第1章(1) アンドレア・カイトウ署長
朝の登庁時間。ぼくが市警本部ビルの玄関前で公用車から降りると、待ち構えていた記者やカメラマンたちが一斉に群がってきた。
「カイトウ署長! 昨日のグレイシーヌ・ビル爆破の件について、お話をお聞かせください!」
「爆破は、署長の指示で行われたんですか」
「警察の行動が行き過ぎだったのではないかと批判されている件は? 議会で聴問委員会が開かれるという噂もありますが?」
フラッシュがきらめき、何本ものマイクが突き出される。早朝からテンションの高い連中だ、報道陣というのは。
ぼくはゆっくりと答えた。
「爆破は、ぼくの命令で行った。グレイシーヌ・ビルは、諸君も承知のようにアイルトン・ギャング団の本拠地だったので、ボスのアイルトンを含めて三百七十一名のギャングが死亡した。ビル施工者から建物の構造についての情報を得たうえ、爆破専門家の手により周囲への影響が最小限にとどまるよう配慮して行ったので、方法的には問題はなかったと認識している」
「しかし、いきなりビルを吹き飛ばすというのは……?」
「ビル内に無関係な市民が一人もいないことを、事前に十分確認してから作戦に踏み切った。死んだのは悪党ばかりだ。ビル爆破による周囲の家屋への損傷もなかった。一般市民には何一つ影響を与えなかったはずだが?」
記者たちの質問の流れはいっこうにおさまらなかった。良識派をもって鳴らす《パールシー・タイムズ》紙の記者たちの、ひときわかん高い声が響いた。
「ギャング達に降伏の機会は与えなかったのですか?」
「警察による一方的な殺戮は、許されることではないと思うのですが?」
ぼくは足を止め、質問した記者を睨みつけた。
「あのギャングどもが生前、罪もない市民を殺すとき、降伏の機会を与えていたとでも思うのか? 市民より犯罪者の権利の方を手厚く保護する理由などないだろう。警察の仕事は犯罪を根絶することだ。アイルトン・ギャング団が壊滅した結果、街が確実にきれいになったんだから、非難されるいわれはない。……議会から聴問委員会の連絡は受けていないよ」
「しかし、人道上の問題が……」
なおも追いすがる記者たちを振り切って、「今朝のコメントはここまで」とぼくは玄関のガラス扉をくぐった。ぼくの背後で、警備の警官たちが記者たちを押しとどめていた。
「さすがは、『墓場署長』……」
と、記者のだれかがつぶやくのが聞こえた。
ぼくは十二歳で連邦中央大学法学部を首席で卒業し、《中央》と呼ばれる銀河連邦政府の中枢部で連邦中央捜査局に勤務した後、このパールシー王国の首都クテシフォン・シティの市警察に赴任した。凱旋門本署署長になってからもう三年近い。
銀河連邦内の全星系政府で、あらゆる官職の年齢制限が撤廃されて以来、ぼくのように未成年で要職に就く『早期成熟者』と呼ばれる連中は珍しくないのだが……それでもぼくの署長就任はクテシフォン市内で激しい批判をまき起こした。子供につとまる仕事ではない、というわけだ。当時のこの街は国内でも有数の犯罪都市で、強盗や殺人が日常茶飯事といってもいい状態だったから、その危惧ももっともな話だった。
それから三年。いまではもう、ぼくの年齢のことをとやかく言う人間はいない。批判はもっぱら他の点に集中している――人権蹂躙、人命軽視、刑事手続法悪用、といった批判だ。
市内随一の大新聞パールシー・タイムズが、ごていねいにもぼくが『殺した』(直接手を下した場合だけじゃなく、ぼくの命令が直接の原因となって死んだ連中も含む)悪党の数を毎回カウントしているが、そのカウントがちょうど千五百に達した頃、郊外に千五百基の収容能力を持つ新しい市営墓地が設営されたので、だれともなしに、ぼくのことを『墓場署長』と呼ぶようになった。
それは別にぼくが殺した連中ばかりを埋めている墓場じゃない。ごく当たり前の、普通の市営墓地なんだが――まあ、ぼくのために、市は墓地を新設しなければならなかったということを言いたいらしい、マスコミの連中は。
たしかに、ぼくは、犯人に向かって権利を読み上げてやるような真似はしてこなかった。予告なしにいきなりギャングの巣窟を爆弾で吹き飛ばすのだって、あまりほめられた話ではない。八十年前に制定されて以来、二回しか適用事例のない刑事手続法の特例を引っ張り出して来なければならなかった。市議会の聴問委員会や、下手をすると《中央》から人権調査委員を送り込まれるのさえ、覚悟の上だ。
しかし、生ぬるいことをやっていて犯罪が撲滅できるだろうか? 大切なのは、市民が安心して暮らせる平和な世の中を作ること、それだけだ。
ぼくが署長になってからの三年間で、月間犯罪発生件数は以前の約二百五十分の一まで減った。今ではこのクテシフォン・シティを犯罪都市と呼ぶ者はいない。女性でも安心して夜ひとり歩きができる街になったと思う。
世論調査によれば、警察のやり方を支持する市民は八十パーセントを越えている。これは、市長の支持率よりも――そして市議会における与党の得票率よりも断然高い数字だ。議会が聴問委員会を設けないのも、そのあたりに理由があるというわけだ。
署長室は市警本部ビルの七十七階にある。ぼくが控室に入ると、すでに出勤していた秘書のミズ・グレイスバーグが、
「おはようございます、署長」
と低い声で挨拶した。
彼女は花瓶に花をアレンジしているところだった。見たこともない、エキゾチックな色彩の花だ――この星のものではない。
不自然な間をおいて、ミズ・グレイスバーグは言った。
「あの。市長がお見えになってます。署長のオフィスにお通ししておきましたわ」
「なぜ、ぼくの許可なく勝手に通した? 市長なんか、そのへんで待たせておけばいいじゃないか」
ぼくは驚いて彼女の顔を見た。いくら市長といえども、ぼくの不在中に勝手に署長室に入らせるなんて例のないことだ。来客用に、控室に簡単な応接セットが用意してあるというのに。
しかし、秘書の顔を眺めているうちに、謎が解けたような気がした。モーリーン・グレイスバーグは、おそらくぼくなんかが生まれる前から署長秘書をやってるような最古参の署員で、口の悪い連中には『鉄の処女』とあだ名されている。つねに冷静沈着、どんな非常事態にも眉ひとつ動かさない百戦錬磨のベテランだ。そんな彼女に、ほんのり頬を赤らめさせるというのは、並たいていの相手ではない。それに、花瓶に活けられている外国の花、とくれば……。
「そうか。あいつか……」
ちょっと貸してくれ、と断って、ぼくはミズ・グレイスバーグのデスクのいちばん上の引き出しから銃を拝借した。それを構えて大股に奥へ進む。
署長室の扉が滑るように開いた。奥の壁は一面ガラス張りになっていて、早朝の色の薄い空を写し出している。その空を背にして、ひとりの長身の男が立っていた。
年のころ四十代半ば。よく陽に焼けた、たくましい体格の男だ。元気溌剌、という感じで、おさえ切れないエネルギーのようなものを全身から発散させている。目に力があり、鼻筋も通っているので、美男子とまでは言わないが好男子には分類されるかもしれない。
身なりにも、一分の隙もない。見るからに高級な仕立ての純白のスーツを颯爽と着こなし、胸ポケットには、控室にあったのと同じ花を一輪さしている。頭には白いソフト帽を、申し分のない角度でかぶっている。多少キザだが、文句なしの伊達男ぶりだ。
もちろん、デブで脂ぎったディオン・ザカリア市長とは全然違う。
まったくの別人だ。
男は、きらきら光る茶色の目でぼくを見返した。陽焼けした顔がほころんで、真っ白な歯がのぞいた。
「ひさしぶりだな、アンドレア。……聡明で美しい女性を秘書に持つおまえが、いつも心底うらやましいよ」
ぼくはまっすぐ男の眉間に銃の狙いをつけた。
「勝手にぼくのオフィスに入り込むんじゃない。不法侵入のかどで射殺するぞ」
「よせよ。わたしを殺したら、おまえ、この街の女性人口の半分以上を敵に回すぞ。こう見えても、わたしにはファンが多いんだ。毎日どれだけのラブレターが届くと思う?」
まったくこたえた様子もなく、男はのんびりと両手を広げた。
ぼくは溜め息が出そうになった。この男を相手にしていると、真剣に怒るのが馬鹿らしく思えてくる。しかし銃の狙いはそらさなかった。
「そういうたわ言は、南区あたりの酒場にでも行って並べてくるんだな。あの界隈には、朝から暇を持て余してる連中が多いから、きっと喜んで聞いてくれるぜ」
「そうカリカリするなよ。その銃でわたしを撃つことはできない、そんなのお互いに分かってることじゃないか。市警本部の署長室はたしか、市長室や最高判事室と同様、二十六時間ずっと対光線銃防護力場(ARF)――高エネルギー波偏向フィールドで警護されている、そうだろ? レイガンのビームは中和されるはずだ」
ぼくは男の顔をまじまじとみつめた。
「……なんで、あんたがそのことを知っている?」
「だって、わたしは市長だよ? 市内の重要施設の警備情報なんて、簡単に手に入るさ」
男はにっこり無邪気に笑った。
ぼくはあきらめて銃を下ろした。そして、根気強くあろうと努力しながら、これまで何度も口にしてきたせりふを繰り返した。
「あんたは、市長じゃない。名誉市長だ。ようするに、ただの名誉職だ。正式に選挙によって選出された市長とは違う。法的には何の権限もないはずだ」
「小難しい理屈を言う奴だなぁ。よそでそんなことを言われたことは、一度もないぞ? どこへ行っても、みんな大歓迎してくれる。市の財務局でも統計課でも『市長さん、どうぞ』てな感じで重要資料を見せてくれるし。こないだなんか、市議会で発言もさせてもらったぞ……ディオン市長にやれることで、わたしにできないことはないと言ってもいいぐらいだ」
男の無邪気な顔には、一見なんの曇りもない。
くそっ、古狸め。
ぼくは頭が痛くなってきた。
この男の名はライバート・J・カイトウ名誉市長。
財産家にして、クテシフォン市の名士。
そして本人も言う通り、市民の人気者でもある。
この男の正体はただの山師、ペテン師なのだ。冒険家、と言えば聞こえはいいが、実際は辺境で星から星へと渡り歩き、怪しげな財宝や鉱物を探し出しては好事家に高く売りつけたり、儲けになるとあれば犯罪まがいの事業にも首を突っ込んだり――ようするに、法の目の届かない所で、口先一つで小金をかせいでいる流れ者にすぎない。
何年もそういう気ままな放浪生活を続けたあげく、この男がパールシー王国に舞い戻ってきたのは、二年前のことだった。
それも、あろうことか、皇太子の生命を救った英雄として。
アルテア独立戦争と呼ばれる先の大戦は銀河連邦全体を巻き込んで約十年続いた。わが国は中立を守ったのだが、皇太子は、連邦からの独立を目指すアルテア王国に同情的で、一義勇兵として反乱軍つまりアルテア側に加わったのだ。そしてけっきょく、捕虜となった。一国の皇太子が反乱軍に荷担していたことが連邦政府に知れたら、パールシー王国もただでは済まない――個人としてやったこと、では通らないのだ。皇太子の正体がバレる前に、警戒厳重な連邦軍の捕虜収容所から見事に救出したのが、このアホでにやけたライバート・カイトウだった。
やつは一躍、国民的英雄になった。戦争の危機を回避して国家を救ったのだから、まあ当然のことかもしれないが。そして、生まれ故郷のクテシフォン・シティで市民のために働く者となりたい、と望んだこの男に対して、ザカリア市長が謹んで市の鍵を進呈した。そうして、市の歴史始まって以来例のない『名誉市長』が誕生したわけだ。
それ以来、やつは市内のあちこちに出没し、大きなイベントには必ず目立つように顔を出し――、
そして、こうして時おりぼくの生活をひっかき回しに現れる。まったく迷惑な話だ。