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第23章

第23章 アンドレア・カイトウ署長

 戸外は遊ぶための場所ではない。

 それは、十三年前のクテシフォン市では、常識だった。どんな幼い子供にとっても。

 外は「あまり出てはいけない」「怖い」場所だった。

 

 なぜ、その日に限って、公園で遊んでみたいなどと言い張ってしまったのか。

 たぶん、窓の外の青空がとても気持ちよさそうに見えたのと、

 楽しそうに広場を駆け回るクールドの自由都市の子供たちをテレビで観たせいだろう。

 ぼくは手に負えないぐらい激しく駄々をこね、母を公園へ連れ出すことに成功した。


 案の定、それほど長く遊ばないうちに、ナイフを持った三人組のちんぴらに囲まれた。


『バッグをよこせ』


 母は震えながら後じさる。声も出ない。


『見ろよ。この女、上玉だぞ』

『こっちへ来いよ、ママ。俺らと一緒に遊ぼうぜ』


 男の手が伸びてくる。

 母はその男の顔にバッグを叩きつけ、ぼくを抱き上げて走り始める。


 ぼくは母の肩越しに最後まで見ていた。

 追って来て母の背中にナイフを突き立てた男の恐ろしい形相を。



 世界が眼前でガラスのように砕け散った。



 ――あれから十三年。背中をナイフで三突きされる女性、よりはるかに凄惨な光景を、ぼくは数えきれないほど目撃してきたし、自分の手で作り出しもした。

 しかし、心はあの日の光景に囚われたまま、先へ進むことができない。


 ぼくが死にたがっているというバーンズ副署長の指摘は、おそらく正しかった。

 どんな検事より厳しく容赦ない《己》という名の糾弾者からは、死をもってしか逃れられない。



 (あの日・あんなことさえ・言わなければ――)


 眠りの訪れない無数の夜。終わりのない悔悟。常に突きつけられる己の過ちの結果。

 出口の見えない闇の中で、ぼくは心の一部を永久に失った。









 ああ、きっとあなたは、周囲からの愛に包まれて育ったのね……。







 あんたが死んでものすごく悲しむ人たちのこと考えて。


 未来から、逃げちゃだめだよ…………







 未来、か。考えたこともなかったな。

 ぼくはずっと、自分を滅ぼすのに忙しかったのだ。



 深い、深い水底から浮上するように勢いよく、ぼくは現実に引き戻された。目を開くと強すぎる光が眼球に痛みをもたらし、ものが見えるようになるまでには何回かのまばたきが必要だった。涙で歪んだ視界の中、白い天井を背景に、紫色の瞳の少女が思いつめた表情でこちらを見下ろしていた。その少女はすぐに脇へ押しやられ、白衣の人間たちが視界の大半を占めた。あわただしい動き。飛び交う声。ここはおそらく地獄じゃない。そして、いわゆる天国というやつでもない。ぼくは消えた少女の紫色の瞳のことを考えていた。記憶の中の何かが刺激される。血の赤と黄昏の紺を混ぜ合わせたような、濃い紫色。そうだ、ドーンストーンだ。ドーンストーンのペンダント。それを思い出した瞬間、状況理解が一気に追いついた。

 ――周囲を動き回る医療従事者の胸についているネームプレートのロゴマークから察するに、ここは聖アスバーナブル病院だ。

 聖アスバーナブル病院は警察病院と提携関係にない。

 ぼくがどうしてここにいるのかはわからないが、警察病院ではなくこの病院に搬送されたということは、署でぼくの所在を把握していない可能性がある。

「今日は何日だ? ぼくがここにいることを署では知ってるのか?」

 尋ねた。つもりだったが、声が出てこなかった。

 すぐそばにいた医師が、なだめるようにぼくの肩に触れた。

「はい、落ち着いてください。もう大丈夫ですよ……あなたは、助かったんです」

 声を出そうとする努力だけでひどく消耗した。ぼくは寝台に身を沈め、再び目を閉じた。

 ――フラーテス宮でシャルル・ド・メフィレシアに槍で刺されたあの日から、いったい何日が過ぎたのか。

 署員もだれもぼくの所在を把握していないとすると、キリンド司祭と約束した「ぼくの十日以上の消息不明」という停止条件が成立してしまう――あるいは、すでに成立してしまっている――可能性がある。

 停止条件が成立すれば、ぼくが連邦上級公務員として銀河連邦政府に行った、パールシー王国への内政調査権発動の請願が遡って有効となる。《中央》は嬉々として内政調査権を発動するだろう。パールシー王国を解体し、《中央》の意に沿った体制に作り変えるため、武装調査隊を送り込んでくる。

 なんとかして、そんな事態は、食い止めなければならない。暗殺の企てから国王陛下の御命を守るという目的は、もう達成されたのだから――。


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