最近、物語から得られる栄養素が六台栄養素になったのって知っているでしょうか?
物語とは良いものです。人生の拠り所と言いましょうか、個人の夢見る世界を具現化したものと言いましょうか…。
さて、ここで皆さんに問います。『物語には栄養素があった』ということを知っていただろうか?
最初は何を言っているのかと思うことでしょう、しかしこの後の文章を読めば理解すると同時に色々考えさせられるでしょう。
物語、この『小説家になろう』にも投稿されています。そこには、6つの栄養素が存在しています。
それらは『高揚感』『可愛さ』『かっこよさ』『爽快感』『感動』『喪失感』の6つである。
・『高揚感』 これは物語を読む前のワクワクや楽しみ等といった『栄養』を表す。
・『可愛さ』 これは登場人物の可愛さ、いわば尊いとニアリーイコールな関係であると言える。
・『かっこよさ』 これは『可愛さ』とイコールな関係。
・『爽快感』 これは物語の展開などにおいて『スカッとする!』や『この展開は予想していなかった!』などといった『栄養』を表す。
・『感動』 これは物語の合間合間で摂取できる栄養で、その言葉通りの、いわば『エモい』。
・『喪失感』 これは読み終えた、見終えた場合にのみ摂取できる栄養で、これは現実と比較したときなどに現れる。
以上の6つを挙げましたが、ここで考えてほしいのは『なぜ栄養素が存在するのか』についてです。
昔の人達は、『このお話』が終わってしまうことを、現代の私達以上に恐れ、そして慈しんでいたのかもしれません。
例えば、一冊の本を数カ月待って手に入れた時代、あるいはテレビの前で最終回を見た昭和の夜。
現代のように『次の一冊』がクリックひとつで手に入らないからこそ、読み終えた瞬間の栄養素は、彼らの生きる糧となり、長い年月をかけて『ゆっくり』と消化されていく。
これが理由です。
しかし、現代はどうだろうか。『ただ消費して終わっていないだろうか?』『次から次へと栄養を過剰摂取していないだろうか』?
私が見る限りですが、最近では『ファンタジーモノ』がたくさんあります。話の構成は違うものの、展開などはどれも似通っています。
そして、『日常モノ』は少なくなっています。話の構成はこれも違うものの、展開などもどれも違います。
今、私達はファンタジーモノしか見ていないのではないでしょうか。『爽快感』や『喪失感』を過剰摂取しているのを繰り返しているのではないでしょうか。そして『可愛さ』や『かっこよさ』はその場その場の栄養素として、これからの糧として『抗うつ剤』としてオーバードーズのように摂取しているのではないでしょうか。
私は今こんな感じで、今も栄養素を摂取し続けたい、摂取している感覚のまま生きていきたいと思っています。
物語は今や、昭和のような『これからの糧』ではなく『見る抗うつ剤』としての働きにジョブチェンジしているのかもしれません。
締めに入りますが、最近『とんでもスキルで異世界放浪メシ』というアニメを全話見ました。これは『ファンタジーモノ』に入るものですが、『栄養素』でいう『可愛さ』しかなく、それに『過剰摂取』が無理にでもできないような物語になっています。
これは『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』のような『日常モノ』の印象が強く、『ファンタジーモノ』は印象が普通より薄いからだと考えます。
このように、『見る抗うつ剤』として働いていた現代の物語でも、このような物語、いわば『解熱剤』、『終わらない日常』を差し出している作品たちは私達に『過剰摂取』を与えないようにしているのです。
劇的な喪失感は無いのかもしれない。しかし、そこには現代人が最も植えている『終わらない明日』というのが詰まっているのです。
物語を消費する、あるいは救われる。大切なのは、物語を読み終えて微かでも『明日頑張ろうかな』と思えるものが残っているかどうか。
私はこれからも、これらの栄養素を、時には糧として、時には過剰摂取として消費していきたいなと思う。




