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冷酷宰相は私だけを甘やかす  作者: 絵宮 芳緒
失われた光

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第3話 揺らぐ足場

朝の光は、いつもと同じ角度で差し込んでいるはずだった。


それなのに、食堂の空気はどこか冷えている。


リリアーナが椅子を引くと、古参の執事が静かに一礼した。


「おはようございます、お嬢様」

低く落ち着いた声。

幼い頃から変わらない響きに、胸の奥がわずかにほどける。


だが、その後ろに控える若い給仕は、視線を一瞬だけ泳がせた。


主に向けるべき目が、ほんのわずかに揺れる。


銀のポットから注がれた紅茶は、香りが薄い。

湯の温度が足りないのだと分かる。


「……ありがとう」


そう言うと、給仕は慌てて頭を下げた。

小さな失敗。

誰も咎めない。

けれど、こうした小さな綻びが、最近は増えている。

 

父の席は空いていた。

かつて母が座っていた場所の隣。

白いクロスの上に、触れられていないカトラリーが並ぶ。


「お父様は?」


「書斎にてお仕事中でございます」

答えたのは古参の侍女。


しかし、若い給仕が付け足す。


「ヴァネッサ様もご一緒に」


その名が出た瞬間、空気が止まった。

古参の執事の視線が鋭く走る。

若者はようやく、何かを言い過ぎたのだと悟り、口をつぐんだ。

 


午前、来客の取り次ぎ。

以前ならば、必ずリリアーナに報告が上がった。


屋敷の顔として、応対するのは自分だった。


「その件は――」

若い使用人が言い淀む。


「ヴァネッサ様より、直接伯爵様へと」

“自然な流れ”のように言う。


決裁の順路が、静かに変わっている。

 



廊下を歩けば、新しく雇い入れられた侍女たちの笑い声が聞こえる。


「ヴァネッサ様は、本当にお優しくて」


「物事がお早いわ。

伯爵様も頼りにされているもの」


その会話は、悪意というよりも、憧れに近い。

若い者は、強い光へ集まる。


今、この屋敷で最も“動いている”のは誰か。

彼女たちは、本能で選んでいるだけだ。

 



午後、母の寝室。

薬の匂いと、乾いた花の香りが混じる。


窓辺の薔薇は咲いているのに、室内は薄暗い。


「皆、よく働いているのでしょう?」

母は穏やかに尋ねる。


「ええ」

嘘ではない。


ただ、働く先が少しずつ移ろっているだけ。

母の指は細く、以前よりも軽い。


その手を包みながら、リリアーナは言葉を選ぶ。

「……お父様も、お忙しいご様子です」


母は一瞬だけ目を伏せた。


「そう。ならば良いのよ」

それ以上は問わない。

 

 

夕刻。

古参の執事が書類を運んでくる。


「お嬢様のご決裁を」


その動作は、昔と変わらない。

だが廊下の向こうで、新入りの侍女が別の書類を抱えながら言う。


「それはヴァネッサ様へお伺いを」

声に迷いはない。

 

灯台の位置が変わると、海の見え方も変わる。

光はまだ消えていない。

けれど、中心が移りつつある。

 

 


夜。

窓辺に立つと、書斎の灯りが見えた。

あの部屋が、今この屋敷の心臓だ。


カーテン越しに、人影が動く。

誰がそこにいるのか、分かっている。


「お父様が、いらっしゃるもの」

小さく呟く。


それは自分を保つための言葉。

だが、夜風がそれを攫っていった。


灯りは、揺れもせず、ただそこにある。

届かない場所に。

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