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第22章

第22章 チェリー・ブライトン

 ジェスにはいつも、何を考えてるのかわからない飄々とした顔で、笑っていてほしかった。どーんと揺るがない態度で、あたしたちを見守っていてほしかった。

 ジェスが、つらくて死にそうな顔をしているところなんて、見たくない。

 そんな顔見たら、あたしもつらくて死にそうになる。

 人間って、あんまり悲しいと、ご飯を食べたり眠ったりすることも忘れちゃうんだね。ジェスを見ていて、そんなこともあるんだって初めて知った。目の下に隈を作って、げっそりとやつれていくジェスの様子は本当にかわいそうで、こっちまで泣きたくなった。


 あー、もうっ、アンドレアのバカ!

 これでもジェスが家族を想ってないって言うの?

 親っていうのは、子供を心配して、こんなにも苦しむんだよ。


 少しぐらい眠らないと体がもたない、とジェスをようやく説得した。

 ジェスに控室へ下がってもらい、あたしはその代わりにアンドレアに付き添った。

 べつに何かすることがあるわけじゃない。アンドレアはずっと眠ったままだ。ここ何日間、様子は変わらない。

 名前も知らないこのお金持ち専用の病院は、何もかもが高級でぴかぴかで嘘くさい。バーカウンターとか大画面テレビとか暖炉とか、そんなもの絶対病室に要らないでしょ!?  政治家や芸能人もよく利用するから、セキュリティもばっちりなんだと病院の人が自慢してた。警備は厳重で、無関係な人は中へ入って来られないようになっているし、どの電話も盗聴されない特別な回線だ。患者の秘密は完璧に守られる。

 あたしは窓際に立って、傾きかけた陽に黄色っぽく照らされた街を眺めた。

 そして振り返り、アンドレアの顔を見下ろした。


 この子とは、友達でも何でもない。今はたまたま協力してるけど、そもそも警察はあたしたち泥棒の敵だ。

 偉そうだし、わからず屋だし。ジェスに対しても冷たいし。

 ――だけど。こんな風に、大ケガして死んだように眠ってる姿なんて、見たいとは思わなかった。


 最後に会ったのは先週だった。メフィレシア公爵を逮捕したから、いつでも殴りに来るようにと、アンドレアの方から連絡してくれたのだ。

 あたしはフリントとロニーと一緒に市警本部ビルにでかけた。

 取調室で、あたしたちは公爵と初めて真正面から向かい合った。公爵はこちらを見ようともせず、伏し目がちのまま、じっとだまって座っていた。

 ケインおじさんやクラウディア姐さんのひどい死に方。その場面と、目の前に座っているおとなしそうな男の人とが、頭の中でうまくつながらない。

 この人が命令して、おじさんたちを殺させたんだ。パウエル・ディダーロを使って、あたしたちを何度も狙ってきたんだ。そしてペンダントの中に隠した毒薬で、まただれかを殺そうと企んでいるんだ。

 そう思おうとしても――実際の公爵があまりに普通の人すぎて、実感が湧いてこなかった。

「……殴れなかったわ。けっきょく。……あの人のこと、ずっと憎くてたまらなかったはずなのに。おかしいよね」

 取調室から出てアンドレアにそう言うと、

「公爵はもうおしまいだ。きみの裁判での証言が、公爵の棺に打ち込まれる釘になる。それで報復としては十分じゃないか?」

と、いつもの偉そうな口調で返された。

 そのときには、思いもしなかったのだ。こんな形で再会するなんて。


 いくら警察の親玉でも。知っている子が死にかけているのは、やっぱりいやだ。

 そのせいでジェスが苦しんでいるのも、いやだ。

 世の中にはどうして「不幸」なんてものがあるんだろう。神様が本当にいるんだとすれば、なんとかしてほしいよ。


 そのとき。びっくりするようなことが起きた。

 閉じたままのアンドレアの目から、ひとすじの涙が頬を伝って落ちたのだ。

 もともと思わず見とれちゃうぐらい整った顔立ちの子だから。その様子は、まるで絵本の一場面みたいにきれいで。あたしは立ちつくした。しーんとした気持ちになった。

 だけど次の瞬間、ベッドの周りのたくさんの機械からいっせいに耳ざわりなブザーやらベルやらが鳴り始め、あたしの感動は吹き飛んでしまった。

 病室のドアが開いて、医者や看護師が駆け込んできた。病室の中はあっという間に人でいっぱいになった。まずいことが起きているのだということは、医者たちの表情を見ればすぐにわかった。あたしは脇に押しのけられた。白衣の人たちがベッドを取り囲んだ。「急げ!」「緊急!」、聞き取れたのは、そんな単語だ。

 ――アンドレアは死にかけている。生きることを手放したんだ。自分の方から。

 あたしには急に、そのことがわかった。

「ちょっと! 待って! 死んじゃだめよ。何やってるのよ、あんたは!」

 ぐわーっという強い衝動があたしの内側から湧き上がってきた。あたしは医師や看護師をかき分けてアンドレアに近づこうとした。払いのけられた。負けない。姿勢を低くして、あたしを遮る人たちの腰と腰の間に頭から突っ込み、ぐいぐいと割り込んだ。なんとか人の壁を抜けると、さっきよりたくさんの器具やら管やらを付けられているアンドレアの蒼白い顔が、すぐ目の前にあった。あたしは懸命に叫んだ。

「勝手に逝かないで。あんたが死んでものすごく悲しむ人たちのこと考えて。親のこと考えて。未来から逃げちゃだめだよ。死んじゃったら……本当にやり直せなくなるんだから。おしまいなんだから。ねえ、戻ってきて。お願い!」

「処置の邪魔です。下がって!」

 だれかが強い力であたしの首根っこをぐいとつかみ、押し戻す。

 死んじゃだめ。死ぬな。あたしはわめき散らしながら、もう一度白衣の人垣を突破しようとした。背中を叩かれたり頭をこづかれたりしたけど、一生懸命もがいて、がんばって、ようやく人の間を抜けてベッドのそばまでたどり着いた。

 お願いだから。生きて。ジェスとお母さんと幸せになって。家族として。

 すると、まるであたしの声が届いたみたいに、アンドレアがぱちりと目を開けた。

 近い距離で見たその目は――ぱっくり開いた傷口みたいに思えた。

 それを確認できたのは一瞬だった。あたしは乱暴にアンドレアから引き剥がされた。体の大きな看護師に両側から腕をつかまれて床を引きずられ、病室の外に放り出された。本当に、ぽいっと放り出されたんだ。女の子に何てことするのよ、この病院は。倒れそうになってよろめいたあたしは、廊下の向こうの方にジェスが立っているのに気づいた。ジェスは幽霊みたいな顔でこちらをみつめていた。

「ジェス」

 急に胸がいっぱいになって、涙で声が詰まった。

「アンドレアが……目を開けたよ。意識が戻ったよ」

 会いに行ってあげて。あたしはそこまで言うことができなかった。ジェスが突然ぐしゃっと顔を歪め、あたしに背を向けて走り出したからだ。

「待って、ジェス! どこ行くの!? ねえ、ちょっと待ってよ!!」

 あたしは必死で追いかけたけど、彼の足は驚くほど速かった。廊下を曲がったら、もうその背中は見えなくなっていた。

 知らない人ばかりの白い廊下で、あたしは茫然と立ちすくんだ。

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