騎士ランスロット・グレイのかくしごと
「私は、あなたに隠していることがあります」
春の晴れた日、昼下がり。
うららかな陽光に照らされた庭を目を細めて眺めていたアリシア・カーライルに、ランスロット・グレイはそう切り出した。
「………隠していること、ですか」
たっぷりと間をとって、アリシアは首を傾げた。まっすぐな長い髪がさらさらと肩から胸元へ流れる。
「それは、私がお伺いしたほうが良いお話でしょうか」
そう問い返されて、ランスロットは、うぐ、とことばに詰まった。その様子に、アリシアはやんわりと首を振る。
「誤解なさらないでくださいね。あまりに思いつめたご様子だったから、無理にお話にならなくても良いのではないかと思っただけですから。お伺いしたほうが良いお話であれば、もちろんお伺いいたします」
背筋を立ててまっすぐに向き直った淑女を、ランスロットは改めて見つめた。
ランスロットの婚約者、伯爵令嬢のアリシア・カーライル。
従卒を経て従騎士になり、騎士になってから王宮に勤め、貴族らしい社交活動をほとんど行っていないランスロットでさえ、その名は何度も耳にしたことがあった。
いわく、伯爵の溺愛する、カーライル家の秘蔵の宝。
いわく、薔薇も霞むほど華やかで可憐な、社交界の華。
いわく、地上の女神。
今日まで姿を見たことがなかったが、たしかにそう呼ばれる理由は納得できた。
背中の中ほどまであるだろう髪は、触れなくても絹のような質感だと分かる。
庭の木陰に造り付けられた四阿の中で、周りに咲き誇る手入れされた花や木々の青々とした葉が照り返すわずかな陽光の残滓を受けて、金糸がきらきらと瞬くように光を放つ。
晴れた日の空の下に出ればどれほどまばゆく、青空に映えて美しいだろう。
形の良い唇は林檎のように艶良く、控えめな微笑みは貴族的だ。カップを口に運ぶ仕草も、ただそこに座っているだけの姿も、嘆息するほど様になっている。
しかしそれは、計算された、人工的な美だ――とランスロットは思う。
彼女はきっと、弾けるように歯を見せて笑うことなど、したことがないだろう。
飾らない無邪気な感情とは無縁な、幼いころからの教育の賜物として、あるべき姿に作り上げられた、理想的な令嬢。
だから、無理なのだ。
ランスロットは意を強くして、再び口を開いた。
「実は――私には、心に強く想う女性がいます。もう三年もの間、彼女だけを想ってきた。彼女のことが忘れられない。だから、あなたのことを愛することはできません。申し訳ありません」
アリシアに深々と頭を下げる。
罵倒されるだろうか。それとも平手で頬を打たれるかもしれない。
あるいはカップに残った茶を浴びせられるか――。
どのような仕打ちを受けようと、ランスロットは甘んじてそれを受け入れるつもりだった。
そもそも、アリシアは伯爵家の令嬢であるのに対し、ランスロットは子爵家の長男で、家格はアリシアの方が上である。
身分が下で、しかも初対面の婚約者から、こんな無礼を働かれたのだ。
彼女には憤慨する権利があるし、当然ランスロットは彼女の怒りに責任を負うべきだ。
しかし、待てど暮らせど、何の返事もなかった。
よほどショックで声を失っているのだろうか。
頭を下げているせいで、彼女の様子はさっぱり分からない。相手がまだその場を去っていないことは分かるが、いったいどういう状況なのだろうか。
ランスロットが次第に不安になり始めた頃合いに、透き通った静かな声が耳に届いた。
「ランスロット様。お顔を上げてください」
ゆっくりと背を立てると、先ほどと完全に同じ姿勢のまま、アリシアがこちらを見ていた。
声にも表情にも、動揺は感じられない。
「いまのお話は、どういう風に受け止めたら宜しいのでしょう。つまり、ランスロット様は私との婚約は解消されて、想う方と添い遂げられるということでしょうか」
「………いや、それは………」
この婚約は王太子の意向を強く受けて整えられたものだ。王命と言わないまでも、解消などとなれば王家の怒りを買うことは間違いない。
それになにより。
「………それは、できないのです。申し訳ありません」
「では、どうなさるのでしょう。私と結婚された後、その想い人の方を、愛人として邸宅に招かれるということでしょうか」
絞りだすように呻いたランスロットに、アリシアは再び首を傾げた。
「違います。愛人を持つことなんて、私は考えたことがありません」
結婚は政略でも仕方がない。足りない愛や欲は別で満たせばいい。
それは貴族としては当たり前の発想だが、ランスロットは不快感を覚えた。
「そもそも、私が彼女と結ばれることはありません。私の一方的な想いです。彼女に伝えたことすらない。それでも、どうしても彼女への気持ちを断ち切れないのです」
「……つまり、どういうことでしょうか」
「どういうこと、とは」
「ランスロット様が私に何を求めていらっしゃるのか、分からなくて」
今度はランスロットが首を傾げた。アリシアは春の空のように柔らかな蒼の瞳で真正面からランスロットの目を射た。
「ランスロット様も私も貴族です。貴族としての権利を享受している以上、義務を果たすべきであり、政略結婚もそのひとつ。愛があろうとなかろうと、家同士の繋がりを強固にする上で、婚姻は強力な手札です。私の家は、私という手札を切ることで、今回王家の顔を立てて恩を売り、グレイ家とも縁続きになりました。グレイ家とカーライル家はこれまであまり親交がありませんでしたが、今後は行き来もあるでしょう。領地は比較的近いですから、そちらでも何かと協力できることはあるかもしれませんね」
たおやかな令嬢が紡ぐ、流れるような口上に、ランスロットは目を丸くした。
「この婚約は私がランスロット様を愛しているから成立したわけではございません。いま申したような理由があって、カーライル家としてこの婚約を受けて良かろうと判断したのです。婚姻する以上は、両家の関係を良好なものとすることが義務。さて、ではそれを前提としまして」
アリシアは、にこり、と唇の端を持ち上げた。
「ランスロット様はほかに想う方がいらっしゃると仰る。けれど私との婚姻は予定通り行う。愛人として連れ込むわけでもない。そもそも結ばれる相手でもない。そうだとすれば、私にそのようなことを仰る意図はどこにあるのでしょう。私があなたの愛を乞わないように釘を刺されているのですか。あるいは私と床を交わすつもりがないということを宣言されているのでしょうか」
貴族的な微笑むの奥に潜む感情を垣間見た気がして、ランスロットは怯んだ。
それが怒りなのか、悲しみなのか、それとも嘲りなのか、見当がつかない。
「いえ、私はその、ただ単に……」
どう伝えれば良いか分からず、しどろもどろになるランスロットの言葉尻を、美しい少女が拾う。
「ただ単に、自分の気持ちを私に隠しておくのが後ろめたかったから、私に打ち明けられただけ、つまりは自己満足ということでしょうか」
「じ、自己満足………?」
アリシアの評価に、ランスロットは言葉を失う。
相手からそんな風に言われるとは、考えもしなかったのだ。
自分の秘めた恋を打ち明けることは、むしろ婚約者に対する誠意の表れのつもりだった。
本来愛すべき妻となる女性を愛せないのであれば、心から詫びるべきだと思った。
だから、正しいと思うこと、自分がやるべきだと思ったことを実行したのに。
声を荒げるでもなく、怒りを露わにするでもなく、ただ淡々と話す少女の形の良い唇を、ランスロットは零れるほど目を見開いて見つめた。
「………日が傾いてきましたね。申し訳ありませんが、お見送りは致しません。気を付けてお帰りくださいませ」
音もなく立ち上がってするりと四阿を抜け出した彼女に、近くに控えていた銀髪の侍女がすかさず日傘を差し掛ける。
「それでは、ごきげんよう」
そう言って優雅に一礼したアリシアの表情は、傘の陰になって見えない。
遠ざかっていく白い日傘を眺めながら、ランスロットはただ茫然とその場に取り残されていた。




