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第1章(2) アンドレア・カイトウ署長

「別に、これと言って用事があるわけでもないんだろう。さっさと帰ってくれ。ぼくは忙しいんだ」

 ぼくはひややかに言ってやったが、名誉市長は来客用のソファに深々と腰をおろし、まったく帰るつもりのないことを表明した。脱いだソフト帽を膝の上に置き、似合いもしないシリアスな表情を作って、ぼくをじっと見上げた。

「警察署長としてのおまえの耳に、ぜひとも入れておかなければならないことがある……事態は急を要するのだよ」

「何だ? 駐車違反でレッカーロボットに車を持って行かれでもしたのか」

 名誉市長は憤慨したように首を振り、

「個人的な話じゃない。国家の存亡にかかわる問題だ。……王室に危機が迫っている。そして犯人はかなり身分の高い者だと思われる。早めに調査して手を打たないと、本当に、大変な事態になりそうだぞ」

 ぼくは、しばらく名誉市長の顔をじっと観察し、果たして本気でしゃべっているのかどうか判断しようとした。どうやら完全に本気らしかった。ぼくは溜め息をついた。

「そういうたわ言は、市立ペネローペ精神病院にでも行って並べてきたらどうだ。あそこには、あんたみたいに、空想と現実の区別がつかなくなってる連中が大勢入院してるから、きっと喜んで聞いてくれるぜ」

「信じてくれないのか、アンドレア」

「当たり前だろう。あんた、映画かなにかの見過ぎだよ」

 名誉市長は顔をしかめた。

「警察は具体的な事実だけしか扱わない、ということか……たしかにわたしも確たる情報は何も持っていないのだが……しかし、どう考えても不自然だろう? あれほど若くて健康だったゾフィー皇太子殿下の突然の病死。そして国王陛下ご自身も最近は著しく体調を崩しておられる。世間では、王家の双子は不吉だから、そのたたりだと噂しているが……そんな非科学的なことがあるはずはない。あきらかに人為的なものだよ、なにもかも」

 王家を覆う不幸の影は、国民の語り草になっている。プロローグは七年前の王妃の事故死──その無残な死に様は当時の国民に大変な衝撃を与えた。そして今年に入ってから、まず皇太子が謎の熱病で急死し、続いて国王クレハンス十三世陛下も急に衰弱し始めている。

 たしかに、巷ではおかしな噂がいろいろ流通している。『たたり』だと本気で信じている連中もいるらしい。しかし、そんな非科学的な噂に対応するのは警察の仕事ではない。

 ぼくは、きっぱりと言ってやった。

「百歩譲って、あんたの空想にほんのちょっとでも真実が含まれていたとしよう……だとすれば、警察じゃなくて、宮内庁の保安課に行くことだな。宮殿は、クテシフォン市内にありながら、市警の捜査権の及ばない治外法権の地区だ。王室の問題は宮内庁の管轄だ」

「宮内庁か? わたしは、あそこの連中には、あまり受けが良くないんだよなぁ……」

 名誉市長は困ったような顔をした。

 やつがこういう妙な話を持ち込んでくるのは、これが初めてではない。あそこで重大事件が進行している可能性がある、ここで巨大な陰謀がうごめいているらしい、といった根拠のない話をこれまで何度聞かされたことか。だからぼくは、やつの懸念を気にもとめなかった。

 話がそれだけなら帰れ、と言ってやったら、「いや、まだもうひとつ、大事な用事があるんだ」と名誉市長は懐から平らな箱を取り出して、ぼくのデスクの上に置いた。派手な色彩のラッピングが施され、リボンまでかかった箱だ。

「ハッピー・バースデイ、アンドレア! 今日は、これを言いたくて来たんだよ」

 ぼくはしばらく無言で、名誉市長の満面の笑顔と、リボンのかかった箱とを見比べていた。黙っていたのは、口を開けば、とめどない罵詈雑言があふれて来そうだったからだ。ようやく冷静に話せる自信がついたので、ぼくはつとめてそっけなく口を切った。

「また、たわ言か? そういうギャグなら、西区の老人ホームの慰問にでも行って……」

「なにを言う、ギャグなもんか。今日はおまえの十八歳の誕生日だろう? こう見えたって、妻と息子の誕生日はかたときも忘れたことはないんだぞ」

 再び怒りがぶり返してきた。ぼくはどす黒い殺意がこめかみの辺りで疼き始めるのを感じた。目の前にいる、この脳天気でおちゃらけた男を殺してやりたい。今すぐに。

「……ぼくは、あんたのことを父親だなんて思ったことはない。息子呼ばわりは迷惑だ」

 しゃべりながら、デスクトップを素早く操作して署長室の対光線銃防護力場アンチ・レイ・フィールドをOFFにする。

「今さら父親づらして機嫌をとろうとしたって、気色悪いだけだ。いまこの部屋のARFを解除した。十分の一インチ単位の精度で、あんたの急所を撃ち抜くぜ。苦痛にのたうち回りながら死ぬのがいやなら、さっさと姿を消すんだな」

 ぼくは再度、名誉市長に銃を向けたが、やつは困ったように小首をかしげただけで、まったく動揺の色を見せなかった。この男は、阿呆みたいな外見に似ず、じつは非常に肝のすわった人間なのだ。外宇宙でさんざん悪事を働いてきたのは伊達ではない。

 やつは、いかにも心外だ、と言いたげな表情をつくって、

「どうして、おまえってやつは、いつもそうトゲトゲしいんだ。疲れてるんじゃないのか。仕事、少し減らせよ」

 返事のかわりに、ぼくは名誉市長の左の耳たぶを十分の一インチほどかするように撃った。あちっ、と叫んでやつは左耳を押さえた。

「今のは警告だ。次は肝臓を撃つ。その次はどこがいい……膀胱か」

「わかった。本気らしいな。帰る、帰るよ」

 名誉市長は耳を押さえながらソファから立ち上がった。部屋から出て行きかけて、ふと振り返った。その茶色の瞳は快活にきらきらと輝いていて、まるでこの世には楽しいことと面白いことしか存在していないかのようだった。

「せめてプレゼントだけでも受け取ってくれよ、アンドレア。そのままダストシュートに放り込んだりするんじゃないぞ……爆発の危険があるからな。それじゃ!」

 そして、ぼくが二発目を発射しないうちに、素早く姿を消した。

 ぼくはしばらく怒りがおさまらないまま、閉じた扉を睨みつけていた。――ぼくだって、世間じゃ冷静沈着で通ってる。内心の感情を態度に表さない訓練だって受けてきているが、ただ名誉市長と接する時だけは、自分でも怒りがコントロールできなくなるのだ。

「あの、馬鹿野郎……」

 扉に向かって、つぶやいた。

「ぼくの誕生日は、先月だよ」



 西区にある聖アルカイヤ教会は、年月の重みに今にもつぶされてしまいそうに見える、古びてみすぼらしい建物だ。礼拝堂の外壁も屋根も風雨にさらされて、元の色彩を完全に失ってしまっている。 

 礼拝堂のすぐ横に、巨大なシバ杉の木がそびえ立っている。つき抜けるほど高い青空を背景に、黒い枝が風に揺れるさまを見上げながら、ぼくは、突然昔に連れ戻されたような感覚を味わっていた。

 懐かしさというのとは、ちょっと違う。もっと現実的で容赦のない感覚だ。

 礼拝堂の傍らを通り過ぎると、敷地のいちばん奥に、さらにみすぼらしい三階建ての建物がある。その建物の前で、汚い格好をした子供たちが何人か、地面に座り込んでいた。

 子供たちは、露骨な警戒の視線で、建物の門をくぐるぼくを見送った。

 ルティマ助祭の事務所は三階にある。ぼくはまっすぐそこへ向かった。この建物の構造なら、自分の手のひらのごとく、知り尽くしている。

 昔とちっとも変わっていない事務所で、助祭はデスクトップに向かっているところだった。ぼくの姿をみとめると、あたたかい笑顔を浮かべてすぐさま立ち上がった。

「アンドレア。よく来てくれました。忙しいのに、呼び立てしてしまってすみません」

 この人は、昔から年齢のよくわからない人だったが、今はおそらく五十歳に近いはずだ。皺が深く刻まれた顔。白髪まじりの薄い黒髪。針金みたいにやせた体を、袖のあたりの擦り切れた、おそろしくくたびれた黒い教服に包んでいる。しかし背筋はぴんと伸びており、動作は俊敏で、貧相な外見を裏切っていた。

「あなたは、まったく、会うたびに立派になりますね。もうアンドレアなんて呼んじゃあいけないな……署長さん、と呼びましょうか」

 ぼくが赤面することもあるなんて知ったら、部下はみんな驚愕で腰を抜かすに違いない。

「やめてください。あなたは、ぼくにとっては、実の親以上の存在ですから」

「お母様は、どうしていらっしゃいますか。お元気ですか」

「ええ。今では補装具の扱いにもすっかりなじんだようで、日常生活に必要なことはほぼ独力でできるようになりました」

 ルティマ助祭は古くから、教会の敷地内にあるこの建物で、身寄りのない子供たちを引き取って世話をする施設を経営している。経営といっても、市からのごくわずかな補助金と信者たちの寄付、それにボランティアの献身的な働きで成り立っている、細々としたものだ。

 施設を維持するために助祭は早朝から深夜遅くまで忙しく立ち働いているが、それでも疲れの色はほとんど見せていない。自分の信念に従って生きる人間の、すがすがしいまなざしをしていた。

 ぼくは助祭の呼び出しを受けて、副署長や秘書に苦情を言われながら重要会議をひとつすっぽかして来たのだが、むろんそんな事情を助祭に告げるつもりはない。時間はいくらでもある、というような態度をつくって勧められた椅子に腰を下ろし、助祭が本題に入るのを待った。

「ハニールウ・トラビスを覚えていますか」

 不意に真剣な表情になって助祭が言った。ぼくはうなずいた。

「忘れるはずがないでしょう。金髪、にきび顔、小太り。ここの子供たちのボス的存在でしたね」

「彼女も、あなたが《中央》に留学してまもなくの頃、勤め口が見つかってこの施設を出たのです。小間使いとして働いているのだと言っていました。ああいう責任感の強い子ですから、勤めぶりもまじめで、周囲の受けも良かったみたいです。よくここにも遊びに来てくれていました……チャリティバザーを開く時には、必ず手伝いに来てくれて。それが……」

 ルティマ助祭はふっと言葉をとぎらせ、視線を遠くへ泳がせた。

「ふた月ほど前から、姿を消してしまったのです。しばらく顔を見ないので、心配になって彼女のアパートを訪ねてみたら、まったく帰ってきていないとのことでした。警察にも相談に行ったんですよ……しかし、取り合ってもらえませんでした。身寄りのない若い娘が突然姿を隠す理由なんて、この街にはいくらでもある、と言って。たしかにこういう施設で育った子の中には、横道へそれて行く子も多いのですが……」

 ぼくは、署に戻ったら家出人捜索係の責任者を叱責してやろうと心に決めながら、相槌を打っていた。弱者に対して開かれた警察であれ、といつも言っているのに。

「……ハニールウはそんな子じゃありません。あなたなら、わかってくれますね、アンドレア?」

 ぼくはうなずいて、

「調べておきましょう」

と約束した。

 窓の外から子供たちの歓声が聞こえてきた。時おり湧き上がるそのかん高い声が、あたりの静けさを一層強調する効果を生んでいた。市内でもこの辺りは特に閑静な地区だ――ここだけ時がゆっくり流れているかのようだった。

 助祭としばらく近況を交換してから、ぼくはいとまごいをして立ち上がった。

 別れぎわに、助祭はしずかに言った。

「どうか、気をつけて、アンドレア。……いつもあなたのために祈っていますよ」

 穏やかだが力のこもった声だった。ぼくは笑った。

「心配いりませんよ。ぼくを倒せる悪党なんて、この街にはいません。レイガンのビームだってよけて通るんじゃないかと噂されてるほどですから」

「いいえ。私は……あなたの魂のために祈っているのです」

 ぼくは答えに窮してしまった。――この施設でかつて過ごした五年間は、ぼくに宗教心を植えつけることはできなかった。それでも助祭の言わんとすることは十分理解できた。

 窓の外で、巨大な杉の木が黒々と揺れている――それを見ているうちに、この木を見上げて過ごした日々のこと、風に枝が揺れる音を聞いていた眠れぬ夜のこと、そしてハニールウのことを思い出した。いつも昂然と頭を掲げていた、強くて正しいハニールウ。

 ぼくは彼女に対して、なにか特別な感情を抱いていたわけじゃない。ただ、彼女はぼくの過去の切り離せない一部であり、肉親同然の存在といえた。

 暑苦しいほどの正義感。それが彼女の特徴だった。おせっかい、でしゃばり、ボス気取り。悪口を言う者も少なくなかったが、それでもそれほど憎まれなかったのは、ハニールウが底抜けに善良で、思いやりにあふれた人間だったからだ。彼女はまっすぐで、決してぶれなかった。

 施設に収容されている子供たちが街でけちな盗みや恐喝を働いてつかまり、助祭が引き取りに行くとき、いつも後でこっぴどく彼らを叱りつけるのは助祭ではなくハニールウだった。

「きみたち、もっと自分に誇りを持ちなさいよ! そりゃあ施設の子は世間から冷たい目で見られてるけど……だからって、ひねくれてもいい理由にはならないわ。自分の人生の値打ちは自分で決めるのよ、人に決めさせてどうするの。そうでしょう?」

 ぼくが徹夜で勉強していると、よく、そっと入ってきて、

「きみって本当にえらいわ、アンドレア。そうやって自分を高めようと努力することは、すごく大切だよね。私も見習わなきゃ」

と、とびきりの笑顔で部屋を輝かせたハニールウ。

 きみはぼくを買いかぶっている。純粋な彼女の笑顔を前に、ぼくはその言葉を口に出すことができなかった。ぼくの心には、彼女の思うようなひたむきな向上心ではなく、暗い憎悪しかなかったというのに。

 もしも天国だの地獄だのが存在するものなら、ぼくの魂なんて、とっくの昔に地獄行きが決定しているだろう。だったら、もう何も構うことはない。市民が安心して暮らせる世の中を作るため、弱者を犯罪から守るため、どこまでも手を汚し続けるつもりだった。



 名誉市長がぼくのデスクに置いて行った箱のことを思い出したのは、深夜近く、執務を終えて帰ろうとしている時だった。

 オフィスの窓からはクテシフォン・シティの夜景が一望できる。遠く東区には華やかな灯りがきらめいているが、市警本部ビルのある官庁街はすでに灯もまばらで、闇に沈んでいる。深夜に特有の静けさがひっそりと建物全体を包んでいた。そんな孤独な雰囲気の中で、派手なラッピングの施された箱の存在は、ひどく場違いで目ざわりだった。

 そういえば、爆発の危険があるとか言ってたな。ひょっとするとお手製の爆弾か。あの男なら、そんな悪い冗談もやりかねない。

 ぼくは用心深く箱を取り上げた。ずっしりと手ごたえのある重さだった。包装を解いて箱を開けてみると、中には黒光りする鉄のかたまりが入っていた。図鑑で見たことがある――ハンドガンと呼ばれる、鉛の弾丸を撃ち出す古代兵器の一種だ。むろんこれはレプリカだろうが、それにしても大変な年代物だ。弾丸らしきものも十三発入っている。

 一枚の手紙が同封されていた。丸や飾りがやたらとついた、名誉市長独特の気取った書体で、

『ボガスキョイ星系を旅行している時にみつけたものだ。

 ブローニング・ハイパワーという名の古代兵器で、約百年ほど前に復刻されたものらしい。骨董品だが十分実用に耐え得ると、売ってくれた人間は保証していた。

 この武器なら、ARFに守られた人間でも倒せるわけだ。

 敵の多いおまえには、うってつけだろう?

愛をこめて  父より』

 ぼくはその手紙をダストシュートに放り込んだ。しかしハンドガンの方は、受け取っておくことにした。

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