第17章 チェリー・ブライトン
警察に逮捕されるのは生まれて初めての経験だったけど。
十日間の留置場生活。あたしはプロの泥棒として立派にふるまった。
取調べでも、自分の名前と年以外のことは、なにも答えなかった。ディダーロたちに襲われた理由も訊かれたけど、黙っていた。だってそんなこと話せるはずがない――ケインおじさんたちがメフィレシア公爵の屋敷から盗んできたドーンストーンのペンダントのせいだなんて。シュナイダー盗賊団の盗みの証拠になるようなことを、警察に言うわけにはいかない。
留置場の女子専用フロアの看守は女ばかりで、けっこう優しい人もいた。仲良くなれたかもしれないけど、あたしは「警官となれ合っちゃいけない」と自分に言い聞かせ、ぶすっとした態度を崩さなかった。
もしケインおじさんが見ていたとすれば、「よくやった」と合格点を出してくれただろう。
そして十一日目の朝。あたしは、突然、釈放された。
何の予告もなく「チェリー・ブライトン。釈放だ」と言われて、留置場から出されたのだ。あっという間にあたしは市警本部ビルの裏口の外に立っていた。ひさしぶりに見上げる空がとても広く見えた。あたしの前には殺風景なオフィス街が広がっていた。
自由になれた喜び。
矯正院や年少刑務所に送られずに済んだ安心。
そんなうきうきした気分も長くは続かなかった。
「さ……寒っ!!」
あたしは自分の体を抱きしめた。ぶち込まれていた十日間でさらに冬が深まり、空気は刺すように冷たかった。おまけにあたし、逮捕された時と同じ服装なのだ――パジャマの上にジェスのコートを羽織っているだけという格好。外を歩き回るような服装じゃない。
でも、とにかく自由になれたんだもの。寒さぐらい我慢しなくちゃね。
あたしは気合を入れて歩き出した。ここは中央区。アジトのある西区までは少し遠い。だけど一クレジットもお金を持ってないから地下鉄にも乗れない。歩いて行くしかない。こんな格好で人前に出るのは恥ずかしいから、人の多い凱旋門通りはやめて、裏道を通っていこう。
あたしは歩いた。ずんずん歩いた。寒さで手の感覚がなくなってきた。鼻水も出る。だけどあたしの足取りは軽かった。帰れる。家へ帰れる。みんなに会える。ジェスに会える。そう考えると、うれしくて歌い出したいような気分だ。
急にあたしが帰ったら、ジェスはびっくりするかな。喜んでくれるかな。
留置場のあたしのこと心配してくれてたのかな――心配してたよね、きっと。だって、あたしが逮捕された時、すごくショックを受けた顔をしてたもの。
あたしの頭は楽しい想いでいっぱいで、周りにはあまり注意していなかった。
車が近づいてきているのにも気づかなかった。あたしの進む道を遮るように、突然車の扉が開くまでは。
あたしは驚いて足を止めた。
強い力で服の袖をつかまれ、車の方へ引っ張られた。あたしは必死で抵抗した。黒いセーターを着た男があたしを車の後部座席に引きずり込もうとしている。
何なの、この男!? 引きずられないようにするため、あたしはしゃがみ込み、踏んばった。男がつかんでいるのはあたしの腕じゃなくコートの袖だった――ジェスのコートが大きくて、サイズがあたしに合ってないせいだ。争っているうちに、きちんと前を締めていなかったコートが脱げてしまった。服が男の手の中に残り、あたしは解放された。立ち上がり、全力で駆け出した。
そして、両手を広げて待ち構えていたもう一人の男の腕の中へ飛び込む形になってしまった。
その男はあたしを抱きかかえるようにつかまえた。悲鳴をあげて暴れたけどどうしようもなくて、あたしは車に放り込まれた。ドアが閉まり、車が浮上した。
「……!」
狭い後部座席で二人の男に押さえ込まれ、身動きもできない。
一人の男の手があたしのパジャマの襟にかかった。引き裂くように襟元を開かれ、ボタンが弾け飛んだ。ひどいことをされる予感に、あたしの体が激しく震え始めた。でも、男の口から飛び出してきたのは意外な言葉だった。
「ペンダントはどうした?」
ペンダント? あのドーンストーンの?
「持ってない。警察にあるわよ、たぶん」
あたしの声は泣き声になりかかっていた。
「とぼけるな。留置場でおまえはあのペンダントを身につけていただろう?」
何を言われているのかわからなかった。そう言えば留置場にいる時、一度あのペンダントを返された。アジトの部屋に置いてあったはずのペンダントなのに。不思議に思ったけど、今となってはケインおじさんの形見とも言える物だから、手元に戻ってきたのがうれしくて、すぐに首から下げた。でもその次の日「手違いだった」と言って、また取り上げられてしまったのだ。
なんでそのことを、この男たちが知ってるんだろう。留置場の中でのことなのに。
「持ってないったら持ってないわよ! 何なのよ、いったい、あんたたち。ペンダントペンダントって。あれがいったい何なの!? こんな無茶苦茶しなきゃならないほど大事だっていうの!? どうかしてるわよ!!」
あたしは泣きながら叫んでいた。
男たちが神妙な顔つきで目線を交わした。
その表情に見覚えがあった。あのパウエル・ディダーロがアジトを襲ってきたとき、あたしが「ペンダントは警察に渡した」と言うと、ディダーロの顔に同じような表情が浮かんだのだ。そのときのあの男のせりふも、よく覚えてる。
――だったら、おまえはもう用無しだ。おまえも、他の虫ケラどもも、全員……。
殺される。あたし、このまま、殺されるんだ。
こわさに耐えきれなくて、あたしがぎゅっと目を閉じたとき。
軽い衝撃が走り、車がぐらりと揺れた。車の走行管理システムの軽やかな声が流れ始めた。「側部安定板の上に異物を検知しましたので、ミドルウェイから離脱します……」その言葉が終わらないうちに、ぐわぁぁぁん、というような爆発音が響きわたって耳が麻痺した。冷たい外の風が車内に吹き込んできた。
あたしは目を開けた。
助手席側の窓ガラスが完全になくなっていて、そこからアンドレアが車の中に入ってくるところだった(運転席にだれも乗っていないことに、そのとき初めてあたしは気づいた)。とても現実のこととは思えないようなとんでもない展開に、あたしが呆然としているうち、パラライザの閃光がひらめいて男たちはぐたりと動かなくなった。
アンドレアが運転席に座っていた。
あたしは助手席に移動し、震えていた。
男たちは両手両足に手錠をかけられ、リアボックスに押し込められていた。
アンドレアがスーツの上着をあたしに貸してくれた。あれ、こないだと違って、けっこう親切じゃない? でも、上着を脱いだせいで、アンドレアが大型銃を左右に二丁も携帯してるのが丸見えになったので、あたしは落ち着かない気分になった。そうだよね。この子は千人殺しの『墓場署長』なんだもんね。普通の男の子みたいな顔をしてるからって、気を許しちゃだめなんだ。
「えーっと」
声が頼りなく震える。きっと寒さのせいだけじゃない。あたしは必死で自分を励ました。負けるなチェリー! あたしは裏街道を歩く人間なのよ、一人前の泥棒なのよ。そのへんの女の子みたいに、ちょっと危ない目に遭ったからってびくびくしていられない。
「助けてくれて、ありがとう」
今度は、しっかりした声が出せた。それで少し自信がついた。
「こないだも、本当はお礼を言わなくちゃならなかったのよね。だけど、代わりに、ひっぱたいちゃった。ごめんなさい。あのときはちょっと興奮してたから……」
「礼は要らない。謝る必要もない」
アンドレアの答えは実もふたもなかった。
「むしろ、謝らなくちゃならないのはこっちだ。監視の警官を七人配置していたのに、こいつらに先手を打たれた。きみを危険にさらすつもりはなかったんだが……」
「監視? 七人も? どういうこと!?」
あたしの声はまた裏返ってしまった。押さえつけたと思ってたけど押さえきれてなかったパニックが、喉元まで湧き上がってくる。
それってようするに、何かが起きるとあらかじめわかってたってことよね?
もういやだ、こんなの。いい加減にしてほしい。次から次へといろんなことに巻き込まれて振り回されるのは、もうたくさんだ。
「実を言うと、きみを囮に使ったんだ」
と、アンドレアは全然わるびれない態度で言った。
あたしがドーンストーンのペンダントを下げて留置場の通路を歩いているところを、テレビ局にこっそり撮影させて、『イブニング・ヘッドライン』で流させたんだそうだ。『イブニング・ヘッドライン』は(ティントレット先生もいつも言ってるけど)権威のあるニュース番組で、市の偉い人たちはほとんど見ている。ディダーロを雇った犯人がそれを見て、ペンダントを奪うために、あたしを狙ってくるだろうとアンドレアは読んだのだ。
狙うなら、あたしが釈放されて警察の建物を出てから、アジトへ着くまでの間だ。アジトは警官たちに警護されてるから、犯人も手を出しにくい。
「…………ひどい」
あまりのことに、あたしは寒さを忘れた。体の震えも止まった。
「人のこと、なんだと思ってるのよ。まるで道具みたいに。あたし殺されるところだったんだよ!?」
「悪かった。なんだったら、また殴ってくれてもいい。それで気が済むなら」
「そんなことしたら、また逮捕するでしょ」
「この前は、盗賊団のアジトを捜索する口実が欲しかったから逮捕しただけだ」
「……!!」
あたしは拳を握りしめてアンドレアを睨みつけた。殴ろうと思えば完全に手が届く距離だった。でも「殴っていい」と言われちゃうと、逆にやりにくくなるのよね。
あたしはふと背後に殺気を感じた。振り返ると、窓のすぐ外に、あたしたちの車とぴたり速度を合わせて並走している別の車があった。カッコいい黒のスポーツカーだ。運転席の黒髪の女の人が凶悪な視線をあたしに据えていた。見覚えがある。ディダーロたちに襲われた晩、あたしにお酒を渡してくれた警部補だ。
――アンドレアはあの車からこっちへ飛び移って、助けに来てくれたんだ。この速度で。それって命がけだ。
そもそもあたしが狙われる原因を、この子が作ったんだとしても。
「あああ~~っ、もうっ!!!」
あたしは拳の持って行き場に困り、座席をぼかすか殴りつけた。
大声を出して座席を殴りまくったら、ちょっと気分がすっきりした。あたしはあらためてアンドレアを見た。
「ねえ。あたし囮にされたんだから、説明をしてもらう権利があるわよね。なんで、あたし、狙われたの? あのドーンストーンのペンダントは何なの?」
アンドレアはまっすぐ視線を返してきた。ジェスによく似た瞳で。
急に、彼の返事を聞くのがこわくなった。あたしはごくりと唾を飲み込んだ。
「――宝石に仕掛けがあって、中にアズフォルデという毒薬が隠してあった。あのペンダントは、持ち主が殺人の企てに関与しているという十分な証拠になる」
「じゃあ……あのペンダントがあれば、メフィレシア公爵を逮捕できるってこと? 殺人罪で?」
思わずそう聞き返してしまってから、あたしははっとして、自分の口を手で押さえた。しまった。口をすべらせちゃった、「メフィレシア公爵」って。それは内緒にしとかなきゃいけなかったのに。
でも、公爵の名前を聞いても、アンドレアは何の反応も示さなかった。黒幕が公爵だということを、もう知っていたのかもしれない。
「ペンダントと公爵を結びつける証拠がない。それさえあれば、すぐにでも逮捕できるんだが」
「逮捕」という言葉は、アンドレアの口から出ると、ものすごく現実味を帯びて聞こえた。
あたしは考えてみた。今まであたしたちは、ケインおじさんたちを殺した犯人を見つけ出したいと思って、一生懸命がんばってきた。みんなで力を合わせた。危険も乗り越えた。だけど、犯人を突き止めて、あたしたちは何をしたかったんだろう。
「ケインおじさんたちの仇!」と言って、メフィレシア公爵を殺しちゃう?
それとも、おじさんたちがされたみたいに、ひどい拷問を加える?
――そんなことできない。あたしには絶対無理だし、たぶんシュナイダー盗賊団のだれにもできない。だって、シュナイダー盗賊団は、暴力を使わないスマートな盗みが売りなのだ。それが誇りだったのだ。人を殺した経験があるメンバーは、一人もいないだろう。ラッセルおじさんだってジャクソン兄さんだって、見かけはこわもてだけど、本当は優しい人たちだし。
メフィレシア公爵を警察に引き渡し、人殺しとして裁きを受けさせる。
それが、あたしたちにできる仇討ちじゃないのかな?
ああ、でも、警察に協力するなんて。あたしの泥棒としてのポリシーに反する。無理だよ。やっぱりできないよ。
ぐるぐる迷ってるあたしを、アンドレアがじっとみつめていた。
「現在、そのアズフォルデで、殺されかけている人がいる。もう長くはもたないかもしれない。なんとしてでもメフィレシア公爵を阻止したい。……あのペンダントをどこでどうやって手に入れたのか話してくれないか。もしその経緯に、何らかの犯罪行為が関係していたとしても、その件に関してだけは不問にすると約束する。例えば、どこかであのペンダントを盗んだのだとしても、その窃盗罪については見逃してやる」
――殺されかけている人がいる。
ああ、また、だれかが悲しむんだ。あたしたちが悲しんだのと同じように、どこかでだれかが、家族を、仲間を、愛する人を奪われて泣かなくちゃならない。
『おまえの目と同じ色だから、おまえにやろうと思ったんだよ……』
ちょっと困ったように微笑んでいた、遠い日のケインおじさん。
あたしを守るために、拷問されても何も白状せずに死んでいったケインおじさん。
ねえ、おじさん。わかってくれるよね。あたし、一度だけ、プロの泥棒にあるまじきことをするけど。でも、あたしの力でだれかが殺されるのを止められるなら……その人の周りの人たちが、あたしたちみたいに悲しまずに済むんなら、やらないわけにはいかないよね。
「条件があるんだけど」
あたしはきっぱりと言った。
「何だ」
「もしメフィレシア公爵を逮捕できたら……一発殴らせて。いや、一発じゃなくて、三発。ケインおじさんと、クラウディア姐さんと、フランツ兄さんの分」
「わかった。許可しよう。気が済むまで殴ればいい……もし公爵を生きたまま逮捕できたら」
「あたし全部話すわ。これまでのこと。それでメフィレシア公爵を逮捕できるんなら」
「取引成立だな。公爵には、すべての罪をきっちり償わせる。必ず」
アンドレアがにっこり笑った。
なんとなく、会話が微妙にずれているような気がした。正しく噛み合っていないような。でも、少し考えてもわからなかったので、あたしは気にしないことにした。とにもかくにも、あたしたちは協力することになったのだ。
車はそのまま市警本部ビルまで引き返した。
あたしは、今までの取調室とは違う、ビルの七十七階にある部屋に連れて行かれた。床が五角形をしていて、四面の壁がガラス張りになってる不思議な部屋だ。窓の外には官庁街の超高層建物群がずらりと立ち並んでいて、迫力ある光景だった。
あたしはその部屋で、思い出せるかぎりすべてのことを話した。ケインおじさんが「仕事の獲物だ」と言ってドーンストーンのペンダントをくれたこと。それから数日後、おじさんがアジトで殺されていたこと。クラウディア姐さんの家へ行ったら、姐さんもむごい死体になっていたこと。ジェスに助けられたこと。ラッセルおじさんに会いに行ったら敵に尾行され、ホテル・グランディオールの客室でディダーロたちに襲われたこと。ディダーロたちが、シュナイダー盗賊団の獲物の分配方法について知りたがっていたこと。ラッセルおじさんがシュナイダー盗賊団を再結成し、新しいアジトを作ったこと。ラッセルおじさんが、ドーンストーンのペンダントはメフィレシア公爵の屋敷から盗んだものだと言っていたこと。メフィレシア公爵に脅迫状を送りつけたこと。公爵との待ち合わせの場所にディダーロが現れたこと。そしてそれから数日後、あたしたちのアジトをディダーロが襲ってきたこと。ディダーロはペンダントを探していたこと……。
長い、長い話だった。話し終えてあたしはあらためて実感した。ケインおじさん、フリント、ロニーと四人で暮らしていたあの平和な日々から、もうずいぶん遠くまで来てしまったんだ――あたしたちがまぎれもなく『家族』だったあの日々から。
ほとんど口をはさまずに最後まで聞いていたアンドレアは、
「ケイン・シュナイダーからペンダントを受け取ったというきみの証言……それに加えて、シュナイダーと一緒にメフィレシア公爵邸からペンダントを盗み出した人間の証言が必要だ。それがなければ、ペンダントと公爵を完全に結びつけられない。ラッセル・リドルムに証言を頼めないか?」
「わ……わかったわ。あたしからラッセルおじさんに頼んでみる」
「メフィレシア公爵の公判までは、なるべく外出を控えて、慎重にふるまってくれ。きみらは重要な証人だ。きみらの証言は、公爵がシュナイダーたちの殺害に関与していたことを十分疑わせる証拠ともなる」
あたしは力いっぱいうなずいた。
家まで車で送らせる、と言ってアンドレアがデスクの上の機械を何か操作した。あたしは彼を眺めた。
今日ずいぶん長い間一緒にいたし、いろいろ話もしたので、あたしのアンドレアに対する印象はだいぶ良くなっていた(第一印象は本当に最悪だったけどね!)。偉そうな態度はあいかわらずだけど、それもあまり気にならなくなっていた。
だから、つい、口からこぼれてしまったのだ。ずっと心の隅に引っかかっていたことが。
「ねえ。ジェスのこと、まだ恨んでる?」
アンドレアは何も聞こえなかったような顔で機械の操作を続けてる。しばらく沈黙が続いた。あたしがもっと大きな声で質問を繰り返そうと、息を深く吸い込んだ瞬間、
「きみには関係ない」
という、そっけない答えが返ってきた。
あたしは反射的に言い返していた。
「関係なくない! ジェスは大事なあたしの仲間なの。仲間の問題は、あたしの問題よ」
「あんなやつを仲間だなんて思わない方が、きみの身のためだと忠告しておく。あいつは自分の楽しみのことしか頭にない根っからの遊び人で、誠意や責任感などこれっぽっちも持ち合わせない男だ。しかも悪いことに口先巧みなペテン師ときてるから、誠実な人間のふりもうまい。あんなろくでなしとは関わるな。馬鹿を見るぜ」
「ジェスは……ジェスは、そんな人じゃないよ!!」
あたしはかっとして叫んだ。アンドレアは肩をすくめた。
「あの阿呆については、きみよりぼくの方が詳しいさ」
そんなことない。アンドレアは、知らないはずだ。ジェスの後悔も寂しさも。泣いてるみたいな笑顔も。
――どうせ何の値打ちもない、浮き草みたいな風来坊だ。こんな人間が何かの役に立てるのなら……。
――いくら名声をあげてもわたしには帰る場所すらない。すべて虚名さ。それに気づいたときにはもう手遅れだった……。
手遅れなんてことはない、絶対に。生きてるんだもの。やり直せるはずだ。お互いに、わかり合えれば。
「ジェスは本当に後悔してるの、家族のそばにいられなかったことを。心から悔やんで、苦しんでるのよ。ねえお願い、ジェスにもう一度チャンスをあげて。今のジェスは家族の大切さを痛感してる。きっと良いお父さんになるよ。過去はもう変えられないけど、未来はこれから作っていけるでしょ。これまでうまくいってなかったとしても、これからは、うまくいくかもしれないじゃない!」
あたしは懸命に叫んだ。ジェスの想いをなんとかして伝えたいという気持ちに駆り立てられていた。
アンドレアがあたしをじっと見ていた。この子を怒らせるのは危ないと、あたしも頭の隅ではわかっていた。銃を持ってる相手を刺激するなんて、けっしてやっちゃいけないことだ。だけど言わないわけにはいかない。
「あのねっ。ジェスはね……」
「――過去は、なかったことにはできない。結果は結果だ」
アンドレアはあたしの言葉を遮った。しずかだけど、その声にはなんだか、身が震えるほどおそろしい響きがあって、あたしは思わず口をつぐんでしまった。
ちょうどそのときドアが開いて、例の黒髪の警部補が入ってきた。アジトへ送ってやってくれ、とだけ言って、アンドレアはあたしに興味を失ったみたいに机の上の書類に視線を落とした。警部補に手を引かれてあたしは部屋を出て、エレベータに乗り込み、一階まで下りた。ビルの裏口を出たところに黒いスポーツカーが停めてあった。警部補は猛スピードで車を発進させた。
「あんた……なにか署長を怒らせることやったの?」
しばらく経ってから、警部補がまっすぐ前を向いたまま尋ねた。
あたしは彼女の横顔を見やった。
「あ。やっぱり、あれ、怒ってたの?」
「そおよぉ。ああいう雰囲気のときは、たいていいつも銃が出てくるんだから。あんた撃たれずに済んでラッキーだったわよ」
「ふーん……」
あたしは運転を続ける警部補の横顔を眺めていた。
怒ってたのとは違うと思うんだけどな。アンドレアは表情の読みにくい子だけど、最後のあの顔は、たしかに怒りじゃなかった。
ミドルウェイを通ると西区まではあっという間だった。見慣れた四階建ての煉瓦造りの建物が近づいてきた。角に面したその建物は駐車中のパトカーに完全に囲まれてしまっている。こんなに警察の目が光っていたのじゃ、シュナイダー盗賊団も形無しだ。
あたしは建物の玄関のすぐ前で車から降ろされた。
アジトでは仲間同士の合図を決めてある。ある決まったリズムでノックしないと扉を開けてもらえないことになってるんだ。そのリズムで扉を叩こうとして手を上げかけたところに、ちょうど良いタイミングで、内側から勝手に扉が開いた。
ジェスが立って、あたしを見下ろしていた。
「チェリー! 釈放されたのか!」
彼の表情が驚きから喜びに変わるのを見て、あたしの視界が涙でぶわっとにじんだ。今までずっと一人きりで気を張ってきた――留置場にいるときも、変な男たちに襲われたときも、警察で話をしているときも。その緊張が一気に解けて、心の中に熱いものがいっぱいに広がった。
あたしはジェスの胸に飛び込んで思いきり泣くために、進み出た。
「うわあっ! ほんとにチェリーだ! 帰ってきたんだね、やったぁ!!」
アジトの中で舌ったらずな歓声が弾けた。次の瞬間、ロニーがジェスの横をすり抜けて駆け出してきて、あたしに飛びついた。
「こらロニー、おまえ抜け駆けしてんじゃねえよっ」
フリントも出てきて、ロニーとあたしを二人とも抱きかかえるように腕を回してきた。あたしたちは三人で抱き合った。
う……うれしくないわけじゃない。フリントもロニーも兄弟みたいなものだ。懐かしい顔をまた見ることができて心底ほっとしてるし、「帰ってきた」という感じがする。
だけど、だけど今はジェスとの感動の対面に浸りたかったのよ!
ジェスはにこにこしながら、抱き合うあたしたちを眺めている。あたしは、出かけた涙がひとりでに引っ込むのを感じていた。
「留置場にいるあいだに、またちょっと太ったんじゃないか?」
フリントがいきなり憎まれ口を叩いた。あたしはかっとして、彼に向かって拳を振り上げた。
「なによ、その言い草! ふつう『大変だったな』とかなんとか言うもんでしょ?」
「大変だったね、チェリー」
「ありがとうロニー! もう、本当にね、大変だったのよ。留置場は大したことなかったんだけど、その後がね」
あたしたちはわいわい騒ぎながらアジトの中へ入った。一階のサロンではシュナイダー盗賊団のメンバーがいつも通りたむろしていて、あたしが無事に帰ってきたことを喜んでくれた。「よくがんばったな」と言って、ラッセルおじさんが子どもにするみたいにあたしの頭をぽんぽんと叩いた。
あたしはラッセルおじさんの顔を見上げて――重苦しい緊張感が戻ってくるのを感じた。くつろいだ幸せな気分に、影が差した。
あたし、おじさんに、警察に協力してくれって頼まなきゃならない。裁判で証言してくれって。そしてその理由も説明しなくちゃならない。恐ろしい真実に、また正面から向かい合わなくちゃならない。あたしたちの戦いは、まだまだ終わらないんだ。
あたしは体の横でぎゅっと拳を握った。
大丈夫。あたしは一人じゃない。みんながいてくれる。ジェスがいてくれる。