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第16章(2) アンドレア・カイトウ署長

 ――良い手際であることを認めざるを得なかった。おそらくぼくらがガス弾に注意をひかれている隙に、開いていたドアから後部座席の後ろのリアボックスへ潜り込んだんだろう。リアボックスはそれほど広くないが、中佐が狭い場所に潜り込む能力を持っていることは証明済みだ。

 予期せぬ襲撃を辛くもかわしてこちらがほっとしているところへ銃を突きつける。巧みな揺さぶりだ。タイミングも完璧だった。中佐の不意打ちのショックはぼくを屈服させるには至らなかったが、さすがに瞬間、頭の中が真っ白になって思考が麻痺した。

 だがあらゆる接近戦と同様これも心理戦であり、心理戦にかけてはぼくもけっして中佐にはひけをとらないつもりだ。コモナスはあたふたしながら車を北区の方角へ向けたが、ぼくはあえて中佐の命令を無視して振り返り、至近距離で青白く輝く銃口と、その向こうにある中佐の黒い顔をまともにみつめた。

「……本当に撃てるのか?」

 そう囁いて、微笑んだ。怯えの色などまったくにじませていない自信がある。

「上官から、ぼくを殺すなという命令が出ているはずだ」

 ハッタリだった。情報部はおそらくぼくが行政監督官と会ったことをつかんでいるはずだから、話の内容を確認するまではぼくを殺したりはしないだろう、という単なる推測だ。行政監督官が動き出し、《中央》がパールシー王国の内政に干渉してきたら、いちばん困るのが防衛軍の連中だからだ。

 だが図星だったらしい。中佐の態度にほんのわずかだが逡巡が見えた。

 その一瞬のためらいで十分だった。ぼくは左手でこちらに向けられた銃口を横へ押しやり、同時に右手で自分のアンクルホルスターからニードルガンを抜いて中佐の鼻先に突きつけた。

 ぼくらは薄暗い車内で睨み合った。

「思い上がるなよ。たしかに『殺すな』とは言われてるけど、『無傷で連れて来い』という命令は受けてないのよ?」

 少しの感情も表れていない声でトーゲイ中佐が言い放ったが、鼻で笑ってやった。

「非現実的だな。こんな狭い所で、お互い銃を持ってるんだ。殺すか殺されるか、どちらかしかないだろう」

「そんなおもちゃみたいな銃で、私に勝てるとでも?」

「至近距離なら銃の威力は問題じゃない。悪いがぼくの方は殺す気で行かせてもらうぜ。……運試ししてみるか」

 中佐の皮をかぶった別人と向かい合っているような気がした。飄々たる顔つき、人を食った表情はいつもと変わりないのだが、その下に冷酷非情な暗殺者が息づいていることがはっきりと伝わってきた。溶鉱炉の蓋が開いて内部の灼熱が一瞬姿をのぞかせたかのようだ。車内の空気が急に血なまぐさくなったように思えた。

「車を署に戻せ。それから、凶悪犯を連行するから停車場に武装警官を三十人待機させるよう、署に連絡しておいてくれ」

 ぼくはコモナスに命じ、座席前部のコンソールパネルにある小さなスイッチに触れた。運転席の座席の背から防弾シャッターが無音でせり上がってきて、後部座席と運転席を隔てた。中佐が運転手に危害を加えないようにするための用心だ。

 車が中央区に向けて再び方向転換するのが感じられた。緊急走行中であることを示す派手なサイレンを鳴らしながら急上昇。第八ミドルウェイの時速七十五マイルの車の流れに無理やり合流する。

「……凶悪犯って私のこと? ずいぶんな言い草だな~」

 中佐の声は再びいつもの呑気な口調を取り戻したが、まったく気を緩めていないことは気配で伝わってきた。銃の引き金にも指をからめたままだ。

 ぼくの方も中佐の眉間から銃の狙いをそらさなかった。

「殺すつもりがないんなら、パラライザーを使うべきだったな、初めから」

「……なるほどね。思いつきもしなかった。私、ふだんは殺しの任務ばかりだからさー、そういう平和的な道具には慣れてないのよ」

「自分で乗り込んでくるなんて珍しい。汚い仕事は部下に押しつける主義じゃなかったのか」

「志願したのよ。一度あんたをどこかへさらってみたかったんでね♪」

「だれの命令だ」

 ベーリンガム将軍だ、と中佐はまるでけがらわしい物にでも触れるみたいに顔をしかめながら答えた。情報部のトップで、防衛軍内の有力者だ。中佐にとって直接の上官にあたる人物である。そのベーリンガム将軍が至急ぼくに会いたがっているという。

「……あんたの仕事を楽にしてやるよ。明日うちの秘書から将軍に連絡させる。正式に面会の約束を取り決めよう」

「それはそれは……。だが、こっそり会った方がいいと思ったからこそ、今夜こうやって迎えに来たんだけど?」

「同じことさ。たぶん今もぼくには宮内庁の監視がついてる。大っぴらに会った方が面白い展開になるかもしれないぜ?」

 トーゲイ中佐の、白目部分のほとんどない瞳が細くなり、非常に狡猾そうな表情を作った。ぼくらの頭上で緊急サイレンがけたたましく響き渡った。中佐が再び口を開いたのは、しばらく経ってからのことだった。

「……何を考えてる?」

 ぼくは相手を睨み返した。

「当ててみろよ。情報部だろ?」

 疾走する車のバックシートでぼくらは互いに銃を構えて対峙した。窓から流れ入る摩天楼のイルミネーションで車内がめまぐるしく明滅した。この街で繰り広げられるパワーゲームの泥沼に、引き返せないところまで踏み込んだことを自覚しつつ、ぼくは一歩も退かない覚悟ができていた。とことん権勢欲にまみれた連中にとって、欲を動機とせずに動く人間がいるなど、想像もできないことだろう。やつらの計算は必ず欲の上に成り立っている、それがやつらの盲点だ。そんな連中の先手をとることなど、たやすい話だ。

 ややあってトーゲイ中佐は諦めのこもった溜め息をついた。かなわないな、とでも言うように首を横に振りながら、

「厄介だな~、あんたに本腰入れられると。政治には興味ないんじゃなかったの? ……」

 車窓の景色から、中央区に入ったことがわかった。車は凱旋門ジャンクションから第八ミドルウェイを降りた。ジャンクションを下りながら、一般道での低速走行に備えて減速していくのだが、コモナスの減速ぶりはあいかわらずぎこちなかった。ジャンクションを出れば市警本部ビルまではわずかの距離だ。

 トーゲイ中佐の視線が微妙に動き、ぼくを殺さずにこの苦境から脱出する手だてがないか、懸命に思案を巡らせている様子が伝わってきた。

 ぼくは警戒をゆるめず中佐の眉間を狙った。本気で署へ連行してやるつもりだった。相手がどんな汚い手段を使ってきても、この至近距離で仕留めそこなうはずはない。

 不意に中佐がほとんど唇を動かさずに言った。

「情報提供と引き換えに、私の無罪放免を買いたい。何でも質問してくれ」

「……」

 ぼくは口を開くまでにわざと時間をとり、中佐の提案に飛びつくそぶりを見せないようにした。

「死んだグラッドストン男爵のことだが。あの男はけっきょく王党派・反王党派のどちらだったんだ?」

 中佐の答えには淀みがなかった。

「どっちと言えばいいのかな~~。端的に言っちゃうと、彼はメフィレシア公爵の個人的な子分だったのさ。それも、忠実な。メフィレシア公爵は反王党派の動向を探るために、子分である男爵をスパイとして送りこんだんだ。男爵は見事に反王党派に潜入した。さすがのベリアル大侯爵様も、あんながさつで回転の鈍そうな男がスパイだとは、思いもしなかったみたいだ。相手を油断させて、奥深く入り込む。男爵もああ見えて、なかなかうまくやってたわけよ」

「そして男爵の口を封じたのも……パールシー・タイムズのポーキー記者を消そうとしたのも、ベリアル大侯爵を抹殺して革命計画に終止符を打ったのも、みな同じ連中だ」

「ああ。……そこまでわかってるんなら、なにも私に訊く必要ないじゃないの」

「パウエル・ディダーロとその仲間のピエロども。あいつらはいったい何者だ?」

 中佐が不意に顔を寄せてきた。妙な真似をしたら即座に射殺してやろうとぼくは身構えたが、中佐はぼくの耳元でひとこと囁いただけだった。その囁きは「影の軍隊」というように聞こえた。

「……前にあんたが話してた連中か。王党派の手先として、過去何世紀にもわたって王家の敵を消して回ってるという世襲制の暗殺集団。クテシフォン市内で活動した例はないんじゃなかったのか?」

「今回の一件以外に、という意味よ。わかってもらえると思うけど、こないだはすべての話をするわけにはいかなかったんだ。連中の拠点はメトロポリタン劇場なのさ。王都で陛下のお側近く仕えながら、親子代々、暗殺の技を伝授してるというわけ。基本的に《影の軍隊》は、宮内庁長官の命令で動く。だが最近聞いた話じゃ、メフィレシア公爵が《影の軍隊》を私物化し過ぎてると、王党派の他の貴族どもから文句が出始めてるってさ。

 ポーキー記者は、グラッドストン男爵がメフィレシア公爵のスパイだったことを突き止めたので、口封じのために狙われたんだ」

 中佐はにやりと笑った。その笑顔は「どうだい? 私は協力的ないい子だろう?」と誇っているようにも見える。だが、ふと、すべては中佐の計算のうちだったのではないかという気がした。これは逮捕を逃れるためにやむなく漏らした情報ではなく、どういう理由でかはわからないが、中佐がぼくに知らせておいた方が得だと判断した情報なのだ。そして中佐の脳味噌に潜んでいるあらゆる真実を引きずり出す方法など、この世に存在しない。

 ぼくはコンソールパネルに触れて運転席との音声回路を開き、車を凱旋門の前で停めるように命じた。

 車の停止と同時にドアが開かれ、冷たい外気が車内に流れ込んできた。トーゲイ中佐は質量をまるで感じさせない動きでリアボックスから這い出し、素早く舗道に降り立った。銃はいつの間にか腰のホルスターに戻されている。

 中佐の言葉は白い息となって暗がりを立ちのぼった。

「まったく、いい度胸してるよね~、あんたって。あらためて惚れ直しちゃったよ♪ 私決めてるんだ、あんただけは……」

 言葉を切り、漆黒の顔に不気味な笑みを刻んだ。

「絶対に、この手で、息の根止めてやろうってね」

「未成年者拐取未遂罪の次は、脅迫罪か。よっぽど逮捕されたいらしいな」

「あまり調子に乗らない方がいいぜ。あんたには、どうしようもないウィークポイントがあるんだからさ」

 トーゲイ中佐はぼくが制止するより早く右手を上着のポケットに突っ込み、そこからつかみ出した何かをこちらへ放ってよこした。それはきらきら光る銀の軌跡を残しながらぼくの手の中へ落ちてきた。古い十字架だった。見覚えがある。何年も前にルティマ助祭がぼくの母に贈り、それ以来ずっと母が肌身離さず持ち歩いているはずのものだ。

 心臓がすとんと落ち込むような気がした。激昂した様子を見せては負けだとわかっていたが、今すぐに中佐の頭を吹き飛ばしてやりたいという衝動はあまりにも強かった。通行人の多い凱旋門通りでなければ即座に発砲していたところだ。

 ぼくの反応に満足したらしい。中佐は快活に手を振り、そのまま人込みに紛れて姿を消した。



 宮内庁保安課のフロレンティーナ・コトウェル男爵夫人が事故で亡くなったという報告を聞いたのは、その翌日のことだった。

 メトロポリタン劇場で観劇しての帰路、乗っていた馬車が暴走し、建物の壁に激突した。御者は直前に馬車から投げ出されて骨折数か所の重傷、男爵夫人と侍女は首の骨を折ってほぼ即死だったという。

 一見ただの事故だ。しかし、そんな都合の良い偶然などあり得ない。

 夫人は陛下暗殺計画についての調査を開始したため殺されたに違いなかった。

 それはすなわち、この計画が、宮内庁ぐるみのものではないことを意味する。宮内庁全体が計画に関与しているのなら、宮内庁の有力者であるコトウェル男爵夫人が、知らされずにいたはずはない。陛下暗殺計画に携わっているのはおそらく、メフィレシア公爵とその周囲の数人――そして彼らは本気だ。市警に計画の存在をつかまれていると知っても、断念するつもりはないのだ。コトウェル男爵夫人を排除してまで、計画を強行するつもりなのだ。

 陛下の御命を守るには、もはや悠長なことは言っていられない。こうなったらメフィレシア公爵に直接圧力をかけて計画を断念させるしかない。

 そのために必要なのは、法の手続ではなく、政治的駆け引きだ。クテシフォン市防衛軍ですら、駆け引きの材料として利用しなければならないだろう。

 ぼくはコトウェル男爵夫人のおだやかな笑顔を思い出して、暗然たる気分にとらわれた。彼女もセキュリティ担当官なら、わが身の守り方ぐらい承知しておくべきだったのだ、と自分に言い聞かせた。しかし彼女の死はぼくの責任であるような気がした。直接手を下したのと同じぐらい、確実に。ぼくは結果として、腐敗が宮内庁のどのレベルまで及んでいるのか探るための駒に彼女を利用したことになる。そして答えは示された。



 『目立った方が面白い』ときみが言ってると聞いたので、ご希望に沿わせてもらったよ。そう言い放ってバルバネッサ・ベーリンガム将軍は挑むように笑った。

 クテシフォン・シティ《郊外》の西の外れに、防衛軍海兵部隊の基地がある。ふだんは殺風景で閑散としている軍港が、今日は活気を帯びている。空母「レーティリア」の進水式が行われるためだ。

 大規模な空母が建設されるのはおよそ三年ぶりのことなので、進水式もきわめて盛大なものだ。貴賓席に並んだそうそうたる軍のお偉方の前をマーチングバンドが行進していく。透明な冬空に何発もの祝砲が轟く。圧倒的な質量をもってそびえ立つ空母の威容。その甲板には最新鋭の戦闘機(大気圏内仕様)がずらりと並び、日光を鋭く反射している。

 空母を真正面から眺められる位置に貴賓席が設けられている。居並ぶ軍の高官たちの表情はどれも厳粛そのものだ。いちおう防衛軍の名目上の最高司令官であるディオン・ザカリア市長までが、軍服に太った体を無理やり押し込んで特等席に座っている。ザカリアと並んでひな段の最上段にふんぞり返っているのはターフメイン大元帥と七人の元帥たち。そしてそのすぐ下の段には大勢の将軍たちが顔を揃えている。彼らは黒い軍服の胸を無数の勲章で飾り立て、灰色の風景にわずかながらの彩りを添えている。

 空母建設は、当市と同じ海に接するニハーヴェント・シティやキンバートン公爵領などとの軍事バランスに大きく影響する、戦略上の重要な一歩だ。この半世紀で、クテシフォン・シティと近隣自由都市との武力衝突は、小規模なものも数えれば十を越える。そのほとんどが海を主要な戦場としている。この時期に巨大空母の進水式を派手にとり行うのは、つい昨年巨大な軍港を完成させたニハーヴェント・シティに対する牽制であり、近隣の自由都市や貴族領に対する示威行為でもあった。

 基地内には大勢の一般見物人もつめかけていた。十万人近い、そのほとんどが国外からの観光客だ。かなり離れた所で、立入禁止区域を示す赤いチェーンに遮られて、興奮した様子で空母や進水式の様子を眺めている。彼らのざわめきが風で運ばれてくる。

 ぼくは、溜め息を押し殺すのに苦労した。

 軍につきもののこの仰々しさは、見方を変えてみれば、こっけいなものでしかない。

 銀河連邦規模で見れば、地上軍など時代遅れの化石のような存在なのだ。現代の一星系一国家の時代では、「軍隊」という語は、ふつう他国の侵略から自星系を守るための「宇宙軍」を意味する。大気圏内仕様の兵器を中心とする「地上軍」など、ほとんどの国には存在しない。パールシー王国のように一つの惑星上で大規模な戦争を繰り返し、大気圏内仕様の兵器を消費し続けている国は、非常に珍しいのだ。

「私の部下の、あの変態男だけを見ていると、軍というものに対して間違ったイメージを抱くのも無理はないが……」

 ベーリンガム将軍のよく響く声がぼくの思考に割り込んできた。

「誤解しないでくれ。防衛軍は非常に健全な組織なのだ。真剣にクテシフォン・シティの主権防衛と繁栄を念じている」

 将軍の言う変態男とはトーゲイ中佐のことだろう。以前から、中佐はあまり上官の覚えがめでたくなさそうだという印象を受けていたが……どうやらその通りだったらしいな。

 バルバネッサ・ベーリンガム将軍は、軍の人事データによれば二十九歳で、しかつめらしい物腰では隠し切れない若々しさを備えている。豊かな赤毛、女性にしておくのが惜しいほど精悍で凛々しい顔立ち。長い手足を軍服にきっちりと包み、背筋を伸ばして座っているその姿からは、ワイヤーロープを思わせるしなやかな強靭さと威厳が伝わってくる。異例の若さで昇進した軍事的天才だ。前回のキンバートン・シティとの武力衝突において顕著な戦果をあげたため、現在、北部方面軍の統括指揮を任されている。軍内での発言権も大きいと聞いている。

「いきなり人の車にガス弾を投げ込んで誘拐しようとするのが、健全な組織のやることか?」

 眼前を行進していく兵士たちから視線を離さずにぼくは反論した。将軍の華やかな笑い声が弾けた。

「戦いをしかけるなら、最もこちらにとって有利な戦場を選ぶのが常道だろう? 市警本部のきみの部屋で話すより、うちの尋問室かなにかへ来てもらった方が、話し合いがスムースに進むのではないかと思ったのだ。きみは手ごわい交渉相手だからな。どうか、悪く思わないでくれ」

「軍と交渉することなんか、なにもないさ」

「じゃあ、なぜ、こんな所まで出向いてきた? きみも自分自身の目的のために、私との会談を利用しようとしているのだ、そうだろう?」

「……」

 ぼくは微笑み、否定しなかった。ブラスバンドの曲目が変わった。足を高く上げながら行進していく兵士たちの表情は力強く、誇りに満ちていた。その向こうに広がる冬の海は灰色で重たげだった。

 ぼくは貴賓席のベーリンガム将軍の隣に席を与えられていた。貴賓席に座っている人間の中で軍服を着ていないのは、ぼくと、この空母を設計・建設したタウ・メカニクス社パールシー支社長の二人だけだ。これまでに警察関係者が軍のセレモニーに招待された前例はない。目立つといえば、これ以上目立つことはなかった。

 多少でも目はしのきく人間なら、たちまちキナ臭いものを嗅ぎつけるはずだ。この不安定な街において、市警と防衛軍の接近は、見逃していい現象ではない。実際、数人の記者連中が、空母そっちのけでしきりとこちらを観察して写真を撮っているのが遠くに見えた。

 ベーリンガム将軍は物憂げな視線で空母を眺めやった。

「現在の市政のトップは、他市からの脅威というものを、真に理解してはいないのだ。……市長閣下しかり、市議会の議員どもしかり。何もしなくても今の平和がいつまでも続くと考えている。とんでもないことだ。王国政府が都市間の利害の調整機能を失っている現在、わが市の安全はわが市で守らなければならない。そして、それには予算がかかるのだ」

「市長や市議会議員が阿呆ばかりだという点については、まったく同感だ。だが、そんな話をここでしてたって何の足しにもならないぜ?」

「……」

 将軍はちらりと真っ白な歯をひらめかせ、ぼくの軽口を認めたことを示してから、真顔に戻って話を続けた。

「時代遅れだと言われても……大気圏内仕様の兵器は今なお急速に進歩を遂げている。絶えず技術革新を行い続けなければ、他市に遅れをとる。われわれのクテシフォン・シティを守るためには十分な防衛費が必要だ。ニハーヴェント・シティやマズダク・シティがわが市の領土を侵そうとして、どれだけ軍備を増強しているか――どれだけ陰謀を巡らせているか知っているか? 毎年われわれがクテシフォン市内で捕える他都市の諜報員の数は、五十人を下らないのだぞ。見えない所で、常に戦いは続いている……そして、それに気づかない愚かな市政府は、財政難を口実に、防衛にかける予算を削ろうとしているのだ」

 貴賓席の前を通り過ぎる拍子に、兵士たちの携えている金管楽器が、曇天の下で鈍く光った。

 ぼくは彼女に反論しなかった。反論しても無益だからだ。軍には軍のロジックというものがある――それは「自己増殖」だ。どの軍も、敵の強大さを理由にして規模の拡大をはかり続ける。自分たちが強力になった結果、それに対抗して敵もさらに強力になるのだという事実には、あえて目をつぶっている。「敵からの脅威」は初めから存在していたものではなく、自分たちで生み出したものだ。加速度をつけながらとめどなく転がり続ける“軍拡”という名のゲーム。軍人は絶えず、自己の存在理由を主張し続けずにいられないのだ。

「数年前から、現市政を打倒して、ターフメイン大元帥を中心にした新政府を打ち立てようとの計画が練られている。平和ぼけした今の市政では、わが市を防衛し切ることはできないだろうという判断からだ」

 不意に、まったく声をひそめる様子もなく将軍はそう言い出した。

「そのために、どの勢力と組むのが最も適切か、ずっと研究してきたのだ。王党派か、反王党派か――もちろん市内の分離独立派も視野に入っている。きみの友人のティントレット博士とも、何度か接触したことがあるんだよ」

「相手はだれでもいい、ってわけか」

 ぼくは苦々しい思いを声に出さずにおこうとして、失敗した。

 ベーリンガム将軍は軍服の襟にかかる後れ毛に軽く触れ、こともなげに笑った。

「それは誤解だ。当市の主権と安全を防衛したいというわれわれの大義を、理解してくれる相手としか組むつもりはない。われわれの望みは、クテシフォン・シティの平和を守り続けることだけなのだからな」

「本気でそんなたわごとを信じさせようとしてるわけじゃないんだろう?」

「……われわれの動機は誤解を受けやすい。だから極秘裏に、慎重に動いてきたのだ。市内の諸勢力の内情をじっくり調べて、キーパーソンの傾向を分析した――情報の収集と分析こそ、効果的な戦略を立てるための礎だからな。われわれがどう動けば、市内の勢力図がどのように変わるか、あらゆるケースをシミュレートしてきた」

「せっかく収集した情報もずいぶん無駄になったんじゃないか。事態は急速に変化している。反王党派はベリアル大侯爵の死とともに壊滅した。王党派だって、いつまで存続できるかわからない。組もうにも相手がいないんじゃ、どうしようもないだろう」

「そうだ。……それで困っているんだよ。きみに至急会いたいと思ったのも、それが理由なのだ」

 不意にブラスバンドの演奏が止んだ。見物人のざわめきだけが聞こえる沈黙の後、厳かな調子で市歌『この旗の下に集え』の演奏が始まった。ザカリア市長とターフメイン大元帥が起立したので、それに合わせて元帥や将軍連中も一斉に立ち上がった。ぼくもベーリンガム将軍とともに立ち、空母の威容を見上げた。

「命名する……空母レーティリア!!」

 ターフメイン大元帥の声は、気道のどこかに穴が開いているんじゃないかと疑いたくなる弱々しいものだったが、拡声器に乗って基地の隅々まで十分に届いた。ぱらぱらと拍手が起こった。

「ただいまより進水作業を行う」

「進水準備!」

「腹受盤木取り外し始め!」

 風に運ばれて進水準備発令が聞こえてくる。盤木の取り外し作業が開始される。作業用ロボットのゆるやかだがきわめて組織的な動きが始まった。

 ふと、ベーリンガム将軍はぼくの目をまともに見た。間近で見る彼女の瞳は氷のように冷たいペールブルーであることに、あらためて気づいた。そこには堅固な信念のほか何の感情も表れていない。

「われわれは、かなり早い段階から、王党派をパートナーの第一候補として考えてきた。王党派のメンバーはいずれも権威と軍事力を兼ね備えた有力貴族であるだけでなく、ここクテシフォン市内にも《影の軍隊》と呼ばれる強力な実行部隊を擁している。味方としては心強い。王家の権威を後ろ盾にすれば、われわれのクーデターもより正当性を持つものとして映るだろう。

 また、われわれが反対派を駆逐し、王家に忠実な一枚岩の首都を築くことができれば……それは王党派にとっても都合の良いことだというわけさ。

 いろいろと紆余曲折はあったが、われわれはすでに王党派とコンタクトを取り、交渉を進めているところなのだ」

 なにか返事を期待するかのように、将軍はそこで言葉を切ってしばらく沈黙を守った。ぼくは答えなかった。将軍の顔から視線をそらし、空母の傍らで作業を進めるロボットの、きわめて効率的な動きを眺めた。

 将軍の次の言葉は爆弾のように響いた。

「きみに頼みたいのは王党派に……特にメフィレシア公爵に手を出さないでほしいということだ。きみが首を突っ込んでくると何もかもめちゃくちゃになる。これ以上の混乱や事態の昏迷を、われわれは許容できないのだ。

 われわれに協力してくれるなら、その見返りとして……きみの母上の恒久的な身の安全、というのはどうだ?」

 急に頭上を覆っていた分厚い雲が晴れ、少し傾きかけた夕刻の太陽が顔をのぞかせた。海が鮮烈なオレンジ色に照らし出された。途方もなく暴力的な脅しをかけているというのに、将軍の笑顔はそんな影などみじんも感じさせない晴れやかさだった。

 ぼくは、相手の真っ白な前歯を口の奥に叩き込んでやりたいという衝動を抑えた。

 野卑ともいえるあからさまな物言いが、いつも彼女の持ち味ではある。

 しかし、軍の要職にある彼女がここまではっきり明言するということは、事態がすでに最終段階にある証拠だ。おそらく防衛軍と王党派との間で完全に話はついているのだろう。クーデターの具体的な日取りさえ決まっているかもしれない。カウントダウンは始まっていて、だれにもその進行を止めることはできないのだ。

 そして、メフィレシア公爵側のさまざまな動き――グラッドストン男爵やべリアル大侯爵の暗殺、そして姫と共謀して国王陛下を亡き者にしようとする企て――も、近づきつつある政変となにか関係があるのかもしれなかった。

 まさかこんな話が出てくるとは思いもしなかった。しかし、それならそれで、対応の仕方というものがある。

「非常に感銘を受けたよ、ベーリンガム将軍。あなたの率直さに。そして、ぼくらが公爵に目をつけていることを察知した耳の早さも。……いくつか質問があるんだが、構わないか?」

 潮をたっぷり含んだ風がぼくらの間を吹き抜けた。将軍は端正な顔にすごみのある笑みを浮かべてうなずいた。

「分離独立派のエイブラハム・ガーランドって男とは、話をしたのか」

 ぼくは、つとめてあっさりと尋ねた。将軍はまばたきした。表情はまったく変わらなかったが、その頭蓋の中で彼女の頭脳が猛烈な勢いで回転していることは察しがついた。

「名前は知っている。……幹部ではないだろう、たしか?」

 ぼくは彼女の質問に答えず、しばらく沈黙を守った。

 軍の情報部担当将校を相手に腹の探り合いをしようと思ったら、言葉を出すタイミングさえ重要になってくる。

 エイブラハム・ガーランドというのは、「武力革命によるパールシー王国からの独立」を主張する急進派で、分離独立派の中で影響力を強めつつある男だ。西区あたりで、職のない若者を集めて戦闘の訓練をし、ちょっとした私兵軍団を作って、革命に備えているらしい。だが、そこまで将軍に教えてやる義理はない。それを調べ出すのは彼女の仕事だ。

 長い、長いあいだ黙っておいてから、ぼくは次の質問を発した。

「王党派と組むことについて、防衛軍内部で百パーセントの合意がなされているわけじゃないんだろう? 少数かもしれないが、反対する人間がいるはずだ」

「それはもちろん、これだけ大きな組織になると、なかなか満場一致というのは難しいものだよ」

と、相手は余裕たっぷりの態度でうなずいてみせた。

「反対しているのは主に、あなた個人の敵じゃないのか。それもかなり有力な」

 将軍は、今度は二回続けてまばたきをした。

「……なぜ、そう思う?」

「いま質問してるのは、こっちだぜ、将軍」

 ぼくは、トーゲイ中佐のこれまでの言動を思い出していた。中佐は一貫して、王党派と反王党派の対立や《影の軍隊》の存在に、それとなくぼくの注意を向けようとしていた。

 中佐の狙いは、市警に《影の軍隊》を叩きつぶさせることではなかったのか? 王党派の影響力を削ぐために。

 したたかなあの男が、何の勝機もなしに、あえて直属の上司であるベーリンガム将軍の意に反する動きをするはずがない。おそらく中佐には、別の強力な後ろ盾がついているのだ。王党派との提携を快く思っていない、軍上層部のだれかが。

 支綱が切断され、空母「レーティリア」は初めはゆっくりと、やがて凄まじく加速しながら轟音と共に滑走し、進水した。海が大きく揺れた。見物人の拍手と歓声、タグボートの祝賀汽笛が湧き上がった。ブラスバンドの市歌の演奏がいっそう高まった。セレモニーは最高の盛り上がりに達していた。

 ベーリンガム将軍の返事を待たずに、ぼくは言葉を継いだ。

「市内のキーパーソンの傾向を分析して、あらゆるケースをシミュレートしたと言ったな。ちょっと分析が甘すぎるんじゃないのか。パワーゲームは軍の本来の守備範囲じゃない。……そもそもぼくのところにこんな話を持ってくるのが、認識不足の証拠だ。ぼくは自分の職務を遂行する。メフィレシア公爵だろうとだれだろうと、市内で犯罪を行えば検挙する。母に危害を加えるって? やれるもんならやってみろよ。そんな安っぽい脅迫には屈しないぜ」

「……」

「それが気に入らないからって、ぼくを殺そうとしてもだめだ。そんなことをすれば《中央》がただちに内政調査権を発動して、パールシー王国をばらばらに解体する。この前ぼくが聖ルグゼリア教会へ行ったことは知ってるだろう?」

 将軍の貌から、すでに笑みは消えていた。仮面のように硬くけわしい顔になっていた。

 ぼくは、そんな彼女の()をのぞき込み、囁いた。

「……考え方を変えてみるつもりはないか。軍の上層部でもう一度検討してみるといい。今の王党派と組むメリットなんてあるのか? 《影の軍隊》はもうすぐ消滅する。市警が壊滅させる。メフィレシア公爵がいかに有力な貴族で、所領で強大な軍隊を持ってるとしても、ここクテシフォン・シティじゃ何の実行力も持たないわけだ。

 軍がクーデターを起こせば、たぶん分離独立派の扇動で、市内各所で暴動が発生するだろう。低所得者層だけじゃなくて、現市政を支持する高所得者層だって黙っちゃいない。市内を完全にコントロールできるまで、軍としちゃかなり苦労するはずだ。

 あなた方に必要なのは、クテシフォン市内に現実に存在している確固たる有形力だ。市内に秩序をもたらし得る武力。……そうじゃないか?」

 ベーリンガム将軍の氷のまなざしが大きく揺らいだ。

「市警、か。まさか……!」

「防衛軍と市警が組めば、クーデターの成功は疑いない」

「本気か。きみは政治に興味がないんだと思っていたが……本気で言っているのか」

 ぼくは笑った。彼女のナイーブな質問を。

 これは戦いだ。国家の存亡と多くの人命を賭けたぎりぎりの駆け引きだ。――本音の入り込む余地など、あるはずもない。

 自分がいかに危険な橋を渡っているかは承知している。火薬庫で火遊びをする方が、まだましなぐらいだ。だがぼくは、ただひとつの目的を果たすため、この街の政治的現状をとことんまで利用するつもりでいた。防衛軍といえば遊び相手にするには危すぎる連中だが、負けやしない。手玉にとってみせる。平和、秩序、市民の安全。なにひとつ失わずに陛下の御命を守ってみせる。

「――単なる議論上の可能性さ」


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