第2章(1) チェリー・ブライトン
ズボンの尻ポケットに入ってる財布なら、どんなぶきっちょでも抜ける。
背広の内ポケット。これは、ちょっと難しい。
あたしは、官庁街を気取った顔して歩いてる、ビジネスマンらしい身なりのいい若い男の前をさっとかすめて通った。
ぶつかったとさえ言えない。すごく軽い接触。
男は気にとめた様子も見せず、連れと会話を続けてる。あたしも知らん顔で行き過ぎた。
一ブロック歩いたところで、男の背広からすり取った分厚い財布を、向こうから歩いてくるフリントの手に押しこんだ。
お互いに知らん顔。あたしはまっすぐ歩き続ける。あたしの背後でフリントは角を曲がったはずだ。そして財布はロニーの手に渡る。
あたしたちは別々の道を通って、待ち合わせ場所に決めてある路地裏で落ち合う。
それが、あたしたち三人のいつもの仕事のやり方だった。
あたしはチェリー・ブライトン。十七歳になったばかりだ。たぶん、見た目は普通の女の子。ブスだとは思わないけど、街で男に次々と声をかけられるほどの美人じゃない。仕事柄、余分な匂いを身にまといたくないので、化粧を全然していないからなおさら。
あたしの自慢は抜群のスリの腕前だ。どんな難しい位置にある財布でも、カモに気づかれずに奪える。
ケインおじさんもあたしの腕を高く買ってくれてる。十八歳になったら、おじさんが首領をやってるシュナイダー盗賊団に入れてやる、と今から約束してくれてるぐらいだもの。
身寄りのないあたしとフリント、ロニーは幼い頃から、ケインおじさんのもとで兄弟みたいにして育った。仕事をやる時もいつも三人一緒だ。獲物の目星をつけるのはフリント。すり取るのはあたし。盗品を長く持ち続けてるとやばいから、すった物はすぐにあたしからフリント、そしてロニーの手に渡る。必要があるときは、フリントは獲物の注意をそらす役をやったりもする。
あたしたちのチームワークはばっちりだ。ずっと一緒に育ったんだもの。言葉に出さなくたってわかり合える。
仕事場はたいてい官庁街か、大企業の多い凱旋門通り。ふくらんだ財布を持った連中が大勢歩いているからね。
「カモが来たぞ、チェリー。白いコートを着て、キザな帽子かぶってるあの男だ。財布はコートの左ポケット」
フリントはそう囁いて、さっさと離れていく。
あたしは人込みを見渡した。フリントの言う相手はすぐにわかった。がっちりした体格の四十代の男だ。コートもスーツも帽子も高級品。見るからにお金をたくさん持ってそう。顔立ちにも品があるし、『紳士』って感じね。
よ~し、行くわよぉ。
気合いを入れて、あたしは歩き始めた。もちろん、できるだけ自然な、なにげない顔をつくろうのを忘れない。ああ今日は寒いな~って北風に向かって首をすくめてるふりをする。
あたしは紳士とすれ違った。
一瞬あたしの指がひらめく。紳士の財布はあたしのポケットに移動する。思った以上に分厚い手応えにあたしはちょっととまどったけど、でもそのまま歩き続けた。手はず通り、向こうからやって来るフリントに財布を渡す。
あとは、待ち合わせの路地裏に向かうだけだった。
楽勝だ。――もっとも今まで、めったにしくじったことなんてないけど。
あたしたちの待ち合わせ場所は、ビルに三方を囲まれた、ちょうど路地の行き止まりになっている所だ。あたしがビルの通路を通り抜けてその場所へ行くと、もうそこにはフリントとロニーが来ていた。
「見てよ、チェリー。この札束」
ちびのロニー(背は低いけどあたしと同い年だ)が息をはずませて財布の中身をあたしに示した。
あたしもびっくりした。ちょっと見たことないぐらい分厚い、千クレジット札の束が入ってる。一体いくらになるんだろう。想像もつかないぐらいだ。
思いがけない大儲けに、あたしたちは喜ぶどころか、なんだか怖くなってしまった。
「まさか……やばい金じゃないだろうな、これ」
フリントがつぶやく。
「こんな大金持ち歩いてるなんて、さっきの男、絶対カタギの人間じゃねーよ。どうする、もしこれがどこかの組織の金だったら……?」
「どうするったって、もうやっちゃったことなんだから、今さらどうしようもないじゃない」
あたしはきっぱりと言い切った。この三人で、結論を出すのはいつもあたしの役。子供の頃からそう決まってるのだ。
「とりあえず帰って、ケインおじさんに相談してみよっ」
「いや、それはだめだ。その財布、返してもらおうか」
突然背後から声が響いた。
あたしたちは仰天して振り返った。財布にすっかり気をとられていて、だれかが近づいてきてるのに気づかなかったのだ。しかも、そこに立っているのは、財布の持ち主であるあの紳士じゃないの……! にこにこ笑いながら、あたしたちのこと見下ろしてる。
「ぎゃあああっ!」
フリントとロニーが同時に悲鳴をあげた。あわてふためいて逃げ道を探す。
でも、この路地は行き止まりだ。紳士の横をすり抜けでもしない限り、逃げ道はない。あたしたちは完全に追いつめられたのだ。
絶対絶命。この仕事を始めて以来、初めての大ピンチだった。
あたしは仕方なく、目の前に突き出された紳士の手のひらに財布を乗せた。
こわくて心臓がばくばく打ってるけど、あたしは必死で自分をはげまして、ぐっと顔を上げて紳士をにらみつけた。将来シュナイダー盗賊団に入れてもらえることになってるこのあたしが、これぐらいでひるむわけにはいかない。
「きみの腕には感心したよ。わたしの財布をするなんて大したものだ」
紳士はおもしろがってるみたいな明るい口調で言った。負けてなるものか、とあたしは言い返した。
「おじさんこそ大したものね。あたし今まで見破られたことないのよ」
やめろよチェリー、挑発するのは、とフリントがけんめいにあたしの脇腹を肘でこづいた。ロニーなんかもう泣きべそかいてる。
でも紳士は怒った様子はまるで見せなかった。楽しいゲームでもやってるみたいな陽気な笑顔。こういう状況で、その笑顔はものすごく不気味だった。
「きみみたいなキュートなお嬢さんになら、財布なんかあげてしまってもいいんだが、あいにくそこに入ってるのは当座のわたしの全財産なんでね。返してもらわなくちゃ困るんだ」
「……あたしたちをどうする気? 警察に突き出す?」
堅い声であたしは尋ねた。意外にも、紳士はあっさり首を横に振った。
「そんな無粋な真似はしない。わたしも警察とは相入れない仲なんだ」
「え……?」
「きみの腕に敬意を表して、これを進呈しよう」
紳士は分厚い財布から数枚の千クレジット札を抜いて、あたしに差し出した。
あたしたち三人はしばらく呆然としてそのお金を眺めていた。
どういうこと、これ?
捕らえたスリを警察に突き出さないばかりか、お金までくれるっていうわけ?
差し出されているお金だけでも、相当の大金だ。あたしたちの一週間分の稼ぎを合わせてもこれだけの額にはならない。理由なんかどうでもいいからそのお金が欲しい、というのが最初のあたしの衝動だった。
でも……
あたしはバッと乱暴に紳士の手を振り払った。
「ふざけないでよ!」
と、腹の底から叫んだ。
「あたしたち、たしかに泥棒だけど、乞食じゃないのよ。こう見えても自分の技術で食べてるんだからっ。お情けでなにか恵んでもらうなんて、まっぴらだわ」
うわああチェリーのバカ……というフリントの呻き声があたしの背後であがった。ものすごく、うらめしそうな声だ。
あたしは構わず、紳士をにらみつけた。怒りで自分の小鼻がぴくぴくしてるのがわかる。
紳士はきょとんとしてあたしを見下ろした。
かと思うと、突然朗らかな大声で笑い始めた。
「これは一本とられたな」
「なにが一本よ。警察に突き出すなら、さっさと突き出しなさいよ」
「失礼した。わたしが悪かった。無礼なことを言って、きみたちのプライドを傷つけてしまったようだ」
紳士は笑うのをやめて、あたしの顔をじっとのぞき込んだ。その瞳がきらきら輝いている――あたたかくて、どこか懐かしいような、澄んだ茶色の瞳だ。
「チェリーっていうのか。素敵なお嬢さんだ。わたしの名前はジェシー……女性からはジェスと呼ばれる方が好きだがね。よかったら覚えておいてくれ」
怒るのも忘れて、あたしは紳士の瞳に見とれていた。
「ここは広い街だが、きみとはまたどこかで会いたいものだな。……それじゃ警察に捕まらないよう気をつけるんだぞ、チェリー。この街の警察は物騒だから」
紳士はくるりと身をひるがえして、歩み去っていった。
あたしたちはその背中をぼんやりと見送った。
「た、たすかった~」
力が抜けたようにフリントがその場にへたり込む。
「……」
あたしの心の中は、まだ紳士の茶色の瞳でいっぱいだった。
あたしたちのアジトは西区のラカトシュ街にあるアパートの二階だ。お上品ぶった連中はこのへんのこと『スラム街』と呼んでるらしいけど――あたしにとっては、小さい頃から走り回ってすみずみまで知り尽くしてる『庭』みたいなものだ。みんな、顔見知りばかり。歩いてるとあちこちから声をかけられる。
家並みが夕陽に照らされて、燃えるように真っ赤に染まってる。
あたしは夕食の買い物を終えて、アジトに帰るところだった。
アジトで生活してるのはケインおじさんとあたしたち三人組だ。ときどきおじさんの連れてきた女の人が何週間か一緒に暮らすこともある。女の人はいつも変わる。家事ができる人と、できない人とがいるけれども――いまは女の人はだれもいないので、料理はあたし、フリント、ロニーの三人が順番に担当していた。
あたしはシャツの下に外から見えないようにつけてるペンダントをまさぐった。
大きな紫色の宝石がついてるペンダント。
数日前ケインおじさんがあたしにくれたものだ。
「わあきれい! でも、これって『熱い』んでしょ?」
あたしの質問におじさんはうなずいた。
「まあな。昨日の仕事の獲物だ」
「それじゃあ、身につけて歩くわけにいかないじゃない」
おじさんはちょっと困った様子で、
「まあ、そうだが……おまえの目と同じ色だから、おまえにやろうと思ったんだよ」
あたしの顔を見てるのに、ふと遠くを眺めてるみたいなまなざしになる。
ときどきケインおじさんはこういう遠いまなざしをする。きっとあたしの母さんのことを思い出してるんだろう。ある程度の年頃になってから、あたしにはそれがわかるようになった。
ケインおじさんは、あたしの死んだ母さんの古い友達なんだそうだ。まだ四、五歳だったあたしを孤児院に引き取りに来たとき、おじさんがそう言ってたのを、やけにはっきりと覚えている。
――ねえ、母さんってどんな人だったの?
何度も何度もおじさんに尋ねたものだ。答えはたいてい同じだった。
――すごく、いい女だったよ。あれだけの女はめったにいねえ……。
そのうち、どうしてもおじさんに訊いてみたい、もう一つの質問があたしの心に湧き上がってきた。なんとなく言い出しにくくて……答えを聞くのがこわいような気がして……ずっとその質問を口に出せずにいた。
十八歳になったらおじさんに訊いてみよう。あたしには訊く資格があるはずだ。あたしが大人なら、きっとおじさんだって答えてくれるだろう。
その質問というのは――。
「チェリー。チェリーーッ!」
首を絞められてるみたいな情けない叫び声が、ぼんやりしていたあたしを現実に叩き戻した。
はっとして辺りを見回した。
ごみだらけの狭い路地。前からフリントがやって来る。顔を歪めてる。原因はすぐにわかった――ジェスと名乗った例の紳士がしっかりフリントの腕を握っているんだ。ロニーもつかまってる。ようするに紳士は、両手でフリントとロニーの腕を引きながら、こっちへ歩いてくるというわけだった。
ジェスはあたしの顔を見て、はればれと笑った。
「偶然だな、チェリー。こんなにすぐ、また会えるなんて。わたしはうれしいよ」
あたしはその場に立ちすくんだ。
逃げ出したいけど、仲間がつかまっているんじゃ、そうもいかない。
「何が狙いなの? こんな所までのこのこやって来て……」
自分でもものすごく緊張していることがわかる、とがった声だった。
それに対してジェスは憎らしいぐらい悠々とした態度で、
「ケイン・シュナイダー氏にちょっと会いたくてね。家を探していたら、近所の人が、この二人がシュナイダー氏と一緒に住んでいると教えてくれた。それで道案内を頼もうと思ったんだが……彼ら、なかなか協力してくれないんだよ。きみからも、ひとこと言ってやってくれないか」
「ケインおじさんに、いったいなんの用?」
「そう警戒するなよ。わたしは警官じゃない、それはきみだってわかってるだろ? 仕事上の話があるんだ。シュナイダー氏にとっても、決して損になる話じゃないはずだよ。彼の家まで案内してくれるね?」
あたしは、しばらくためらっていた。
ジェスはさっきとはまったく雰囲気が変わってしまってる。薄汚れた作業着に軍用コートを羽織っているその姿は、もう『紳士』とは呼べない。でもラカトシュ街に来るのにぴったりな服装なのはたしかよね。ジェスは完全に周りの雰囲気に溶け込んでいた。
この人、いったい何者なの……?
高級な服も、汚らしいよれよれの古着も、同じぐらい自然に着こなせちゃうこの人は……?
お金持ちだけど、どことなくうさん臭い。カタギじゃないのはたしかだけど、本物のギャングってわけでもなさそうだ。
こんな訳のわからない人に、あたしたちのアジトを教えるのは気が進まない。
迷っていても仕方ない。あたしには、まもなくそれがわかった。アジトまでこの人を案内するしかないんだ。だって、意地でも離さないぞという感じで、ジェスはしっかりフリントとロニーの腕を握ってるんだもの。案内しないかぎり解放してはくれないだろう。
あたしは溜め息をついた。
「わかったわよ。ついて来て、おじさん」
言い捨てて、早足で歩き始めた。
「え~っ、本気かよチェリー? こんな奴にアジトの場所を教えるなんて……」
「『おじさん』はひどいな、『おじさん』は……。ショックだよ、わたしは。せめてジェスって呼んでくれないか」
フリントとジェスのぼやきが、あたしの背後で重なったが、あたしは振り返らなかった。
ジェスが何者で、何を狙っていたとしても――ケインおじさんは凄腕で鳴らすシュナイダー盗賊団の首領なんだ。この世界じゃ一目おかれてる。どんな状況でもきっと切り抜けられるはずだ。
ジェスのことはケインおじさんに任せよう。
そう思うとちょっとだけ気が楽になって、あたしはずんずん歩き続けた。
古くておんぼろで、今にも崩れそうな建物ばかり並んでるその通りでも、あたしたちのアジトのあるアパートは特に古くておんぼろだった。灰色の四階建ての建物。強い風が吹けばアパート全体が揺れるし、階段なんてところどころ板が外れてる。人が歩けば、階段も廊下もギイギイ軋む。
ここに住んでいる理由は、窓を出ればすぐに隣の屋根があり、屋根伝いにかなり遠くまで行けるということなのだ。表のドアから警察が踏み込んできても、窓から逃げて、迷路みたいなラカトシュ街の路地に紛れこむことができる。
「……ここよ」
階段を上がりきったところのドアを、あたしは押し開けた。鍵はかかってない――ということは、ジェスおじさんはどこへもでかけず、まだ家にいるってことだ。
ちょっと広めの居間に台所、寝室二つ、浴室のついた、けっこう広い家だ。
仕事の相談がある夜は、この居間にシュナイダー盗賊団のメンバー全員が集まるので、これでも狭く感じられるほどだ。ひとくせありそうな面構えの大人たちが、夜遅くまで陽気にしゃべりながら酒を飲む。あたしたちも使いっ走りとして部屋の隅のほうに座らせてもらえる。にぎやかで刺激的で楽しい夜。いつかメンバーとしてその席に加えてもらうことが、あたしの夢だ。
今日は居間にはだれもいない。夕闇が迫ってきてるというのに、明りひとつついてない。しーんと静まりかえっている。
「ケインおじさーん。お客さん、連れてきたわよー」
あたしは大声で呼ばわりながら居間へ入りこんだ。
「おじさーん。……いないの?」
「おかしいな。鍵もかけずにでかけるなんて、おじさんらしくないよ」
不安そうにつぶやくロニー。
その通りだ。
もしかして寝てるのかな? あたしはおじさんの寝室のドアを引き開けた。
「ケインおじさん?」
そして立ちすくんだ。
生臭い血のにおいが強くて、吐き気がする。
寝室は薄暗かったけど、そのすさまじい光景はちゃんと見てとれた。おじさんは血まみれでベッドに横たわっている。大きく目を見開いて天井をみつめてる。でもその目は――なにも映していない感じだ。ぴくりとも動かない。おじさんの口はテープでふさがれてる。両手首はベッドの支柱に縛りつけられてる――。
涙でなにも見えなくなる前に、あたしに確認できたのはそこまでだった。
「おじさん! うわあああああああっ!!」
悲鳴みたいなロニーの泣き声があたしの後ろではじけた。
「これはひどい……。かなり拷問を受けたようだな」
ジェスがあたしの両肩に手を添え、寝室から連れ出してくれた。
あたしは呆然としていた。
騒いだり泣き叫んだりするのが普通なんだろう。すでにわあわあ大泣きしているロニーみたいに。でもあたしはそんな気になれなかった。まるで寝起きみたいに、ぼんやりしていた。
「死んでるの……?」
重い口を無理やり動かして、のろのろと尋ねる。
ジェスは、痛ましそうな表情ではあったが、きっぱりとうなずいた。
ウウッ、とフリントの口から泣き声が漏れた。
「ひでぇ……ひでぇや。一体どうして……だれがおじさんに、あんなことを……!」
あたしはまだぼんやりしていた。涙が一筋、すーっと頬を伝うのがわかった。でも泣き声はなにかにふさがれたみたいに出てこない。
これは夢だ。悪い夢なんだ。
ケインおじさんが死ぬなんて、そんなこと現実であるはずがない。
今朝だって、いつもと変わらず送り出してくれたおじさんなのに。
――しっかり稼いで来いよ、おまえたち!
威勢のいいおじさんの声が、今でも耳に残ってる……。
「どうする? 警察に連絡するのかい」
ジェスが、フリントに向かって尋ねた。
「これはれっきとした強盗殺人だ。ふつうならすぐに警察を呼んで、犯人を探してもらうところだが……警察にこの家に来られて色々訊かれると、きみたちも少し困るんじゃないか。シュナイダー氏の職業についてはわたしもよく知っている。もしここから盗品の一つでも発見されたら厄介だ。もちろん、被害者はきみたちの身内なんだから、警察を呼ぶ呼ばないはきみたちの判断に任せるが……」
フリントはえぐえぐ泣いているだけで、とても答えられるような状態じゃない。
ここは、あたしの出番だ。
頭の中がぐるぐる回っていて、火がついたように熱くて、なにがなんだかわからなくて、わーっって大きな声で叫び出したい気分だけど、ここであたしまで泣いてしまったらおしまいだ。なんとかしなくちゃ。一生懸命、考えなくちゃ……。
「だめよ」
自分でもびっくりするぐらい、落ち着いた声が出た。
ジェスが驚いたように、あたしを振り返った。
「警察なんてだめ。とんでもないわ。おじさんには前科もあるし、叩かれたら余計な埃がいっぱい出てきちゃう……まるで、あたしたちやおじさんの仲間を逮捕してくださいって言うようなもんじゃない。そんなこと、できないわよ」
とりあえず警察はあたしたち泥棒の敵だ。たとえなにがあったって、こっちから警察に連絡するなんて考えられない。
「それじゃあ、どうする? どこか行くあてはあるのかい。落ち着くまで身を隠せるような所は……?」
すごく優しい口調でジェスが尋ねる。あたしは言葉に詰まった。
「それは……」
あたしたち三人とも身寄りはない。天涯孤独のみなしごだ。唯一、引き取って今まで育ててくれたケインおじさんだけが親代わりだった。でもそのケインおじさんはもういない、いない、いない……。
「とりあえず、いつまでもこうしてはいられないな」
ジェスがそっと促した。
「わたしの泊まってるホテルに来るといい。部屋は空いてるから、そこで気分を落ち着けて、次の行動を考えることだな。今の状態じゃあ、とてもいい算段なんて思い浮かばないだろう?」
あたしはうなずいた。
何を言われたってうなずいただろう。
本当に、何も思いつけるような状態じゃなかった。