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愛が死んだ。
文字に、言葉に表すとそうで、それ以外になにもなかった。
――〝 わからなくていいからね。飛鳥 〟――
愛が最期に遺した言葉だった。廊下で僕を見る姿は、絶望と渇望がごちゃまぜになったかのような混沌としたもので、僕はなにも言うことができなかった。刃物を持つ手はしっかりとしていて、立つ足もきちんとついていた。いまになって振り返れば、震えるどころか、まさにそれがくる瞬間を待ちわびるかのような悦びじみたものさえあった気さえする。
確かに愛は、どこかふわふわしたところがあって危なく感じるところもなかったわけじゃなかった。むしろ、そっちのほうが目につくくらいだった。いまにも、消えてしまいそうなくらいに。
……もうこの世界にいないから、笑いにもできないけど。
葬儀の日、愛のお母さんには散々なことを言われた。昔から愛と一緒にいることに対して好印象を持っていたわけじゃなかったし、僕の目の前で自殺したこともあって愛のお母さんは少し――違う。かなり、正気ではなかったと思う。
棺のように細長く四角い箱に、愛は入っていたと思う。不確定なのは、愛のお母さんが〝 アンタは愛の死に目を見れたんだから 〟と言って見せてくれなかったからだった。別にそれに対してなにか特別な感情を抱いたとか、そういうわけじゃない。ただ、やっぱりかと思っただけ。
小さいころから愛は変わらなくて、僕が言うのもなんだけど、べったりだった。
[ あすか、あすか。遊ぼっ ]
[ もう帰るの? もうちょっと遊んでいこ? ]
[ 告白されたあ……? ふうん、断るんだ。へえ。……ん? べっつにい? 断るとかいってニヤついてるなんて、バカみたい ]
[ わからなくていいからね。飛鳥 ]
どこへ行くにもいつも一緒で、普通なら中学生にもなれば離れるものだと思っていたのに愛はそうじゃなくて。それどころか、さらにべったりとして離れなくなった。会うたびに僕の名前を呼んでくれて、正直言って僕だって悪い気は一切していなかったし、むしろずっと続いたっていいとさえ思っていた。
愛のことが好きだったし、だからといって伝える必要性さえないとも感じていた。
そんなとき、こんなことが起きて――――それを後悔するときがくるなんて、思ってもみなかったんだ。
それからというもの、僕の生活環境は一変した。
「おはよう」
まず、周りからは人が嘘のように消えた。学校へ行っても、いつも挨拶をしてくれていた友達やクラスメイトは目を逸らして、あからさまに僕との距離をとった。逆に、愛をよく思っていなかった子からは人目も気にすることなく〝 一人じゃ何もできない 〟だとか〝 あんなヤツと一緒にいたのが悪かった 〟だとか、明らかに見下す発言が山のように飛んだ。
愛のことを何も知らないくせに、知った気になってあることないことを好き放題に言いたがるみんな。
そんなことを言われたら、まるで燃え盛る炎のような怒りが湧き上がると思っていたのに――そうじゃなかった。むしろそんな考えが甘く浅はかだったと思えるくらいに、僕の心はぴくりとも動かなかった。それに伴うように、毎日の日常生活がとことんまで落ちて、つまらなくなったんだ。
それだけじゃない。
あの事件以来、僕は重度の先端恐怖症となってしまい、一時は日常生活すら危うくなった。刃物はもちろんのこと、他にもシャープペンのや紙切れの端すらもダメになってしまった。おかげで趣味だった料理や読書もできなくなって、ストレスと憂鬱の毎日を過ごすハメにもなった。
だけど、それでも僕は愛を憎むことができない。できなかった。
この世で一番に信頼を置くことができた愛。
確かに愛の言い分が間違っていることだってあったし、迷惑だと思ったことだってないわけじゃない。今回だって、言ったら悪いけど、勝手に目の前で死なれて迷惑してた。平日の合間や休日の楽しみの大半を占めていた趣味をほとんど奪われ、大好きだった彼女もいなくなって――。
結局、愛はなにがしたかったのか。
考えても考えても答えは出ないまま、陰鬱に混沌とした毎日を送った。
といっても、なにもしなかったわけでもなかった。というより、どちらかというと周りが動いた。
イジメに対しては学校側が。恐怖症に対しては親が。
まあ、当然といえば当然の結果だったけど……。正直、これは僕にとっては余計なお世話でもあった。
確かにここまで事態が悪化しているとなると、普通なら周りが放っておくわけがないとは思っていた。けど、僕はそのことに対してそんなにも重要性があるとは思ってもみなかったんだ。
その現状に対して特に言うほどの苦痛ではなかったから。
僕が感じていた絶望は、信じて頼りにしていた愛が僕の目の前で〝 わからなくてもいい 〟と言って自殺してしまったことだった。
つまり僕は、愛にそれほどまで信頼されていなかったという裏切り行為をされたんだということ。
それは誰にも理解されることもなく、同時に僕以外の人に理解されたくないという矛盾の想いがごちゃまぜになったものも含まれていた。
だから、大人たちが僕のためを想ってやってくれたすべてのことは、僕にとってはとてつもなく面倒で、同時に張り裂けそうなほど限りなく、嬉しいことだったんだ。
++
淡いピンク色の雪が舞う季節、僕はついに受験を控えた中学三年生となった。
噂も七十五日というけど、僕に対する噂や態度が変化することはなく、そのまま月日がすぎて受験シーズンの門をくぐるまでになってしまった。
あの日から先生たちが力の尽くせる限りに周りを牽制していたけれど、結果からいうと無駄だった。むしろ無駄などころか、完璧なおせっかいとも言える結果になってしまった。
先生からの言葉や僕に対する気遣う態度は周りの生徒へは、いわゆる〝 特別扱い 〟に見えてしまい、それは嫉妬や反発的なものに変化して僕へといろいろな形となって向かってきたんだ。
「はあ……。三年、か」
空を見上げると、そこには僕の気持ちとは裏腹に真っ青なもので、雲一つないまさに快晴といえる天気だった。ただ、春先だけあって少し肌寒い感は仕方ないけど……。
――そうやってぼうっとしていたのが原因だったのか。
「ッッ危ない!!!!」
声を、出す暇さえなかった。
キイイィイィィィイイイッッ!!
気づいたそのときは、すでに真っ白な車が目の前だった。
運転手がガラス越しに一瞬見えた気がした。けど、うつむいているみたいでよく見えなかったけど。
―― ――でも、
―― ――――でも、……
「 飛鳥 」
僕が求めてた声は、したんだ。