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第10章(2) チェリー・ブライトン

 西区には字の読み書きができない人間が大勢いるので、そういう人たちが手紙を送るときはふつう、公衆端末で自分の動画や音声をデータシートに焼き込んで送る。

 だけどあたしが送ろうとしている手紙は、公衆端末じゃちょっと作りにくい。なんたって脅迫状だもんね。だからジャクソン兄さんに、ヴィジュアルエディタを調達してくれるよう頼んだのだ。

 そしてあたしはちょっぴり緊張してアジトの居間に座り、ヴィズのカメラレンズと睨めっこする羽目になった。いよいよ撮影開始だ。うわー、ドキドキするなー。あたし、人に手紙なんか出すの、じつは生まれて初めてなのよね。

「本当にいいんだな、チェリー。おまえの顔を撮っても? 下手するとこの手紙がそのまま恐喝罪の証拠になっちまうんだぞ」

 少し離れた所で見守ってるラッセルおじさんが念を押した。あたしは大きくうなずいた。

「うん、大丈夫。あたしの顔が映ってなくちゃ、意味ないんだもん」

 急にフリントが近づいてきた。いったい何の用?と見返したあたしに向かって、彼はまじめな顔で囁いた。

「本当にいいんだな、チェリー。そんなスッピンのままの顔を撮っても? せっかくカメラに映るんだから化粧ぐらいしろよ。そんなぱっとしない顔だと、公爵はちゃんと手紙を見てくれないかもしれないぞ」

「悪かったわね、ぱっとしない顔で! いいのよ別に! 公爵に好かれたくて手紙出すわけじゃないんだから!」

 あたしが殴ろうとすると、フリントはへらへら笑いながら素早く飛びのいた。

 もうっ。どうしてフリントったら、どんな時でも、絶対に真剣になり切れないのかな?

 でも彼に怒鳴ったおかげで、少しだけ胸のドキドキが収まった。あたしはふと思いついて、いつも服の内側に隠すようにして下げてるドーンストーンのペンダントをセーターの表へ引っ張り出した。メフィレシア公爵の屋敷から盗み出した、今となってはケインおじさんの形見とも言えるペンダントだ。これも公爵に見せてやりたい。なぜだか、そんな気が起こったのだ。

 ジャクソン兄さんが撮影スイッチを入れ、ヴィズの側面に赤いランプが点った。

 あたしは唾をごくりと飲み込み、カメラのレンズをしっかり見据えて、できるだけ落ち着いた声でしゃべり始めた。

「はじめまして、メフィレシア公爵様。あたしの顔、知ってるかな? あなたの子分の、あのディダーロっていうオペラ歌手に訊いてもらえればわかるんじゃないかな。あたし、ケイン・シュナイダーと一緒に暮らしていた者よ。

 あなたが子分を使って、ケインおじさんやクラウディア姐さんやフランツ兄さんを拷問して殺したのは、ある物を取り戻したいからよね。シュナイダー盗賊団があなたのお屋敷から盗み出した、ある物を。それを今、あたしが持ってるの。だから取引しない? あたしだって警察は嫌いだしさ、がたがた騒ぐつもりもないの。この国を出て一生暮らしていけるだけのお金さえもらえれば、黙っておとなしく姿を消すわ。公爵様ってすごいお金持ちなんでしょ。女の子一人買収するぐらい簡単なはずよね。

 もしあたしの提案に興味があれば……今週の安息日の十五時きっかりに、市営植物園へ一人で来て。必ず公爵様が自分一人で来てよ。おっかない子分なんか連れてこないで。植物園の温室にある『お化けソシュミア』の前で待ち合わせましょ。

 もし公爵様が来てくれなかったら……あたし、そのまままっすぐ警察へ行くわ。あなたの欲しがってる物も持って。この先もずっとあなたの子分に命を狙われながら暮らしていくのはいやだから、警察に保護してもらうつもり。

 じゃあね。いい返事を待ってるわ」

 「撮影中」を示すヴィズの赤いランプが消えた。

 周りを取り囲んで様子を見守っていたシュナイダー盗賊団の面々の口から、ほぉ~っ、というような溜め息がいっせいにあがった。

 ジャクソン兄さんが今のあたしのメッセージをデータシートに焼いてくれた。その間、メンバーの中でただ一人字を知ってるラッセルおじさんが、かなり苦労して、メフィレシア公爵の住所氏名を書いた封筒を作ってくれた。データシートを封筒に入れて投函すれば――あとは安息日を待つだけだ。植物園の温室に果たして公爵が現れるかどうか。

 瞳をきらきら輝かせながら作業を見守っていたクララ姐さんがつぶやいた。

「それにしても……本当に、何なんだろうね。公爵がそこまでして取り戻したがってる物っていうのは。ま、もちろん、公爵が黒幕だったらの話だけど?」

 わからないよ、そんなこと。

 人間の命より大事な「物」なんてあるんだろうか。



 あたしがメフィレシア公爵との対決場所に植物園を選んだ理由。

 それは、ケインおじさんが好きだった場所だからだ。

 仕事が暇なとき、おじさんはよく子供だったあたしたちを植物園へ連れて行ってくれた――もっともおじさんは基本的に夜行性だったから、行くのはいつも夜の植物園だったけどね。

「木を眺めてると落ち着くんだ」

と、おじさんは柄にもないことを言って、照れたように笑ったことがあった。

「植物ってやつは、なんて言うか、懸命に生きてるからな。何のために生きるのかなんて考えねえ……生きることそのものが目的なんだ。植物は強い。植物は余計なおしゃべりはしねえ……」

 だから、あたしは植物園のつくりに、かなり詳しい。それだけでも対決には有利なはずだ。それにここだとケインおじさんの思い出が力をくれそうな気がする。

 植物園はエウフレン山のふもとにあった。ほとんど山の自然と一体化していて、どこからが植物園でどこからが山なのかはっきりしない。自然のままの鳥や昆虫が辺りを飛びかってる。この季節は地面に落ち葉が分厚く敷き積もり、足元がふかふか柔らかい。

 あたしがここでいちばん好きな場所は、いちばん奥にある冷温室だ。第六惑星メッシモから運ばれてきた珍しい植物がたくさんある。

 でもメフィレシア公爵と対決するなら、人の多い場所の方がいい。人目のない場所で落ち合ったりしたら、またあの恐ろしい二人組が襲ってこないとも限らない。だから、第五惑星クールドの植物が展示されてる温室がいちばんなのよね。温室はエキゾチックな花や木がいっぱいで、お客にすごく人気のあるスポットだ。カップルや家族連れがいつも大勢いて、もの珍しそうに高木を見上げたりきれいな花を指さしたりしてる。


 数日後、約束の日。あたしはジェス、ラッセルおじさんと一緒に植物園のゲートをくぐった。

 もちろんジェスの技術でばっちり変装してる。

 あたしは、チェックのスーツを着てお揃いの柄のベレー帽をかぶった、お金持ちのお坊ちゃん。ラッセルおじさんは浮遊車椅子に乗った白髪のおじいさん。そしてジェスはたぶん、おじいさんの息子であたしの父親という役回り――黒い顎ひげを生やした恰幅のいい中年紳士に化けている。

(「なんで俺がジジイの役なんだ!」とラッセルおじさんはずいぶん抗議したものだ。白髪のメイクが似合っていて、アジトでみんながくすくす笑っているので、なおさら)

 これでどこからどう見ても、ほのぼのとした家族連れでしょ。

 ゲートで受け取った入園証代りの緑色の腕輪を手首にはめると、あたしのすぐ前に、掌ぐらいの大きさの、緑の服を着た男の子の妖精の立体映像が出現した。男の子は、背中の羽根をキラキラ輝かせながら、あたしの頭の周りを飛び回った。

「植物園へようこそ! 知りたいことがあったら、ぼくに何でも訊いてね。今日のおすすめスポットについて、聞きたい?」

 いいえ、とあたしは答える。

 あたしの隣で、ジェスとラッセルおじさんが面食らったような顔をして、何度も頭を振っている。二人にも、それぞれ別々に、妖精が見えているんだ。

「案内を聞きたくないなら、腕輪の外側についてる白いボタンを押せばいいよ。そしたら妖精が消えるから」

 あたしは二人にそう説明したけど、自分では白いボタンを押さなかった。妖精に勝手にしゃべらせておいた。ここへは何度も来てるから、案内のせりふなんて、もう聞き飽きてるぐらいなんだけどね。

 ゲートをくぐるとすぐに大きな広場になっていて、真ん中に色とりどりの花が咲いてる丸い花壇がある。花壇の前でたくさんの人たちが写真を撮っていた。休日遠足で来てるのかな、小学生らしい制服を着た子供の団体も見える。広場を中心として、六つの方向に小道が伸びていた。

 温室へ向かう小道は、真ん中のいちばん立派な道だった。あたしたちは黙ってその道を進んだ。

「……木と草の違いって、知ってる? ふつう木は大きいもので草は小さいもの、って思うよね。でも、厳密な区別はそうじゃないんだ。木は、木質化した堅い幹や枝があって、形成層があって年々肥大するもの。一方、草というのは、幹が毎年枯れてしまって残らないものをいうんだよ。たとえばウェロバーは、背が高いけど、冬になると茎が枯れて冬芽は地表か地中にできるので、草ということになる。それに対してソシュミアは……」

 妖精のおしゃべりがあたしの耳元で続いてる。

 だけどあたしは聞いていなかった。まっすぐ目の前に、巨大な温室。凝ったデザインの、特殊ガラス張りの建物が、歩くにつれてずんずん近づいてくる。ついに決戦の時がやって来てしまった。ああ、なんだか、ドキドキするよ。本当に来るのかな、メフィレシア公爵? もし来なかったとすれば、公爵は事件と無関係ということで、敵の正体はまた全然わからなくなってしまう。でも、もし来たら? 公爵が黒幕だとはっきりしたら? その時はどうすればいいのかな……。

 あたたかくて大きな掌が、あたしの手を包んで、力強くぎゅっと握ってくれた。

 ジェスだった。

 あたしが見上げると、彼はいつもと変わらないおだやかな顔でウインクを送ってきた。

 ――大丈夫だよ。心配しないで。あたし、こわがったりしてない。

 そんな思いをこめて、彼に微笑み返す。

「あーっ、くそっ。ケツがかゆくなってきやがった」

 そんなあたしたちのやり取りに全然気づいてないラッセルおじさんが、低い声で毒づいた。

 上品なお年寄りに化けてるのに、そんな口のきき方をしたら台なしだ。車椅子に座った膝に、真っ赤なウールの膝掛けをかけてるけど、じつはその下でおじさんは銃をしっかり握ってるはず。そんな物を使う機会がなければいいんだけど……。

 あたしたちは温室の中へ入った。正面玄関のすぐ上にある電光時計が十四時三十三分を指していた。


 温室に入ったとたん、むっとするような湿気と、気味悪いけどなんだか妙に懐かしい感じのする甘い匂いが顔を打った。

 妖精がまたしゃべり始めた。

「ここではクールドの熱帯地方に生息する植物を中心に展示してるんだ。クールドのこと知ってる? クールドは、ぼくたちの住む惑星ガリアと同じ軌道を、主星クラシオンをはさんで正反対のところで回っている、いわばガリアの双子星さ。ガリアと大きさは変わらないんだけど、大気組成と水分量をちょっぴり変えて、ここより蒸し暑くなるように調整されてるんだ。自転周期もガリアより短いから、昼と夜が速く交替する。だからクールドでは植物が速く、大きく育つんだよ……」

「公爵との待ち合わせ場所ってのは、どこにあるんだ、チェリー」

 唇をほとんど動かさずにラッセルおじさんが尋ねた。

「出口のいちばん近くよ。いざというとき逃げやすいと思って」

 あたしたちは他の客たちとペースを合わせて、順路をゆっくり進んで行った。温室の天井を突き破りそうなぐらい背の高い巨木。刺に被われた幹。肉厚の葉。毒々しい形をした原色の花。枝の途中から、洗ったばかりの長髪みたいに垂れ下がってる黒々とした根(「気根」というんだと妖精が教えてくれた)。きれいで、気味悪くて、不思議な光景だ。客たちが口々に歓声をあげてる。

 やがて順路のいちばん終わりに、お化けソシュミアが見えてきた。

 それを見たとき、あたしの心臓がぎゅっと縮んだ。

 時刻は十四時四十九分。公爵と会う約束をした十五時まで、あとほんのちょっとだ。

 辺りを見回してみる。お化けソシュミアの前には大勢の人がいる。だけど公爵らしい人はいない。あたしたちと同じように変装して来ているのかも、とも思ったけど、全然それらしい人は見当たらない。

「……まだ、来てない、みたいだね……」

 あたしはつぶやいた。じつを言うと、公爵と対面せずにすんで内心ほっとしていた。だけど「もし公爵が来なかったらどうしよう?」という疑問も、こわすぎて口にすることができずにいた。

 あたしたちは待つことにした。花に見とれているような顔をして、お化けソシュミアの前で足を止めた。長居していても怪しまれないように、というつもりかな。ラッセルおじさんったら、小さなデータシートを取り出して、ソシュミアの写生を始めた。それがけっこう上手だったのであたしは驚いてしまった。(一緒に暮らすようになってから、ラッセルおじさんという人はいかつい外見に似ず神経が細かいことを、あたしは発見していた――人は見かけによらないっていうけど本当なんだよね。あたしたちの共同生活がとにもかくにもうまくいってるのは、おじさんが細かい所まで考えて仕切ってくれてるおかげだ)

 時間がものすごーくゆっくり過ぎていくように思われた。

 あたしは目の前の大木を眺めていた。

 ガイアに生えてるソシュミアは、それほど背の高い木じゃなくて、花は鮮やかなピンク色だ。だけどクールドのソシュミアは、花の色が少し褪せている代りに、とても大きな樹に育つ。その中でもこのお化けソシュミアは格別だった。首が痛くなるぐらいまで見上げないと、てっぺんが見えないんだ。その巨大な木を、白っぽい細かい花が、びっしり鈴なりになって覆い尽くしている。単なる「きれい」を通り越して、圧倒されてしまうような眺めだ。まるで花の大爆発みたい。

 ソシュミアに見とれて、ほんのちょっとの間だけだけど今の状況を忘れた。そのとき、柵にもたれかかるようにして立ってるあたしのすぐ隣に、男の人がやって来て同じように花を眺め始めた。ごく普通の、当たり前のことだ。柵の前にはびっしり客が並んで立ち、ソシュミアを見上げているんだから。全然気にもとめずに、あたしはなにげなく、その男の人の横顔に目をやった。そのとたんショックで心臓が止まるかと思った。

 整った賢そうな顔立ち。まっすぐな鼻筋。見覚えがあるなんてもんじゃない。何度も悪夢の中で見てうなされた顔だ。ホテル・グランディオールの客室であたしたちを縛り上げ、あたしの耳を切り取ると脅したあの若い男。オペラ歌手のパウエル・ディダーロだ。

 最高に恐れていた男にすぐ隣に立たれて、あたしは自分の膝が小刻みに震え始めるのを感じた。

 どうして!? どうしてこの男が、ここへ!?

 ああ、だけど、答えはひとつだよね。あたしが今日この時間にこの場所に現れることを知ってるのは、メフィレシア公爵だけのはずなんだから。たまたまこの男も休みの日に植物園に遊びに来ただけ、なんて偶然はありっこない。

 すぐ隣に立ってるのに、ディダーロはあたしに気づいた様子はない。どこかかゆいところでもあるみたいに、何度も指先を眉間へ持っていく。両手の親指にそれぞれはまってる幅広の指輪の腹が鏡のようになっていて、それを使って背後の様子を映し出してるんだ。必死の横目で彼を観察していたあたしには、そのことが見てとれた。彼がそんな回りくどい真似をしてまで探しているのは、もちろん、あたしの姿に違いない。

 ジェスのメイク技術のすばらしさにあたしは感謝した。こんなに近くにいても見破られないでいるのは、本当に、ジェスの腕のおかげだ。今のあたしは完全に男の子だし、靴で背丈を変えてしかもそれを不自然に見せないため、中に特殊な加工をしてあるズボンをはいている。だけど――このままだと、そのうち怪しまれてしまうかもしれない。あたしは今や恐怖のあまり全身でがたがた震えていたからだ。たぶん顔色だって真っ青だろう。こんなに大きな音で心臓がばくばく打っていたら、隣にいるこの男に聞こえてしまうんじゃないかな。

 あたしはジェスの袖を引いた。ディダーロの注意を引かないように、なるべくさりげなく。

「もうそろそろ帰らないか、お父さん? ぼく、まだ宿題が残ってるんだよ」

 そう囁いた。喉につかえて声が出ない。

 ジェスはあたしを見下ろし、うなずいた。きっとあたしのただならぬ顔色に気づいてくれたんだろう。

「そうだな、ミカエル。じゃ、行きましょうか、お父さん」

 いつの間にか写生に完全にはまってしまったらしいラッセルおじさんを振り返って、声をかける。急に現実に引き戻されたラッセルおじさんは「はあっ!? ああ、もう行くのか。わかった」とぼんやりした口調で答え、浮遊車椅子を操ってソシュミアの前から離れ始めた。あたしたちもその後に続いた。

 大勢のお客の間を縫うようにして、温室の出口へ向かう。出口のすぐ外側に売店があって、色とりどりの風船が揺れており、その前にちょっとした人だかりができていた。休日を楽しんでいる平和で幸せな人たち。そちらへ向かってこわばった足で歩きながら、あたしは振り返りたい衝動を必死でこらえていた。もしかしたらディダーロが、こっちを見ているんじゃない? もしかしたら周囲に、特徴のないあのもう一人の男や、メフィレシア公爵本人が紛れ込んでいるんじゃない? もしかしたら――?

 温室の扉をくぐって外へ出てしまうまで、あたしはずっと息を止めていたみたい。

 冷たく澄んだ外気を深呼吸したら、ちょっとだけ度胸が湧いてきた。売店に興味をひかれたみたいな顔をして足を止めた。風船に手を伸ばしながら、さりげなく温室の方を振り返ってみた。外に比べると温室内は薄暗いので、ここからじゃ様子がよく見てとれない。でも、ディダーロがまだ元の位置に立ったままなのはわかった。あたしがいなくなったことに注意を引かれた様子はなかった。

「……どうしたんだ、急に。メフィレシア公爵は……?」

 早足で温室から遠去かりながらジェスはあたしに尋ねた。

「来てなかったと思う、たぶん。でも……その代りに、あいつが来てた。ケインおじさんたちを殺した犯人。ホテル・グランディオールであたしたちを殺そうとした連中のうちの一人……!」

 それ以上先を続けることができなかった。情けないけど、泣き声になってしまいそうだったんだ。

 ラッセルおじさんが、上品なお年寄りにふさわしくない動作で、右の拳を左手のひらに叩きつけた。

「『大当たり」ってわけか。やっぱり、やつらの糸を引いていたのは公爵だったんだな、くそったれめ!」

「そう考えるしかなさそうだな。――チェリー、よくがんばったな。きみの力でとうとう犯人の目星をつけることができた。公爵に対して今後どんな手を打つかは、アジトに帰ってみんなと相談しよう」

 あたしはジェスの言葉にうなずいた。

 もう何もこわいものなんかないつもりでいたけど、いざ実際にあのディダーロと間近で出くわしてみると、あのときの恐怖がよみがえってきた。殺されるかと思った、あのときのこと。耳元に突きつけられた冷たく鋭いナイフの切先を思い出す。だけど負けるもんか。ケインおじさんやクラウディア姐さん、フランツ兄さんが死にぎわに感じてた恐怖は、こんなもんじゃなかったはずだ。絶対に犯人をつかまえてみせる。だって、あたしはもう一人じゃない――ジェスも、シュナイダー盗賊団のみんなもついていてくれるんだから。

 植物園の出口が近づいてくると、緑色の妖精がかん高い声で、

「今日は楽しかった? クテシフォン市営植物園は、いつでも最高のくつろぎの時間を用意して待ってるよ。リラックスしたい時、心をなごませたい時には、また植物園に来てね」

とさえずった。

 あたしは腕輪の白いボタンを押して妖精を黙らせた。

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