死亡した夜の、ちょうど翌日にあたる。

 この事故に関しては宮内庁が徹底的な情報管制を行っているので、王女の馬車にシャルルが乗っていたことさえニュースでは報道されなかった。

 こちらの事故もあらゆる点で不自然だった。姫が夜中にエウフレン山を馬車で移動していたことも不自然だし、馬車から発見された死者が姫とシャルルの二人だけだったことも不自然だった。王侯貴族は自分で馬車を操縦したりしない。必ず御者がいたはずだ。その御者はどこへ行ってしまったのか。しかし宮内庁はそれらの点に関しては、何の追及も行わないつもりらしかった。長官のケレンスキー公爵は岩のような沈黙を保っていた。

 市警の調査によると、メフィレシア公爵の長女であるクリメーヌがその夜ハルルト湖近くの別荘に滞在していて、夜中に馬車で出発するシャルルと姫君らしい女性を目撃している。執事のフリードマンが馬車の御者を務めていたと、彼女ははっきり証言した。

 また、火事の直前に暇を出されたメフィレシア公爵邸の使用人たちの証言によると、彼らに解雇を通告したのは公爵本人ではなくフリードマンだった。フリードマンは、公爵の印章入りの解雇通知を使用人たちに示し、退職金を支払って、使用人たちを屋敷から立ち去らせたのだ。

 そして火事の後フリードマンは完全に行方をくらましている。

 ――いかにも都合の良すぎる事故だった。王家と貴族たちにとって。

 エヴァンジェリン王女とメフィレシア公爵親子が退場することによって、陰謀の存在は、丸ごと闇に沈んで消えていく。エヴァンジェリン姫は父王を手にかけようとした反逆者としてではなく、悲劇的な最期を遂げた善良な姫君として国民に記憶される。王家の内部の醜い争いは国民の目に触れずに済む。あとは陛下の真の病名を世間に伏せておきさえすれば、すべてなかったことにできるのだ。

 もし陛下暗殺未遂の件が表沙汰になれば国内情勢はいっそう流動的になる。

 王家に対する各自由都市の反感は高まり、クテシフォン市内でも、パールシー王国からの独立を叫ぶ分離独立派が力を増すだろう。

 そのような事態を未然に防げたのだから、今回の二つの事故は王国の現体制――王侯貴族にとって完璧だ。分離独立を求める国民の声の高まりは、王党派・反王党派の双方にとって好ましくない。

 メフィレシア公爵の焼死。王女とシャルルの転落事故。どちらの事故にもカルロス・フリードマンの影が見え隠れしている。

 それらの糸を引いているのは、メフィレシア公爵の完全な排除を図る反王党派か、それとも、失策続きの公爵に見切りをつけた王党派か。

 フリードマンは《影の軍隊》の一員である可能性が高いので、王党派が黒幕だと考えるべきだろう。

 やはり王党派を野放しにしておくわけにはいかない。連中がメフィレシア公爵を切り捨てたのはおそらく、立て直しを図るためだ。王家がぼろぼろの状態の今こそ、やつらが勢力を伸ばすチャンスだからだ。

「刑事手続法七百八十一条の規定に基づいて、王党派の貴族ども全員の保釈を取り消し、身柄を再拘束するようバーンズに伝えてくれ」

 ぼくがそう言うと、ミズ・グレイスバーグは「わかりました」と言いながら、データシートに「七八一」とメモを取った。

「……再拘束しても、また弁護士が保釈請求をしてくるのではないですか?」

「心配いらない。ぼくはもう退院する。弁護士なんか、いくら来ても一瞬で蹴散らしてやるさ」



 ぼくは防衛軍のトーゲイ中佐の直通番号を持っている。

「私がどこにいたとしても必ずつながる秘密の番号さ。あんたに、持っていてほしいんだ。回線のセキュリティは完璧だから、何をしゃべっても大丈夫だよ」

 例によって薄気味悪いことを言いながら教えられた番号だ。役立つ日が来るとは思わなかった。

 ぼくは病院の廊下の公衆電話を使ってその番号を呼び出した。

 回線を切り替えているらしい不自然な電子音が何度か響いた後で、「驚いたな、あんたか」というトーゲイ中佐の声が流れてきた。音声のみで、画像がオフにされている。人に見せられないような場所にいるんだろう。

 相手の顔が見えないのはこちらにとって不利だったが、いずれにしても、中佐は本音を表情に出す玉ではない。ぼくは構わず話を進めた。

「ぼくに恩を売るチャンスを、あんたにやるよ。情報が欲しい」

「うっわ~。それが人にものを頼む態度? なんて言うか、あいかわらずだね。安心したよ。……何が知りたい?」

「聖アスバーナブル病院の、患者の入退院の決定権限を持っている管理職の中で、人に言えない後ろ暗い秘密のあるやつはいないか? 脅迫して、ぼくの退院を許可させる」

 しばらく沈黙が続いた。画像がなくても、相手のあきれ顔は想像がつく。

「ねえ。あんたは警察官に向いてないって、前にだれかに言われたことないかい?」

 そう前置きしてから、中佐は少し抑えた声で、病院のネリウス・カーライル外科部長の異常性癖と反道徳的な生活様式について教えてくれた。そんな情報までストックしているとは、さすが情報部だ。

「助かった」

と、ぼくは電話を切ろうとした。そのとき、さっきまでとは調子の違う中佐の声が響いた。

「この情報を提供したのは、あんたに早く現場復帰してほしいからよ。こっちじゃみんな寂しがってたんだ、あんたがいなくなってから。寂しさのあまりちょっぴり暴走しちゃった人間もいる……具体的に言うと、私の上官だけどね。あの単細胞女。

 どんなゲームでも、他のプレイヤーがいるからこそ楽しいのさ。そうだろ? なのに今じゃ、貴族勢力は揃って腰砕けで、遊び相手になってくれそうなやつはいやしない。あんたのいない市警なんて政治的には何の意味も持たない。面白くなかったんだよ。他にだれもプレイヤーがいないゲームなんて……ようするに、我々の一人勝ちじゃないか?」

 中佐の不気味な高笑いが響いた。

「一刻も早くそこを出て来いよ。遊ぼうぜ、私たちと。ゲーム本番はもうすぐだ」

 本番って何だ、とぼくが尋ねる前に中佐は通話を切った。

 ふと気づくと、ミズ・グレイスバーグの強い非難の視線がぼくの頬に突き刺さっていた。

「『脅迫は犯罪だ』と言いたいんなら、やめてくれ。そんなことは十分わかってる」

「本気で、退院するおつもりですか。ベッドからこの公衆電話まで自力で歩くこともできない状態なのに」

賦活剤(アクチベータ)を処方してもらえば、なんとかなるだろう」

 ぼくはミズ・グレイスバーグの肩を借りて、病室へ戻るため歩き始めた。「自力で歩けない」というのは大げさだ。多少ふらつくだけだ。それだって、数日すればよくなるだろう。

 彼女の眉間の皺は解けなかった。怒ったような険しい表情のままだ。

「賦活剤は治療薬じゃありませんよ。刺激を与えて、体をごまかすだけです」

「わかってる。ついでに言っておくと、賦活剤を連続使用すると心臓麻痺の危険があることも知っている。すべてのリスクは計算済みだ」

 ミズ・グレイスバーグのため息が病院の通路に大きく響いた。

「あなたのリスクの計算方法は、いつもどこかおかしいんです」



 巨大な嵐が迫っている。

 ミズ・グレイスバーグが要約してくれた公安委員会の報告書からも、その予兆ははっきりと読み取れた。

 かつてないほどの熱を帯びている市民のデモ活動と暴動。まさに一触即発の状態だ。

 エヴァンジェリン王女の国葬は二日後に予定されている(死亡の確認から国葬までの日程が異様に短い。王女の死因に関する世間の詮索を避けるためか、それとも、宮内庁は王族の葬儀を予想してすでに準備を始めていたのか)。

 嵐は、国葬の直後に訪れるだろう。公安委員会もそう予測していた。

 《分離独立派》の中心的な勢力と目されている連中は、今のところ不気味なほど静かだ。今動かないのは、おそらく近い将来に大きな動きを計画しているためだ。


 ――ぼくが反王党派に貴族院の主導権を委ねたせいで、破局を早めたのではないかと思わなくもない。反王党派の私欲丸出しの議会運営が、市民感情の悪化を加速させたのは事実だからだ。

 しかし、いずれにしても、破局は避けがたい結果だっただろう。多少の時期の前後があっただけで。

 未曾有の大混乱がもう手の届く距離まで来ている。

 入院などしている場合じゃない。

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