我が儘で当たり前、公爵令嬢ですから
「我が儘言いたい放題ですわ。だってわたくしは公爵家の娘ですもの」
クラリッサ・アップルトンは独特の価値観を持つ公爵令嬢だ。
そしてオレは同い年の子爵家三男坊、どういうわけかクラリッサとは幼馴染だ。
「公爵家の娘だから我が儘言いたい放題というのが、いかにもクラリッサだなあ。その心は?」
「ふふっ。王族には義務なり公務なりが発生するでしょう?」
分厚い本のページをめくる手を休めてオレに語りかけるクラリッサ。
「クラリッサは美人だなあ」
「あら、エルナールったら。恥ずかしいわ」
「すまない。つい心の声が漏れてしまった」
「うふふっ」
クラリッサは大体いつも上機嫌だ。
これも我が儘言いたい放題だからか?
「そうね。わたくしには王族のような義務はありませんから、やりたいようにやらせてもらっていますわ。幸せです」
「分厚い本を読むのも幸せの一環なのかい?」
「もちろんですよ。知識や技術というものは、誰かに教えてもらうか自分で努力するかでしか手に入りませんからね。自由に本を読めるのは幸せです」
つまり公爵令嬢は、やらなければいけない仕事が発生しない者の内、最も身分が高いということが言いたいらしい。
理屈としてはその通りだろうが、何となく腑に落ちない。
クラリッサは我が儘我が儘と言いながら、決して努力を怠らないのだ。
今読んでいた本も商業地理学を扱うもので、王立学院高等部でも習わない内容だ。
「クラリッサは美しいだけじゃなくて頭もいいからなあ」
「あら、どうしたの。そんなにわたくしを褒めてくれるなんて。とてもエルナールらしくて素敵だわ」
「オレじゃその本の内容は理解できないよ」
「エルナールは剣術に優れているではありませんか。凛々しいわ」
バカップルの会話だと思うだろう?
信じられないかもしれないが違うんだ。
クラリッサは我が国ナンバーワンの富裕を誇るアップルトン公爵家の令嬢。
対するオレは貧乏子爵家の三男坊。
釣り合いも何もあったもんじゃない。
普通ならばクラリッサは、少なくとも侯爵家以上の令息に嫁ぐ身だ。
あくまでも普通ならば、だが。
「嫌ですわ。わたくしは我が儘が許される身ですのよ? どうしてわざわざその立場を捨てて婚姻を結ばなければならないのか。意味がわかりませんわ」
「クラリッサの理屈は実にユニークだなあ」
「うふふ。エルナールは大変褒め上手でしてよ」
褒めてない。
そういえば第一王子ナイジェル殿下から婚約の要請があったというが、本当だろうか?
いや、疑ってるわけじゃない。
むしろクラリッサなら当然だが、だったらお妃教育で忙しいんじゃないの?
「ナイジェル殿下との婚約の話ですか? ありましたよ。お断りしましたが」
「断っ……た? 殿下は王になる人だよ? クラリッサは王妃になれるんだよ?」
「何度も話がしつこく来るんですの。その都度病弱でお務めに堪えませんと言っているのですが」
どーして?
クラリッサの病弱って、ただの設定だよね?
実際はすこぶる健康ですよね?
ナイジェル様この前立太子間近だって報道されましたよ?
輝かんばかりのハンサムですよ?
「ただお妃教育の内容には興味がありましたので、一ヶ月ほど王宮に通わせていただいたのですよ」
「そうだったの?」
ああ、クラリッサは王立学院高等部に通ってないから、空き時間を使ってか。
「大体マスターいたしましたので、もう用はなかったのです」
「え?」
一ヶ月でマスター?
お妃教育って心を病むことがあるほど厳しいって聞いたことあるんだけど?
「語学・マナー・政治経済・帝王学等の教養分野だけですよ? さすがに王家の秘密に立ち入ると戻れなくなりそうですので、適当な辺りで辞退して」
「……」
開いた口が塞がらない。
そりゃそんな優秀さを見せつければ嫁に来いって言われるわ。
どうしてそんなに我が儘なの?
「だってわたくしは公爵家の娘なのですもの」
「ああ、クラリッサだもんね。愚問だった」
公爵様すごいなあ。
よく王家の要請を突っぱねられるもんだ。
「お父様もかなり我が儘でしてよ」
「噂で聞いたな。宰相になってくれって言われて断ったとか?」
「らしいですわね。でもお父様に宰相はムリですわ」
「あれ? 意外な評価だね」
「王ならば向いていると思いますが」
あ、王様ですか。
クラリッサが言うなら当たってるんだろうけど。
……オレは実家からはこう言われていた。
「エルナールよ、クラリッサ嬢に失礼があってはならんぞ。どういうわけかお前は気に入られているようだからな」
「アップルトン公爵家は王家以上の富豪と言っても過言ではありません。公爵様の機嫌を損ねると、我がデービス子爵家など吹き飛んでしまうのです」
「学院初等部に入学すればクラリッサ嬢と同級になるのだろう? 嬢の盾となりその身を守り、しかし決して目立ってはならぬ」
「とにかく頑張れ」
父さん、母さん、大兄さん、小兄さん。
当時八歳のオレには荷が重かったです。
それでも王立学院初等部の入学式は鮮明に覚えている。
だって皆がクラリッサのこと見てるんだもん。
ふわっふわのピンクブロンドにシャープな顔立ち。
どちらかというときつめの印象になりがちなのを和らげる、公爵似のちょっと垂れた目。
派手過ぎない洗練された礼服と相まってメッチャ美少女だったもん。
第一王子ナイジェル様が注目されたの、入場の時と新入生挨拶の時だけで、あと空気だったぞ?
「クラリッサが高等部に進学しないことは誰も予想できなかったよ」
「何故でしょうね? 高等部進学は義務ではないのに」
「いや、だって君は特別優秀な成績だったじゃないか」
「そんなことないですわ。エルナールったら、本当にお上手ね」
初等部でのクラリッサの成績は上の下程度だった。
しかしそれはクラリッサが学院を休みがちだったからだ。
というよりギリギリ卒業できるだけしか登院しなかった。
ボロクソに出席点を引かれているのに成績上の下ってどんなだ。
「学院はあまり好きではなかったの」
「好きじゃないようには見えなかったな。学ぶのは好きなんだろう? また学友と楽しくお喋りしているようだったけど」
「御令嬢方とお話しするのは楽しかったですわ。でも講義が退屈で……」
「あー」
座学はほとんど満点だったもんね。
初等部くらいの内容は理解してたんだね。
「声楽は好きだったですけれども」
「えっ?」
クラリッサ、君言っちゃ悪いけどド音痴だったよね?
聞いてると不安になるから歌うのやめなさいって先生に言われてたよ。
学院初等部の課外クラブで唯一勧誘に来なかったの、合唱団だったよね?
「思い通りにならないこともまた一興といいますか」
「そうだったのか。オレはまだ君を理解しきれてなかったんだな。自省するよ」
「まあ、エルナールったら。あなたはとっても素敵よ」
クラリッサはよくこう言ってくれるけど、どこまで本気なんだろうな?
気が合うことは間違いないんだろうけど。
「ちなみにクラリッサの中で、オレはどういうポジションなの?」
「愛しい人でしてよ。エルナールの中でのわたくしのポジションは?」
「もちろん愛しい人さ、マイハニー」
「あら、うふふっ」
もちろんクラリッサとオレとでは身分が違うから、せいぜい友人ポジションが関の山ということが明らかな上での冗談なわけだが。
「クラリッサほど賢く美しければ引く手数多だろうに」
「わたくしは我が儘ではあるけれど、異性に対して気が多いわけではありませんのよ? エルナールがいれば十分なのです」
冗談とわかっていてもこのセリフはくるなあ。
「エルナール、顔が赤いですよ」
「愛しい人が可愛いセリフを囁くものだから」
ハハッ、クラリッサの顔も赤くしてやった。
今日は引き分けだ。
「クラリッサ」
「あら、お兄様」
「イチャイチャしてるところすまんな、エルナール」
「いえいえ、お気になさらず」
アドリアン様はオレやクラリッサの二つ年上の公爵令息だ。
目以外の顔立ちはクラリッサによく似ている。
つまり超イケメンだ。
おまけに学院高等部を首席で卒業するほどの優秀さ。
何なの、この兄妹。
「王家から手紙が来ているんだ」
「あら、またですか?」
「どうせ婚約の申し込みなんだろう?」
「でしょうね。お断りの手紙を書く時間がもったいないのですが」
「お断りの返事を印刷しとけばどう?」
何気なく口から出た言葉に目を丸くする美形兄妹。
失礼なのはわかってますって。
冗談だからね?
「……それだ! やるじゃないかエルナール!」
「えっ?」
「お兄様も思うでしょう? わたくしのエルナールは時々とても賢いのですわ」
「えっ? えっ?」
本気かよ?
この二人どうなってんだ。
まだまだ理解できていないことが本当に多い。
封を開けるクラリッサ。
「あら、婚約の申し込みじゃなくて、夜会のお誘いでしたわ」
「夜会?」
「舞踏会ですね……準礼服の集いですから、格式ばったものじゃなさそうです。ああ、学院高等部相当の年齢の令息令嬢へと書いてありますわ。じゃあエルナールのところにも届いてますわね」
心配そうなアドリアン様。
「参加するつもりかい?」
「ええ。久しぶりに御令嬢方とお会いするのも楽しそうですから」
「でも王家主催なのだろう?」
「エルナールと一曲踊るだけにして、あとはお話に興じてまいりますわ。わたくしは身体が弱いですから」
ずっと病弱設定で通すのな?
王子様からダンスのお誘いがきっとあるよ?
当然のように断っちゃうのな?
ムリがあると思うんだけど。
「まあクラリッサの我が儘は今に始まったことじゃない、か。エルナール、よろしく頼むよ」
「わかりました。我が力の及ぶ限り、クラリッサを守ります」
「私より年下なのに、エルナールはそういうことをサラッと言えてしまうのだなあ。見習わねば」
「うふふ」
アドリアン様に見習われることなんてありませんってば。
恥ずかしい。
◇
――――――――――ナイジェル第一王子視点。
今日は夜会の日。
気分が高揚する。
何故ならば今日の夜会にはあのクラリッサ・アップルトン公爵令嬢が出席するからだ。
かの『幻の紫姫』は第一王子たる僕、ナイジェル・ダッシュウッドにこそ相応しい。
幻の紫姫。
クラリッサ嬢が紫のドレスを好んで着ることからの異称だ。
紫という色を好んでいるわけではないと聞く。
単に亡き母、公爵妃のドレスに紫が多いからだ。
クラリッサ嬢について色々調査させた。
彼女はパーティー用の装いなどというものに、砂粒ほどにも興味を示さないらしい。
いや、農業に並々ならぬ関心を寄せる彼女が砂に興味がないわけなかった。
卵の殻ほどにも……卵の殻がどうしたら割れないかも追求してるんだったか。
とにかくクラリッサ嬢はドレスに興味がないが、彼女の優秀な使用人達は主が嘲笑されるのを許せない。
紫の装いも亡き母のドレスの直しに過ぎない。
が、配下のデザイナーや針子の才能の結晶であり、それによってクラリッサ嬢は齢一七にして流行に左右されないファッションを極めているとの評価を確立している。
ファッション自体に興味がなくとも、それに関わる人材を愛するところがクラリッサ嬢の非凡なところだ。
おっと、現われた。
ああ、やはりクラリッサ嬢は美しく愛らしい。
エスコートするのが僕であれば完璧なのに。
隣を占めるあの男の存在さえなければ……。
エルナール・デービス子爵令息。
剣術しか能のないあの男を、どういうわけかクラリッサ嬢は気に入っているらしい。
どうせ社交経験の少ないクラリッサ嬢に取り入るか誑し込むかしているのに違いない。
憎いやつめ。
「クラリッサ様、お久しぶりです」
「あら、皆様御機嫌よう」
チャンスだ。
クラリッサ嬢が他の令嬢の輪に取り巻かれ、エルナールが離れた。
やつに近付く。
「エルナール」
「あ、これはナイジェル殿下。御機嫌麗しゅう」
「麗しく見えるか?」
「実は見えません」
第一王子の僕相手に何というおどけた様子の軽口。
思わず笑ってしまう。
む、さてはこの手口でクラリッサ嬢を落としたのだな?
いけ好かないやつめ。
「クラリッサ嬢に近付くな。大体身分違いじゃないか」
「オレもそう思うのですけど、何せ公爵様やクラリッサ本人によろしくと頼まれているので逆らえませず」
呼び捨てだと!
せめてクラリッサ嬢と言え!
「クラリッサ嬢を僕の婚約者にどうかと、アップルトン公爵家に打診しているのだ」
「存じております」
「えっ? クラリッサ嬢はそんなことまで君に話しているのか?」
「はい」
何ということ!
ますます気に食わない。
「エルナールはクラリッサ嬢が僕に似合いだと思わないか?」
「思います」
何だ、素直じゃないか。
割といいやつなのかも。
「何度か打診しているんだけどな。どうも色よい返事がもらえないんだ」
「クラリッサ嬢は身体が弱いでしょう? 将来の王妃はちょっとムリと言ってましたが」
「うむ。しかし僕の妃であるだけで十分なのだ。社交や公務は別の者にやらせればいいのであるし」
「ははあ、殿下はクラリッサを本当に気に入ってらっしゃるのですね」
「ああ」
クラリッサ嬢ほど賢く美しく淑やかで存在感のある令嬢がいるだろうか?
見よ。
学院高等部に通っていないにも拘らず、令嬢方の中心にいるじゃないか。
「でもクラリッサはあれで結構趣味の悪いところがあるんですよ」
「む? どういうことだ?」
「オレなんかを気に入ってるみたいで」
わかってるよ!
ぬけぬけと言うな!
こいつは敵だ!
「悪いことは言わないですから、クラリッサは諦めた方がいいと思います」
「……」
何だこいつは。
勝ち誇ったような顔をして。
いつか殺す!
「ナイジェル殿下。お久しゅうございます」
「ああ、クラリッサ嬢」
話を切り上げてこっちへ来てくれた。
ああ、何と美しいのだ!
「少々はしゃぎ過ぎてしまいました。本日はこれにて失礼させていただきます」
「えっ? もうかい?」
「はい。殿下の麗しいお顔を拝見できて、来た甲斐がありましたわ。ありがとう存じます」
ダンスはムリか。
仕方ない。
が、何とかクラリッサ嬢を手に入れることができないものだろうか?
「クラリッサ。顔色が悪いよ」
「かも知れませんね。では殿下、御無礼を」
「失礼いたします」
「あ、うん」
二人が退出していく。
全然顔色なんか悪くなかったじゃないか。
エルナールのやつめ。
しかしあの二人は自然にカップルだと思えてしまった、そんな自分が嫌だ。
クラリッサ嬢を手に入れるためには障害が多い。
特にあいつが邪魔だ。
エルナール・デービスめ。
絶対ただではおかない。
◇
――――――――――三ヶ月後、アップルトン公爵家領にて。クラリッサ視点。
「王都でクーデターだそうだ」
「まあ」
領でのんびり過ごしていましたのに、お父様の報告にビックリです。
クーデターですって?
「アドリアンから速報が入った。首謀者はナイジェル殿下」
「何故ですの? ナイジェル殿下は王太子から次期王への道が敷かれているではありませんか」
「だからこそ腐敗を一掃するというスローガンが響いたのでは、という推測が添えてある」
ふうん。
腐敗のない統治なんてないと思いますけどね。
手綱の引き締め過ぎは組織を硬直化させますよ。
「皆が概ね平和と幸せを享受していればよろしいのでは?」
「ナイジェル殿下は理想主義者なのかもしれんな」
「それで殿下は逮捕されたんですの?」
「いや、オーガスタス将軍を司令官に、西方遠征を開始するだろうと」
「は?」
王国一の武勇と忠義を誇るオーガスタス将軍を味方につけていますの?
いえ、将軍はナイジェル殿下の剣術の師でもありますね。
殿下に共感したということでしょうか?
「オーガスタス将軍が殿下に与しているということですと、他にもかなりクーデター派がいるんですの?」
「ユエン憲兵長とガレス魔道士長が主だったところだと。しかしユエン憲兵長の指揮下に各領主貴族の王都タウンハウスが襲撃され、かなりの数の貴族が捕虜になっているとのこと」
「お兄様は無事なのですよね?」
「逃げ出すのに成功したから報告を送ってくるんだろうな」
目端の利くお兄様はまず大丈夫。
でも領主貴族一家に捕虜が多いなら、クーデター派の言うことを聞かざるを得ない状況です。
推移を見たいところですが、西方遠征ですか。
戦闘を行いたいわけではなく、威勢を見せつけたいのでしょう。
同時に西方にある我がアップルトン公爵家を味方にすれば勝ちと考えているに違いありません。
「どうやらお父様がキャスティングボートを握っているようではありませんか」
「ハハッ、ナイジェル殿下に味方するなら、そなたを婚約者として差し出さねばならぬのだがね」
「面白くないですね」
この世で最も自由を謳歌できるわたくしが、どうして意に染まぬ結婚などせねばならぬのでしょうか。
わたくしには愛しのエルナールがおりますのよ。
というより、このままクーデター派有利のままことが進むでしょうか?
持久戦になると各領主貴族の反発が強くなりますよ?
新しい領主を立てて反発する者も多くなるでしょうし。
「最後によくない報せだが」
「何でしょう?」
「どうやらエルナール君は憲兵に捕まったようだ」
何をやっているのですかエルナールはっ!
あなたには剣があるでしょう?
いえ、剣を振るえぬ状況下だったのでしょうね。
「どうする?」
「仕方ありません。領兵を率いてわたくしが出陣いたします」
「ふむ?」
「クーデター派が勢いづいているのはオーガスタス将軍がいるからです。わたくしが将軍を口説き落とします。西方遠征軍を寝返らせれば勝ちです」
「それはそうだが……いや、オーガスタス将軍率いる遠征軍と正面から衝突では分がないな。クラリッサが出れば敵の気勢を削げるのは確かか。よし、行ってみろ。ムリはするなよ」
「わかっております」
「説得が不可能ならすぐ逃げてこい。地の利を生かした篭城&ゲリラ戦に切り替える」
エルナール、今わたくしが助けますからね。
◇
――――――――――クーデター派西方遠征軍。オーガスタス将軍視点。
ダッシュウッド朝フリソワ王国が爛熟期を迎え、腐る寸前にあるのではないかとは俺も薄々感じていた。
だからこそナイジェル殿下の、腐敗を一掃するためにクーデターを起こす、力を貸してくれという言葉がクリティカルヒットしてしまった。
他ならぬナイジェル殿下の発した文言だったからだ。
殿下は何もしなければ次期王であるのに、このタイミングで行動を起こすとはよほど国を憂いているのだと。
しかしどうも早まったようだ。
ナイジェル殿下は結構な才能をお持ちと思っていたが、クーデターに関しては計画を練っていない、単なる思いつきだった。
信頼できるのもユエン憲兵長とガレス魔道士長の二人だけ。
あの二人は自分の現在の境遇に満足していない不平屋に過ぎない。
フリソワ王国をどう運営すべきかの経綸など持っていないのだ。
ため息が出そうになるが、純軍事的にそそられる状況であることは間違いなかった。
人質で各領主貴族の出足を止めて様子見させておき、その間に西方の穀倉地帯と最大の実力を持つアップルトン公爵家を押さえる。
まだ戦いに倦んでいない現在の状況で俺の旗下の精鋭があれば、遠征の不利はあってもアップルトン公爵家と七:三の割合で有利にことを運べると見た。
アップルトン公爵家を降せば、ナイジェル殿下の下に革新の王国を実現できるだろう。
現在具体的な統治の方策がなくても、やり過ぎた役人を何人か見せしめにすれば、短期的な庶民の支持と役人の引き締め効果は得られる。
俺の仕事はそこまでだ。
ナイジェル殿下に対して義理を果たせればいい。
「アップルトン公爵家の軍が来ました!」
「早いな? もっと領内に引き込んでから近隣諸侯の援軍との包囲を画策すると思ったが」
囮の敗走で釣って他に兵でも伏せているんだろうか?
地形的にありそうではないが……。
「白旗を振っています。使者です!」
「ふむ?」
時間稼ぎかもしれんが、会ってみるか。
使者を威圧できれば却って話が早いかもしれぬ。
「両軍の真ん中に会談の場を設けると伝えよ」
◇
何とアップルトン公爵家の軍からやって来たのは、『幻の紫姫』の異名を取るクラリッサ嬢だった。
驚いた。
その人選にも美しさにも。
「武勇と忠義に欠けるところがないと言われるオーガスタス将軍にお会いできるとは光栄ですわ」
「こちらこそ。『幻の紫姫』をこの目で拝見できて嬉しい」
クラリッサ嬢は病弱との噂を聞いたことがある。
しかし目の前の令嬢はどう見ても健康だ。
一瞬偽者かと疑ったが違う。
気品、美貌、堂々たる振る舞い、余人であるわけがない。
いや、優れた令嬢だとは噂で聞いていたが、戦端を開く直前でこの落ち着きとは。
「して、クラリッサ嬢はいかがされましたかな?」
どう答える?
これでアップルトン公爵家の出方もわかるだろう。
「将軍の忠誠心のありようを問い質しに来たのですわ」
「は?」
俺の忠誠心を問う?
えらく無礼な言い様ではないか。
しかし鎧武者だらけの場で臆する様子など欠片も見せず、どこ吹く風と言った雰囲気だ。
これが本当に十代の令嬢なのか?
「オーガスタス将軍の忠誠心はフリソワ王国に向いているのか、ダッシュウッド王家に向いているのか、ナイジェル殿下に向いているのか。返答はいかがでしょう?」
「……」
痛いところを突いてくるじゃないか。
正直クーデターの最中は考えてなかったことだ。
俺の行動と整合性を取るには……。
「……無論、ナイジェル殿下への忠誠だ」
「どうしてですの?」
「殿下は政・官の腐敗を嫌った。俺もその意見に賛同するからだ」
これは本心だ。
ゆっくりと腐りつつあるダッシュウッド王朝へのぼんやりとした不安。
これでいいのかという思い。
「単なる消去法なのではなくて?」
「消去法?」
「フリソワ王国への忠誠なら民の苦しむ西方遠征を起こすべきではなかった。ダッシュウッド王家への忠誠ならそもそもクーデターなどあり得ない。という意味の消去法ですよ」
「……」
確かに。
そういう具合に回答を誘導したのはクラリッサ嬢の手腕だが。
クラリッサ嬢が内心を読ませない、淑女の微笑を見せる。
「不正を正し、腐敗を一掃したいという考えがナイジェル殿下にあったとしましょう。何故クーデターが必要だったのです?」
「……殿下は早急かつ断固とした改革が必要だと考えたのだろう」
「急ぎ過ぎではなくて? 現在クーデター側が優勢なのは事実のようですけれどね」
正しい分析だ。
現在のところ俺の戦略構想は正しく味方を優勢に導いている。
問題ないはずだ。
なのに不安が拭えない。
何故だ?
クラリッサ嬢が淑女の微笑みを崩さぬまま言う。
「ただそれは将軍の個人プレイですよ」
「個人プレイ?」
「はい。人質を取って領主貴族を動けなくしておき、西方に大軍勢を展開するという戦略が当たっているだけです。腐敗をなくしたいという殿下の訴えが賛同を得ているからではありません」
「そ、それは……」
「つまり将軍がいくら勝っても、ナイジェル殿下に味方は増えません。長期に渡って安定した政権を維持する未来はないということです」
頭を殴られたような衝撃だ。
そうだ、クラリッサ嬢の言う通り。
俺の戦略で勝っていても、それはナイジェル殿下の支持には繋がらない。
かといって負ければ終わり。
ナイジェル殿下も道連れにしてしまう。
俺は一体何をやっているんだ?
「ナイジェル殿下は王太子になった後、もしくは王になった後、ゆるゆると自分の考えを浸透させていき、改革に手をつけるべきでしたよ」
「……」
「ナイジェル殿下に忠誠を尽くすならば、諫言することこそ重要でした。今となっては遅うございますが」
「……」
……俺自身も正しいことをしているとは思ってないのだ。
しかし他に何ができた?
どうしてこうなった?
クラリッサ嬢が答えを持っているなら聞きたい。
「……どうすればいいだろうか? 俺はどうなってもよい。ナイジェル殿下を救う手段はないだろうか?」
ダメだ。
俺は目の前しか見えていなかった。
政治政略には向いていない。
勝っても支持が広がらないのであれば、いつまでも恨みが燻り続ける。
どう考えても何もしない方がマシだった。
ナイジェル殿下にとって過酷な未来しか見えない。
「ありますよ」
「本当か?」
「ええ。オーガスタス将軍が我がアップルトン公爵家の軍に加わってくださって、王都に進撃すればよいのです」
「は? 俺が裏切り者になるだけではないか」
「次の王位にはお父様が就きます」
公爵が?
いや、アップルトン公爵家には王位継承権があるんだったか。
あながち突飛な意見でもない?
「よろしいですか? 普通にことを収めようと思えば、ダッシュウッド王家を切り捨てたナイジェル殿下が血塗られた王として君臨するか、ナイジェル殿下を処刑して王家が別の王子を立てるかの二択になってしまいます」
「まさしく。どちらであっても王権の極度な弱体化は免れ得ないな。フリソワ王国が不安定になる」
「はい。ですからこの際ダッシュウッド朝は諦め、アップルトン公爵家を王として支持してもらいます。将軍が味方になってくれて、道々王都を解放する、アップルトン公爵家を支持する者は集えと檄を飛ばせば、間違いなく支持を集めて大軍勢となります」
うむ、新王朝は安定するだろうな。
政略とはこういうものか。
新しきものを見たような爽快感がある。
しかし……。
「それがどうナイジェル殿下を救うことになるのだ?」
「アップルトンとしては、ナイジェル殿下を罰する謂れがないではありませんか。ダッシュウッド王家に疑問を突きつけ、真っ先に行動を起こしたのですよ? アップルトン朝創立の最大の殊勲者なのですから」
「あっ?」
同時にユエン憲兵長とガレス魔道士長も助かる理屈か。
何という奇策!
「素直に王権を譲ればダッシュウッド家を重く用いると通達すれば、降伏してくると思いますよ。ほら、ナイジェル殿下とダッシュウッド王家を両方とも救えるでしょう?」
「確かに。ああ、目の前の霧が晴れたような気分だ!」
まさに救国の鬼謀!
クラリッサ嬢は希代の軍師だ!
「では将軍は今日の会談の内容とフリソワ王国の今後のありようについて、王都のクーデター派反クーデター派双方に手紙を書いてくださいますか? 将軍の進撃が止まったことを知れば、反クーデター派が蠢動しますわ。有力者に人死にが出るとどうしても処罰せざるを得なくなってしまいますからね」
「はっ!」
「わたくしは諸侯に檄文を送りましょう。ああ、将軍の手紙にわたくしも書き添えましょうか。天下国家のためにアップルトン公爵家についてくれた将軍が、単なる裏切り者だと思われると迷惑です」
実に細やか!
このような主に仕えたいものだ。
◇
――――――――――解放軍王都到着後。エルナール視点。
「エルナール!」
「おお」
クラリッサがオレの胸に飛び込んできた。
こんな感情を爆発させるのはらしくないな。
どうしたんだろう?
「もう、むざむざ憲兵に捕らえられるなんて、エルナールらしくないですわ! 剣の腕は何のためにあるのです!」
「ええ? 過激だな。いや、当時は状況が全然把握できてなくてさ。憲兵も腰が低かったから、大人しく捕まっとけって感じだった。ナイジェル殿下主導のクーデターというのは後になって知ったんだ」
「お兄様は一目散に逃げてきましたよ?」
「アドリアン様は情報を持ってて、何かを察してたんだろうな。オレみたいな凡人にはムリ」
捕まった貴族も、何が何だかって人が多かったよ。
「どのタイミングでクーデターと知ったの?」
「捕らえられて三日後くらいだったな。ナイジェル殿下直々に説明があって、諸兄らを軽んじるつもりはないから、大人しくしていてくれって」
「そうなの」
「ただしオレに対しては、ただではすまさんと言ってたな」
「えっ?」
「殿下はクラリッサのことがすごく好きみたいでさ。クラリッサと結婚してアップルトン公爵家を後ろ盾にし、王となるって。オレのことは邪魔だって、もう怖い怖い」
「危なかったわ」
「いや、牢番は捕まった貴族の恨みを買いたくないみたいでさ。いつでも外には出られたんだよ。でも状況がわかんないのに脱獄は愚かだろう? 待遇も悪いわけじゃなかったし、とりあえず捕まっとけというのが牢内の総意だった」
ある意味茶番みたいで楽しめた。
「そうこうしている内にクーデターは失敗。失敗とは言ってなかったか。腐敗一掃の目処がついたから発展的解消って表現してたな。オーガスタス将軍と愛しのマイハニーが王都に大軍で進撃してくるから、もう少しこのまま牢にって言われてた」
「一生分働いてしまったわ。わたくしはのんびり過ごしたいのに」
「ハハッ、のんびりするといいよ」
「言ったわね?」
「えっ?」
こういう言い方をした時のクラリッサは何かを企んでいる時だ。
何だろう?
「お父様が王になるのよ」
「聞いた。アップルトン朝が創始され、今までの王家は伯爵として遇されるとか」
「ええ。お兄様は王太子になるわ」
「……とするとクラリッサはどうなるの?」
フリソワ王国をほぼ無傷で混乱から救った、聖女とも言われているクラリッサの扱いは?
最大の功労者に間違いないんだけど?
「公爵家を継ぐのよ」
「ああ、なるほど」
「わたくしは我が儘だから、やりたいことしかしないわ。公爵のお仕事はエルナールがするのよ」
「えっ?」
と言うことは、本気でオレを婿にしようとしているってことかな?
クラリッサの夫なんて、とても嬉しいけど。
まさか本当になるなんて思わなかったな。
「……いいのかい?」
「いいに決まっているではありませんか。我が儘なわたくしは、エルナール以外と結婚する気がないのです」
「うわあ、責任重大だなあ」
「もう少し感動してもよくってよ」
顔の赤くなってるクラリッサは可愛いな。
いや、オレも恥ずかしいわ。
「……クーデターの首魁四人の処分はどうなるんだい?」
全然別のことを聞いてしまった。
「オーガスタス将軍は軍を辞めてわたくしに仕えたいって言うのよ。だから公爵領で引き取るわ」
「へえ?」
「軍と騎士団の再編に必要だから、時々将軍を貸せってお父様に言われているの。王都と公爵領を行ったり来たりになるでしょうね」
「妥当ではあるか」
「将軍は剣術でもエルナールといい勝負だと思うわよ?」
あれ、ちょっと楽しみだなあ。
手合わせしてみたい。
「ユエン憲兵長とガレス魔道士長はそのままの地位というわけにはいかないの」
「そりゃそうだね。部下がついてこないだろう」
「お父様が王位に就いたら名誉顧問という形で、俸給だけは高い役職になるんじゃないかしら」
「ナイジェル殿下は?」
一番興味あるところだ。
最後に見た時は、気の毒に随分痩せていたがなあ。
「お兄様が側近として用いるって言ってましたわよ? 政・官の腐敗一掃のプランはあったのでしょうから、活用できるところは使うのでしょう。……最終的には爵位と新たな姓を与えることになると思います」
現在の王家であるダッシュウッド家とは袂を分かつことになるか。
因縁を抱えてしまったが、時間が解決すると思いたい。
「どうせお兄様は、ナイジェル殿下とダッシュウッド旧王家は仲が悪い方が扱いやすいくらいに考えてると思いますわ」
「ありそう」
アドリアン様は見るからにやり手だもん。
特にアップルトン朝初期のごたつきやすい時期は、ナイジェル殿下とダッシュウッド家が連合すると新王朝の危機だろうから。
ナイジェル殿下を側近にするというのはいい方法だなあ。
「ナイジェル殿下はクラリッサに拘るかもしれないよ?」
「もう会うことはないんじゃないかしら。わたくし、領から出る気はありませんし」
「えっ?」
「よろしくお願いしますわ。マイダーリン」
赤くなるなら言わなきゃいいのに。
どんだけ可愛いんだ。
ぎゅっとしてやる。
「こっちこそよろしく。マイスイートハート」
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