ただの一人も
『おまえの死を悼む者が一人でもいたならば、おまえの魂は天国へと導きましょう。
ですが、ただの一人もいなければ――』
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こりゃ、警官の旦那じゃありませんか。
一体今度はあっしに何の用事なんですか?
あっしは神様に誓って、今は何にも法律に違反するようなことはしちゃいませんぜ。
旦那もご存じ、ちんけな清掃業者でさ。
へえ、へえ…………。
ああ、トニーの野郎がやっとくたばったんですか。
ざまあみろですよ、あの野郎!
え?
事故か他殺か知らないかって?
他殺でしょうよ、そりゃあ。
間違いなくぶち殺されたんでしょうよ。
ああ、下手人はあっしじゃありません。
……旦那、繰り返しますがね、殺したのはあっしじゃありませんよ。
でもね旦那、あっしはトニーを殺したヤツに心の底から同情しますぜ。
旦那もご存じでしょうが、あっしには弟がいやした。
十年前に一緒にスラムで清掃業の会社を立ち上げて、必死に働いてきた、あっしにとっては魂の半分って言っても過言じゃあない最高の相棒でしたよ。
あっしの弟は……マルコは体が弱かったんで、会社の経理と事務を全部任せていてね。
酒も博打も女もやらない、真面目で繊細な男でした。
酒浸りの親父に何度も殴られたことがマルコの深い心の傷になっていたから、男の暴力や大声が本当に苦手だったんですよ。
あっしがそれを誰よりも知っています。
五年前に会社にあの野郎が来た時から、マルコは壊れていったんでさ。
大分、あっし達の清掃業が軌道に乗ったんで、人をもう少し雇って少しずつ展開していこうって話していた……その矢先にトニーの野郎を……事務仕事の新入りとしてマルコが雇ったんです。
あっしが異変に気付いたのはトニーを雇ってから半年くらい過ぎた頃でしたよ。
『兄さん、僕は人を指導する力が無いのかも知れない……』
いきなり真剣な顔をして、あっしに相談してきたんですよ。
あっしもその時は清掃業と事業拡大のためにてんやわんやでしたから、深く考えずに言っちまった。
『誰だって最初は失敗するもんだ、俺達だってそうだったろ?マルコなら大丈夫さ』
……今思い返せば、あれがあっしにとっての最後の分岐点だったんでしょうねえ。
後は旦那もご存じの通り、数日後にマルコは自殺したんです。
今でも忘れられねえ、あれは冷たい雨の日だった。
遺書には『悪い人間で本当にすみません』って書かれていたけれど――あのマルコが悪い人間なものかよ!
あっしは調べました。
徹底的にマルコのアパートを探したけれど何も出てこなかったから、マルコの車までしらみつぶしに当たって。
……そうしたら出てきたんですよ。
会社のね、トニーの野郎の後でもう一人雇った新入りの若い女の子がね……魔法式テープに録音って形で証拠を残しておいてくれたんです。
酷いもんでしたよ。
聞いていてあっしは逆上しました。
人格否定だとかハラスメントだとかそんな生やさしいものじゃない。
アレはね、マルコの心を殺す魔弾でした。
ええ、この見た目の通りにあっしは血の気が多い。
清掃業をやっているから、外で揉めごとに巻き込まれても平気な様に魔銃だって持ち歩いているし、大体の喧嘩なら腕っ節でどうにかなるくらいには鍛えているつもりです。
だからね、のうのうと出勤してきたヤツをぶちのめして魔銃を突きつけたんですよ。
……後は旦那も知っている通りだ。
あの野郎は逃げやがって、殺されかけたと警察に通報して、あっしは逮捕された。
弁護士には伝手があったから釈放されたけれど、賠償金はふんだくられたんでさ。
事業も縮小するしか無かったし、あっしの悪名が広まっちまったからね、社員も泣く泣く辞めさせるしかなかった。
旦那、警察の旦那。
この世にはね、正真正銘の邪悪ってのも存在するんですよ。
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……警察だって?
最近流行の、警察の名前を騙る犯罪者じゃないだろうな?
……チッ、本物かよ。
何か、事件でもあったのか?
ああそうだ、僕がジョシュアだが……。
だから、何で警察が僕の家に……?
えっ!?
あのトニーが死んだ!?
万歳!
万歳!
万歳!
女神よ、感謝申し上げます!
いやー、何て今日は良い日なんだろう。
国民の祝日にしても良いくらいじゃないか?
ああ、どうせ僕が容疑者かって疑っているんだろう?
間違いなくヤツは殺されたに違いないからね。
でも残念、本当に残念だ……。
僕は殺していないんだよ。
僕が殺していたらどれ程良かったかと、今になって本当に後悔しているくらいだ。
動機?
えっと、学園でね……。
これ以上は思い出したくないんだけど……チッ、仕方ない。
――僕には大事な友達がいたんだ。
気が弱かったけれど、本当に優しい良いヤツだったよ。
でも、十年前に自殺した。
ああ、そうだよ、全部トニーの仕業さ。
アイツは下らない友達同士の雑談を、言葉による公開処刑に変えたんだ。
トニーは弱い者を見つけることと、弱い者を追い詰めることに関しては天才だった。
自分だって大した男でもない癖にさ。
自殺した友達は……イーサンは興奮すると少し吃る癖があったんだ。
雑談が盛り上がったら、必ずと言って良いくらい吃っていたっけ……。
トニーはそれを徹底的に揚げ足を取って虐めたんだ。
『ど、どどどどど……っ』
……アイツのモノマネさ。
どうだい、天下の警察でも腹が立つだろう?
イーサンは段々喋らなくなった。
僕達ともつるまなくなった。
暗い顔で毎日毎日、机に座って俯いていて……。
それなのにトニーはまだイーサンに悪意たっぷりに絡むんだ。
『ど、どどどどど……っ』
ああ、猛烈に腹を立てた僕達は下校の時にトニーを呼び出して言ってやったのさ。
人を嘲笑うな。
虐めるのはすぐに止めろ。
さもなきゃ、分かっているだろうな?って。
でも、その次の日、僕達は教師から呼び出されて厳重注意と登校停止処分を受けたんだ。
幾ら僕達が訴えても無駄だった。
トニーは、哀れな被害者の真似をするのがずば抜けて巧かったんだ。
大した被害でも無いのにさ、針小棒大にあること無いことを騒ぎ立てたんだよ。
ヤツの本性は、可哀想な被害者の皮を被った血も涙も無い悪魔だ。
……そうだよ、僕達が登校停止処分を受けている間だった。
イーサンが遺書も残さずに自殺したのは。
今更、警察にこんなことを言っても仕方ないだろうけれどさ。
人間全てが悪とまでは思ってはいないけれどさ、優先的に死ぬべき人間ってのは確実にいると僕は信じているよ。
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あら、警察の方?
ビリー、すぐに応接間にお通しして、お茶を出して差し上げて頂戴。
――さて、お待たせしましたわね。
ご免なさいね、昨日まで隣国にいたものだから、荷ほどきで忙しくって。
あら……ご存じなかったかしら?
次兄が一昨年に隣国の姫君の元へ婿入りしたのだけれど、元気な子供が生まれましたの。
半年が過ぎて義姉様もご快復なさったので、先々週から両親と共に姪っ子の顔を見に、隣国にお邪魔していましたのよ。
えっ……あのトニーが殺された?
そう、それは残念だけれど、でも仕方ないと言うべきでしょうね。
まず、私とトニーの関係……と言っても無関係の他人に近しいのだけれども、警察の方にはあらためて説明する必要があるでしょうね。
彼の職業はご存じ?
そうよ。
彼はゴシップ紙の新聞記者だったの。
彼が私達を標的に定めたのは、次兄様が婿入りする直前だったわ。
私が隣国に婿入りする次兄様と、最後の別れを惜しんで抱きしめ合っているところを魔法写真機で映してね。
それを特大のスクープとして堂々と下品な雑誌の表紙に掲載したのよ。
『近親相姦の公爵家の秘密を暴露!』――ってね。
女神様にも誓えますけれど、私と次兄様はそんな汚らわしい関係では無いわ。
ねつ造どころか偽証、無実の罪だったのに。
だけれども、世間というのは残酷なもので、私達は新聞記者達に――まるで屍肉を漁るカラスに追い回されるように、徹底的にいたぶられたわ。
……唯一救いだったのは、義姉様達が『二人の近親相姦は明らかな冤罪』と断言して下さって、次兄様を堂々と迎えて下さったことくらいかしら。
それでも、私の婚約は泣く泣く破談になったし、父と兄の事業は大幅に追い込まれた。
母なんて噂の火消しに躍起になっている内に体を壊して、姪っ子が生まれるまでは寝たきりだったのよ?
ああ、そうそう、これだけは警察の方にも告げておきたいのだけれど……。
私の一門の者、もしくは我が一族の手の者がトニーを始末したのだとしたら、既にあなた方は上から圧力をかけられていますわよ?
こうやって捜査ができている時点で、手を下したのは私達では無いわ。
ああ、実に残念ねえ……。
じっくりと復讐の計画を練っている時に、肝心のトニーが死んでしまうなんて。
警察の方、あらかじめお告げしておきますわ。
あの男は存在しているだけで毒をまき散らす存在よ。
きっと私達以外にも、その毒の被害を受けた者が大勢いたのでしょうね。
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……トニーが……死んだ?
昨日帰ってこなかったから、きっと何かあったんじゃないかと思っていましたが……。
いえ、トニーがこの家に帰ってこないこと自体は、そう珍しいことじゃないんです。
トニーは大衆紙の記者で、面白い情報を求めてあちこち出向いていましたからね……。
ああ……ううっ……。
ご、ごめんなさい、いきなり泣いたりして。
あの子が死んだと聞いて、私、母親なのに……凄く安心したんです。
……きっと私の育て方が良くなかったんでしょうね。
あの子は、とても悪い子に育ってしまいました。
あの子は言葉を使って、人を傷つけるのが大好きだったんです。
心を抉るような言葉を好んで使っては、人を追い詰めて……自殺させたこともあります。
……母親として、いえ、一人の人間として、私はあの子を止めようとしました。
医者にもかかったんです。
でも、何も変わらないどころか、良くしようと足掻けば足掻くほど、あの子は私を叩きました。
『中古女の癖に』
『ババアの癖に』
人の心が分からないならまだ良かった。
でも、あの子は人の心と心の痛みが分かっているんです。
だから、人の心の傷つけ方と痛めつけ方を思いつくんです。
もっとも残酷な手段を使っての……。
私は、正直、疲れてしまっていました。
あの子に人を傷つけないでいて欲しいだけなのに――あの子は私の心も、無慈悲に、嗤って抉るから。
……多分、あの子に死んで欲しいと思ったことはありません。
でも……休みたい、離れたいとはずっと思っていました。
あの子が公爵家のありもしないでっち上げの記事を書いた時なんて、命の危険を感じて五回も引っ越さなきゃいけなくて……。
なのにあの子は『正しいことをしたんだから何も間違っていない』って言い張って、私が『もう止めて』と泣いて頼んでも無視するんです。
どうしてなんでしょう。
私はあの子に優しい子に育って欲しかっただけなのに。
あの子が死んだと聞いたのに――私は何も悲しくない上に、とてもほっとしているんです……。
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死神は、自らの信号無視による交通事故で息絶えたばかりの魂に告げる。
『……おまえの死を悼む者は、一人もいなかったでしょう?』
トニーの魂は絶叫した。
「嘘だ!貴様は死神じゃなくて悪霊だ!だからこんな下らない幻覚を見せてくるんだ!お前なんか消えてしまえ!消えろ消えろ悪霊!私はいつだって正しかったんだ!悪いのはアイツらなんだ!全部全部そうなんだぞ!?」
まだ言うか。
死神も呆れてしまった。
あれだけ人を言葉の刃で傷つけて殺しても、挙げ句に己の信号無視で交通事故を起こしても、この魂は何とも思っていないのだ。
『冥府の掟に従って、おまえの魂は永遠の地獄に堕とします』
しつこく大声で喚き散らすトニーの魂を引きずって、死神は酷く憂鬱な気分で地獄へと向かうのだった。




