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第13章 チェリー・ブライトン

 シュナイダー盗賊団のみんなと共に生活していた一見平和な日々は、まったく突然に、終わりを告げた。



 だれかがあたしの肩をつかんで揺さぶっている。

「……?」

 いったいだれだろう。眠いんだから、放っておいてよ。

 ぼんやり夢の中へ戻ろうとしたあたしだけど、突然あることに気づいてはっとした。ここはアジトの二階にあるあたしの個室。扉には鍵をかけてあるし、部屋の中には他にだれもいるはずがない。じゃあ、あたしを揺さぶっているのはだれ!?

 ぎょっとして飛び起きた。

 真っ暗な中、ベッドのすぐ横にジェスがかがみ込んで、じっとこちらをみつめていた。窓が開いていて、その外にロープが垂れ下がっている。つまりそこから入ってきたというわけね。そう言えばジェスの部屋はあたしの部屋の真上だった。

 ここは当然、悲鳴をあげるところだ。うら若い乙女の寝室に、夜中勝手に男が入ってきてるんだから。

 だけど、あたしの口から声は出てこなかった。金縛りにあったみたいに動けず、呆然とジェスを見返すだけだった。心臓がものすごく激しく打ってる。「こわい」とかいうんじゃなく、まったく別の感情だ。今までに経験したこともないような。

 口を開いたときのジェスの声はやけに普通でおだやかだったので、あたしは拍子抜けしてしまった。

「窓に鍵もかけずに寝るなんて不用心だな、チェリー。まあ、おかげで今は助かったんだが」

「な……なに!? いったいここへ何しに来たの?」

 あたしの声は緊張でかすれていた。

「話はあとだ。とにかく、そのロープを伝って下りて、逃げてくれ」

 ジェスの言葉の意味が、寝起きでぼんやりしてるあたしの頭にしみ込むのに、ちょっと時間がかかった。

「逃げるってまさか……敵!?」

 彼はうなずいた。

「わたしは玄関と屋上へ通じる階段口にちょっとした自分用の警報装置を取りつけておいたんだが……その両方に反応があった。何者かがこのアジトに侵入してきたようだ。玄関の方はわからないが、屋上を見張っていたジャクソンはおそらく……敵にやられた可能性が高いな。侵入者はいま、四階の部屋を端から順にひとつひとつ開けて中をたしかめている。なにかを、あるいはだれかを探している様子だ。もう時間がない。玄関の見張りがやられたら、侵入者はすぐにこの二階までやって来る。……きみを逃がすだけの時間しかないんだ。さあ、早く!」

 話の展開が急すぎて、恐怖さえもまだ感じない。あたしは銃を持った男たちが四階の扉を開けているところを想像してみた。四階で寝ているラッセルおじさん、アルフォンス兄さん、フリントやロニーたちが寝込みを襲われ、反撃もできずにやられていくところを。

「い……いやよっ。あたしだけ逃げるなんてできない!」

 考える前に言葉がほとばしり出ていた。

 ジェスは真剣な表情で首を振った。

「きみが残ったからって、なにができる。力で仲間を守れるとでもいうのか。……それに、これはわたしの勘なんだが、連中が探しているのはおそらくきみだ、チェリー。だからきみだけでも逃げなくては……!」

 遅かった。あたしはジェスの肩ごしに、部屋の扉が音もなくすーっと開かれるのを見た。鍵をかけておいたはずなのに。

 光といえば窓から漏れ入ってくる街の灯だけだったけど、そこに立っている人物の顔ははっきりと見てとれた。

 もちろん、あの男だ。パウエル・ディダーロ。

 まったくの無表情でこちらをみつめている。

 ああ神様。これはただの悪夢ですよね。夜中アジトのあたしの部屋にあの男が踏み込んでくるなんて、現実にしてはでき過ぎてる。そんな恐ろし過ぎることが本当に起きるはずがない。これはきっと夢。そうじゃありませんか……!?

「みつけたぞ」

 そうつぶやいて、ディダーロは整った顔にうっすらと笑いを浮かべた。大股に部屋の中へ入ってくる。

「お嬢さん。ペンダントをこっちへ渡してもらおうか」

「ぺ……ペンダント!?」

 もしかして、ケインおじさんがあたしにくれた、あのドーンストーンのペンダント?

 まさか――犯人の狙いは初めから、あれだったっていうの?

 あたしは、ペンダントを入れてあるサイドテーブルの引出しにちらっと視線を投げたい衝動を必死で抑えた。相手はこちらのほんのちょっとした動きでも見過ごすまいと目を凝らしているはずだからだ。代わりに全身の勇気をかき集めて、ふん、とせせら笑ってみせた。

「おあいにくさまー。あれはね、もうとっくに警察に渡しちゃったわよ。あたしがあんなヤバい物をずっと持ってるほど馬鹿だと思うの? すぐにここに警察が来るわよ。ざまあ見ろ、だわ!」

 渡せと言われたからって、はいそうですか、と言うことを聞くわけにはいかない。あたしは自分のハッタリに拍手を送りたい気分だった。

 ディダーロの顔から薄笑いが消えた。

「本当にそうなのか。だったら、おまえはもう用無しだ。おまえも、他の虫ケラどもも、全員……」

 いつの間にかその手にはレイガンが握られていた。銃口の周りにうっすらと漂ってる青白い光が、発射準備が完璧に整っていることを示してる。そしてその銃口はまっすぐあたしを狙ってる。うそっ、あたし、ここで死ぬの?

 そのときジェスが飛び出した。

 銃なんかまるでおかまいなしで、すごい勢いでディダーロめがけて突っ込んでいく。体当たりした。二人はもつれ合うようにして床に倒れ込んだ。ディダーロの手から銃が吹き飛ぶのが見えた。

「逃げろ、チェリー!!」

 喉にからまったような声でジェスが叫んだ。必死の形相でディダーロと取っ組み合いを続けている。

 あたしはベッドの上に座り直した姿勢のまま、凍りついた。

 ジェスを助けなきゃ。頭の中にあるのは、それだけだった。

 ベッドから飛び降り、床に落ちてる銃を拾おうとして駆け寄った。手を伸ばしかけたら、ちょうどそこへジェスたちがごろごろと転がってきた。銃はどこかへ吹き飛んでしまった。部屋は暗いし、床では男たちが暴れているので、銃を探せない。

 二人は激しく格闘した。つかみ合いながら、部屋の中を転がり回った。でも、前にジェスが「荒っぽいことは苦手だ」と言っていたのは、どうやら本当だったみたい――いつしか若いディダーロが完全に優位に立っていた。仰向けに倒れたジェスの上に馬乗りになって、首を絞め上げ始めた。

 ああ、どうしよう。ジェスがやられちゃうよ。

「やめて! やめてよ!」

 あたしは悲鳴をあげながらディダーロの背中や頭を叩いた。ディダーロはこちらを振り向きもしなかった。両肩が震えてるから、すごい力をこめていることがわかる。その力で首を絞められてジェスの顔が赤黒く染まってきていた。

 あたしは部屋の隅にある椅子を持ち上げた。ジャクソン兄さんがどこかから集めてきた古い椅子のひとつだ。骨董品っぽくて、ごつくて、普段なら押して動かすのにも苦労するほど重いのに、なぜか今はすんなりと頭上まで持ち上がった。

 あたしは椅子をディダーロの後頭部めがけて振り下ろした。

 ジェスを助けたい。ただその一心だった。

 人間とは思えないような、化物みたいなすばやさでディダーロの首だけがぐるりとこちらを振り返った。あたしの手から椅子が弾き飛ばされ、壁にぶつかってけたたましい音をたてた。ディダーロが肘でブロックしたのだ。

 ――気がつくとあたしは床に尻もちをついていた。頭ががんがんする。顔も痛い。まるで顔の骨が歪んでしまったみたいな、奥から来る痛みだ。勝手に涙が出てくる。あまりに痛くて頭がうまく働かない。頬をこっぴどく殴られて一瞬意識が飛んだのだと気づくまでしばらく時間がかかった。

 争う二人の体勢はさっきまでとは変わっていた。

 ディダーロがこちらに向いて立ち、ジェスが姿勢を低くしてその腰にむしゃぶりついている。あたしに向かってこようとするディダーロをジェスが止めているみたいな姿勢だ。ディダーロはジェスの頭や背中を何度も殴ったり、足で蹴りつけたりしていた。ジェスはディダーロにしがみついたまま殴られ続けている。

 ディダーロが、ジェスを殴るのを止めた。

 両手でがっしりとジェスの腰をつかみ返した。

 動物みたいな唸り声をあげて、ディダーロはそのまま後ろ向きに床にひっくり返った。ジェスはその動きに引っ張られ、体が前向きに傾いた。ディダーロはひっくり返る勢いを利用してジェスの体を投げ飛ばした。ジェスは逆さまになって宙を飛び、背中から壁にぶつかった。

 あたしは悲鳴をあげた。

 そのとき、

「動くな! 警察だ!」

 二人の警官が魔法みたいに現れた。ドアのところに立ち、銃を構えた。

 あたしはびっくりして警官を眺めた。

 神様だ。まちがいない。あたしたちを助けるために神様が警官を連れてきてくれたんだ。警官の姿を見てうれしいと感じたのは生まれて初めてだった。

 だって神様以外考えられない。ディダーロにはさっきハッタリであんなこと言ったけど、警察がこんな所へ来る理由がない。シュナイダー盗賊団のだれかが通報するなんて、太陽が爆発したってありえないし。

 あたしが警官からジェスたちに視線を戻すと、また二人の体勢が変わっていた。ディダーロが倒れたジェスの体を半分引き起こして、自分の盾のようにしていた。身動きできないように、後ろから左腕をジェスの首にしっかり巻きつけている。そして右手には銃があった。乱闘の途中でどこかへ行ってしまったはずの銃だ(ディダーロは殺し屋だけのことはあって、ちゃんと自分の銃がどこへ行ったか把握していたんだろう)。

 投げ飛ばされて壁にぶつかったときの衝撃で目を回したのか、ジェスは人形みたいにぐたりとなって動かない。

 そのこめかみに、ぴたりと銃口が押しつけられた。

「銃を下ろせ。こいつを殺すぞ」

 ディダーロが落ち着いた声で警官たちに言った。

 急に部屋の中がしーんとした。

 警官たちが、ためらいながらも、ゆっくりと銃を下げていく。

 あたしはがたがた震えながら、必死で悲鳴をこらえていた。お願いだからやめて。ジェスを殺さないで。もう大切な人を失うのはいやだ。いつまでこんなことが続くの? あんなペンダント一つが、なんでそんなに重要なの?

 そのとき。だれかが警官たちを脇に押しのけて姿を現した。

 それほど大柄な人じゃない。警官たちよりもほんのちょっと背が低い感じだ。銀に近い髪の色が、薄明かりに鈍く輝く。

 あたしがその人の顔をはっきりたしかめるより早く。

 室内で一瞬、青白い光がひらめいた。

 とたんにぞっとするような絶叫が湧き起こったから――今のは銃の発射光だとわかった。

 ジェスが血だらけになってるのを見てあたしは悲鳴をあげた。でも、よくよく見てみると彼はどこにもケガをしている様子がない。わめき散らしているのはディダーロだった。いつの間にか、その右腕がなくなっている、ように見える。あたしは息を呑んだ

 え? いったい何が起こったの?

 警官たちがすかさず駆け込んできてディダーロを取り押さえた。

 部屋の灯りがともった。

 あたしの目に飛び込んできたのは鮮烈な赤色だった。血、血、血。辺りは血だらけだった。血の海の中に人間の腕が落ちていた。銃をしっかり握ったままのその腕は、まちがいなくディダーロのものだ。

 あたしは気分が悪くなった。吐きそうだ。口に両手を当てて必死でこらえる。――長年ラカトシュ街あたりで暮らしてるので、撃ち合いも流血も見たことがないわけじゃない。だけどこんな間近で見るのは初めてだ。

 ディダーロの右腕を銃で吹き飛ばした人が、警官たちの後ろからゆっくりと中へ入ってきた。

 それは驚いたことに、あたしとほとんど年が変わらないぐらいの男の子だった。歳に似合わないびしっとしたスーツを着てるし、ベルトにARFジェネレータを装着してるから――この子も警察の人間なの?

「見事なもんだ。相変わらず、すご腕だな」

 意識を取り戻したらしいジェスが、床から体を起こしながら、親しげに男の子に声をかけた。

「人質があんただったから気楽に撃てたよ。多少狙いが狂ったって、どうってことないからな」

 にこりともせずに答えて、男の子は銃をホルスターにしまった。

 近くで見ると、その瞳は茶色――ジェスの目とまったく同じだ。内側でお日様が踊ってるみたいな、あたたかくて甘い茶色。まなざしの雰囲気までよく似ている。

 だから、ジェスがこう言ったときにも、あたしは驚かなかった。

「チェリー、紹介しておこう。これがわたしの息子のアンドレアだ。クテシフォン市警の凱旋門本署の署長をやってる。『墓場署長』といえば、聞き覚えがあるんじゃないか?」

「気安く息子なんて呼ぶな。……助けてやるんじゃなかった」

と、アンドレアがぶっきら棒につぶやいた。



 あたしはパジャマの上にジェスのコートを羽織ったままの格好で、一階のサロンでソファに腰を下ろしていた。血だらけになってしまった自分の部屋には、もう一瞬もいたくなかったんだ。

 サロンは警官たちでいっぱいだった。明るく照らし出された室内を大勢の人がどかどか歩きまわっているので、とても真夜中とは思えない雰囲気だった。

 みんなに警部補と呼ばれている、黒髪の背の高い女の人が「はい。これでも飲んで落ち着いて」とあたしにグラスを差し出してくれた。ふだんお酒を飲まないあたしは、濃いアルコールに思わずむせてしまったけど、でもおかげで身体が暖まってショックも薄らいできたみたいだ。人心地のついたところで、改めて辺りを見回してみる。

 救急隊がやって来て、ケガ人を運び出していった。ケガ人のほとんどは犯人たちのようだった――死体みたいに真っ白な顔をしてるディダーロをはじめとして。シュナイダー盗賊団でケガをしたのは、屋上を見張っていたジャクソン兄さんと、玄関を見張っていたヴィックス兄さんの二人。

 犯人は全部で四人いて、上からと下からに分かれて侵入してきた。ジャクソン兄さんとヴィックス兄さんを殴り倒して縛り上げると、ジェスが言ってたみたいに、個室の扉を順番に開けて、あたしを探していたんだ。あたしだけを。他の人たちはぐっすり眠り込んでいて侵入者に気づかなかったので、危害を加えられずに済んでいた。

 少し落ち着いたところで、あたしが感じていたのはだんだん大きくなってくるいら立ちと、自分を責める気持だった。

 今夜の事件を引き起こしたのはあたしだ。ほんの思いつきでメフィレシア公爵に脅迫状を送りつけたりしたから――手紙に映ってるペンダントを見て、公爵がディダーロたちを差し向けてきたんだろう。ジャクソン兄さんとヴィックス兄さんがケガをしたのは、あたしのせいだ。そして、ジェスがひどい目に遭ったのも――。

 ジェスの顔は傷だらけだった。殴られた右目の周りが派手に腫れあがり始めてる。そんなジェスに救急隊員が声をかけた。

「あなたも病院へ行った方がよさそうですね。一緒に来てください」

「そんなやつ、放っておいていい」

 横からアンドレアがそう言って、救急隊員を追い払った。

 あたしは彼を睨みつけた。

 こうやって明るい所で落ち着いて見てみると、じつはアンドレアってすごくきれいな顔をしていることがわかった。クリスタル細工のように透明で、キラキラしていて、こわれやすそうだった。サロンの隅にかたまって立ってるシンシア姐さんやクララ姐さんが目を丸くして彼に見とれてる。

 だけどこの子は、あの有名な『墓場署長』なんだ。いくつものギャング団を全滅させた、殺し屋以上に残虐な警察署長。噂はさんざん聞いてきた。まさかそれがジェスの息子だったなんて。

 あたしたち泥棒にしてみれば、敵に回したくない相手ナンバーワンだけど。

 あたしは怒りで胸がむかむかしていた。ジェスに対するこの子の態度が、とても我慢できなかった。

「……それにしても、ずいぶんタイミングよく踏み込んできてくれたもんだな?」

「パウエル・ディダーロに監視をつけていたんだ」

「ほほう。じゃあ、わたしが持って行った合成顔写真が少しはおまえの参考になったということか」

「勘違いするな。別件だよ。――あんたの探偵気取りのおかげで市警は迷惑ばかり被っているんだ。もうちょっとましな暇つぶしの方法はないのか」

「暇だからじゃない。わたしは何とかしておまえの役に立ちたいと思って……」

 親しいのかそうじゃないのかよくわからない会話を続けてるジェスとアンドレアのもとへ、あたしはゆっくり歩み寄った。二人は急に話をやめてこちらを向いた。殺気を感じたのかもしれない。

「さっき……ジェスが人質だから気楽に撃てたって言ってたわね。あれ、本気?」

 あたしの声は怒りであっさり裏返った。

 ふだんよりあたし、感情が表に出るのが早い。さっきの事件のショックでまだ少し興奮してるのかな。

 アンドレアは眉ひとつ動かさずに、

「冗談だ。だれが人質だろうと、あの程度の距離で狙いを外すなんてありえない」

と、すっごく偉そうな口調で答えた。

 ほんと、「偉そう」が服を着て歩いてるみたいなもんだわ、この子って。あたしは早くも沸騰寸前だった。

「あんな撃ち方するなんて信じられないわ。犯人の手は、ジェスの頭ぎりぎりの所にあったのに、それを撃つなんて……! ちょっとでも狙いが狂ったらジェスの頭も吹き飛ぶところだったんだよ?」

「だから、外さないって言ってるだろう」

「そんなのわからないでしょ!? そもそも犯人が『銃を下ろせ』って言ってるのに、なんで無視するのよ!? あんたのせいで、ジェスは犯人に殺されてたかもしれないのよ」

「だったら願ったりかなったり、だ」

「~~~!!」

 あたしは衝動的に、アンドレアの頬を思いっきりひっぱたいていた。

 ぱぁん、という音が意外なほど大きくサロンに響きわたった。

 ジェスが息を呑み「チェリー……何て命知らずなことを」と早口でつぶやいた。周囲の警官たちがどよめいた。

 アンドレアは全然表情を変えなかった。まるで何も起きなかったみたいに。澄んだ、優しそうにしか見えないその瞳が、本当にジェスとそっくりで、あたしは一瞬見入ってしまった。だから気づくのが遅れたのだ。手錠をかけられたことに。

 突然両手首にかかった重み。拘束された両手を茫然と見下ろすあたしの頭の上に、

「公務執行妨害罪の現行犯でおまえを逮捕する」

という冷たい声が降ってきた。

「はあっ!? ちょ、ちょっと待ってよ。なにもそれぐらいのことで……!」

 抗議しようとしたけど無駄だった。アンドレアはくるりと踵を返し、「この女を連行しろ」と警官に命令して、そのままどこかへ立ち去ってしまったんだ。二人の警官に左右から両腕をとらえられながら、あたしはパニックに陥っていた。

 ええっ、あたし、本当に逮捕されちゃうの!? アンドレアをひっぱたいたから? そんな馬鹿な――信じられないよ、こんな終わり方。ケインおじさんたちを殺した犯人の目星がようやくついてきたっていうのに。

 シュナイダー盗賊団のみんなが茫然と、連行されていくあたしを見送っている。ジェスも寂しげなあきらめの表情でこちらをみつめている。だれにも、もう、どうすることもできないんだ。

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