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人族編 第1話:黄金月(ソール)の下で

 空は重く、そして眩しかった。  浮遊造船都市「アイアン・ギル」の朝は、巨大な**黄金月ソール**が地平線から昇り、鉄の街並みを赤銅色に染め上げる瞬間から始まる。この世界には太陽がない。代わりにこの巨大な自発光衛星が、灼熱に近い熱と光を地上へ投げつけ、同時に逃れようのない労働の開始を告げる。


 都市の最上層、第4ドックに位置する最新鋭浮遊艦「アルバトロス」の甲板で、リアンは顔の油汚れを拭いもせず、複雑な回路が剥き出しになった心臓部――重力エンジンの調整に没頭していた。彼の指先が、妖しく紫に発光する魔導回路に触れる。その瞬間、周囲の重力がふわりと消失し、リアンの体は数センチ地面から浮き上がった。


「これだ……。やっぱり、この共鳴係数ならもっと出力を上げられるぞ!」


 リアンは弾むような声を上げた。彼の瞳には、純粋な好奇心と、科学技術への無邪気な信頼が宿っている。彼にとって、この重力エンジンは単なる戦争の道具ではなかった。それは、重力という世界の檻から人類を解き放ち、まだ見ぬ空の果てへと連れて行ってくれる「魔法の翼」だ。


 リアンは好奇心の塊だ。なぜ月は浮いているのか。なぜ空から水が降るのか。その答えを知るために、彼は軍の技術学校に入り、この最新鋭艦の操縦士兼整備士という座を勝ち取ったのだ。特に、この艦の動力源である**紫水晶月アメジスト**の引力を利用する技術には、寝食を忘れるほど心酔していた。


「リアン、浮かれすぎだ。重力場が不安定になっている。出力係数をマニュアル通りの数値に戻せ」


 背後からかけられた冷徹な声に、リアンは苦笑いしながら着地した。そこに立っていたのは、幼馴染であり、本作戦の観測士を務めるカイルだった。カイルの軍服には一ミリの乱れもなく、その手には最新型の観測端末が握られている。


「固いこと言うなよ、カイル。マニュアルはあくまで『安全圏』だろ? 少し冒険しなきゃ、この子の本当の力は引き出せないよ」 「軍において『冒険』は『リスク』と同義だ。僕たちの任務は、このアルバトロスを確実に目的地へ届けること。規律こそが、僕たちの命を守る唯一の盾なんだ」


 カイルは端末から目を離さずに言い放った。カイルはリアンとは正反対の男だった。彼は世界を「秩序」と「数値」で捉えている。彼にとっての正義とは、連邦の定めた規律を守り、人族という種を守り抜くこと。そのためには、個人の感情や好奇心などは二の次だった。


「目的地、ね……。南方の第8集水施設だろう? あんな乾燥地帯に、わざわざこんな重武装の艦で行く必要あるのかい? あそこは、ただ雨を受けるだけの場所だろ」


 リアンの問いに、カイルは一瞬、言葉を詰まらせた。だがすぐに、感情を排した声で答える。


「最近、周辺の『獣人』どもの動きが活発化している。彼らは我々の集水施設を狙っているという情報があるんだ。連邦にとって、**翡翠月ヴェニス**がもたらす『天水』は生命線だ。それを奪おうとする者は、例え誰であれ排除しなければならない」 「奪う、か……。でもカイル、元々はあの辺りだって、彼らの土地だったんだろ?」


 リアンの言葉に、ドック内に重苦しい沈黙が流れた。アイアン・ギルの下方を見下ろせば、そこには掘り尽くされた鉱山の無残なクレーターが広がっている。人族は生きるために、そして文明を発展させるために、大地を削り、空を汚し、資源を独占してきた。


「リアン、その考えは危険だ」  カイルが初めて、友人としての忠告を込めた視線をリアンに向けた。 「僕たちは人族だ。人族の生存を最優先に考えるのが義務だ。それ以外の感情は、戦場では致命的なノイズになる。……いいか、**漆黒月エクリプス**が昇るような不吉な真似はするな」


 その時、ドック全体に発艦を告げるサイレンが鳴り響いた。蒸気機関の黒煙が黄金月ソールの光を遮り、巨大な鉄の扉がゆっくりと開いていく。


「……行こう。空の上なら、そんな難しいこと考えなくて済むしな」


 リアンは無理に明るい声を出して、操縦席に飛び乗った。重力エンジンが低い唸りを上げ、紫水晶月アメジストの加護を受けた船体が浮力を得る。巨大なアルバトロスがゆっくりとドックを離れ、黄金色に輝く雲海へと滑り出した。


 眼下には、見渡す限りの赤茶けた大地が広がっている。リアンはまだ知らなかった。自分が愛したこの「翼」が、誰かの希望を無慈悲に踏みにじる瞬間が、すぐそこまで迫っていることを。

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