初授業
最初の授業は、言わばクラスのみんなとのコミュニケーションを図ると名目したレクリエーションだった。場所は教室では狭いということで、偉い先生たちの挨拶も兼ねて行われる講堂ということらしかった。
ぐねぐねと、まるで迷子になるよう作られたかのように曲がり角や階段が絶えない廊下を並んで歩いていたら、気づいたことが一つ。
愛がいない。
どこにいったんだろう……。
そんな一抹の不安を抱いた瞬間、前方から声がかかった。
「大丈夫?」
「っえ」
な、なに?
自然と俯きぎみになっていた顔を飛ぶように真横に向かって上げれば、そこには前髪にカラフルなピン止めをつけた女の子がいた。多分、他クラスの列で偶然僕の隣だったんだろう。彼女の前後は制服の男女の列が続いていた。そんな彼女の頭の両サイドには、黒い線が赤い生地の縁を引くようなデザインの中くらいのリボンが結ばれている。
朝に会ったあの異様にテンションの高い男子と比べると、かなりの落差を感じるくらいにどんよりとした雰囲気も手伝ってか、他の女子と同じ制服のはずが何故か全体的に暗い。
目も伏し目がちで、正直に言うと、話しかけずらそうな人に入る部類だろう。
それでも、話し掛けられた――しかも気遣いの言葉をかけてもらった以上、無視するのは気が引ける……というか、できない。
「だ、大丈夫……っていうか、誰、ですか?」
反射的に敬語に直してしまう。
っていうかここにいるってことは、つまり同い年でもあるわけで……!
同い年に向かって敬語でっていうのはあまり聞かないし、それに壁を作っているみたいであまり好かれない気もする。
「っあ、ごめん……なさい」
「うっ、ううん! 僕の方こそごめんね、なんかいきなり」
「いえ! ごめんなさいごめんなさいっ、ごめんなさい……! 聖月! 聖月瀬名と言います!!」
「――!」
思わず、息を呑んだ。
嘘だ。
一瞬にして両手が痺れ、両足は縫いとめられたかのようにぴくりとも動くことができなくなった。視界もどこか、ブレているような気がする。定まらずにゆらゆらと揺れる中には、先程と変わることなくそこにある気弱な女子の姿。
だけれど、脳に与える印象は全くの別物と化していた。
カラフルなピン止めとリボンは僕には眩しくきらめいて、そこに隠れて潜むようにある暗い部分は――。
「飛鳥」
「っ!?」
突如耳にするりと入った声に心臓が一際大きな音を立てる。
振り向けば、そこには誰の目にも視ることはできないハズの〝彼女〟がいた。
「ま――」
「静かに。私、その子のこと好きじゃないの」
そう言って、愛は苦虫を噛み潰したような顔で彼女を睨んだ。
「……みんな嫌いだって、言ったくせに」
それに対する僕の返事とも取れないつぶやきに、愛はゆったりと線を引くように口端を上げた。途端、背筋に冷たい風が撫でるように通り過ぎた。
「ええ――――、みんな嫌いよ。飛鳥と私以外の生命体すべて、ね」
……地雷を踏んだ気分だった。
僕は愛のことが好きだ。けど、その「不思議の国のアリス」に出てくるチェシャー猫みたいなにんまり笑顔はあまり好きじゃなかった。
なんだか、すべてを見透かされているみたいに見えるから。
過去も、未来もすべて。
だけども愛は、そんな一連のやり取りなどなかったかのように視線を横目で僕の真横へと向ける。
そこには変わらず自信なさそうにたたずむ気弱な女子がいた。
多分、困ってるんだろうとは思うし同情もする。僕だって、名乗ってから相手の反応がないとなると困るしイタズラかと思う。
けど、正直いって今の僕にはそんな余裕は一切としてなかった。
「……?」
ぱっと見には、どことなく儚い印象が持てて、人によっては守ってあげたくなる感じ――を、飛び越えて近寄りたくないと思わせる薄幸さがあった。
愛と似てるといえば似ているけど、根本的な問題として何かが違う。そんな感じだ。
うう……、いまでも手がびりびり痛むし締め付けられるかのようで気持ち悪い。心臓もおかしいんじゃないかってくらいに鼓動を刻み続けている。
吐き気もする。
早く進んでくれないかな……。
「でもこの子はトクベツ。名前を聞くのも姿を見るのも、空気を吸うのも吐き気がするくらいに憎いし嫌いなのっ」
でもそんな僕など放ってそんなことを言い、本当に吐き捨てるそぶりを見せた愛。
でも、珍しかった。僕は、そんな愛を生きていたころもそうだったけど、幽霊となって僕の目の前に現れてからもずっと、見たことがなかったから。
別に自分を過大評価してるわけじゃないんだけど、でも、愛が僕に対する好意は尋常なものじゃないから。
少なくとも、普通の人よりは。
だからこそ、と言ったら愛は機嫌を悪くするかもしれない。でも気になったんだ。
愛がそこまでして毛嫌いする人物のことが。
「いい? 飛鳥」
「!」
「絶対に私がいないときに、あの子と話しちゃダメだからね」
それはまるで、小さい子に向けて親が軽く嗜めたときのように甘く――縛りつけるかのようだった。
それからまたしばらくして列が動いたのだけれど、僕が彼女のことに気づいたのはそれから講堂で一息吐いてからのことだった。