詩について
詩とは何であるか?詩とはまず文章の連なりによる言葉の美や、リズムを使って言葉の流れを良くすることにより、美しい詩篇を書くことである。
詩には、散文詩と韻文詩があるのだが、散文詩の方が書きやすいと言われている。
美しい詩には、価値がある。まず美の価値は、地球に値すると言っても過言ではない。
まず着ている服や、普段言葉遣いも、詩に作用する。
私は実際にやってみた。すると白シャツで詩を書いたら、やはり少し下手だった。
昔、私は空手を習っていた。柳川昌弘先生に習っていたのだが、先生の主張していたのが、一道は万芸に通ずということだ。
絵とか小説とかや、空手や、また麻雀なども、その道を極めれば、自ずと他のことにも活きるという理屈だった。
先生は他にも、『俺は空手だけやって専門家には、なりたくないとも』言っていた。
だからだろうか?私は、空手も一生懸命にやったし、他のイラストを描くことなども少しやっていた。
詩には、パンがいいと、とある詩人が言っていたので、確かにパンを食べると詩がうまくなっていた気がした。
詩には、私の考案した審美眼というのが欠かせない。センスとも言い換えたのだが、審美眼が、高く、細かいと、1行が間違った1行だとわかるし、修整も効く。
リズムについては萩原朔太郎に聞けばいいのだが、リズムを上げるようにトレーニングが欠かせない。ただし私の場合、ついた師が、リズムが嫌いというので、リズムはあまり伸ばさなかった。
あと今だから明かすが、私の場合、魔法が強かったので、詩を書いていて、勝手に詩が美しくなる魔法が働くことがあった。
詩の努力は欠かさなかったが、とある運動を取り入れて以来私の詩は、格段にアップした。
詩の技術になるが、大体感覚の話で、この言葉とこの言葉は、相性が悪いと思ったので使わなかったり、審美眼が、ほとんど全てで、発達した目で判断して、よくこの1行はいかんなあとも思っていた。
『青空』と言う言葉が好きで、よく使っていたが、視点の切り替えと言って、つらつら続いて、ばっと青空とか青い海とか、言葉で視点を変えていたときもあった。
あと他にも私の詩が伸びた点は、柳川先生の空手の歩み足や、順突きをしたことに依るものだ。
柳川先生のニ聖ニ天流柔術憲法の空手は、オーラは減ってしまうのだが、無意識に求めている才能が格段に上がるという点にある。
だから最近は時々しかしないが時々順突きや、歩み足をやっていたのだ。
思い残せました。




