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人族編 第3話:引き金と叫び

 最新鋭浮遊艦アルバトロスが、アイアン・ギルの第4ドックへと帰還した。  重力エンジンが停止し、**紫水晶月アメジスト**の加護から解き放たれた船体が、ずしりとした本来の重量を取り戻して着艦台に鎮座する。


「任務完了だ。お疲れ、リアン」


 カイルは座席を立ち、手際よく記録媒体を抜き取った。その動作には一点の迷いも、先ほど戦場で見せた一瞬の震えも残っていない。軍服の襟を正し、完璧な「連邦の軍人」へと戻っていた。  対照的に、リアンは操縦桿を握ったまま動けずにいた。指先にはまだ、熱線砲が火を噴いた時の微かな振動と、スピーカー越しに聴いたあの絶叫がこびりついている。


「……なぁ、カイル。あの後、彼らはどうなったと思う?」 「『障害』は排除した。それ以上の追跡調査は僕たちの仕事じゃない。報告書には『施設の防衛に成功、損害なし』と記載する。それだけだ」


 カイルはリアンの肩を軽く叩き、出口へと向かった。  ドックに降り立つと、そこには非番の整備兵や士官たちが集まっており、帰還した二人を拍手で迎えた。


「よくやった! 第8集水施設の貯水率は過去最高だそうだ」 「獣人どもの姑息なテロを完璧に阻止したらしいな。さすがは最新鋭艦だ!」


 口々に投げかけられる称賛の言葉。ドックの巨大モニターには、すでに軍広報部によるニュースが流れていた。  そこには、**翡翠月ヴェニス**から降る美しい天水の映像とともに、キャスターの誇らしげな声が響いている。 『――本日、勇敢なる連邦軍は、水源略奪を目論む獣人反乱軍の襲撃を退けました。彼らは非人道的な武器を用い、我々の公共施設を破壊しようとしましたが、最新の自動防衛システムがこれを未然に防ぎ……』


「非人道的な武器……?」


 リアンはモニターを見上げたまま、乾いた笑いを漏らした。  彼らが持っていたのは、泥にまみれた石の斧と、ひび割れた土器だけだ。水が欲しくて、喉を鳴らして這いつくばっていただけの者たちを、連邦は「武装した反乱軍」として描き出している。    ニュースの画面が切り替わり、今度はアイアン・ギル中央広場で噴水が勢いよく吹き上がる様子が映し出された。市民たちが歓声を上げ、豊かな水に触れて笑い合っている。  その水の数滴でもいい、あの干上がった川底に流れていれば。  あの三発目の熱線が放たれる前に、一言でも対話があれば。


「リアン、顔色が悪いぞ。今日はもう上がれ。整備報告は僕がやっておく」  カイルが気遣わしげに声をかけるが、リアンはその手を振り払うようにして歩き出した。


「いいよ、一人で歩ける。……少し、風に当たってくる」


 リアンが向かったのは、自宅ではなく軍の資料閲覧室だった。  好奇心。それは本来、新しい技術や未知の現象を解明するためのエネルギーだった。だが今のリアンを突き動かしているのは、もっと暗く、切実な渇きだ。   (本当は何が起きてるんだ? 獣人たちは本当にテロなんて計画してたのか? なぜ、彼らには一滴の水も与えられないんだ?)


 軍のネットワークにアクセスし、自身のIDでログインする。  閲覧制限のかけられた「第8集水施設・周辺生態報告書」のファイル。通常、一操縦士が見る必要のないデータだ。だが、リアンにはこの艦のシステムを構築した一員としての知識がある。カイルが教えた「規律」という境界線を、リアンの指先が軽々と越えていく。


 暗い画面に浮かび上がったのは、公式発表とは全く別のデータだった。  そこには、翡翠月ヴェニスの降雨軌道が、人族の過剰な集水によって「人為的に歪められている」可能性を示すグラフが表示されていた。


「これじゃあ……下流に水が行かないのは、自然現象じゃない。僕たちが、無理やり奪い取ってるんだ……」


 さらにファイルを読み進めようとしたその時、背後の自動ドアが開いた。  リアンは慌てて画面を消そうとしたが、間に合わない。


「……何をしている、リアン」


 そこに立っていたのは、カイルだった。その瞳には、親友を案じる色ではなく、規律を犯した者を見定める「観測士」の冷徹な光が宿っていた。

 静まり返った資料室に、カイルの足音だけが硬く響いた。  リアンは消し損ねたモニターの前に立ち尽くし、親友の視線から逃れるように拳を握りしめた。画面には、人族が意図的に天水の軌道を捻じ曲げ、獣人の居住区を干上がらせている証拠が、冷徹なグラフとなって表示されたままだ。


「……見てしまったんだな、リアン」  カイルの声は、いつになく低く、沈んでいた。


「カイル、これを見て何とも思わないのか? 彼らはテロリストなんかじゃない。僕たちが、彼らから生きる権利を奪ったんだ。あの熱線砲は、追い詰められた犠牲者をさらに追い詰めるためのものだったんだ!」


 リアンは詰め寄った。しかし、カイルは一歩も引かなかった。その瞳に宿っているのは、揺るぎない覚悟と、リアンに対する深い絶望だった。


「知っている。このデータを作ったのは、僕たち観測士の部署だ」 「……知ってて、あんなに平気な顔をして撃ったのか!?」 「平気なわけがないだろう!」


 カイルの怒号が響いた。冷静な彼が見せた、初めての激昂。カイルはリアンの胸ぐらを掴み、モニターへと押し付けた。


「いいか、リアン。アイアン・ギルには三千万の人間が住んでいる。水が止まれば一週間で暴動が起き、一ヶ月で半分が死ぬ。僕たちの仕事は『誰が正しいか』を決めることじゃない。『誰を生き残らせるか』を選ぶことだ! 規律を破り、真実を広めて何になる? 同族を飢えさせ、内乱を招くだけだ!」


 カイルの言葉は、正論という名の鈍器だった。  人族の繁栄は、他種族の犠牲という暗い土台の上に築かれた砂上の楼閣。それを知った上で、カイルは泥を被る道を選んでいたのだ。だが、リアンにはどうしてもそれが受け入れられなかった。


「それでも……嘘で塗り固めた幸せなんて、僕は認めない。そんなの、ただの略奪だ」 「……お前ならそう言うと思ったよ。だから、これ以上は行かせられない」


 カイルが腰のホルスターに手をかけた。麻酔弾を装填した軍用銃。  リアンの背筋に、紫水晶月アメジストの引力に似た、ヒリつくような緊張が走る。


「カイル、本気か? 僕を撃つのか?」 「拘束して、記憶消去の処置を申請する。お前の才能は連邦に必要だ。……『好奇心旺盛で、正義感の強すぎた整備士』としての記憶は、ここで捨ててもらう」


 銃口が向けられた瞬間、リアンの好奇心が、死に物狂いの「生存本能」へと切り替わった。  リアンは背後の端末を叩き、緊急用の消火システムを強制起動させた。スプリンクラーから勢いよく水が噴き出し、視界が白く遮られる。


「リアン!」  カイルの叫びと同時に、麻酔弾が虚空を切り裂いた。  リアンは資料室の窓へ向かって走り出した。ここはアイアン・ギルの上層階。窓の外には、**黄金月ソール**の照り返しを受ける雲海と、遙か下に広がる不毛の大地がある。


 リアンは腰のベルトに予備の「携帯用小型重力発生装置グラビティ・タグ」を叩きつけた。 「……カイル。ごめん。でも、僕は確かめたいんだ。あの叫び声の続きを!」


 リアンは迷うことなく、高度数千メートルの虚空へと身を投げた。  背後でカイルが窓際に駆け寄り、空を掴もうとするのが見えた。だが、紫水晶月の加護を纏ったリアンの体は、一筋の紫色の光となって、鉄の都市を離れ、深い霧の中へと消えていった。


 人族の英雄になるはずだった少年が、世界の境界線を越えて「反逆者」となった瞬間だった。

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