第7章 チェリー・ブライトン
ケインおじさんたちを殺した犯人をつきとめるために、まずはシュナイダー盗賊団の残ったメンバーに話を聞きに行こう、というのがあたしたちの計画だった。なにか犯人を絞り込む手がかりになることが聞けるかもしれないからだ。
最初に訪れたラッセルおじさんのアパートで、その計画は早くもつまずいた。
殺人課の刑事が張り込んでいたのだ。連続殺人の犯人が顔を出すかもしれないのだから、警察がシュナイダー盗賊団の生き残りに監視をつけるのは、まあ当然と言えば当然だ。
それにラッセルおじさんを見張っていたのは警察だけじゃなかった。犯人たちもその場にいたのだ。警察の隙を突いてラッセルおじさんを襲うつもりなのかどうかはわからないけど。あたしたちは犯人に尾行され、あやうく殺されるところだった。
犯人はシュナイダー盗賊団の最後の仕事について知りたがっている。
それから、現金以外の盗品のゆくえについても。
だけど……なぜ?
あたしたちが今度寝ぐらにすることになったのは、港区にある高層マンションのペントハウス。今までいたホテル・グランディオールのスイートルームに負けず劣らずの豪華な部屋だ。窓からクテシフォン宙港が見渡せる。
「あんまりそこらの引き出しを開けたり、汚したりしないでくれよ。もちろん、盗みも厳禁だ。ここを出て行く時にはすっかり元の状態にしておかなくちゃならないんだ……でなきゃ、友達に迷惑がかかっちまうんでね」
ジェスが宣言した。
あたしは暖炉の前に敷かれた毛皮の感触を楽しみながら(ものすごーく触り心地がよかった)尋ねた。
「ここは、ジェスの友達の部屋なのね?」
「いや。そういうわけじゃない」
ジェスははっきり否定した。
「この部屋の持ち主は、第六惑星メッシモに旅行中だ。そしてわたしの友達というのは旅行会社に勤めてる男なんだ。わかるだろう?」
「ううん、わかんない。どういうこと?」
「む……ちょっと大声では言えないんだが……わたしの友達は、他人の旅行を手配するという仕事柄、いつだれが家を留守にするか知り得る立場にあるわけだ。『チケットをお届けにあがりました』とか何とか言って、親切面してお客の家に上がりこみ、隙を見てこっそり合鍵を作る。そうしてお客が旅行に出て留守の間に、お客の家を短期滞在用の下宿として観光客に貸しているんだよ。けっこうな儲けになるらしい」
あたしは呆れた。
「世の中いろんな商売があるのね~」
「でも心配しなくていい。その友達はわたしにちょっとした借りがあるんでね。この部屋は完全にタダで貸してくれているんだよ。持ち主はあと一月は戻らないだろうって言ってた」
ジェスは安心しろと言わんばかりににっこり笑った。
フリントとロニーは歓声をあげながら、クロゼットでみつけた派手な毛皮のコートを羽織って走り回っていた。さっき殺されかけたばかりだというのに、早くもショックから立ち直ったらしい。
窓の外は夜だった。クテシフォン宙港の管制塔や繋留床がフットライトにこうこうと照らし出され、闇の中に宝石みたいに浮かび上がっているのが見えた。夜景がとてもきれいだ。この街がこんなにきれいな所だなんて知らなかった。地上で見る街は、きらびやかな灯りより闇の方が多いもんね。
あたしは暖炉の中の偽の炎をみつめた。
――明日もここにいられるか、わからない。
ここにいても、いつ警察が踏み込んできて家宅侵入罪で逮捕されるか、わからない。
たしかなものなんて何もない、宙ぶらりんのあたしたちの生活。
だけど、とにかく生きている。五体満足で生きている。食べる物もあるし、快適なベッドで寝られる。
そうやってとりあえず、目の前の一日一日を生きていこう。生き延びよう。ケインおじさんたちを殺した犯人をつきとめる日まで。
あたしはゆっくりとジェスを振り返った。ジェスは居間のキャビネットから高級そうなブランデーの瓶を取り出しているところだった。「盗みはだめ」って、さっき自分で言ったくせに!!
彼に全面的に頼ってる自分たちというものを、あたしは痛いほど実感した。
この人が何者なのか、まださっぱりわからないけど、あたしたちを守ってくれるつもりなのはたしかだ。彼を信じて、頼るしかない。あたしたちだけでは今夜寝る所さえ見つけられないんだから。
あたしの視線に気づいたらしい。ジェスはあたたかい茶色の瞳でこちらを見返した。
「今日は大変な一日だったな、チェリー。シャワーでも浴びて、ゆっくり眠るといい。さっき見たら寝室が二つあったから、どちらでも好きな方を使ってくれよ」
眠れっていうの、ジェス――!?
冗談やめて。眠れるわけないじゃない。
ケインおじさんの死体を見つけたあの日から、あたし熟睡できたことなんてないよ。夜中に何度も、悲鳴を飲み込みながら汗びっしょりになって目を覚ますんだから。
なんとかしてラッセルおじさんに会って話を聞かなくちゃならない。
そのための作戦を立てさせてくれないか、とジェスが言い出した。
「だって、わたしはもう、きみたちの仲間なんだろう?」
すごくさわやかな笑顔を浮かべて、あたしたちを順に見回す。
あたしたちはうなずくしかなかった。フリントだけが何か口の中でもごもごつぶやいたが、反対するつもりはないらしかった。反対する理由もないのよね。ジェスは魔法使いみたいに何でもやれちゃう人だ。彼に任せておけば心配はない。
書斎のデスクトップを使って、ジェスは朝から何やら仕事を始めた。
あたしは彼の肩越しにのぞき込んでみたけど……何をしてるのかさっぱりわからなかった。すごい勢いで画面に文字が点滅してる。
早々にあきらめて、あたしはフリントやロニーと一緒に、居間でのんびりテレビを見て過ごすことにした。
昼過ぎに書斎から出てきたジェスは、あたしたちの前のテーブルに妙な図面を二枚置いた。
「何、これ。迷路?」
迷路にしか見えない。ごちゃごちゃした線がデータシートいっぱいに走り回っている。
ジェスはあっけらかんと答えた。
「いや。これはクテシフォン市の下水道の図面だ」
「げ、下水道ーっ!?」
あたしたち三人の驚きの声が重なった。
「びっくりだろう? 市が本格的に下水道の整備に着手したのは、ほんの二十年ぐらい前のことだ。それまではまったく無計画に下水道が造られていたし、首都になる前にも何回か必要に応じて造られたことがあるので、結果としてこんなぐちゃぐちゃの、迷路みたいに複雑な下水道になってしまったわけさ。非常に新しい箇所もあれば、百年以上前に造られた箇所もある」
「で……下水道があたしたちと、どう関係があるの?」
「簡単に言ってしまうと……フリントとロニーが囮となって警察を引きつけている間に、チェリーとわたしがアパートの中へ入って、ラッセル氏に会うという作戦だ。むろん追ってくるのは警察だけじゃないだろう。こないだきみたちを襲った、例の殺し屋集団もついて来ることは間違いない。それだけの連中から逃げ切るには、普通の道を逃げていたのでは無理だ。だからフリントとロニーには下水道へ入って、逃げ回ってもらいたい。こんなにすさまじい迷路なんだからね。図面を持っていなければたちどころに迷子になってしまうさ。追手を完全にまいたら、きみたち二人はこのマンションへ戻ってくる。いいね?」
図面にはそれぞれ二ヶ所、赤い×印がつけられている。ジェスはそれらを順番に指さし、
「ここが、ラッセル氏のアパートのある辺り。そしてここが、このマンションの最寄りのマンホールだ。逃げ回ってるうちに自分も迷子にならないように、あらかじめこの図面をよーく見て、だいたいのルートを考えておいてくれよ」
「げー。俺たち囮なのかよ」
フリントが情けない声を出した。刑事だけならまだしも、あの恐ろしい犯人たちの前に身をさらさなければならないなんて、たしかにぞっとしない。冷酷な眼をしたあいつらはきっと、まだラッセルおじさんのアパートを監視しているに違いない。
「当然じゃないか。まさかチェリーに囮役をさせるわけにはいかないだろう?」
「ま、そりゃ、そうだけどさ……」
ジェスはあたしに向き直った。
「二人に囮になってもらっても、万が一ということがある。用心のために変装して行くとしよう。……わたしのメイクのテクニックは、ちょっとしたものなんだよ。むかしソマセット星系で旅役者の一座にいたことがあるんでね。どうだい、わたしの作戦はだいたいこんなところだが。何か意見は?」
あたしは急に前向きな、明るい気分になってきた。あたしたちを殺そうとした犯人のことを思い出すと、今でも鳥肌が立つほどこわいけど――下水道の図面を眺めてるうちに、何もかもうまくいきそうな気がして、元気が出てきた。ジェスの計画に間違いはない、なぜだか素直にそう信じられた。
「わかったわ。この作戦でいきましょ。……で、決行はいつ? 明日?」
あたしは力強い口調で尋ねた。ジェスがにやりとした。
「ずいぶん気が早いな、チェリー」
ちょっと時間をくれ、とフリントとロニーが声を揃えた。
「この図面を頭に入れて、どこを通って逃げるか、作戦を考えなくちゃならねー」
「それに、囮になるなんて……心の準備もいるからね♪」
わかってるのかわかってないのか、やけに明るくロニーが言い切ったので、みんな笑った。
ついに待ちに待った計画実行の日がやって来た。
ジェスにメイクをしてもらい、そのあと鏡で自分の顔を見たあたしはびっくりした。
どこから見ても、完璧なお婆さんだ。
薄くなりかけた灰色の髪。皺だらけで張りのない肌。ところどころに染みもある。首の皮までちゃんと力なく垂れ下がってる。これが自分だなんて信じられない。
ジェスの用意してくれた地味な服に着替えてから、あたしはクロゼットの扉の大鏡を前に、年寄りらしい腰を曲げた歩き方の練習をした。
これならだれが見たってあたしとはわからないだろう。刑事に正面から観察されたって、きっと見破られないという自信がある。
「ははは、なかなか似合ってるぜ、チェリー婆さん♪」
フリントがからかうので、あたしは「もぉっ!」と彼を叩く真似をした。もっとも、囮をやらなきゃならない緊張感からか、フリントの笑い声はだいぶこわばっていたけどね。
ジェスの方の変装はあたしほど手が込んではいなかったけど、それでも完全に人相は変わっていて、律義なお役人らしい顔つきになっていた。外見の年齢は若返って、二十代後半に見える。シャープな印象を与える眼鏡と口髭。黒っぽいスーツを着て、右腕に『福祉課』と書かれた腕章を目立つように巻いている。
あたしたち、身寄りのない老女と市の福祉課の職員、という設定なんだ。
変装を完了するとあたしたちはマンションを出た。ラッセルおじさんのアパートのある下町まで、のろのろと歩いていった(あたしが年寄りに化けてるので、あんまり速くは歩けないんだ)。下町に近づくにつれて、あたしは心臓の鼓動がだんだん大きくなってくるのを感じた。
やがて見覚えのある道に出た。古びて、ところどころ窓が割れている褐色の建物が無愛想に並んでいる通り。建物の壁や塀には、あたしにでも読める卑猥な単語が大きく落書きされている。
フリントとロニーはぐいと胸をそらせ、わざとらしい堂々たる態度で、路地の奥にあるラッセルおじさんのアパートに歩み寄った。
玄関から、燃えるように赤い髪をした長身の男が飛び出してきた。こないだのマグレガーという暴力刑事だ。刑事はフリントたちを指さし、街じゅうに響くような大声で叫んだ。
「こ、こ、この前はよくもやってくれやがったな~! ちんぴら風情が人をコケにしやがって! やはりおまえたち、事件について何か知ってるようだな。今度こそ容赦はしねえ。半殺しにしてでも署へ連行して取り調べてやるぜ! 逆らいやがったら公務執行妨害で現行犯射殺だ!」
フリントたちはくるっと踵を返し、猛然と逃げ始めた。
銃を振り回しながら、その後を追うマグレガー刑事。アパートの中からもうひとり警官らしい男が出てきて、急いであとに続いた。
ジェスとあたしは少し離れた所で、警官たちの姿が角を曲がって見えなくなってしまうまで、じっと待機していた。
そうしている間にも、きょろきょろしているのがなるべく目立たないように気をつけて、周囲の様子を探ってみる。他に監視の警官はいないだろうか。あたしたちを殺そうとしたあの二人組――賢そうな顔をした若い男と、印象に残らないその相棒が、どこかでこちらをうかがってはいないだろうか。
見たところ、辺りに不審な人間はいないようだった。
「さあさあ、大丈夫ですか。グラブナート夫人。そこ、危ないですからね。足元に気をつけて下さいよ」
ジェスはさっそく福祉課の職員の顔になって、あたしの手を引くようにして歩き始めた。
あたしはできるだけお婆さんらしく腰を曲げ、足を引きずりながらアパートの戸口へ進んだ。本当は全速力で戸口へ駆け込みたかったけど、必死で我慢した。大丈夫、大丈夫……と自分に言い聞かせながら。これだけ完璧に変装してるんだもの。だれかに見られてたとしても疑われるはずはない。
アパートの戸口に足を踏み入れると、ひんやりとして湿っぽい空気が鼻を打った。
ロビーには人影はなかった。
作戦成功だ。監視の警官はみんなフリントたちの後を追って行ってしまったらしい。
あたしたちは四階まで階段を昇った。アパート全体が静まり返って人の気配すらなかったけど、用心するにこしたことはない。あたしは年寄りの芝居をやめなかった。ゆっくり、ゆっくり、足場の悪いぼろぼろの階段を昇った。
用心していて正解だった。
四階、ラッセルおじさんの部屋の前に、退屈そうな顔をした背広姿の男が立っていたんだ。
背広の前がはだけて、ベルトに装着したARF発信機がちらりと見えたから――警官であることは間違いない。さすがは警察。なにが起きても最低一人は監視を残しておくってわけね。
あたしは足がすくんだ。あまりにがっかりしたので気分が悪くなった。
でもジェスは全然おかまいなしで、ラッセルおじさんの部屋のドアをノックした。
「……失礼ですが、どちら様?」
とってつけたような丁寧な口調で警官が尋ねた。
ジェスは警官をちらりと見て、驚いたような表情を作った。
「そちらこそ、なんですか。わたしはクテシフォン市福祉課の者です。施設に入居しているご婦人が、ひさしぶりに甥に会って話をしたいというから案内してきたんですよ。あなた、ラッセルさんのお友達か何か? それともこのアパートの大家さんですか」
「いや。警察の者だが……」
警官はジェスとあたしを交互に見比べ、声が少し小さくなった。今がチャンスだ、とあたしはとっさに判断した。前に近所に住んでたお婆さんの喋り方を思い出して、できるだけそれを真似ながら叫んだ。
「警察ですって。どういうことです。私の甥がなにか悪いことでもしたっていうんですか。あんなに優しい子が。聞かせてくださいな、あなた。ラッセルがいったい何をしたって言うんです!?」
そしてよたよたと歩み寄り、警官の胸ぐらをつかんで揺さぶった。
ジェスがあわてたふりをして、警官とあたしの間に割って入った。
「だめですよ、グラブナート夫人。そんなに興奮しては。また発作が起きたら……!」
「これが黙っていられますか。ねえ、お巡りさん。教えてください。ねえ、ねえ、ねえったら……!」
高まる一方のあたしの声に、警官は顔をひきつらせた。
「お、落ち着いてください、奥さん。ご心配いりません。ただの定期巡回ですから。甥御さんが何か悪いことをしたとか、そういうのではありません」
そのときドアが開いた。アンダーシャツ姿のラッセルおじさんが、眉をひそめてあたしたちをみつめていた。
おじさんが口を開く前に、あたしは声を裏返して叫んだ。
「まあ、まあ、ラッセル。ひさしぶりねえ。びっくりしたでしょう? アニー叔母さんですよ。さあ、中へ入れてちょうだい」
そしてジェスが有無を言わせずおじさんの両腕をつかんで中へ押し込んだ。あたしもその後について室内に入り、大急ぎでドアを閉めた。
「な……何者だっ、おめえら!?」
ラッセルおじさんのドスのきいた声が響く。
ものすご~く、ごもっともな質問だ。
「俺には叔母さんなんていねえぞ」
ラッセルおじさんは、いわゆる『雲をつくような大男』ってやつだ。アンダーシャツがはちきれそうな筋肉で盛り上がってる。そのうえスキンヘッドで人相も良くないから、怒った姿は鬼のように恐ろしい。二の腕に見える天使の図柄の刺青だけが、ちょっと、かわいい感じだ。
あたしはおじさんをなだめようとした。
「ほらっ、あたしよ。チェリーよ。わかんない?」
「チェリーだとぉ?」
おじさんは露骨に「信じられない」という風で目を細める。
「俺の知ってる中でチェリーって女はひとりしかいないが、おめえみたいなババアじゃねえ」
「だーかーらー、あたしがそのチェリーなんだってば。チェリー・ブライトンよ、おじさん。声でわからない?」
あたしはじれったさのあまり、その場で何度も飛びはねた。
「ほら、本当のお婆さんだったら、こんなに元気に跳んだりはねたりできるはずないでしょ。どうしたら信じてくれるのかなぁ……おじさんの財布か何か、すってみせようか?」
「間違いねえ。その声は……たしかにチェリーだ。だがその格好は……」
「外で警察が張りこんでるから、ごまかすために変装してきたの。会いたかったわ、おじさん。あたしたち、ケインおじさんやクラウディア姐さんを殺した犯人を捜してるのよ。だから、何か手がかりになりそうなことをラッセルおじさんが知ってやしないかと思って……」
あたしの言葉におじさんの視線が微妙に揺れた。驚きから立ち直って、ようやく事態を飲みこみ始めたようだった。
「――だれなんだ、こいつ」
やがておじさんはあたしの背後に立つジェスに向かって顎をしゃくった。
「ああ、えーっと……ジェスっていうの。怪しい人じゃないよ。何度もあたしたちのピンチを助けてくれたし、犯人探しを手伝ってくれることになってるんだ」
「はじめまして」
礼儀正しい、ジェスの挨拶の声が響いた。ラッセルおじさんは、ちっ、と舌打ちしただけで挨拶を返さなかった。うさんくさい奴だと言いたげな色が眉間にただよっていた。
アパートの部屋は狭いけど意外と片づいてる。キッチンと居間とを兼ねてるらしい部屋の真ん中に丸テーブルと椅子がいくつか置いてあって、テーブルの上にはカードの一人遊びの跡があった。
あたしたちは椅子に思い思いに腰を下ろした。
おじさんはお茶をいれようかと申し出たが、あたしは断った。ゆっくりお茶している暇はない。いつ刑事か、あるいは犯人が、この部屋に踏み込んでくるかわからないのだ。初めから本題に入ることにした。
「ねえおじさん。シュナイダー盗賊団をものすごく恨んでいる人……あんなひどいことをしそうなぐらい恨んでいる人って、心当たりある?」
おじさんは眉根を寄せたまま首をかしげた。
「さあなぁ。そりゃ、こういう稼業だからな。やられた奴は多かれ少なかれ俺たちを恨んでるだろうよ。だが俺たちが狙ってたのは原則として貴族や大金持ちばかりだ。俺たちにやられたからといって、すぐに生活に困るような人間は一人もいねえはずだ。『貧乏人からは盗まない』ってのがケインのポリシーだったからよ。だから殺されるほどの恨みを買った覚えはねえ。一度セメストの金に手を出そうとしたことがあったが、あの仕事はけっきょく、流れちまったからな……」
あたしはうなずいた。その話ならよく知ってるんだ。
「犯人はね。シュナイダー盗賊団の最後の仕事について知りたがってるの。そのときの盗品、中でも宝石や貴金属をどう処分したかが、特に気になるみたい。どう思う?」
「最後の仕事。……っていうと、メフィレシア公爵邸に押し入ったときのことか」
「メフィレシア公爵――?」
「あれはいい仕事だった。さすが宮内庁長官だけのことはあって、立派な屋敷でよ。現金も宝石も山ほどありやがった。あんまり宝石の数が多いもんで、後でクラウディアもさばくのに苦労してたな。詳しくは知らねえんだが、あいつのつき合ってた業者には、あまり大口を扱う奴はいねえんだと」
「クラウディア姐さんが宝石をだれのところへ持っていってさばいてたのか、知ってる?」
「いや。それはあいつの領分だからな。何だ。……ってことはケイン達をやったのはメフィレシアの手先だってことか? 一体どういうことだ。ごっそり宝石を持ってかれたのが気に入らなかったっていうのか?」
ラッセルおじさんの顔が、怒りでドス黒く染まり始める。あたしはあわてて打ち消した。
「待ってよ。まだそうとは決まらないよ。犯人がどうしてそんなことに興味を持ってるのか、全然わからないんだから」
「そう言えばあのときはケインが妙なことを言い出したよな。獲物の分配のときに。現金は要らないから、代わりにペンダントひとつ欲しいって言い出したんだ。別にそう高価そうでもねえ、ふつうの、ドーンストーンのついてるペンダントだぜ? 本当だったらルール違反なんだが、まあケインが得をするわけじゃねえからいいか、ってことになったんだ。それであいつが獲物の中からそのペンダントを持って行ったのさ」
心臓が、どきん、とした。急速に高まる嫌な予感で、胸が苦しくなる。
――おまえの目と同じ色だから、おまえにやろうと思ったんだよ……。
ケインおじさんの言葉が耳によみがえる。
あたしは、肌身離さず身につけてる、紫色の石のついたペンダントを服の下から引っ張り出した。ケインおじさんが盗品だといってあたしにくれたペンダントだ。
「ねぇ。もしかして、そのペンダントって、これのこと?」
ラッセルおじさんは大きくうなずいた。
「おお、それだそれだ。なーんだ。ケインのやつ、おまえにやるつもりだったのか」
あたしはペンダントをぐっと握りしめたまま立ちすくんだ。
このペンダントが犯人の目的だと決まったわけじゃない。そんなはずもない。ラッセルおじさんが言うように、そう高価そうでもない、どこにでもありそうなペンダントだ。ついてる宝石は大きいけど、そもそもドーンストーン自体がそう上等な宝石じゃない。――でも敵の冷たい手が急に首筋に伸びてきたような、すごく不吉なものを感じたのだ。まるでこの宝石を身につけてることで、犯人とあたしとの間に見えないつながりができてしまったような……。
そのとき。それまで黙ってじっと話を聞いてたジェスが立ち上がり、テーブルに両手をついてぐっと身をのり出した。ラッセルおじさんと鼻先が触れ合いそうな距離まで顔を近づけると、低い、怒りに満ちた声でこう言った。
「この娘たちは犯人に殺されかけたんだぞ。あんたに会いに来て、ここを張ってた犯人に後を尾けられた。殴られ、縛り上げられて、ナイフで耳をそぎ落とされそうになった。そんな目に遭いながらも、必死で犯人の狙いが何なのか聞き出したんだ。……その間あんたは何をやってた。チェリーたちが危険にさらされながら必死で犯人探しをしてる間、あんたはこの部屋に縮こまって犯人こわさに震えてたってわけか。情けない。一流の義賊が聞いて呆れるよ」
「な、何だとぉっ!?」
ラッセルおじさんが怒声をはり上げたので、あたしは身を縮めた。喧嘩はいやだ。特に親しい人同士の喧嘩は。
「あんたみたいに自宅に立てこもって我が身を守る奴もいれば、さっさと地下に潜って行方をくらました奴もいる。泣く子も黙るシュナイダー盗賊団も、ちょっと荒っぽい連中が相手となると、こんなざまかねぇ。溜め息が出るよ。こんな腰抜け集団に仕事を依頼しようなんて思ってた自分がアホらしくなってくる。これからどうするつもりだい、兄さん。ずっとこうして隠れ続けるのか? だれかが犯人を捕らえてくれるまで? むなしい話だよなぁ。一人一人ばらばらじゃなくて、せめてみんなで団結していれば、反撃のチャンスもあるだろうになぁ」
「反撃……?」
ラッセルおじさんの顔から怒りが少し減り、考え込むような表情が現れた。ジェスは言葉を継いだ。
「チェリーから、シュナイダー氏亡き後リーダーとしてみんなをまとめられるのは、あんたしかいないと聞いてやって来たんだが」
ええっ、ちょっと待ってよ。あたし、そんなこと言ってないよ。
「とんだ見当違いだったようだ。まあ、せいぜい、命を大事にするんだな。警察に守ってもらいながら、物音にびくびくして隠れてろよ。その間にわたしがチェリーを助けて、犯人を暴いてみせるから」
ジェスはあたしに向き直り、
「行こうか、チェリー。これ以上こんな所にいたって仕方ないだろう」
「えっ!? あ。う、うん……」
あたしはふだんと違うジェスの態度に戸惑いながらも、促されるままに席を立った。
ラッセルおじさんは椅子に座り込んだまま、なんだか呆然としたみたいに、宙をみつめてじっとしている。
ドアへ向かって歩きながら、あたしは最後の望みをこめて叫んだ。
「あたしたち今、港区・メリメ通りの『プレアデス』ってマンションの、ペントハウスにいるの。もしなにか思い出したことがあったら、いつでも連絡して。待ってるからね……!」
あたしたちは部屋を出た。
ドアの外にはさっきの警官が立って、目を剥いてあたしたちをみつめていた。
「どうも。お邪魔しましたねえ」
あたしはすかさずお婆さんの芝居に戻り、どっこいしょ、とつぶやきながら短い通路を歩き始めた。
「メフィレシア公爵か……。なんだか妙な感じで、つながり出したな」
ジェスが低い声でそうつぶやいたのは、ラッセルおじさんのアパートから十分遠ざかってからのことだった。
調査は完全に行きづまってしまった。
時が経つにつれて、「なにもかもうまくいくに違いない」というあたしの希望は揺らぎ始めていた。
あたしたちは同じ手――囮となって下水道を逃げ回るフリントとロニー、変装して乗り込むジェスとあたし、という作戦――を使って、知ってるかぎりのシュナイダー盗賊団のメンバーの家を訪ねて歩いたけど、無駄だった。どこへ行っても無人だった。だれとも会えなかった。みんな地下へ潜ってしまったようなのだ。
ジェスのメイクのレパートリーはとても多彩で、あたしはお婆さんだけでなく金髪美女、太った中年のおばさん、堅苦しいシスター、など色々なものに変装させてもらえたけど――それを楽しむ余裕なんてもうなくなってしまっていた。あたしは落ち込んでいた。
「チェリー……前にきみたちを襲った二人組の人相、今でも覚えているかい」
ある日、ペントハウスの居間でくつろぎながら、ジェスがあたしに尋ねた。
二面が総ガラス張りになってる壁の向こうに、すばらしく晴れ渡った青空と港区のビル群が広がっている。絵のようにきれいな光景だ。宙港に降下してる途中の宇宙船が日差しを反射して、まばゆく輝いている。
あたしは溜め息をついた。
「うん。忘れようったって、忘れられないわ、あの顔は」
「ぼくも覚えてるよ! 似顔絵だって書けるぐらいさ」
アイスクリームを食べながらロニーが声をはり上げた。ジェスはうなずいた。
「よし。じゃあ顔写真を作るとしよう」
「え?」
「クテシフォン市警で使ってる合成顔写真作成ソフトを、ここの書斎のデスクトップから操作できるようにしたんだ。それで犯人の似顔絵を作ろう。そうすれば少しは犯人を探しやすくなるかもしれないじゃないか」
市警のソフトを使える――ってことは、ジェスったらもしかして、市警のメインコンピュータに侵入したの!? お役所のコンピュータに入り込むのは、ものすごく難しいって聞いてる。でも、あたしはジェスの万能ぶりに慣れ始めていた。なんだってできちゃうのだ、この人は。今さらハッキングぐらいで驚くこともない。
あたしたちはぞろぞろと書斎へ移動した。
犯人たちの顔写真を合成するのに、だいたい三十分ぐらいかかった。――「丸顔、二十代後半ぐらい」とあたしたち三人が言うと、ジェスがデスクトップを操作して、顔の形の候補がずらりと画面に並ぶ。その中からいちばん近いと思われるものを選ぶんだ。髪型、眉、目、鼻、口、耳。すべての部品をいったん寄せ集めてから、全体の印象を直す。できあがった顔写真は、ぞっとするぐらい、犯人たちの顔を正確に表していた。まるで実物の写真を撮ったみたいだった。
あたしはぼんやりとうなずいた。
「そう。こいつらだわ。……間違いない……」
不意に恐怖がよみがえってくる。耳元に突きつけられたナイフの冷たい鋭さを思い出す。
フリントが尋ねた。
「それで、どうすんだよ。この顔写真。これを持って『こんな人、知りませんか』って聞き込みして回るのかい、この広い街を?」
ジェスは笑いながら首を横に振った。
「警察の犯罪者データベースで検索すれば、こいつらの身元もわかるだろう。この写真を警察に持って行って、調べてもらうよ。知り合いがいるんでね。……警察へ出向くのはあまり気が進まないんだが、ここからじゃさすがにデータベースまでは侵入できなかったんでね、仕方ない……」
その翌日。シンシア姐さんに会いにでかけたけど、相変わらず空振りに終わり、ジェスとあたしは重い足を引きずってマンションへ戻ってきた。今日のあたしたちは、赤毛の妊婦とその父親、という変装だ。お洒落なデザインのマンション玄関に近づいたとき、植え込みの陰に隠れていたらしい人影が立ち上がってあたしたちを出迎えた。
あたしは呆気にとられた。
「ラッセルおじさん……!」
スキンヘッドの長身の人影が、こちらを見下ろして照れたように笑っていた。
「ジェス……だったよな、たしか? あんたに言われて、目が覚めたんだ。……俺、仲間が身を隠してる場所ならだいたい見当がつくからよ、片っぱしから歩いて回って説得したんだ。シュナイダー盗賊団を再結成しようぜって。隠れて逃げ回ってても埒があかねえから、みんなで力を合わせて、ケインたちをあんな目に遭わせた奴らに一泡ふかせてやろうぜって。俺たちだって悔しいんだ、仲間があんなひでえ殺され方をして……! チェリーたちにばかり仇討ちを任せておくわけにはいかねーよなあ?」
「え……それじゃあ……」
ラッセルおじさんは前へ踏み出し、あたしの腕を力強くつかんだ。
「一緒に来いよ、チェリー。下町にちょっと大きなビルを借りてある。そこが俺たちの新しいアジトだ。今みんなそこで暮らしてるんだ。パーシイも、レモンも、シンシアも、ジャクソンも……ほとんど全員揃ってる。順番を決めて見張りも立ててるから、そうやすやすと襲われやしねえ。おまえたちも、そこへ来れば安全だ。一緒にやろうぜ。みんなでケインの仇を討つんだ」
「うん。わかった。もうちょっとしたらフリントたちも帰ってくるから、そしたら一緒に……」
あたしの視界が不意にぼやけた。うれし涙がにじんだのだ。
小指の端で涙をぬぐい、ジェスを振り返ると、彼はにっこり笑ってあたしに片目をつぶってみせた。
もしかしてこうなることをジェスは計算していたのかもしれない。ふと、そんな風に思えた。
本当に、みんながいた。懐かしい顔ぶれが揃っていた。
ラッセルおじさんに連れられて、あたしたちがビルの一階に入ると、シュナイダー盗賊団のメンバーが思い思いの格好でくつろいでいた。
「やあ。入んなよ」
「あら、来たわね。待ってたわよ」
「悪かったな。おまえらにばかり苦労させて……」
総勢二十人ぐらい。そうそうたるメンバーだ。鍵師のクララ姐さんが歩み寄ってきて、いい匂いのするやわらかい腕であたしを抱きしめた。
「もう大丈夫だよ。あとは、あたい達がやるからね」
サロンみたいな雰囲気の、広い部屋だった。天井からは古いシャンデリアが二つぶら下がってる。座り心地のよさそうな椅子がほぼ人数分あるけど、あちこちからかき集めてきたものらしく、みんな不揃いだ。テーブルも大きさがまちまちなのが四つほど。その上には今グラスだのボトルだのが乱雑に置かれている。
このビルは、一階が酒場で、二階から四階までが従業員の下宿や事務所として使われていたんだそうだ。酒場はもう何年も前につぶれてるし、上の階の部屋も長いあいだ空いたままだった。その部屋をみんなの個室にする、とラッセルおじさんは宣言した。
「明日からみんなで大掃除だ! 何年も使われてなかったから、とんでもねぇ埃だぞ」
ええええーっ掃除ーーー? とみんなの不平の声がいっせいにあがる。
「わあ……すげーなあ」
フリントとロニーは感嘆の声をあげ、中へ入っていって色々見回り始めた。
あたしはその場に立ちすくんでいた。
懐かしい人たち。まるで昔に戻ったみたいな、温かいにぎわい。その温かさに包まれて、膝が砕けそうなほどの安心感が襲ってくる。もう大丈夫だ、あたしたちには頼りになる味方がいるんだ、という安心感。
それと同時に――胸を刺すような寂しさも。
何年もずっと見慣れてる顔の中に、あるべき顔がない。みんなの中心に座って笑っているはずの人がいない。その人が欠けているだけで、すべての光景が色を変えてしまう。他のメンバーが前と同じであればあるほど、その人がいないことがくっきりと際立ってしまう。
なんだか急に気分が悪くなってきた。
頭がぐるぐる回ってる。周囲の声も、もう聞こえない。目まいがして、吐きそう。倒れそう。目の前が急激に暗くなっていく……
遠くでだれかの悲鳴が聞こえた。
最後に見たのは、びっくりしたようにこちらへ手を伸ばすクララ姐さんの顔だった。
気がつくと、あたしは見慣れない小さな部屋のベッドに寝かされていた。すでに夜らしく、辺りは真っ暗だ。
ベッドの上に身を起こして、窓を眺めた。
どうやらここは二階らしい。たぶんラッセルおじさんが言ってた個室のひとつだろう。たしかに空気はちょっと埃っぽいけど、おじさんが言うほど汚くはなさそうだ。
「……」
倒れちゃった原因はわかってる。睡眠不足だ、きっと。ケインおじさんが殺されたあの日から――あたし、一晩完全に熟睡できたことってないのだ。いつも真夜中に何度か目が覚める。すごくおそろしい夢を見て。真っ赤な血の色の夢だ。
寝不足で頭がぼーっとしていても、神経が張りつめていたから、ここまで倒れずにやってこられた。
でもシュナイダー盗賊団の人たちに迎えられて、ほっと気が抜けた瞬間、今までの疲れがどっと追いついてきたんだろう。
喜ばなくちゃいけないのに――なぜかあたしは、やるせなさで一杯だった。味方ができたことに安心していながら、同時になぜかすごくいらいらしていた。心の中がぐしゃぐしゃだった。
そのとき、ドアに控えめなノックが響いた。
「わたしだ、チェリー。入ってもいいかな?」
どうぞ、と我ながら力のない声で答えると、ドアが開いてジェスが入ってきた。
あたしはじっとうなだれていた。
大丈夫か、なんて訊かれたくない。どうしたんだ、なんて質問もまっぴらだ。そんなこと言われたら悲鳴をあげてしまいそうだ。これだけいろいろな目に遭ってきて、大丈夫なわけないでしょ!? 放っておいてよ!!
ジェスは部屋の灯りをつけ、その辺にある椅子に腰かけた。なにも言わない。
「……いったいなんの用なのよ、ジェス。医者でもないあなたに、なにができるっていうの。単にあたしが落ち込んでるところ、見たいわけ?」
あたしは叫んだ。自分でも何を口走ってるのかわからなかったけど、言わずにはいられなかった。激しい感情が腹の底から湧き上がってきた。
「まっぴらよ、そんな哀れむような眼つき。ちょっと倒れたぐらいで同情なんていらないわ。こう見えてもあたし、もっともっと大変な中をくぐり抜けてきたことだってあるんですからね。なによ。いつもいつも『俺はおまえの知らないことを知ってる』みたいな、偉そうな顔して人を見下して。だいたいあなた何者なの? どーせ、まともな人間じゃないんでしょ。なんで、あたしたちのことに首を突っ込んでくるのよ。あなたには関係ないじゃない!!」
言い終わらないうちに、あたしはもう自分のヒステリーを後悔し始めていた。
ジェスは哀れむ眼つきも偉そうな顔もしていない。そんなこと、あたしにだってわかってる。
あたしをみつめる彼の茶色の眼は――あふれるような優しさと気づかいに満ちている。
真剣な声で、ジェスは言った。
「覚えているかい、チェリー。初めて会ったときのことを。『お情けでなにか恵んでもらうなんてまっぴらだ』と言って、きみはわたしの差し出した金を振り払った。わたしはあの瞬間を忘れられないんだ。……きみの顔を悲しみで曇らせたくない。あのときのように、まっすぐ澄んだ目をして生きていってほしい。いつまでも。だからわたしは、きみたちを脅かす敵と戦うことに決めた。どうせなんの値打ちもない、浮き草みたいな風来坊だ。友達の死の真相を探るという目標はいちおう持ってはいるが……それ以外にはべつに、果たすべき責任も役割もない。こんな人間が何かの役に立てるのなら……」
あたしはジェスをみつめた。
訳のわからない胸のもやもやは吹き飛んでしまっていた。ジェスの寂しさがじんと伝わってきた。
「ごめんなさい。馬鹿なこと言って、ごめんなさい」
謝ったけど、声がかすれてほとんど言葉にならなかった。
ジェスは首を横に振った。
「いいさ。なにも気にすることはない」
「あのね、ジェス……あなたって、家族はいるの?」
考える前に、前々から訊いてみたいと思っていた質問があたしの口から自然と飛び出した。
いる、という答えを期待していたわけじゃない。ジェスという人は、家族とか過去とか、そういう一切のしがらみから解き放たれているように見えたから。
だけど彼はあっさりうなずいた。
「ああ。妻と息子がいる。今は離れて暮らしてるけどね」
「だけど……結婚指輪、してないじゃない!!」
あたしは自分でも驚くほどの大声をあげてしまった。彼が結婚してると聞いて、なんだかすごくがっかりしたのだ。なぜかはわからないけど。
ジェスは悲しげに肩をすくめた。
「息子に取り上げられたんだ。銃を突きつけられてたので、断れなかった」
「じゅ、銃!?」
ジェスはうなずき、家族の話をしてくれた。そして過去の話を。
――彼は外宇宙での冒険に憧れる若者だった。結婚して、赤ん坊が生まれても、毎日の仕事に飽き足らず空ばかり眺めていた。一つの惑星は、彼にとっては狭すぎたんだ。やがてジェスは商船の乗組員となって宇宙へ出た。初めのうちはちゃんと故郷の奥さんに仕送りをし、数ヶ月に一度は家族のもとへ帰ってきていた。
まもなく銀河連邦を二つに分けた戦争が始まった。アルテア独立戦争。パールシー王国をはじめ中立を守った星系国家にとって、この戦争はどこか遠い場所での出来事にすぎなかったけれど、たまたまジェスの乗った船はアルテア星域を航行していたのだ。彼はいやおうなしに戦争に巻き込まれた。戦争が大きな儲けのチャンスであると気づくのに、それほど時間はかからなかった。目はしのきくジェスは大活躍し、財産を築いた。ときには危ない橋も渡った。いかがわしい商売にも手を出した。刺激とスリルに満ちた冒険の日々――それこそ、彼が故郷で憧れていた生活だった。戦争で星系間定期連絡船が止まってしまったせいもあって、一度もパールシー王国へは帰らなかった。十年間の戦争が終わったときには、ジェスは大富豪になっていた。
「わたしは若かった……そして、大馬鹿野郎だったのさ。本当に大切なものが何なのか、まるでわかってなかった。家族そっちのけで夢ばかり追っていたんだ。どうして、故郷での着実な暮らしに満足できなかったんだろう。どうして、家族がいちばん助けを必要としていたときに、そばにいてやらなかったんだろう――?」
戦争が始まってまもなくの頃。ジェスの奥さんは公園で強盗に刺されて重傷を負った。脊髄損傷。
すぐに大病院へ運んで手術をすれば、ほとんど後遺症も残らずに治るはずの傷だった。でも奥さんは健康保険に入ってなかったので、大病院で入院を断られた。幼い子供を抱えて働いていた彼女は、健康保険に入れるだけのお金がなかったんだ。代わりに運ばれた貧しい人向けの病院では、設備がなくて十分な処置がとれなかった。命はとりとめたものの、彼女は全身麻痺で寝たきりの体となってしまった。
介護なしでは生きていけないのに、入院費さえ払えない。働けないから生活費もない。保障もない。助けてくれる親戚もない。見かねた友達が援助してくれたけど、貧しい人たちにできることなんて限られてる――。
救ってくれたのは、西区で孤児院を営んでいるルティマ助祭だった(あたしも知ってる。ものすごーく、いい人だ)。神父は息子だけでなく、奥さんまで孤児院に引き取ってくれた。看護師のボランティアがきちんと彼女の世話をしてくれた。母子はルティマ助祭の教会で数年を過ごした。
「――馬鹿なわたしは戦争が終わると、凱旋気分で故郷へ帰った。財産も作ったし、これからは妻子に楽な暮らしをさせてやれるぞ、と舞い上がっていた。家族が元の家でわたしを待っていてくれていると信じ込んでいたんだね。だから帰ってみて、家が荒れ果てて廃屋になっているのを見たときはショックだった。近所の人にあれこれ尋ねて、妻子の行方を捜した。……でも妻には会えなかった。この街へ帰ってきてからというもの、まだ一度も会ってないんだよ。息子がわたしのことをひどく恨んでいて、絶対に妻と会わせてくれないんだ」
ジェスは寂しげにちらりと笑って、
「まあ無理もない話なんだが」
とつけ加えた。
「驚いたことに息子は高級官僚になっていた。まだ未成年なのに。びっくりだろう? 十歳で奨学金をもらって連邦中央大学へ留学し、二年在籍しただけで、法学部をトップの成績で卒業したそうだ。《中央》からこの街に戻ってくると、息子はすぐにルティマ助祭のもとから妻を引き取り、わたしが訪ねて行ったときはすでにかなり裕福に暮らしていた。息子がわたしの顔を見たとき吐いた言葉は……とてもレディーの前では再現できないよ。
妻が全身麻痺の体になったのはわたしのせいだと、息子は思い込んでいるんだ。もしわたしが一緒にいれば、妻を守ってやれただろう、と……。また、もしわたしが働いて家族を養っていれば、健康保険にもちゃんと入れて、刺された妻も大病院で適切な手術を受けることができたはずだ、とも言った。わたしはひとことも反論できなかった。何もかも息子の言う通りだったからさ」
ジェスの笑顔は泣き顔みたいに見えた。あんなにも嘘つき上手な人が。
「わたしは自分の身勝手で二人の人間を不幸にした――そして家族を失ってしまったんだ。莫大な財産を持っていても、共に楽しむ人がいなければ意味はない。いくら名声をあげてもわたしには帰る場所すらない。すべて虚名さ。それに気づいたときにはもう手遅れだった。――いちばん心残りなのは、息子に対して、親らしいことを一度もしてやってないってことだ。立派すぎるほど立派に育ってしまったからなぁ。今さらわたしに何がしてやれるわけでもない……」
あたしは衝動的に、ジェスを抱きしめた。
広い背中に精一杯腕を回して、ぎゅっと抱き寄せた。
自分から男の人に抱きつくなんて生まれて初めてだ――だけど全然、変な意味じゃない。
すごく頼りがいがあるのに同時に何だか儚い、ジェスの体温と鼓動が伝わってきた。
「やり直せばいいじゃない。また三人で。ばらばらになっちゃった家族をもう一度作り直すのよ」
ジェスの胸に顔をうずめるようにして、彼の心に直接語りかけるようなつもりで、あたしは言い切った。
「きっとできる。だってジェスも、奥さんも、息子さんも、みんなまだ生きてるんだもの。生きてる間は、いつだって希望はあるよ。……ジェスの息子さんって、エリートで頭がいいのかもしれないけど、どうしてわからないのかなぁ。両親が揃って生きててくれることが、どれだけ有難いか。死んじゃったら、もう届かないんだよ、二度と会えないんだよ、おしまいなんだよ? 死んじゃったら、いくら想ったって、もう絶対に会えない、会えないのに……!」
あたしは、不意に自分の喉がひくひくひくっと震えるのを感じた。すごい勢いで涙があふれ出てきた。人間の眼からこんなにもたくさんの涙が出るんだ、と驚いてしまうほどの勢いだった。
そうだ。死んでしまってもう絶対に会えないんだ。
あたしのお母さん、そしておそらく、お父さんにも。
ケインおじさん――!!
本当にもう、完全に、さよなら――なんだね。
ジェスが優しくあたしの背中を叩いてくれた。
「……きみが大好きだよ。チェリー」
わーっと大声をあげて、あたしは泣いた。
ジェスのシャツにしがみついて、全身から声を絞り出して泣き続けた。
涙が空っぽになるまで。今までずっと我慢して閉じ込めてきた悲しみや恐怖やつらさが、みんな体の外へ出て行ってしまうまで。
泣き疲れて、あたしはいつしか眠りに落ちた。
夢ひとつ見ずに朝までぐっすり熟睡した。
こんなによく眠ったのはずいぶんひさしぶりだった。




