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第15章 フリント・ハートランド

 ふわあ、と大あくびをすると、目の端に涙がにじんだ。

 おれ、いったい何やってるんだろう。

 十七歳になったばかりで、元気はつらつで、街に出りゃすぐに楽しいことの一つや二つ見つけられる健康な男が、昼間っから部屋の中に閉じこもってくすぶってるなんて。

 ああ、身体がなまる。使わなくて余ったエネルギーが身体の中で渦を巻いてるみたいだ。どうにも落ち着かねえ。

 アジトの居間。テーブルをはさんだ向かい側で、すり切れたソファに沈みこんでるロニーのやつが、おれと同じように大口開けてあくびをするのが見えた。

 おれは、ズボンのポケットの中に入ってた紙屑を指先で丸めて、小さな紙玉をこしらえた。

 そして、しばらくしてロニーがもう一度あくびをするのを見計らって、その口めがけて紙玉を放り投げた。

 ナイスシュート! 紙玉は見事ロニーの口の中へ。

 ぺっ!とそれを吐き出したロニーは、顔を真っ赤にして怒り始めた。

「何するんだよ、フリント!!」

 おれは腹をかかえて大笑いした。

「ばーか。アホみたいに大口開けてあくびしてるからだよ」

 ロニーがいきなりテーブルを乗り越えておれに襲いかかってきた。おれたちは取っ組み合った。お互い優位な位置になろうとして、床をごろごろと転がり回った。いつまで経っても勝負、つかねえんだよ。そんなことはわかってる。力は同じぐらいだし、二人とも完全には本気を出してないからだ。いい加減だれか止めてくれればいいのに、居間にいる大人たちは皆、知らんぷりをしている。

 いつもは大体このタイミングで、チェリーが止めてくれるんだよな。

『あんたら、小さな子供じゃないんだから、いい加減にしなさいよ!』

 あの姉さんぶった小うるさい声が懐かしい。

 今頃どうしてるんだろう、チェリーのやつ。留置場でしょげてねえかな。

 そんなことを考えて、気を抜いたのがいけなかった。ロニーのパンチが思いっきりおれの頬に炸裂したのだ。頬骨が痺れたみたいになって、頭がガンガン痛み出した。おれは涙目になってロニーに食ってかかった。

「いってぇぇ!! なんで本気で殴るんだよ、おまえ」

「ぼくはいつだって本気だぞ」

 ロニーがふんぞり返った。おれは立ち上がった。

「くっそーっ、もう、怒った。こうなったら手加減なしで行くからな。覚悟しろ」

「おまえら、もうよせ。暴れたいんだったら外でやって来い」

 不意にラッセルおじさんの低くて渋い声が響いた。おじさんはテーブルの上にカードを立てて積み上げ、城みたいなものを作っているところだった。

 おじさんが止めてくれたので格好がついた。ロニーとおれはぶつぶつ言いながら離れた。

 メフィレシア公爵の手先が襲ってきて、そしてチェリーが警察に捕まったあの晩から、もう一週間以上が過ぎた。おれたちは今もアジトで暮らしてる。やつらにやられてケガをしたジャクソン兄さんとヴィックス兄さんが、病院から戻ってきた。このアジトの噂を聞きつけて、それまで地下に潜ってたシュナイダー盗賊団のメンバーが三人ほど合流して来たので、アジトはけっこうにぎやかだ。

 ラッセルおじさんは、それまで一人ずつだった玄関と屋上への階段口の見張りを、二人ずつに増やした。いつ敵がまた襲って来てもいいように、だ。けど、たぶんそんなことは起こりっこない。おれたちのアジトは大勢のおまわりに見張られているんだ。窓から見下ろすと、すぐ外の道路に、パトカーがいつも二、三台停まっている。そしておれたちのだれかが外出すると、必ずおまわりが後をついて来る。下手なVIP顔負けの警備体制だ。

 おれたちにしちゃ、有難いことでもあり、困ったことでもある。

 安全なのはいいけど、おまわりに四六時中見張られてたんじゃ仕事ができやしねえ。

 まあもともと、犯人怖さに外出を控えてたから、ここんところ全然仕事をしてなかったんだけどさ。それにどっちにしてもチェリーがいなくちゃ、おれたち仕事にならない。おれたちは三人でひとつのチームなんだ。

「なあ……何とかならないのか? チェリーを助けてくれよ」

 おれはジェスに頼みこんだ。この一週間のうちに、何度言ったかな、この同じセリフを。

「あんた、いつだって、口先だけで何でもできたじゃないか」

 ジェスは居間でいちばん上等なソファに深々と腰を下ろし、おれにゆったり微笑みかけた。

「警察にも考えがあるんだ。チェリーは大事な証人だから、留置場に入れておくのがいちばん安全だと言っていたよ。きっと今度の事件が解決すれば釈放してくれるさ」

「このアジトだって十分安全じゃねぇか。あんだけ大勢のおまわりに囲まれてるんだから。……あのカイトウ署長っていうの、あんたの息子なんだろ? なんとか言ってやってくれよ」

「気持ちはわかるがね、フリント。物事を見た目だけで判断しちゃいけない。つらい目に遭ってるように見えるが、じつはこれがチェリーにとっていちばん良いことかもしれないんだ。最近は留置場の居心地だって悪くない。チェリーは大丈夫さ」

「……!」

 眉に唾をつけたくなるって、こういうことなんだろうな。

 ジェスの舌の回転はあいかわらず滑らかで、いつも姐さんたちがジェスの周りにべったりだった。キャアキャア黄色い声をあげながら、盛り上がっていた。夜になると「ねえジェス。あたしの部屋に来て、一杯やらない?」とか「後であなたの部屋に遊びに行ってもいいかな」とか姐さんのだれかが必ず誘いをかけてるので、おれたちみんな耳がレーダーみたいにそっちを向いてしまうんだが……これまでのところ、ジェスはだれの誘いにも乗っていなかった。そして、チェリーが逮捕されてからというもの、行先を告げずに一人で外出することが増えてきていた。



 ティントレット先生の診療所へ行ってテレビでも見てくる、と言ったらラッセルおじさんはおれたちの外出を許してくれた。

 ロニーとおれはひさしぶりに街へ出た。

 黄昏時の西区は人通りが多い。真っ昼間よりも多いぐらいだ。淡い薄桃色の空の下、灯り始めた色とりどりのホログラム看板がやけにまぶしい。建ち並ぶ安ホテルや、中に入ったら身ぐるみ剥がれそうなヤバい感じの店の前で、パンティすれすれまでの長さしかないスカートの女たちが営業開始前の準備運動、みたいに肩をぐるぐる回したり、首を左右に振ってコキコキいわせたりしている。どんなに寒くてもスカートはミニ、それがこういう女たちの心意気だ。すらりと伸びた脚を、お互いに競うように見せびらかしてる。

 よくやるよな、と呆れてる顔を装って、おれはジャケットのポケットに深々と両手を突っ込む。

 おれはいっぱしの大人だ、この街はおれの街なんだ。そういう気合をこめて精一杯肩をいからせて歩く。

 ホントは目をぎょろつかせて女の脚を眺めたいんだけど、じっと我慢だ。

 おれは背だってヴィックス兄さんに負けないぐらい高いし、部屋で密かにトレーニングしてるから筋肉だってついてきてるし、もう一人前の男だと思うんだが、なぜだかみんな、おれをガキ扱いし続けるんだよな。それが癪にさわって仕方ない。おれ、もう大人だぜ、男だぜ? 好きな女ぐらいちゃんと守れるんだ。

『おれが来たからにゃもう安心さ、ベイビー。こういう稼業をやってりゃ、トラブルの一つや二つ、前菜みたいなもんだからな』

 いつか見た映画の中に、私立探偵が女を背中にかばってそうつぶやくシーンがあった。それがえらくカッコ良く思えて、鏡に向かって自分でもよくそのセリフを練習したもんだ。ほとんど顔の筋肉を動かさず、片頬だけで笑って。(練習してたら頬がつりそうになった)

 あれ。なんでここで、チェリーの顔が浮かぶんだよ。

 チェリーはおれをガキ扱いする連中の代表格だ。いつでも姉さん面して、おれたちを仕切りたがる。ロニーだってそうだ。こいつは背も低いし、顔も童顔だし、舌ったらずなしゃべり方をするので、みんなに『ちびのロニー』なんて呼ばれているが、年齢はおれと同じだし、年齢以上に世慣れてる。

 くそーっ、早くみんなに、おれが大人の男だと認めさせたい。

 チェリーの前でカッコいいところを見せたい。あいつに向かって言ってやりたい、いつも練習してる決めゼリフを。

 こないだはしくじった。チェリーがおまわりに連れて行かれるのを、黙ってぼーっと見ているだけだった。だけど今度はしくじらない。もしあいつが危ない目に遭っていたら、飛んで行って、助けてやるんだ。そして言ってやる、「おれが来たからにゃもう安心さ、ベイビー……」

「……聞いた? 昨日の晩、クララ姐さんがジェスのベッドに潜り込んでたって。勝手に部屋の鍵を開けて、入り込んで待ち伏せてたんだってよ。シンシア姐さんが怒っちゃって、もう大騒ぎさ」

 我に返ると、並んで歩いてるロニーのやつがそうしゃべっているところだった。

「よかったよねー、チェリーがいない時で。チェリーがいたら、もっと大変なことになってたよ」

「どういう意味だよ。……チェリーと何の関係があるんだ」

 おれはむっとしてロニーを睨みつけた。

 へらへら、という感じでロニーは笑った。

「あれ、フリント、気づいてないの? にぶいんだなぁ。チェリーはジェスのこと……」

 それ以上は聞きたくない。おれはロニーの両頬の肉をつまんで、左右に思いっきり引っ張った。いててて、何するのさ、というような叫び声をロニーは上げたが、口が左右に広がってるので、はっきりした言葉にならなかった。

 ロニーがおれの頬をつまみ返した。

 おれたちは舗道の真ん中に立って、黙ったまま、お互いの頬を力いっぱい引っ張り合った。

 そのとき、だれかが後ろからおれの肩を叩いた。

 もしかして、おまわりか!?

 ぎょっとして、ロニーに頬を引っ張られた格好のまま無理に振り返ると、知らない男が立っていた。短く刈りこみすぎた銀髪と、立派な体格がたい。プロのスポーツ選手だと言われても信じられる。年のころは二十五、六か。

 そいつは気味悪いぐらいさわやかな笑顔を浮かべていた。

「きみたち、銃を撃ってみたくないかい? 本物のゴライアス製レーザーライフルだよ。軍の制式銃で、民間にはほとんど出回っていないものだ。どう?」

 にこやかな男の口からとんでもない囁き声が飛び出してきた。

 おれたちはあっけにとられた。頬っぺたの引っ張り合いをやめて、呆然と相手の顔を眺めた。

「はあ?」

「なんだったら、小型銃もたくさんあるけど。おれと一緒に来ない? きみたちも男なら、武器には興味あるだろ」

「いや……興味ないわけじゃないけど……あんた、いったい、だれ?」

 男の真っ白な歯が、薄闇の中で輝いて見えた。

「おれ、エイブっていうんだ。そこの角にある『ガーランドの店』ってドラッグストアの店主の息子だよ。今、一緒に射撃練習をしたり身体を鍛えたりする仲間を募集しているところなんだ。今って、いやな世の中じゃないか。貴族や金持ちばかりがのさばってさ。きみらだって、いらいらしてるだろう? 思いきり銃をぶっ放せばすっきりするよ。……よかったら戦闘の訓練もやってるから。身体を鍛えてたくましくなれば、きみらの彼女も喜んでくれると思うけど?」

 おれたちは後ずさった。

 最近こういうおかしな勧誘が増えてると、噂には聞いていた。銃を撃たせてくれると言うからついて行ったら、何かの政治結社みたいなものに入れられてしまうって話だ。訓練は軍隊並みに厳しくて、いったん入ったら抜け出せないらしい。

 おれたちは政治には興味ない。それに、尾行してくるおまわりの見てる前で、妙なやつと関わり合いを持ちたくない。

「わ、悪いけど。おれは重症の運動アレルギーで、医者から運動とか訓練を止められてるんだ。だれか、ほかのもっと元気なやつを誘ってくれよ。じゃ」



 つぶれた店の、落書きだらけのシャッターに囲まれて建つ狭いビルの一階に、ティントレット先生の診療所はある。自動ドアが開くと、大勢の人間のざわめきと暖かい空気が中からもわっと噴き出してきた。おれはこんな時刻に来たことを後悔した。聞き覚えのあるテーマ音楽が流れてきたからだ。今はクテシフォン市営放送の『イブニング・ヘッドライン』の時間だ。この街でいちばん権威のあるニュース番組で、ためになるからと言って、この時間帯にはティントレット先生が他の番組を見ることを許してくれねえんだ。

 あーあ、つまんねえ。ニュースかよ。

 まあ二十分ぐらいのことだから、我慢するか。

 おれとロニーは、混み合ってる待合室で、空いている椅子を探した。

『……特集です。今夜は、深刻化する一方の未成年犯罪についてリポートします。……』

 いちばん後ろの方の席が空いていた。おれは腰を下ろし、ニュースが終わるまで待っていようと目を閉じた。

 いつの間にかうとうとしていたらしい。だれかにいきなりぐいと腕を引かれて、おれはびっくりして飛び起きた。前の席に座ってる知り合いが、こちらへ向き直っておれの腕をつかんでいた。

「おい、起きろって、フリント。テレビにチェリーが出てるぞ!」

 おれは思わず立ち上がった。テレビのすぐそばまで走って行って画面をのぞき込んだ。本当にチェリーだ。間違いねえ。しゃべり続けてるキャスターの後ろに、単なる背景、みたいな感じで薄暗い留置場の様子が映っている。二人の女看守につき添われて、チェリーが廊下を歩いているところだ。カメラに対して真正面を向いてるから、顔がはっきり見てとれる。それに首から下げている、例のドーンストーンのペンダントも。(あのペンダント、サツに没収されたんじゃなかったっけ?)

 撮影されていることに気づいてないらしい。チェリーの視線は、どこか遠くを眺めてる。

『……各学校では、麻薬の蔓延を防ぐために専任カウンセラーを置いて生徒からの相談に応じていますが、人員不足で十分な対処ができないのが現状です。また、まったく学校に通っていない子供の多い地区では、若者たちをどう啓蒙していくかが今後の課題と言えるでしょう……』

 キャスターは全然関係のない内容をしゃべってる。別にチェリーのことを特集してるってわけじゃないんだな。チェリーの映像は、本当に、ただの背景でしかないんだ。

「ずいぶん配慮に欠ける番組だね。未成年者の顔を、必要もないのに、ここまではっきりと映すなんて。市営放送にしては珍しいんじゃないか、こんな不手際は?」

 すぐ隣でティントレット先生の声がした。先生は腕組みして立ち、テレビをじっと眺めていた。

「先生……!」

 なぜだかおれの声は震えそうになった。訳のわからない不安が胸の中に膨れ上がってきたんだ。見上げるティントレット先生の横顔は落ち着いていて、自信と信念に満ちあふれてる感じで、まさに「頼れる大人の男」そのものだった。

「おれよくわからないんだけどさ……こういうことって、よくあることなのか? 逮捕されたら、顔を映されてテレビに使われるのって。……それとも、チェリーが映ってるのは、ほんの偶然なのか?」

「非常に、異例なことだと思うよ。軽罪容疑の未成年者の顔をプライムタイムの放送で大映しにするなんて。作為的なものさえ感じる。

 シンシアさんから話は聞いてるよ。留置場のチェリーとまったく面会できないんだって? 弁護人との謁見も禁止されてるそうじゃないか。重大な人権侵害だ。市警はいったい何を考えているんだろう」

 先生の言葉がおれの頭の中をぐるぐると駆けめぐった。

 何かが起ころうとしてる。あのジェスの息子がチェリーに対する恨みを晴らすために、いろいろ裏で動いてるんだろうか。でもおれはそれに対して何もしてやれない。市警本部の地下に留置されてるチェリーを、守ってやることなんかできやしない。

 「大人の男」の理想と、現実の自分との間にあるものすごいギャップを、おれは痛感した。

 くやしいな、くそっ。一日に一歳ずつ年をとれたらいいのに。

「なに、なに、どうしたの。テレビにチェリーが映ってるんだって?」

 今ごろになってようやく目を覚ましたらしい、ロニーが駆けて来てテレビにかじりついたが、おれは返事をしてやる気力もなくうなだれた。

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