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第10章(1) チェリー・ブライトン

 シュナイダー盗賊団の生き残りのみんなと一緒にアジトでの共同生活を始めて、もう二週間近くが過ぎた。

 安全だけど、不自由な生活だった。単独行動をしたら敵にねらわれるというので、ラッセルおじさんはみんなの外出を禁止したのだ。どうしてもアジトを出たいというときは、必ずだれかと一緒に(最低一人は男を交ぜて)行かなければならない。それ以外は、ずーっとアジトにこもって暮らす。

 息が詰まりそうだった。

 だれもがイライラし始めてるようだった。ささいなことでも口論が起こるようになった。シュナイダー盗賊団の面々は個性派揃いだから、共同生活にはちっとも向いていないんだ。

 それで、敵の方は、というと――この二週間なんの動きも見せなかった。このアジトを見張ってるのかどうかも、わからない。あたしは時おり二階の窓から道を見下ろして、あたしたちを殺そうとしたあの二人組の顔でも見えないかと思って探してみたけど、不審な人間なんてまるで見当たらなかった。



「もぉ、うんざりよっ、こんな生活。ずーっと部屋に閉じ込められて、外出もできなくてさ。体にカビが生えてきそうだよ」

 舗道を歩きながら、カザリン姐さんが大きく伸びをして叫んだ。

 隣を歩いていたシンシア姐さんもうなずく。

「男に会いに行きたい~っ。もう何日もレッドに会ってないんだから」

「あたしもブライアンに会いたい。一日ぐらい自由にさせてくれたっていーのにね、ラッセルったら?」

 二人とも、出るところは思いきり出てくびれるところは片手で握れそうなぐらいにくびれた「超」の字がつくセクシー美女だ。そんな姐さんたちが並んで歩いていると、道行く男がみんな目をむいて振り返る。

 声をかけてくる男が一人や二人いたって、全然おかしくない、はずだ。

 だれ一人として声をかけてこないのは、傍らを歩いてるあたしが原因なのでは断じてなく、間違いなく、お腹を減らした猛犬みたいに凶悪な顔をしたジャクソン兄さんのせいだ。兄さんは背がものすごく高く、二の腕がおそろしく太く、片目と鼻が完全につぶれていて、小さな子供が見たら泣き出しそうなこわい顔をしている。ボディガードにはうってつけだ。

 そんなこわもてのジャクソン兄さんなのに、少しうつ向いて、自信のなさそうな声でぼそぼそと言った。

「お、男なら、いくらでもいるじゃねーか。たとえば、俺とかさ」

 下町の舗道にぱあっと弾けた華やかな笑い声が、兄さんの言葉をかき消してしまった。

「なにバカなこと言ってんのさ。あんたなんか、男のうちに入んないわよ」

「図体がでかければ男らしいってわけじゃないのよ?」

「じゃ……あいつは男らしいっていうのかよ。あの、ジェスって妙な野郎は。おまえらみんな、あいつばっかりチヤホヤしやがって……!」

 姐さんたちは顔を見合わせ、しばらくの間答えなかった。

 なんとも言えない変な沈黙が流れた。

 緊張した雰囲気を変えようと思って、あたしはつとめて明るい大声を出した。

「ねえ、ティントレット先生の診療所がもうすぐだよ。ちょっと寄って、TVでも見て行かない?」

 あたしたち四人は買い出しのために、数日ぶりにアジトから外出したところだった。

 食料品や身の回り品を買いにでかけるのは当番制になってる。二十人近い人間の一週間分の食糧(とお酒)を買い込もうと思ったら、やっぱり最低でも三、四人は必要だ。だからあたしたち三人、プラス、ジャクソン兄さんという顔ぶれででかけてきたわけだった。

 あたしたちは食料品がいっぱい入った袋を抱えたまま、雑居ビルの一階にあるティントレット先生の診療所に入っていった。

 ティントレット先生はこの下町で、貧しい人のための無料診療所を開いてる、とってもいい人だ。腕もよくて、どんな病気でもぴたりと治まる薬を出してくれる。(でも昔ケインおじさんが警官に撃たれた傷の手当てをしてもらいに行ったら、しっかり治療費をとられたらしいけど)

 それだけじゃなくて、先生は診療所の待合室を、近所の人たちの溜まり場として提供してくれてるんだ。冷暖房完備で、TVまでついてる。待合室はいつも人でいっぱいだった。このへんには家にTVを持ってる人なんてあんまりいないから、みんなここでいろんな番組を見るのを楽しみにしてるんだ。

 あたしたちが入って行ったときも、中には大勢の人が座っていて、空いている椅子を探すのが難しいほどだった。TVでは歌番組をやっていた。のんきな恋の歌が流れていた。命を狙われてるあたしたちにはなんだか無縁な世界のような気がして、あたしはぼんやりと明るい画面を眺めていた。

 待合室の奥の扉が開いて、三十代前半ぐらいの、針金みたいにやせた白衣姿の男の人が出てきた。

「あ、ティントレット先生!」

「こんにちは~~。今日も、お邪魔してますぅ」

 カザリン姐さんとシンシア姐さんが、子供みたいにはしゃいで手を振った。

 ティントレット先生はにこりともせずに姐さんたちに軽く会釈すると、まっすぐTV受像機まで歩いて行って、いきなりチャンネルをニュースに変えてしまった。

「きみたち、娯楽番組もいいけど、たまにはニュースを見なくてはだめだぞ。世の中で何が起こっているか、きちんと理解しておかなくちゃ」

 待合室を埋めつくした人たちの口から不平の声があがったが、それはもごもごというはっきりしないつぶやきになって消えてしまった。ちょっと無愛想で堅苦しい人だけど、それでもティントレット先生に対するこのへんの人たちの信望は絶大なんだ。先生のおかげでたくさんの子供が命を助けられている。こんな物騒な地域で、開かれた場所に鍵もつけずにTV受像機を置いておいても盗まれずにいるのは、先生のファンが大勢いるせいだ。

 アナウンサーのきびきびした声がTVから流れ出した。

「……エフタル王国のジルトデン殿下が今日の午後、専用機にてクテシフォン宙港に到着しました。ガリアに三日間ご滞在の後、農業事情の視察のためクールドへ移動する予定です……」

 あたしはしぶしぶニュース画面に視線を向ける。迎賓館っていうのかな、目がちかちかするほど華やかに金をまぶした壁紙の部屋で、エヴァンジェリン王女様が皇太子らしい太った青年と握手をしている様子が映っていた。

「さて、今夜開かれるジルトデン殿下のレセプション・パーティに、国王陛下は出席されない模様です。ここ一月ほど陛下は公式の場にまったく姿を見せておられません。陛下の健康状態が懸念されます。その件に関して宮内庁長官のメフィレシア公爵は次のようにコメントしています……」

 TVの画面が切り替わった。何本ものマイクを突きつけられ、困ったような表情で身をかがめている紳士の顔が大写しになった。きれいに撫でつけた髪。細長い顔。しみ一つない真っ白なシャツ。高価そうなハンカチで額の汗をぬぐった拍子に、右手にはまった指輪がきらりと輝いた。

「クレハンス十三世陛下は……お体の調子がすぐれられず……レセプション・パーティにはご出席なさりません。……ナプレスナ・ウイルスによる……一時的で軽微な体調の不良であるというのが……医師の診断です。……まったく深刻なものではありません――」

 その姿を見たとたん、あたしの胸になんとも言えないいやな感じが走った。

 メフィレシア公爵。殺されたケインおじさんたちが、最後に「仕事」をした相手。犯人は、おじさんたちがこの人の屋敷から盗み出した獲物の行方を知りたがっている。だから犯人は絶対にこの人と関係のある連中なんだ。どんな関係かはわからないけど。

 このメフィレシアって人、悪い人には見えない。おどおどしていて、要領が悪そうで。マスコミの取材にさらされてるのがかわいそうに思えてくるほどだ。顔立ちもいかにも優しそう。きっと家ではいいパパなんだろう。

 だけど人間は見かけじゃわからない。ものすごく善人みたいな顔をした悪党がたくさんいることを、あたしもよく知ってる。一度アイルトン・ギャング団の殺し屋だっていう男の人があたしたちのアジトを訪ねて来たことがあったけど、まるで学校の先生みたいに、きちんとしていて堅苦しそうだった。

 とにかく、このメフィレシア公爵が、犯人をみつけるための鍵であることにまちがいない。この人と決着をつけなくちゃならないんだ。

「――陛下のご容体は……きわめて安定しております。……適切な投薬によって……まもなく全快されるはずです。……繰り返しますが……けっして深刻なご病気などではありません……」

「……チェリー。ちょっと、チェリーったら。聞いてる?」

「どうしちゃったのよ、ぼーっとして?」

 ふと我に返ると、二人の姐さんが、不審そうにあたしの顔をのぞき込んでいた。

 あたしは姐さんたちを見返した。

 そのときには、もう肚は決まっていた。

 今までもやもやして形にならなかった物が、突然くっきり見通せるようになった、そんな感じだった。

 あたしはジャクソン兄さんに向き直った。

「ねえ、兄さん。ヴィズ手に入らないかな? 『熱い』やつでも何でも構わないんだけど」

 兄さんは驚いた表情になった。

「へ? ヴィズだって? そんなもん、すぐにでも手に入るが……何に使うんだ」

「ひとつ思いついたことがあるんだ。アジトに帰ってから説明するね」



 メフィレシア公爵に脅迫状を送りつけて、反応を見る。

 それがあたしの思いつきだった。

 あたしの顔を見せて、「あなたが欲しがっている物を持っている。警察に駆け込まれたくなかったら金をよこせ」とでも言ってやれば、何か反応があるんじゃないだろうか。もし公爵が黒幕だったら。

 アジトの居間で思い思いにくつろいでいたシュナイダー盗賊団のメンバーたちは、あたしの提案を聞くと、不意にしんと静まり返ってしまった。

「なるほど。そりゃあ公爵もびびるだろうな。取引に応じようとするか、それとも口封じのために荒っぽい連中を送り込んでくるか……どっちにしても、何か動きを見せることは間違いねえ」

 ラッセルおじさんが考え込みながら口を開いた。それまで丸テーブルの上に丹念に築き上げていたカードのお城が、一瞬で崩れ去ってしまったのにも気づいてないみたいだ。

「だがメフィレシアが今回の件に無関係だったら?」

 あたしは肩をすくめてみせた。

「もし公爵が何もして来なかったら、ってことだよね。脅迫状を送っても無視されるかもしれない。『変な手紙が来た』と警察に届けられるかもしれない。でもさ、少なくとも公爵は黒幕じゃないってわかるだけでも、一歩前進じゃない? そうすれば、今度は公爵の周りの人のうち、公爵の持ち物に興味を持ってそうな人を調べればいいんだもんね」

 ラッセルおじさんが、うーむ、と唸った。あいかわらず場の読めないロニーが「うわあ、チェリー。冴えてる!」と明るく叫んで拍手した。黙っててよ、ロニーったら。みんなのこの深刻な表情が見えないの!?

 あたしは内心ドキドキしながら、だれかが何か言い出すのを待っていた。

 最初に口を開いたのはジャクソン兄さんだった。

「おまえの話はわかったけどよ。なにも、脅迫状に、おまえの顔を出すことはねえだろう、チェリー。メフィレシアのおっさんが手紙をサツに届けたら、おまえがやばいんだぜ」

「いいのよ。あたし、どうせ今度あのマグレガーって刑事にみつかったら逮捕されるんだもん。同じことだよ」

「チェリー。俺もおまえがやるのは反対だ。黒幕をおびき出すための囮になるってことだろう? これ以上おまえが危ない目に遭う必要はねえ……」

 ラッセルおじさんも重々しい声で反対し始めた。あたしは首を横に振り、きっぱりと答えた。

「ケインおじさんと一緒に住んでたあたしがやった方が、説得力があると思うんだ。きっと公爵は手紙をディダーロたちにも見せるだろうしね」

 だれも何も言わない。あたしは必死でみんなの顔を見回した。

「ねえ、いいでしょ? やろうよ! だって、このまま何もせずにいても仕方ないじゃない。このアジトにいつまでも閉じこもって、敵が襲ってくるまで待ってるの? そんなんじゃ、埒があかないよ。こっちから仕掛けなきゃ。そのためにわざわざシュナイダー盗賊団を再結成したんじゃない」

 少ししてから、カザリン姐さんが低い口笛を吹き、

「おっどろいた。あんたって、そういうキャラだっけ、チェリー」

と感心したようにつぶやいた。

 そのとき、それまで部屋の隅で黙っていたジェスが、口を開いた。

 しずかだけど重みのある声だった。

「きみの身はわたしたちが守るよ、チェリー。きみを危険な目には遭わせない。……思う通りに、やればいいさ」

 それでなんとなく「話が決まった」という雰囲気になった。

 この二週間の共同生活で、ジェスはまるで長年のメンバーみたいにシュナイダー盗賊団に溶け込んでしまっただけじゃなく、まるでリーダーみたいになっていた。ジェスには、プロの犯罪者たちでも一目おいてしまうような、なにか特別なものがあった。それと、たぶん、女性を惹きつけずにはおかない魅力も。姐さんたちは競ってジェスの身の回りの世話をしたがった。飲み物を作ったりちょっとした物を取ってきたり。――でもそのおかげでトラブルが絶えないんだけどね。



 あたし自身、自分の行動に驚いていた。

 シュナイダー盗賊団の面々を説得できるほどの力を自分が持っていたことにも。

 ふっきれた、というのかな。開き直りから生まれた、やけくその度胸だ。なんだってやれる、やってみせる。そんな揺るぎなく強い力が自分の中にある。

 それにもちろん、振り返ったら、いつもそこにジェスがいてくれる。

 包みこむような、あたたかい茶色の瞳で、いつもあたしを見守ってくれている。

 だから、こわくない。敵がどんなに大きくたって負けるもんか――!

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