これからはそばに――?
「――え、と? 待って。……っえ?」
目の前の現実がどうしても受け入れられなくて、思わず額に手を当ててしまう。
今の現状を簡単に言うと、たぶん眠っていた僕が目を覚ましたら、すぐそばには僕が望んでも待っても現れることなんてありえなかった望む人いま、ここにいた。
目の前で、いつもの危なっかしいけど芯のある強い想いをこめた微笑みを浮かべて、こっちを見ていた。
「夢でも、見てるのかな」
ついと口元が引きつるのがわかった。
自分の視線が彷徨うのも、手に取るようにわかる。だけど、動揺しきった僕はきっと傍目から見ると滑稽に映っているんだろうと思う。だって、さっきまで微笑んでいた愛が、今度は明らかに笑いをこらえるように顔をうつむけていた。
「ま、愛っ」
「っく、ふふっ。ふふふふっ! ごめ、ごめんね。飛鳥」
そう言って口元に手をそえて目をこする姿は、未だに信じることのできない愛そのものの姿。――そう。そのものなのだ。
約一年前に自殺したときと同じだった。背も、髪型も、顔立ちも、服装も、すべて。さすがにあのときの血はついてはいない、み、た――。
「っ、……!!」
やばい、思い出したら――!
衝動のままに胸を押さえ、つぎに片手で頭を抑える。内側から鳴り響くようにリズムよく奏でる痛みにこめかみが脈打つ。記憶がフラッシュバックする。
あの、窓から差し込むオレンジの光。反射して白くきらめく刃物――――。
脳みそから痛みというものが皮膚を突き破って飛び出してきてしまいそうなほど痛みが増して、気持ち悪い。手足の震えも止まらなくて、体中の血液が足元へと落ちていくように体温が下がっていって重くなっていくのがわかる。
視界も心なしかまとまらない。焦点が合っているのかさえ微妙だった。
そんな僕の状態に気づいているのかいないのか、愛は笑顔のまま僕へと近づいてきた。どこか透明で儚げに見える掌。
それが、僕の頬へとかかる。
「……!?」
瞬間、勢いよくうつむいていた顔を上げて仰け反る。
「あ、気づいた?」
無邪気に、いたずらっ子のように微笑を浮かべる愛。心に隠した秘密を言いたくて仕方のない子供みたいにうずうずとした、例えるなら、そんな感じだった。
だけど、なぜか僕は嫌な予感しかしなくて。
「私ね、」
聞きたくないっ。
「実は、」
愛――! やめ、
「幽霊になったの」
++
辺りがほぼマーマレードのジャムをこぼしたかのような薄っすらとした、綺麗なオレンジ色に染められた時間に、僕は並木道を愛と共に歩いていた。
初めて外を出た子供みたいに、見るものすべてが新鮮だとでも言うかのようにステップを踏んで楽しそうに僕の目の前を進む愛。だけど、そんな愛を純粋に愛しいヒトとして視られるほど、僕は能天気でも楽観的でもなかった。むしろそういうものや、そうなったことに関連した過去の出来事なんかを気にしてしまう性格だった。
だから、僕はどれだけ好きだった愛であろうと、そういう目で見てしまうんだ。
ダメだとわかっていても、だ。
自然と目が泳ぐ。
視線が彷徨って、手も行き場をなくしたように自然とポケットへとつっこんで――こつん、と。なにか硬いものへと指先が当たる。硬質的なもので、つるつるしている。僕はこれに関するものを一つしか知らない。
携帯電話だ。
行き場のない、どうしようもなくなってふわふわとした気持ちのときはなぜか、なにか別のことをしたくなる。
ついそれを取り出して見ると、青色のランプが点滅してメールか不在着信かのお知らせをしている。開けてみようかと思った直後、いつからこっちを向いていたのか声がした。
「メール?」
「っう、うん! たぶん、だけどね」
戸惑たわりに普通に答えられたことに安堵する。
もう、去年愛が生きていたころにどんなふうに話していたのかわからない。
愛と一緒にいれることがすごく嬉しくて、僕と話しをしてくれることが幸せだった。僕以外の子と話をしたり、触れ合ったりしているのを見るのが嫌だった。羨ましかった。でも、覚えていない。
霧がかかったみたいにぼんやりとしている。いくつか脳裏に思い浮かぶけど、それには必ず〝 多分 〟がくっついてくる。こんなあいまいな気持ちじゃダメなのに。どうして?
記憶は時間が経つごとに美化されるって聞くけど、僕の場合は違う。美化されるんじゃなくて、どんどん欠けていく……。
思い出そうとするたびに、ヒビの入った窓ガラスを叩くみたいに一欠けらひとかけらと――気づいたときにはもうほとんどわからなくなっている。
それでも、僕は――――
「飛鳥!」
「!」
鋭い声に目覚めのような感覚を覚えて愛を見る。すると、そこには眉を寄せて目をつり上げている、明らかな怒りを顔に浮かべていた。
「ケータイ、開かないの?」
「あ、ああっ、うん! 開く。開くよ……?」
なにをそんなにも動揺する必要があるのかもわからず、携帯電話を開くとそこには〝 未開封のメール一件 〟と表示されていた。
メール?
「メール?」
「っうわ!?」
瞬間移動したみたいにいつの間にか背後にいた愛に対して、思わず仰け反ってしまったことは多分だけど、非難はされないと思う。それどころか、覗き込むように僕の携帯電話のディスプレイを肩越しに見ていた愛のほうが非難されると思う。確実に。
「うふふ、酷いよ。飛鳥」
「ひ、酷くなんかないでしょ!? ケータイの中身を勝手に見るだなんてことしたらダメなんだよ?」
「でも、双方の同意があれば平気なんでしょ?」
脱力。
というか、あ然。
一体この数ヶ月の間で愛になにがあったっていうんだ!?
生前(といってもいまここに愛はいるわけだけど)の愛はまだ、常識と非常識の区別くらいはついていたはず。ケータイの中身を勝手に見るだなんて嫌われ行為はしなかったはずなのに……。